十二月二十四日 要と沙織のクリスマスイブ(3)
「お待たせ。ケーキのできあがりー」
キッチンへと向かった彩が、ようやく本日の主役を持ってきた。机に置かれたそれを見て、沙織は息を飲む。
「うわー……こんなに凄いのお店でしか見たことないよ」
一目見てわかるのは、それがチョコレートケーキだということ。しかし、添えられた苺は花弁を連想させるほど丁寧に切り揃えられており、装飾のチョコクリームは綺麗な雫形をしている。全体はそれほど大きくはないものの、沙織の言葉は決して過剰評価ではない。
「やだなー、もう。さおりんったら褒めすぎだよ」
「作るの大変じゃなかった?」
「んー、それなりかなあ」
「おいしそう……だけど、食べるのがもったいないかも」
「食べてもらうために作ったんだから、気にせずどうぞ」
彩はケーキを分割し始めた。完全な等分にはせず、少しだけ大きく切り分けた部分を沙織に差し出す。
「ほら、さおりんの分は特別だよ」
「こんなにもらっていいの?」
「いいの。あたしの気持ち、受け取ってよ。ほら、アイちゃんも食べて」
要にも皿を勧める。そこにあるのは苺が多めに乗ったケーキ。彩は自身に取り分けた分から苺を数個移したのだった。
「えっ、でもこれ……」
「二人はお客さんなんだから、細かいことは気にしないでいいんだよ」
屈託のない笑顔を向けられて、要と沙織はそれ以上何も言えなくなった。好意を向けられているのだからと、素直に受け止めることにした。
「それじゃあ……」
「うん、いただきます」
二人は手を合わせて頭を下げた。
「どうぞ、食べて食べてー」
彩の声を聞きながら、沙織はフォークを伸ばす。クリームに吸い込まれた切っ先は目立った抵抗もなく沈み込み、深層のスポンジ生地を切り裂いた。一口大になったケーキは、そのまま沙織の口内へと導かれる。
「んっ! これは……」
「どうしたの、さおりん?」
彩が向ける疑問の表情に、沙織は目を見開いて答える。
「おいしい!」
「ほんとだ。これ、とてもおいしい……」
要も頬を緩めて甘さを噛みしめていた。
「おおう、アイちゃんも嬉しいこと言ってくれるじゃない。それでこそ作った甲斐があるってもんだよ」
そう言って彩もケーキを食べ始めた。華やかな話し声が部屋に満ちていく。
「そういえばさ、ナギさんがいなくなっちゃってるけど、さおりんは寂しくないの?」
不意に彩がそんなことを言い出した。
「んー……まあ、寂しくないってことはないけど」
沙織の返事は歯切れが悪い。
「それならさ、またアイちゃんに来てもらったら? そうしたら、さおりんだって嬉しいでしょ?」
「で、でも……要は、どう?」
沙織は要に向き直った。その頬が薄く染まっているのは紅茶のせいか、暖房のせいか。
「寂しくなったら、私で良ければいつでも行くよ」
「要……」
沙織の視線はどこか熱っぽい。要は小さく首を傾げており、その真意を見抜いている様子はない。
「はいはい、いい雰囲気作るのはそこまでにしてねー」
手をひらひらと振りながら彩が言った。それで沙織はようやく要から目を逸らす。頬の赤みは先ほどよりも増していた。
「まあ、一人は寂しいからね。アイちゃんが来られない時は、あたしが一緒にいてあげるよ。友達だもんね」
「うん。ありがとう、彩」
「麻生さんはお友達に恵まれていますね。うらやましい限りです」
悠希の言葉に、沙織の照れは更に加速してしまう。
「いえ、そんなこと……」
終始和やかな雰囲気だったパーティー。締めくくりは、彩のこんな言葉だった。
「それにしてもさ。これじゃ、いつものお茶会と変わらないね」
パーティーがお開きになり、沙織は要を連れて自室に戻った。
「これ持ってって。さおりんならおいしく食べてくれそうだから」
そう言って、彩は余ったケーキを渡してくれた。今は部屋の冷蔵庫で眠っている。
「夕食まで少し時間あるね」
沙織は時計を見る。午後五時を少し回ったところだった。それならば、と言わんばかりに雑談が始まったのだが。
「それにしても、あの二人が付き合ってたなんてなあ……びっくりしちゃった」
やはり、その内容はこうなってしまう。沙織が最も気になっていたことである。
「でも、ちょっとそんな気はしてたよね」
「言われてみれば、ね。でも、わたしはただ仲がいいんだなとしか思わなかったよ」
「ちょっと仲良し過ぎかなってところなかった?」
「んー、あった……かも」
いくつかの場面を回想してみるが、沙織の直感を刺激することはなかった。
夕食を終えて、二人は再び部屋に戻ってきた。
「要、まだお腹すいてる?」
言いながら、沙織は冷蔵庫からケーキを出していた。その様子を見た要は苦笑する。まだ食べるのかと、半ば呆れているようでもあった。
「うん。一緒に食べよう」
「やった!」
沙織は喜びを隠すことなく、ケーキをテーブルに運ぶ。皿は一つ、フォークは二つ。一つずつにしようかとも思ったのだが、寸前で考えを改めたのだった。
二人きりだと、先ほど悠希と彩の部屋ではできなかったようなこともできてしまう。
「ねえ、要」
「うん?」
「はい、あーん」
フォークに乗せたケーキを要の口元へ差し出す。苺を乗せるのも忘れていない。
要はケーキと沙織の顔を交互に見やった。きょとんとした表情も束の間、すぐに微笑みが浮かぶ。
「──はむっ」
「おいしい?」
「うん。とっても甘い」
「じゃあ、わたしも食べてみよっと」
沙織は自分のケーキにフォークを差し入れた。そのまま口元に持って行こうとしたのだが──そこへ視界の外から何かが割り込んできた。
「お返しだよ」
要が、つい先ほど沙織がしたのと同じことをしていた。もちろん、苺も乗っている。
「……うぅ」
今まではこんなやり取りを普通にできていたのに、要を意識してしまってからは少し戸惑ってしまう。嬉しさはあるのに、なぜか体がうまく動いてくれない。
要の柔らかい視線が沙織を射抜く。向けられた期待には応じたい。
意を決して、沙織は差し出されたケーキを口に含んだ。抱える震えが体に現れないように意識するのも忘れない。
「おいしい?」
まるで再現をしているかのように、その質問までも一緒だった。
「うん。とっても甘い」
だから、沙織も同じ答えを返すことにした。