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トワ・レックス  作者: K+
第二部 社交之宴編
13/23

嵌まる誘惑

 アイネ王女主催の舞踏会は、王都郊外の離宮で年明け三日の昼過ぎから行われる。

 本当は、グレイス伯爵令嬢一行はその日にライジカーサへ出発する予定だった。だが王族からの正式な招待なので、出発の方を二日間延期する。

 服飾店へ、代金の大幅上乗せを交渉材料に、注文していた服の仕上げを早めてもらえないか出向いたら頷いてもらえた。

 ぎりぎり当日の朝、真新しい服が届く。

『貴女の傍で咲き始めていた凌霄花(ノウゼンカズラ)が、とても似合っていましたから』

 そう言ってレクスが選んでくれた色と、柔らかげに無数のひだを生む包衣。生成りの薄長布の肩掛。高めの位置に黄赤の細帯。後ろで凝った結び方をして、端に銀の飾り玉を付けてもらう。

 ほんの少し癖のある髪にはもっとはっきり癖を付け、緩く波打たせて肩口に流してみる。

 白粉は少なめ、蜜紅も薄め。目元と爪に色は入れない。何だかんだ言って主役は王女だろうから、客の、特に女性の華美が過ぎたら拙い。

 あの殿下より目立つ人は、そう居ないでしょうけど……

 成人の宴に出てきた鮮やかな姿を思い出しつつ、トワは舶来の姿見の前で身だしなみを確かめる。真剣な面持ちで脇に控える服飾店の店員三人に、告げた。

「気に入ったわ。間に合わせてくれて本当にありがとう」

「とってもお似合いです、今後もどうぞ御贔屓にっ」

 後金と心付けを受け取ると、三人は仕事をやり遂げた者の晴れやかな顔つきで店へ帰っていく。

 布はぼかし染色された逸品だし、襟やら袖口やら帯の端やらに何気にレクスが拘りを発揮していたから、短期間で注文通りにするのは強行軍だったろう。まったくよくぞ間に合ったものだ。

