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五月一日 二人の時間と寮の中(1)

 そして、その土曜日が訪れた。

 授業が午前中で終わり、教室には自由な時間が訪れた。

 そんな空間に似つかわしくない謝罪の言葉が響く。


「ごめんっ!」


 要たちの教室に入ってきた秋奈が、手を合わせながら頭を下げた。


「そんな、気にしないで」

「そうそう、しょうがないって」


 要と沙織が励ましている。


「でも、今日せっかく要さんが来てくれるのに……」

「忘れてた私たちも悪かったんだよ」

「秋奈にしては珍しいミスだよね」


 沙織が言うと、秋奈は溜息をついて落ち込む。


「まさか、こんな日に図書館の当番があったなんてねえ……」

「プリント渡されてたのに、みんな忘れてたね」


 沙織が苦笑した。


「そんなわけだから、私は図書館に行ってくるよ。二人は先に部屋で待ってて。終わったらすぐに帰るから」


 そう言って秋奈は教室を出て行った。

 取り残された要と沙織は顔を見合わせる。


「……とりあえず、お昼ご飯食べに行こうか」

「……そうだね」


 沙織の提案に要は頷いた。

 二人は学食に移動する。土曜であるためか、平日と比べてそれほど混雑していない。二人は定食をそれぞれ買い、空いている近くの席に座った。


「そうだ、沙織。ちょっと訊きたいことがあるんだけど」

「うん、なに?」

「部屋にお邪魔する前に、一度帰って着替えた方がいいのかなって」

「そうだなあ……うん、制服だと窮屈だもんね。そうしよっか」

「そうしたら、私は一度帰るけど、それまで沙織はどうする?」

「……もし良ければ、また要の部屋に行きたいな」

「いいよ。沙織が来たいのなら」







 ──昼食を食べ終えると、二人は要の部屋に向かった。

 玄関を開け、台所を横目に見ながら和室へと入る。沙織も続いて入ってきた。

 要は鞄を置くと沙織に座布団を勧め、和室から出ようとする。


「隣の部屋で着替えてくるから、座って待っててくれる?」

「うん、いいよ」

「すぐに戻るから」


 そう言って要は隣の洋室へ移動した。

 洋室には主に衣類があり、要の着替えはここで行われている。部屋の隅には服を確認するために姿見が置かれている。他にはすぐに使わない物をしまっているのだが、それでもまだ部屋の中には隙間が目立っている。


 寂しい感じがするのは否定できないが、無理にインテリア類を置くというのも要の考えに反していた。別に隙間があっても困ることはない。むしろ物が突然増えることもあるかもしれない。そんな時に利用すればいいだろうというのが要の考えだった。

