四月七日 お茶会とそれぞれの事情(1)
週が明けて数日後、要たちにとって初めてとなる図書館での仕事の日が訪れた。今日の担当は要、沙織、秋奈の三人である。ちなみに秋奈と同じクラスである彩は、役員として仕事を教える側になる。
事前に合流して図書館に入ると、悠希と彩が出迎えた。
「こんにちは、皆さん。お待ちしていましたよ」
悠希が微笑んだ。
「さあ、こちらへどうぞ」
導かれるままに歩いて行くと、奥にある小部屋に通された。
「どうぞ、座ってください」
悠希が促し、三人は席に着いた。それを確認して悠希と彩も座る。
「それでは、まず仕事の説明から始めますね」
悠希は丁寧な口調を崩すことなく説明を始めた。仕事内容は、返却された本を元の棚に戻したり、出庫要請が出された本を書庫から出したりといった、補助的なものだった。
話を終えた悠希が立ち上がる。
「説明は以上です。あとは実際にやって覚えていただきましょう」
それから三人は作業を始めた。初日ということで戸惑うところが多かったが、悠希と彩のサポートもあり、特に問題が起こることなく完了した。
「はあ、なんとか終わった」
沙織が誰にともなく言った。
「まあ、初日はこんなもんでしょ」
秋奈がそれに答えた。
「沙織、疲れた?」
要が沙織に目を向けた。
「ううん、大丈夫だよ。ありがとね」
沙織が微笑んで答えると、悠希が歩いてきた。
「今日はお疲れ様でした。よろしければ少し休んでいきませんか?」
三人は互いに顔を見合せて迷っている。
「無理にとは言いませんが……お茶とお菓子を用意していますよ?」
その言葉に沙織が反応した。要と秋奈に熱烈な視線を送り、行きたいとアピールし始めた。
そんな沙織の肩に秋奈が手を置き、軽く数回叩いてから悠希に向き直る。
「それでは、すみませんがご好意に甘えさせていただきます」
「ええ、それではどうぞこちらに」
悠希と彩が三人を先導して歩いて行く。その途中で秋奈が手を合わせて謝った。
「ごめんね、要さんの考えも聞かずに決めちゃって」
「ううん、大丈夫。私も行ってみたいなって思ってたから」
小声で会話をしていると、目的の小部屋に到着した。
「どうぞ、座ってお待ちください。すぐに用意しますから」
悠希は彩を連れて部屋の隅に向かった。そこには小型のキッチンが備え付けられており、水道やコンロはもちろん、冷蔵庫や電気ポットなどもある。
「図書館にこんな部屋があるなんて、なんか不思議じゃない?」
「確かに……飲食禁止のイメージがあるよね」
小声で話す沙織に、要が同じように答えた。秋奈は会話に加わらず、キッチンで準備に勤しむ二人の後ろ姿を見ていた。
「お待たせしました。どうぞ」
悠希がトレーに紅茶を乗せて戻ってきた。カップを要たちの前に置いていく。
「悠希、これも」
彩が小型のバスケットを持ってきた。中にはスコーンが入っている。
それを受け取り、悠希が机の中心に置く。
「さあ、どうぞ召し上がってください」
そう言って、まず悠希が紅茶に口をつけた。瞳を軽く閉じ、香りと味を堪能するその姿は、周囲の視線を集めるのに十分な優雅さを備えていた。
そっと悠希がカップを置く。その音が合図となったように、要たちもカップを手に取った。レモンやミルク、砂糖などは入っておらず、純粋な紅茶の味が口に広がる。
「すごく、おいしい……」
沙織が呟いた。感動を表すように、目を見開いている。
「ほんとにね。茶葉だけじゃなくて淹れ方も違うのかな」
「紅茶ってこんな味も出せるんだ」
秋奈と要も、その言葉に続いた。
「それは当然よ。悠希は昔から紅茶を淹れてたんだから。その味はずっと飲んできたあたしが保証するもん」
彩が誇らしげに語った。その横で悠希が苦笑する。
「そんな特別なことではありません。ただ趣味で続けているだけですから……」
悠希は彩に顔を向ける。
「だから、そんな自慢するようなことじゃないのよ」
彩に話しかけるその口調は、要たちに対するそれとは違っていた。丁寧な言葉遣いもしていない。違和感というほどではないが、少し気になる点ではあった。
「もう、悠希は謙虚なんだから」
彩は優しい笑みを浮かべた。それに微笑み返して、悠希は要たちに目を向ける。
「スコーンもどうぞ。彩が作ったんですよ」
「え、そうなんですか? これも泉沢先輩が作ったんだと思ってました」
沙織の言葉に反応し、彩が顔を向ける。