 馬車の支度ができたと使用人が告げにきて、トワは髪や帯が崩れないように気をつけつつ、廊下をそわそわと進んだ。足元でそよぐ布地の感触と歩き易さが心地いい。

 両開きの玄関扉の所に淡金髪が見え、トワは駆け出しそうになる心を抑えて歩み寄った。両腕を広げる。

「じゃーん」

 白の単衣に上品な深緑の長衣と細袴を合わせたレクスは、視線を横手にずらした。

「今の振る舞いは見なかったことにします」

「隅々まで見てよ、みんながレクの注文通りに作ってくれたのにっ」

 周囲に居た女性使用人の何人かが、まぁ、と黄色い声を揃えると、幼馴染みは口早に言った。

「トワ、私の注文だなんてあちらで口にしないでくださいよ?」

「えー」

「我ながら見立ての才能があると実感しましたが、それを吹聴する気は毛頭ありません」

 微妙に説得力の無い発言をしてから、開いた扉に顔を向け、レクスは歩き出した。トワは頬を膨らませると、胸元で肩掛に手を添えて後を追う。

 出がけくらいは浮かれさせてほしい。会場に着いたら気が抜けなくなるのだろうから。

 ささやかにへそを曲げたまま乗り込んだ箱馬車が、軽やかに走り出す。

 と、向かいでレクスが端麗な唇を開いた。

「で、私の男装(・・)の御感想は?」

 ある意味密室で、二人きりの時にそういう質問は宜しくない。主に、トワの心臓に。

「え……?」

 たっぷり()を費やした末、トワは聞こえなかったフリという下策に出た。

 レクスは薄い色の目を半ば閉じると、広くない車内にも関わらず、おもむろに両腕を開く。

「じゃーん」

 棒読みの台詞だし、芝居がかった間抜けな仕種の筈なのに。悔しいことに何故かカッコ良く見えた。

 しっかり認識してしまってから、トワは目を逸らす。

「み、見なかったことにしてあげる」

「しょうがないなぁ、おあいこですね」

 巧く誤魔化されたような……しかもこちらにうっすらと敗北感が漂っている。それでも、顔がだいぶん熱くなっていたトワは仕方なく譲歩したのだった。




 離宮は若々しい賑わいに包まれていた。

 王都で年明けを迎えた貴族は多かったのだろうか、トワとレクスが案内された広間には、既に二十人ばかりが集まっていた。

 やや男性が多めのようだけれど、過日に少し話した子爵令嬢二人の姿がある。二人はトワに気づいて笑んで会釈してきたが、すぐに隣のレクスを食い入るように見ていた。

 果たして、こちら先日のレクシア嬢ですと紹介していいものなのか。トワは早速悩み始める始末になる。

 人の悩みも知らず、レクスが指摘してきた。

「トワ、眉間に峡谷が生まれつつありますね。若いうちからそれでは、この先のかんばせが危ぶまれます」

「嫌ねぇ、何方の所為かしら」

「嫌だなぁ、自分の所為でしょう」

 澄まして応じてきたレクスの横で、トワは眉根をぐぎぐぎと揉みほぐす。

 広間には、成人の宴の時と同じく、壁際に長椅子や軽食、飲み物が用意されていた。小規模ながら、楽団や給仕が動き回っている光景も記憶に新しい。

 ここでは、五箇所にある縦長の窓から、内庭へ出られるようになっていた。今は厚手の窓掛が各窓の両脇に寄せられ、差し込む陽光が場の雰囲気を明るくするのにも一役買っている。

 窓硝子はやや透明度が低く、外の雪の色と石の色、庭木の色を滲ませていた。しかし、何せ王家の離宮だ、窓向こうには美しい庭園が広がっているのだろう。

 廊下側の扉は三つあったが、開け放してあるのは入ってきた端の一つだけだった。

 扉口周辺に居た若者達と微笑を交わし合ってから、レクスが窓の一つを示しつつ足を向け、トワは素直について行く。同じ場数しか踏んでいないと思うが、幼馴染みの方が格段に落ち着いていた。

 窓辺に寄れば、それなりに外の景観は輪郭がはっきりする。陶片を散りばめているらしい小道や、屋根付きの東屋が見て取れた。

 庭へ出てみたい。トワが窓の掛金に目を落とした時、広間のざわめきが静まっていった。肩越しに見やれば、黒髪を高く結い上げたアイネ王女が入ってきたところだった。

 本日は、黒に近い程の濃い紫の包衣に、真っ赤な長布を重ねている。長布は毛皮で縁取られ、襟元だけを留め具で合わせた代物だ。豪奢に肩口から後背を覆い、裏地は更に深紅で染めてあった。堂々たる立ち姿を見事に引き立てている。

 襟ぐりの広い首元には、大粒の紅玉が見えた。主催者だからか、先日の装いより気合が入っている。

「ようこそ。どうぞ、ごゆるりと」

 王女は唇で赤い弧を描いた。「この日が、良い出会いや長きに渡る親睦のきざはしとなることを願います」

 響きの良い声での挨拶が終わると、早速楽の音が鳴り始める。男女が数組、手を取り合う。

 トワは、ちらりと傍らを横目に見た。

 レクスは澄まし顔のまま、中央で始まりつつある舞踏の見物体勢に入っている。

 決まった相手のいないらしい女性達の視線が、かなり集まっているのだが。

「お、踊らない、の……?」

 踊らない? と誘えず、疑問形になってしまった。こうも注目が集まってしまっていると、幼馴染み特権も行使し辛い。

 美少年が、隣のトワにだけ辛うじて聞き取れる程の声量で言った。

「踊れると思いますか。たった四、五日練習した程度で」

 あ、と声を上げそうになって、トワは慌てて口をつぐむ。

 そう、レクスが踊りこなせるのは、女性側の動きなのだ。

「闇避けに凝り過ぎるからよ」

 トワが呆れを含んで漏らすと、レクスは肩をすくめる。今日集まった中には、成人の宴で同年と知った男性も居る。闇避けなど割合早めに切り上げただろうなと思しき、男らしい風体だ。