 要は衣類を取り出すと、制服を脱いで私服に着替え始めた。




          *




 要が出て行った和室では、沙織が所在なさげに視線を泳がせていた。以前来た時と変わらない内装。隣の部屋では要が着替えているのだろう。

 そこで沙織は、要の私服を見るのが初めてだということに気付いた。意識してしまったせいで、沙織は逸る心を抑えきれなくなりつつあった。

 部屋の中には、和室特有ともいえる畳の香りが満ちている。それに混ざった別の匂いも感じる。これは人が生活している証なのだろうか。


 ──要の匂いなのだろうか。

 そんなことを考えた途端、沙織の顔が赤くなる。思えば、要の私服を見ることだけでなく、こちらの私服を見せるのも初めてなのだ。寮の部屋に戻ればその瞬間は確実に訪れる。

 いや、その前に一つ待ち受ける問題がある。要が部屋に入れば、沙織と同じように部屋の匂いを──。


「お待たせ、沙織」


 襖が開き、要が顔を覗かせた。


「あ、ううん、待ってないよ。うん」


 沙織は崩れてもいない居住まいを正してごまかした。


「すぐ寮に向かう?」


 和室に入って来た要が鞄を取りながら言った。


「えーっと、そうだね。そうしよう」


 そう言うと沙織は、まだ薄赤く染まったままの顔を隠しながら和室から出た。

 視線を横に動かすと洋室の扉が見える。格子状の木枠に透明なガラスが嵌め込まれた引き戸だ。


 ──透明なガラス。つまり、外から中が見えるということを意味している。実際に今、沙織の目には洋室の中が映っている。

 さっきまで、要はそこで着替えていたのだ。


「……」


 沙織は気まずいような、恥ずかしいような、名残惜しいような、複雑な感情を覚えた。


「どうかしたの?」


 いつの間にか要が隣に立っていた。


「い、いや、なんでもないよ。さっ、行こう」


 わざと明るく言うと沙織は玄関に向かい、靴を履いて扉を開けた。扉が閉まらないように押さえながら要を待つ。

 上は薄手の服を重ね着し、下は色と長さが共に制服と似たスカート。要はそんな姿をしていた。特に気取った服装ではないが、それが沙織には美しく感じられた。

 要が靴を履いて出て来たのを確認すると沙織は扉から手を放す。鍵を掛けた要を連れて沙織は寮への道を歩き始めた。




          *





 図書館のカウンター内に秋奈と彩が座っている。見える範囲に人の姿はまばらである。


「暇だね」

「だねー」


 パソコンに向かっていた二人は作業の手を止めて小声で話していた。

 現在作成中のデータは本の貸出期限をまとめたものであり、これを基にして返却遅延者への督促が行なわれている。

 そのデータは日々増えていくが、同じように作業も毎日行なっているため、特に大変というような仕事ではない。さらに今日は新規貸出の数も少なく、二人がやるべきことはほとんどなくなっていた。


「今日って何時頃に終わるかな?」


 秋奈が彩に向かって訊いた。


「この感じなら早めに終わりそうだけど……ナギさん何か予定あるの?」

「まあ、あることはあるんだけど、急がなくてもいいと言うか、ゆっくりさせてあげたいと言うか……」

「んー? よくわかんないよ」


 彩が首を傾げた。その後ろから声が届く。


「あら彩、パソコンに向かい過ぎて肩が疲れたの?」


 奥で別の作業をしていた悠希が現れた。


「あ、悠希。ううん、大丈夫だよ」

「そう。なら安心ね」


 悠希は秋奈に顔を向ける。


「残った仕事は司書の方々が引き継いでくださるそうなので、私たちは帰っていいそうです」

「そうですか、わかりました」

「ねえナギさん。この後だけど少し時間いい? 急がなくてもいいんでしょ?」

「うーん……まあ、別にいいか」

「よしっ。それじゃ悠希も一緒に来てね」

「ええ、構わないわよ。奥の小部屋でいいかしら?」

「オッケーだよ。──あ、ナギさん。もう尋問したりしないから安心してね」


 彩がいたずらな笑みを浮かべた。


「それはありがたいねえ」


 秋奈もおどけて答えた。

 ──小部屋に移動すると、以前と同じように紅茶や茶菓子が出され、会話が始まった。


「そうですか、電話をなさったのですね」

「ナギさんやるじゃん。えっちゃんと話したのも久々なんでしょ?」


 話題は秋奈が衿香に電話をしたことについてだった。衿香の名前も二人に伝え、彩は「えっちゃん」と呼ぶことにしたようだ。


「うん。どうしても声が聴きたくなったから……」


 語尾を濁して秋奈は紅茶に口を付けた。

 その姿を見つめていた彩が思案顔になる。


「ナギさん。なんであまり嬉しそうじゃないの?」

「えっ?」


 秋奈が目を見開いた。


「あたしには、なんだか苦しそうに見えるよ。悠希はどう見える?」

「そうね……確かに元気がないように見えるわね」

「でしょ? ねえナギさん。何を悩んでるの?」


 その鋭さに秋奈は驚かされた。以前も今回も図星を指されてばかりだった。

 二人に隠し事はできないなと再認識しつつ心情を吐露する。


「……あのね、私、自己嫌悪してるんだ」

「自己嫌悪?」

「そう。私が自分勝手に衿香を振り回してるから」

「自分勝手ってのは?」

「私が自分の考えで衿香から離れて、それなのに声が聴きたいだなんて勝手な理由で電話して距離を縮めて……これじゃ衿香に申し訳ないよ」


 秋奈が絞り出すように言うと、部屋に静寂が訪れた。

 三者三様の思いを巡らせる中、ゆっくりと彩が口を開く。


「……いくつか訊いてもいい?」

「うん」

「告白したのは向こうからなんだよね?」

「そうだけど……」

「この前の話で、ナギさんが告白の返事をするまで時間を決めたって言ってたけど、それを言い出したのはどっち?」

「衿香から」

「それでその通りにしてるわけでしょ? なんでナギさんが悩んでるの?」

「……」

「それにさ、好きな人から電話が来て声が聴けたら嬉しいに決まってるじゃない」

「……」


 秋奈は何も言えず、ただ沈黙するばかりだった。

 彩が言ったような考えを持ったこともあったが、自分でそれを認めることは逃げを意味した。そう考えてしまえば楽になれたからである。だから心の奥底へと封印して目を背けていた。