「あたしの趣味がお菓子作りだと意外? よく言われるから慣れちゃったけどね。味の方でも損はさせないよ」
「自信たっぷりだね。どれどれ──」
沙織がスコーンに手を伸ばし、掴んで口に運ぶと一口だけ含む。
紅茶を飲みながら、余裕を持った表情でじっと彩がその様子を見ていた。
「ほんとだ……これも、すごくおいしい」
そう言うと、沙織は食べかけのスコーンを一気に食べてしまった。
「でしょう? あたしだってそれくらいできるんだから」
彩は自信たっぷりの表情を浮かべると、要と秋奈を交互に見る。
「ほら、早く取らないと全部食べられちゃうかもよ?」
その言葉に従い、二人もスコーンに手を伸ばす。沙織と同じように舌鼓を打つと、ちらほらと会話が始まった。
「入学してしばらく経ちましたけれど、皆さんはこの学園に慣れましたか?」
悠希が切り出した。その目は要たち三人に向けられている。
「そうですね……入学前から寮に入ってましたし、それなりに慣れたと思います」
その視線を受け止めて秋奈が答えた。
「寮に住んでいらっしゃるというと、ルームメイトの方とは仲良くできていますか?」
「それはもちろんです。ね、沙織?」
「うん? んー」
スコーンを口に含んだまま沙織が頷いた。それを見て悠希が微笑む。
「あら、薙坂さんのルームメイトは麻生さんだったのですか。それなら心配することはありませんでしたね」
悠希は要に視線を移す。
「四十崎さんも寮住まいなのですか?」
「いえ、私は一人暮らしをしています」
「え、一人暮らし? すごい! どうしてどうして? 実家が遠いの?」
突然の反応を示したのは彩だった。その肩に、たしなめるように悠希が手を置く。
「だめよ。そんな一気に質問したら。四十崎さんが困ってるわよ」
「うん……でも、一人暮らしって簡単にできることじゃないと思うし……」
彩は物足りなそうな眼差しで要を見つめた。それを見て要は言葉をかける。
「生活のリズムさえ固めれば、別に難しいことじゃないよ」
「そうなの? ねえねえ、一人暮らしってどんな感じ?」
「どんな感じって言っても、そんなに特別なところはないよ。実家にいた時から家事を手伝ってたから、あまり戸惑うこともなかったし。自分の好きなようにできるから、逆に楽だなって思うこともあるよ」
要の言葉に、彩が感心したように頷く。
「うーん、それでも怠けちゃったらダメだもんね。そうすると、アイちゃんって意志が固いんだね」
「……アイ、ちゃん?」
要が首を傾げた。同時に沙織もスコーンを食べる手を止めて彩を凝視した。
「ご、ごめんなさいね。彩ったら変わったあだ名で呼ぶのが癖みたいで」
悠希が焦りながら申し訳なさそうに謝った。
「いえ、呼び方は自由で構いませんよ。突然のことで少し驚いただけですから。どうぞ好きなように」
そう言って要は、悠希から彩に目を向けた。
「そう? それじゃアイちゃんで決まりね」
彩は沙織と秋奈を交互に見る。
「そうすると二人は……さおりんとナギさん、かな」
「さおりん?」
「ナギさん?」
沙織と秋奈は顔を見合わせた。
「まあ、わたしは前にそう呼ばれてたこともあるし、別に構わないよ」
沙織は気にした様子もなく答え、再びスコーンを手に取った。
「私は初めての呼ばれ方なんだけど……」
秋奈は少し戸惑っているようだった。
「呼び方は人それぞれでいいんじゃない? というか秋奈がそういうところ気にするのってなんだか意外」
そう言って沙織は紅茶を飲み一息ついた。
「うーん……まあ、そうね。ナギさんでいいよ」
少し考えて秋奈は答えた。
「じゃよろしくね、さおりん、ナギさん!」
彩は指でVサインを作ると、額の近くに掲げた。
「ちなみに、あたしのことも自由に呼んでもらっていいからね」
「それじゃ、そのまま彩って呼ぶね」
沙織が答えた。
「私もそうする。よろしくね、彩」
秋奈もそれに続いた。
「皆さん、ありがとうございます。彩、よかったわね」
悠希が軽く頭を下げた。彩は嬉しそうに微笑み頷く。
それから五人の間で話は弾み、数十分が過ぎた。
「ところで皆さん。この学園に入学を決めた理由は何かありますか?」
悠希がそんな話題を持ち出した。
要たち三人は言葉に詰まってしまった。すぐに答えることができず、考える仕草を見せている。
「ちょっと不躾な質問でしたか……?」
悠希が不安な顔を見せた。