「私は壁の造花に徹します。トワは踊るといい。今日は随分、貴女に申し込みたがっている殿方が居るようだから」

 嫌よ、と胸中でトワは呟いた。レクスとなら足を踏まれても楽しく踊れるだろうけれど、他の人とでは足を踏まれなくても……

 けれど、無理に踊ってもらって幼馴染みに恥をかかせるのは、トワの本意ではない。

 レクスが別行動を示すように片手を上げ、飲み物の置かれた卓へと離れていく。

 踊りながらアイネ王女でも盗み見ようと、トワは割り切った。誰かと密談している現場でも目撃できたら、何かしら役に立つかもしれない。

 何人か声をかけてきた中、誰それの息子だ何だと要らぬ情報を付け加えず、簡素に名乗ってきた若者の手を受けた。いずれも貴族なのだ、家名で何処の子息かは大体知れる。

 恐らく東部の伯爵令息だろう若者は、高身長気味のトワよりも、更に頭一つ分は高かった。

 軽やかな曲が始まり、手を組んで踊り出す。踊り出したが、背に回った相手の片手がやけに浮き加減になってトワは見上げた。若者は曖昧に笑む。言葉を選ぶような間を置いてから、囁いてきた。

「綺麗な帯を崩してはいけませんから」

「まぁ、すみません。考えの足りない衣装でした」

 焦って謝ると、いえ、と向こうも慌てたように言う。

「とてもお似合いです。帯も、その、花の蕾のようで、可憐だ。武骨な手で押し潰すわけにはいきません」

 頬がほてってきたが、身体を動かしているからということにして、ありがとうございます、とトワは告げる。

 令息は目を細めた。

「御一緒に来られた方がお相手ならば、ちょうどいいのでしょうね」

 え、と問い返す目を上げたものの、トワはそれ以上を説明させずに察した。

 レクスの背丈なら――帯を気にしなくていい位置に手が来るのだ。

 自分の顔が、服と同じ程の色合いになっている気がした。

 アイネ王女に気を配る余裕など、完全に無くなった。足捌きだけは間違えないように必死になりつつも、トワは幼馴染みの居場所を目で捜してしまう。

 屋敷へ帰ったら、一緒に踊りたい。なんなら、初めからトワの足の甲にレクスの足を乗っけてでも。はたから見たらどれほど珍妙な光景となろうとも、今ならば、踊れる気がする。

 今日も金髪は一人しか居ない。ライジカーサではさして珍しくない彼の髪色も、ここではよく目立った。すぐに見いだす。

 広間の少々奥まった所の長椅子で、レクスは談笑していた。

 よりにもよって、アイネ王女と。



「残念だわ。ソータス風の踊りも学んでおくのだった」

 膝が触れそうな距離感で身を乗り出し、アイネが異国の言語で言った。

「それを言うなら、お世話になっておきながらサージの踊りができぬ私の方が不勉強ですね。申し訳ありません」

 レクスは寛いだ様子で、旧サージ国の言葉で応じる。

 互いに相手の国の元言語で会話を成立させている。とはいえ、正しく把握している者は少なかった。少しの距離を置いて控える王女の召使達には、貴公子が語る内容は大体解るものの、主人が何を話しているのかはさっぱりだったからだ。