 だが、彩という第三者に意見されたことにより、秋奈は救われたような気持ちになった。

 再び彩が沈黙を破る。


「ナギさんはさ、えっちゃんのこと、どう思ってるの?」

「どうって……」

「──好きなの?」


 重厚に放たれた彩の言葉が秋奈を貫く。

 その核心への結論は未だ固まっていない。


「……気にはなってる、かな」

「煮え切らないなーもう。何をそんなに悩んでるのかわからないよ」

「私もわからないよ……」

「いっそのことさ、一度会って話してみたら?」

「会って話す……?」

「声だけじゃなくて顔も見たいんじゃないの? お互いにさ」

「どうだろう……」

「ナギさん一人で考えてるからそうなっちゃうんじゃない? 会うべきだと思うんだけどな」

「……」


 秋奈は何も言わず俯いていた。


「彩、あまり一方的に話すのはよくないわよ」


 悠希が彩の肩に手を置いた。

 彩は悠希を横目で見て、秋奈に謝罪する。


「……ごめん。言い過ぎた」

「いや、いいよ。全部事実だから」


 秋奈は力なく手を振った。


「薙坂さん。深く考えず正直な気持ちで答えてください。衿香さんの声が聴けて嬉しかったですか?」


 次は悠希からの質問だった。


「はい」

「衿香さんに会いたいですか?」

「……はい」

「会ったら何を話したいですか?」

「なんでもいい……なんでもいいから、衿香と話がしたいです」

「その嬉しい、会いたい、話したいという欲求が起こるのはなぜですか?」

「それは……まだわかりません」

「……そうですか。では今はっきりしていることからいきましょう」


 秋奈は口を噤んで悠希の言葉を待つ。


「私の個人的な意見ですが、薙坂さんは寂しいのではないかと思います。今までずっと一緒にいた人から離れてしまったのですから。それがどのような気持ちから生まれるものなのかはまだわからなくても、寂しさは変わらずあります。対処法は簡単です。離れたからそうなるのですから、その距離を埋めてあげればいいのです。電話をした理由は衿香さんの声を聴きたかったからだと言いましたね?」

「はい」

「それは寂しさへの防衛本能みたいなものではないでしょうか。難しい言い方になってしまいましたが、つまりは自分のやりたいようにやるべきだということです」

「やりたいように……」

「自分勝手だと思われるかもしれませんが、それでいいのです。逃げるためにやりたくないことをするより遥かに立派です。結局は考え方の問題なのです。薙坂さんは悪い方へと考えてしまう傾向があるようですね。その思考を変えるためにも衿香さんと会ってみてはいかがでしょうか」

「変えるために……」

「もちろん、すぐにとは言いません。気持ちの整理ができてからで構いません。ただし、あまり根を詰め過ぎないでくださいね? 薙坂さんの場合、逆効果になるかもしれませんから」


