一月一日 秋奈と衿香の初詣
「──ほら、十二時になった」
正確な時報ではないので、数秒の誤差はあったかもしれない。そんな曖昧な瞬間よりも、二人でいることの方が重要だった。
「あけましておめでとう」
「今年もよろしくね」
新しい年を迎えて最初に見るのは愛しい人。そんな幸せを噛みしめながらの挨拶。少ない言葉でも、それだけで十分だった。
公園を後にして、目の前に伸びた道を歩いていく。すぐに、夜を照らす明るい光が見えてきた。暖を取るために燃やされている焚き火である。
「結構並んでるね。変わらないなあ、ここも」
小さな神社だが、行列は鳥居の外側まで続いている。以前からそうであるが、屋台の類は並んでいない。ただ参拝することだけを目的とした人々。そこに野暮な出店者が入り込む余地はなかった。
二人は最後尾に並び、夜を彩る太鼓の音に耳を澄ます。軽快ながらも腹の底に響くような重音。地元の青年団が毎年こうして叩いているのだ。演奏場所は奥の方だというのに、ここまでよく聞こえてくる。
同時に違う音も届いていた。神社の反対側には、線路と高速道路がある。電車は終夜運転をしているようで、数十分間隔で電車が通って鉄橋を鳴らしていた。大型ジャンクションが近くにあるせいか、車の走行音もしばしば聞こえる。
深夜だというのに、この一角だけが静寂とは切り離されていた。けれど、騒がしいわけではない。ほんの少しだけ加えられた隠し味のようなものだ。
途中にある焚き火で暖を取りつつ、行列を進んでいく。時折思い出したかのように薪が弾け、火の粉が空へ吸い込まれていく。
「わっ」
予想外に大きな音に驚いたのか、衿香が身を寄せてきた。秋奈は手を握り直すことでそれに応える。不安をすべて消し去ることができたなら。そんな願いも込めていた。
数十分ほどで秋奈たちに参拝の順番が近付いてきたのだが、衿香が首を傾げている。
「あれっ、お参りのやり方ってどうするんだっけ?」
「二礼なんとかってあるけど、そんなに難しく考えなくていいんじゃない? ほら、前にいた人のを見て真似するとかさ」
「うーん、どのタイミングでお願いすればいいんだろう……」
そして二人が参拝する番がやってきた。財布から硬貨を取り出し、賽銭箱に入れる。二人で一緒に鈴緒を揺らせば、奏でられる乾いた残響。
二礼二拍手一礼の作法を見よう見まねで済ませ、拝殿の階段を下りた。未だ途切れない行列の横を通り抜け、途中にあるテントへ向かう。ここでは参拝者に金一封と甘酒を提供している。
ちなみに金一封と言っても、その中身は飾り紐が結ばれた五円玉である。御縁がありますように、との願掛けらしい。
二人は鳥居の片隅で甘酒を飲むことにした。絶え間なく湧き出る白い湯気。肌を刺すような寒さの中でも、しばらく待たなければ飲めそうもない。
「衿香は甘酒、飲める?」
「平気だよ。甘酒っておいしいもん」
「こんな時くらいしか飲めないけどね」
「おいしいのになー」
甘酒の空コップを備え付けの袋に捨てる。時刻はもう午前一時を回っていた。
「この後はどうする?」
「んー、おうちであったまりたいなあ。外は寒いんだもん」
衿香の甘えたような声は二人きりの時にしか聞けない。今は暗い夜道。二人以外に誰もいない。
「初日の出、見ないの?」
「そんなの朝起きれば見られるし」
「それは少し意味が違うんじゃ……」
「あたしは秋奈ちゃんが見られればそれでいいもん」
「そっかー……じゃ、大人しく帰って寝ますか」
「うん。でも、秋奈ちゃんがしたいなら夜更かししてもいいよ」
「おっ、じゃあ限界まで起きてようか?」
「いいよー」
「でも堂々と起きてたら、寝ろって言われそうだから……」
「だから?」
「布団の中で、こっそりと。なーんてどう?」
「寝ちゃいそうだなあ……」
「もし衿香が寝そうになったら起こしてあげるよ。コチョコチョーって」
「えーっ、くすぐられちゃうの?」
「なんなら別のやり方でもいいよ?」
「秋奈ちゃんこわーい」
「怖くないよー無害だよー」
二人の話し声は夜の闇に吸い込まれ、他の誰にも聞かれることはなかった。
電気が消えた秋奈の部屋。暗闇の中では、二人は静かに寝息をたてているように見えるかもしれない。
しかし、実態はそうではない。布団の中で息を潜め、向かい合って囁きを交わしているのだった。
「ねえ、秋奈ちゃん」
「うん?」
「まだこっちにいるんだよね?」
「あと一週間くらいかな。新学期が始まる頃まではいられるよ」
「……あと、一年だね」
「もう来年か……早いなあ」
来年。それは衿香が久永を受験する年。そして、なんらかの結末が訪れる年。
「……」
「不安?」
「うん、少しだけ」
「正直言うとね、私もなんだ」
「どうして?」
「それは……離れてたら、不安にもなるでしょ」
「あたしも、一人だと……ちょっと怖い」
「そっか。でもね、衿香とこうやってくっついてると安心できるんだよ」
距離を詰める。元々隙間などなかったが、それでも更に近付きたかった。
「秋奈ちゃん、あったかい……」
衿香も体を寄せてくる。熱と視線と匂いが今まで以上に強く感じられた。
訪れる無言の時間。手を握り合い、髪を撫でる。額を合わせ、これ以上ない至近距離で見つめ合う。
徐々に衿香の瞼は下がり、その奥にある瞳が隠れていった。
「衿香、眠い?」
返ってくるのは言葉ではなく、ただ首を振る動作だけ。秋奈も行動で返事をすることにした。衿香の頭を抱き、離れないようにする。
そのまま秋奈も目を閉じた。このまま眠ってしまっても構わない。これだけ顔が近ければ、睡眠中に何かが起こるかもしれない。けれど、それは本人すらも知りえないこと。
もし唇がどこかに触れても、誰もその証人にはなれない。
そんな、淡くも不安定な期待を抱きながら、秋奈は眠気に身を任せたのだった。