 懐かしい言葉で語り合う二人は、打ち解けたかのように笑声を重ならせた。

 アイネが先に笑いをおさめ、悪戯っぽい口ぶりで言う。

「我が王家がお世話すれば良かったわ。そうしたら踊りも完璧でしたでしょうに。王家に縁あるとはいえ、どうしてグレイス領のような田舎で過ごされたのか……」

「祖父がイーチ公やドゥー侯と、前々から親しかったからでしょう」

「じゃあ、もう成人なさったのだし、王都でお暮らしになったら? 宰相は当然ながら王都住まいよ? わたくしも王都に居ることが多いの。色々教えて差し上げます」

「これ以上の御恩は……」

 レクスは微かに睫毛を伏せた。「弟殿下のお話では、不肖の身が王妃陛下の御不興を買ってしまっているようです」

 なんですって? とアイネは公用語で口走る。レクスが静かに見返すと、王女は口早に旧ソータスの言葉を連ねた。

「セカンったら、何を根拠の無いことを――いえ、例え母上が何か言っていたとしても、わたくしがついております。心配には及びません」

「それはやはりこちらの言うべきことですね、御心配なさらず」

 無理に微笑んでいるかのように、レクスはぎごちなく口角を上げた。「殿下も御領地のあれこれがお忙しいでしょう」

「あら、大丈夫よ――」

「いえ、グレイス伯の御令嬢が昨年来、小さな地区ではありますが御父君より任されております。なかなかに忙しいのを目の当たりにしていますから。殿下はもっともっとお忙しい筈」

 優しい春空色の目を向けられ、アイネは小さな拳で座面を軽く叩いた。

「もう、大丈夫ですったら」

 王女はちらりと召使達を一瞥する。深刻な話らしき中、甘えるような声を出した主人に、一同はきょとんとした目を向けていた。王女と目が合うと、狼狽したように視線を逸らし、更に距離を置くべく退く。

 アイネは、召使達の顔つきで自分の話している内容が漏れていないと満足したようだった。しかしながら、声量を落とす。

「わたくしの領地は実質母上が治めているようなものなの。フスト殿が任されている土地よりも収益か何かを上げる為? 御自分に課せられた公務が他にもあるのに、わたくしより熱心。だから殆ど任せっきりです」

「……つまり、殿下は御領地の統治に関与されていないのですか」

 確かめるようにレクスが問うと、アイネは口端を歪めた。

「母上はもう何がしたいのかしらね。フスト殿よりわたくしが王として相応しいと仰るけれど、王として学んでおくべき機会はそうして奪ってしまわれる。仕方が無いのでわたくしは、自分の領地の外で、困っている方を見かけてはお助けするのよ。王族としてより、王の真似事かしら」

「それで、ライジカーサの孤児院にも便りを?」

「あれは……」

 アイネは言いさしたが、レクスが畳みかけた。

「殿下のお優しい御心を広げるべく、グレイス伯の令嬢も孤児院に贈り物をしてみたりしたんですよ」

「あら――えぇ、そうだったかしら。伝え聞いた気がします」

「情報が非常に正確且つマメですね、殿下は。毎回、人数分便りを綴られるそうではないですか。私共は地元でありながら、贈り物の数が合わなくならないか何度も確かめる有様で。大変でした」

 肩をすくめて見せたレクスに、アイネは可笑しそうに笑った。

「あの近くに知り合いが居るのよ。母上の縁戚ですのに男爵家に墜ちてしまって苦労なさってる方。便りを出す折は、その方に教えてもらうんです」

「――孤児の、人数をですか」

 えぇ、と首肯したアイネは、得意げに続けた。

「近いうちにまた書きましょう。二十一人分ね」

 レクスは眉を寄せた。公用語に切り替える。

「お恥ずかしながら故郷の発音だのに、うろ覚えになっているようです。二十一人と仰いましたか」

「えぇ、二十一」

 アイネが白い歯を見せて公用語でも明言し、レクスは思わずと言った風に手を叩いた。

「本当によく御存知です」

「大人数でもないですし」

 姿勢を正して立派な胸を張る王女の元へ、手を叩いた音を聞きつけてか召使が来る。なんでもないわ、とアイネは告げたが、レクスが立ち上がった。

「せっかくですので、飲み物をいただいてきます」

「持って来させるのに」

「先程から庭園も気になっていました、宜しければ拝見したいのですが」

 寒いですよ、と王女は不服そうだったが、数歩進んだ美少年が肩越しに微笑すると、彼女も立ち上がる。

「色々教えて差し上げると言ったばかりね。温かい葡萄酒でも飲んでから御案内しましょう」

「あぁ、すみません、私は酒精に弱くて」

「あらまぁ、サージソート産だからなんて言わないでしょうね」

「それは無関係です」

 二人の貴人は笑い合い、しばらくして庭へ出る窓の一つが開放された。

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