 そう言って悠希は微笑んだ。


「……わかりました」


 秋奈は心中で引っかかっていた何かが薄れていくのを感じた。

 第三者からの意見がこれほどまでの効果をもたらすとは予想外であった。この二人が味方になってくれて素直にありがたかった。

 不安が晴れた秋奈の顔を見て安心したのか、悠希と彩は顔を見合せて微笑んだ。


「さて、それじゃお茶会の続きしよ? 紅茶が冷めちゃうよ」


 彩に促されて紅茶を飲み干すと、淀んでいた気持ちが洗い流されるようだった。




          *




 要のマンションの周囲は住宅街であり、落ち着いた雰囲気に包まれている。それでも数分歩けば駅前に辿り着き、そこには喧騒が渦巻いている。

 そのまま駅を通り過ぎて歩けば、三分ほどで久永学園が見えてくる。再び空気は変わり、華やかな声が飛び交う若々しいそれとなる。


 駅から学園に向かうと南西側に出る。寮は反対の北東側にあり、外周の道を行くよりも学園内を横切る方が早く辿り着ける。二人は近くの東門をくぐった。

 歩きながらグラウンドを見れば、テニスやフットサルに汗を流す少女たちの姿がある。部活動か、それともサークルか。そんな光景を横目に、要と沙織は寮へ歩き続けた。

 学園内を通り過ぎて北門から出ると、すぐに目的地が現れた。沙織が先に寮の入口に立ち、書類を取り出しながら窓口に声をかける。


「あの、これお願いします」

「はいよ。どれどれ──四十崎というのは君かな?」


 窓口から顔を出した女性が要に顔を向けた。


「はい、そうです」

「ちょっと生徒証を見せてもらえる?」

「少し待ってください──どうぞ」


 要は生徒証を取り出し、女性に渡した。

 女性は生徒証と書類を交互に見ている。


「はい、問題なしね。二人とも入っていいよ」


 女性は生徒証を要に返しながら続ける。


「帰る時には一声かけてね。ここにはいつも誰かしらいるからさ」

「わかりました。ありがとうございます」


 要が生徒証を受け取ると、目の前のフラップドアが開いた。女性がその方向を指し示す。


「そこから入ってくれな」


 要はそれに従って寮内に入った。

 沙織は横の入口に生徒証をかざして入った。


 寮の入口は図書館と同じように、生徒証や学生証を読み取らせて通行する構造をしている。

 ちなみに出口は入口のすぐ横にあり、こちらも同じ構造である。異なる点は、それぞれが入口、出口専用だということである。

 たとえば駅の自動改札では入る時も出る時も使える場合があるが、この寮ではそうなっていない。これは混雑と混乱を避けるため以外にも、外出や帰宅の時間を記録したり、寮生が生徒証や学生証を持たずに外出することを防ぐなどの狙いがある。