「いえ、そんなことはありません」
悠希の言葉を否定するように秋奈が手を振った。
「ただ、そんな大した理由じゃないものですから」
「自分で決めた理由に大小なんてありませんよ」
「ありがとうございます。私の理由は……知るためです」
「知るため……ですか。確かにこの学園なら、様々な知識を得られるでしょうね。図書館にも多くの本があることですし。薙坂さんは探求心が強いのですね」
「ええ、まあ、そんなところです」
秋奈は視線を逸らし、はぐらかすように答えた。それを感じ取ったのか、悠希は秋奈の隣に座る沙織に目を移す。
「えっ? わ、わたしですか?」
沙織はスコーンを掴みながら視線を泳がせて考えているようだ。
「そうですね……見つけるため、ですかね」
「見つけるためと言うと、何かを探していらっしゃるのですか?」
「いや、あの、自分の可能性を、いや、なんて言ったらいいのか……」
そこで沙織はスコーンから手を離し、頭を抱えて「うーうー」と唸り始めてしまった。
「あ、いえ、そういう理由もいいと思いますよ。はい」
悠希の方が焦ってしまっていた。困ったように手を動かしながら、救いを求めるような視線を要に向けている。
「……」
どう答えるべきか、要は考えた。
悠希は苦笑を浮かべ続けている。明らかに空気が変わっていた。
「私は、学ぶためにこの学園に来ました」
そんな状況に負けることなく、要は言った。
「あら、学ぶためですか? 四十崎さんは真面目な方なのですね」
悠希は表情を緩めて微笑んだ。
それから場の空気は穏やかなものに戻り、再び会話に花が咲いた。
*
スコーンが食べ尽くされ、あとは紅茶を飲み干せば茶会が終わりそうになった頃、五人は学園に伝わる噂について語っていた。
「そういえば、皆さんはこの学園で噂話を耳にされたことはありませんか?」
事の発端は悠希の言葉だった。
「噂ですか?」
秋奈が首を傾げて考える。
「うーん、特にこれといってないですね」
「同じくです!」
「私もありません」
沙織と要も答えた。
「意外と知られてないんだね」
彩が要たち三人を見る。
「廊下で話してる子、よく見るんだけどな」
「じゃあ彩は知ってるの?」
秋奈が訊いた。
「もちろん! あのね、この学園には不思議な能力が伝わってるらしいんだ」
「不思議な能力ねえ。いかにも作られた噂って感じがするんだけど」
「そう思うのも無理ないね。まあ、こんな噂があるんだなって感じで聞いてくれればいいからさ」
「そう言われてもねえ──」
秋奈が考え込むような仕草をした。
要と沙織は静かに話の続きを待っている。
「──で、それってどんな能力なの?」
「あのね、自分が思うことならなんでもできる夢みたいな能力なんだって」
「なんでもできるって、曖昧すぎない?」
「でも実際そうなんだから仕方ないじゃない」
「それならさ、一億円降ってこいって思ったら降ってくるわけ?」
秋奈の例えに、彩は少し考える。
「えっとね、常識に反するようなことはできないみたいなんだ。能力を上手に使いこなせるようになれば違うかもしれないけど……」
「それだと、なんでもって言うのは違うんじゃない?」
「でもね、頭がよくなりたいとか、勘が冴えるようになりたいとかならできるみたいだから、それでなんとかできるんじゃないかな?」
「……もしかして、意外と使えない能力なんじゃない? 色々とややこしそうだし」
「そうかもしれないね」
そう言って彩は苦笑した。
「それならさ、他の能力ならどうかな?」
「え、他にもあるの?」
「うん。さっきの能力では、どう頑張っても命と時間に関わることはできないんだ。それを補うってわけじゃないんだけど、命と時間をそれぞれ扱える能力が別にあるみたいなんだ」
「なんか、凄くSFチックというか、メルヘンチックというか……」
既に秋奈は深く考えることをやめ、ただ単純に話を軽く聞こうと思っていた。
「結局は噂だからねー」
彩は紅茶を少し飲んだ。
「それに、ここからもっとメルヘンチックになるよ。命の能力を持った人は死ななくなるみたいなんだから」
「うわっ、それ噂話にはよくある展開じゃない」
「でね、時の能力を使うと、自由に過去や未来へ行けるんだって」
「それってもう噂じゃなくてギャグのレベルじゃない?」
「かもね」
そう言うと彩は笑い、秋奈も笑い出した。
そこで噂についての話は終わり、五人の談笑が再び始まった。