「今のがここの寮監さんなんだよ」

「そうなんだ。寮監さんって私のイメージだともっと年上の人かなって思ってたけど、結構若い人だったね」

「だよね。わたしたちとそんなに年は離れてないんじゃないかな。あ、まずは部屋に行くけどいい?」


 その言葉に要が頷くと、沙織は要を連れてエレベーターに向かう。乗り込んで、六階のボタンを押す。

 エレベーターから出た先はホールになっている。降りて東側にある廊下を進み、曲がり角の手前で立ち止まる。


「ここがわたしたちの部屋だよ」


 言いながら沙織は生徒証を取り出し、扉に差し込む。緑色のランプが灯り、開錠された音が聞こえた。扉を開けて要を中へと導く。


「さ、入って入って」


 キッチンや冷蔵庫を横目に進み、引き戸を開ける。そのまま沙織は部屋の左側にある机に向かって歩く。


「こっちのベッドがわたしのだから、気にせず座っちゃっていいよ」


 沙織が促すと、要は少し戸惑ったが、結局は掛け布団を少しずらして座る場所を作り、そこに落ち着いた。

 沙織は机の横にあるクローゼットを開けて衣類を取り出す。それを机に置いて要を見る。


「そ、それじゃ、着替えちゃうね」


 沙織の言葉はなぜか一度つっかえた。

 体育の授業前後には、同じ更衣室で着替えているというのに。

 着替えは見慣れているし、見られ慣れているはずなのに。


「うん」


 要は頷き、なんとなく机の反対側にある窓へ顔を向けた。

 窓の横ではカーテンが畳まれている。水色と青のグラデーションを下地にして、太陽や月、星や花が描かれている。

 窓の外にはベランダが見える。物干し竿があり、洗濯物を干すこともできる。そんな生活感が漂っているが、六階からの景色は素晴らしい眺めだろう。


 衣擦れの音が、不意に要の背中を撫でる。

 要はそれを意識しないように意識しながら部屋を見渡す。沙織の発言と行動から想像すると、入口から見て左側が沙織の、右側が秋奈の空間なのだろう。


 あまり視線を動かすと後ろが見えてしまいそうなので付近しかわからないが、少なくとも部屋が散らかっている様子はない。普段からそうなのか、要が来るから片付けたのか。

 そんなことよりも、要は自分の背後で行なわれていることが気になっていた。


「──お待たせ、もういいよ」


 沙織の声が聞こえた。要は振り返り、その姿を確認する。

 Tシャツにクォーターパンツという動きやすそうな服装だった。その服装と背の高さが相まって、脚が強調される形になっている。


 沙織は視線を泳がせて、もじもじとしている。

 そんな反応をされて、要はあまりじっと見てはいけないと思い、目を逸らしてしまった。

 ──本心ではもう少し見ていたかったのだが。


「えっと……秋奈、まだ来ないね」


 そう言いながら沙織は要の隣に腰を下ろした。


「あともう少しかかるんじゃないかな」


 要はベッドの枕元に置かれた時計を見ながら答えた。


「それじゃあさ」


 沙織は要に顔を向ける。


「寮の中、ちょっと見に行かない?」

「いいの?」

「もちろん! そうと決まったらすぐに行こう!」


 沙織は張り切った様子で立ち上がり、部屋の外へ向けて歩き出した。

 要もそれに続く。沙織の後ろ姿を追いながら、再び沙織が案内してくれることに対して要は素直に嬉しさを感じていた。


 まずは今いる六階を歩く。この寮は六階建てとなっており、ここが最上階である。部屋や廊下の間取り、位置、構造などは階によって大きな違いはない。

 エレベーターホールが中央にあり、そこから東西に廊下が伸びている。共にL字型の廊下となっており、その両側には部屋に続く扉がある。廊下とホールの床には絨毯が敷かれており、足音が響きにくい構造になっている。エレベーターの近くには階段があり、これを使って階を移動することもできる。


 二人はエレベーターで一階まで下りることにした。

 一階には先ほど通った入口と、その隣に出口がある。他に東側には食堂が、西側には浴場がある。

 食堂を見ると、中にちらほらと人の姿が見える。


「今は夕食の準備中なんだけど、食堂はいつでも開いてて自由に使えるんだよ」


 沙織が説明し、その場から移動する。

 浴場には人の出入りが見られ、夕方に近いこの時間から使われていることがわかる。

 二人はエントランスホールにあるソファーに腰掛け、その光景を見ている。


「ここは早めの時間から入れるんだよ。その分あまり夜遅くまでは使えないんだけどね」

「深夜にシャワーを浴びたくなったらどうするの?」

「そんな時は部屋にお風呂があるから、それを使ってるよ」

「部屋にあるなら便利でいいね。あ、夜遅くといえば消灯時間ってあるの?」

「特に決まってないみたい。だから夜更かしする人はいるみたいだよ。でも寮の門は十時に閉まっちゃうから外には出られないけどね」

「なるほど。沙織は何時頃まで起きてるの?」

「うーん、だいたい日付が変わるくらいには寝てるよ。要は?」

「私は十一時過ぎくらいかな」

「ちょっと早いんだね」

「朝弱いから少しでも多く眠りたくてね」

「わたしも朝弱いんだー。二度寝大好き」

「私もだよ。一度起き上がればなんとかなるんだけど、それが難しいの」

「要は自分で起きられるんだ。凄いなー。わたしは秋奈に起こされることが多くて……」

「そうそう。沙織ったらなかなか起きないから、毎日大変な思いをしてるのよ」


 いつの間にか秋奈がソファーに寄り掛かるように立っていた。


「秋奈、おかえり。早かったね」

「ん? 私が早く帰ると何か都合悪いことでもあるのかなー?」


 秋奈は首を傾げ、うっすらと微笑む。


「あ、そうか。要さんと二人きりじゃなくなっちゃうもんね」

「べ、別に……そんなことないよ」

「ふむ……まあ、そういうことにしときましょう」


 秋奈は要に視線を移す。


「要さん、いらっしゃい」

「お邪魔してます」


 要は軽く頭を下げた。


「部屋にはもう行った?」

「うん。秋奈さんが来るまで時間ありそうだったから、沙織に寮の中を案内してもらっていたの」

「へえ、沙織やるじゃない」

「でしょ?」


 沙織が得意気な顔になった。


「あら、新しい反応を見せてくれるね。ところで、もう寮の中は全部見たの?」

「うん。だからここで要と一休みしてたの」

「そっか。じゃあ、部屋に戻らない? ここじゃ落ち着いて話せないし」


 秋奈は周囲を見回した。近くにある別のソファーにも人が集まっている。出入口に近いこともあり人の出入りも多い。落ち着くには騒がしすぎた。

 要と沙織は立ち上がり、秋奈に続いてエレベーターに乗り込んだ。

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