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秋奈過去編 三 解放 / 四 放心

          三  解放




 衿香と過ごすうちに、家族や友達などの周囲からこんなことを言われるようになった。


「秋奈はすっかり衿香のお姉ちゃんになってるね」


 しかし私は一人っ子。姉とは一体どういうものなのか、まったくわからない。お姉ちゃんっぽいねと誰かに言われても、曖昧な返事しかすることができない。

 私は漫画やドラマなどに「姉」というものの姿を探した。カッコイイ姉妹が活躍するお話とか、三角関係がどうのとか……そんなものばかり見ていた私は、今考えると少しませていたんだと思う。

 五年生になった頃には小説にも手を出していた。親が読んでいた本を借りたのが始まりだ。内容は確かこんな感じだったはず。二人きりの姉妹だと思っていたら、実は間にもう一人いて三人姉妹だということがわかった。姉妹は親の遺言を頼りに、まだ見ぬ彼女を探す旅に出る。色々あって最後は見つけることができて、三姉妹仲良く暮らしました。めでたしめでたし。


 私が中学生になってから、パソコンが我が家へやって来た。当然だが、インターネットへの接続もできるようになっている。私はすぐに飛び付いた。親が投げ出した説明書を読み、ネットの海を漂い、時には失敗をしつつ、思い通りに使いこなせるようになるまで数か月かかった。

 それからはやりたい放題だ。有害サイトフィルターが設定されているらしいが、親も詳しくはわかっていないようだったので、こっそり停止してもごまかすのは簡単だった。少し危険だなと思うサイトを見た時は閲覧履歴を消して証拠隠滅。親の部屋や居間に置く場所がなく、使っていない物置同然の部屋にパソコンがあったのも幸いした。そうでなければ、親の目を気にして自由になどできなかったから。もしかすると今の私もないかもしれない。


 広いネットの世界には、私の知らない世界があった。その一つを漢字二文字で表すなら「百合」だ。

 とにかく「お姉ちゃん」というものについて知りたかった私は色々と検索してみることにした。キーワードに「姉」や「姉妹」などの言葉を入力しては、表示されるページを片っ端から見ていた。その中にあったのが、とある百合系のサイトだった。


 今まで見てきた「姉」の概念とは何かが違う。けれど、本当に妹というわけではないのに「お姉さま」と呼ばれる女の子を見ていると、これが私の探していた「姉」なのではないかという気がしてきた。衿香との関係に似ているような気がしたのだ。

 そのページをよく見てみると、女同士の恋愛を扱っていると書かれていた。それもまた私の知らない言葉だった。それまで恋愛は男と女がするものだとばかり思っていたから、女同士でどうやって付き合うんだろう? と純粋な疑問を持っていた。

 さらにそこには漫画や小説などもあり、無償で公開されていた。私は吸い寄せられるようにクリックを繰り返し、次のページを求めた。気付けば夕食に呼ぶ母の声が聞こえていた。

 食事を手早く済ませ、パソコンの前に戻って続きを読む。私は未知の世界へ完全に引き込まれていた。かわいらしい女の子たちが時に恥じらいながら、時に情熱的に愛し合う。全年齢向けだったけど、当時の私には刺激が強すぎたし、細かい描写をよくわかっていなかった部分もある。


 果たしてこれが求めていた「姉」の姿なのだろうか。そんな疑問は頭の片隅に追いやられ、私は百合の世界にどっぷりと浸かることになる。これが今の私のルーツになっているのは間違いない。この経験がなければ衿香の気持ちにも違う答えを返していたかもしれない。そう考えると、私はとても幸運だったと言える。

 ネットで仕入れた知識を使って衿香に接してみたことがある。それも一度ではなく何度か。たとえば「どうしてそんなにかわいいのかしら」なんてことを言いながら衿香の頬を撫でたり、ぎゅっと抱き締めながら「このまま離したくないの」と耳元で囁いてみたり。お互いの家を行き来する仲だったので、二人きりの時間はいくらでもあった。


 それにしても……恥ずかしい記憶だ。なんでこんなことを思い出してしまったんだろう。


 衿香は最初こそきょとんとしていたが、すぐにいつものニコニコ顔になってはしゃいでいた。次第に「あたしも秋奈ちゃんのこと好きー」なんてことも言ってくれるようになった。その頃は深い意味なんて考えもしなかったけど。

 あくまで女同士の恋愛というのは物語の中だけの話で、現実にはないことだと考えていたのだった。




          四  放心




 先ほども少しだけ言ったように、私は中学生になっていた。これまた公立の学校へと通うことになるのだが、問題は距離だ。歩いて十五分という遠さ。自転車通学は禁止されているので、毎日往復三十分。慣れるまでが辛かった。

 それに、衿香との登下校も難しくなった。朝は遠い距離のせいで私の出る時間が早くなり、放課後は部活動や委員会などで遅くなる。たまに一緒に登校できる日があっても、小学校が近いせいですぐに離れなければならない。


 私と衿香は会う時間が減っていた。このまま放置すれば自然消滅となりそうなほどに。もしそうなっていたらと思うと怖くなる。

 だから、あの日衿香を見た時は素直に嬉しかった。


 その日、下校途中の道に衿香がいた。小学校の横、植え込み回りのレンガに腰掛けている。地面に届いていない足をプラプラさせて、揺れ動く爪先を眺めていた。その姿が昔の衿香と重なる。下駄箱の前で私を待っていた、その無邪気な笑顔の衿香。


「衿香? どうしたの、そんなところで」


 伏せた顔を覗き込むと、衿香は目を見開いて勢いよく顔を上げた。


「あ、秋奈ちゃん、いつのまにそこにいたの?」


 衿香はレンガから下り、地面に立ってもじもじとしている。最初は慌てているのかと思ったが、どうやら違うみたいだ。

 頬をほんのり染めて、窺うような上目遣い。これは照れているのではないだろうか。


「今来たところ。それにしても衿香、髪さっぱりしたね。似合ってる」


 以前は私と同じくらい長かったはずの衿香が、しばらく見ない間に思い切ったほどのショートヘアにしていた。明るく元気な衿香にぴったりの活発なイメージだ。触ってみると、見た目に反して意外にボリュームがあってびっくりした。


「うん。ありがと。秋奈ちゃんに褒められると嬉しいな」


 はにかんだ顔も久々だった。もっと見せてくれたっていいのに。


「背だってこんなに伸びて。育ち盛りだね」


 と言っても私よりは小さい。衿香の頭をポンポンとしながら成長を確かめる。くすぐったそうにしてるから、もう少しだけこうしてあげよう。


「ところで、どうしてこんなところに?」

「えっとね、秋奈ちゃんを待ってたんだ」

「えっ?」


 不意打ちだった。チラチラとこちらの様子を窺う姿が可愛くて抱き締めてあげたくなる。そんな煩悩が溢れそうになるほど突然の言葉だったということだ。


「最近一緒に帰れてなかったから今日は……ね?」


 私の返事を待つ衿香。もちろん断るはずもない。お腹のあたりで組み合わされていたその手を取り、指を重ね合う。こうして繋ぐのも久しぶりだ。


「うん。帰ろ?」


 嬉しかったから、そんな言葉が自然に出た。小学校から家までは二分弱しか離れてないけど、一秒でもこうして一緒にいられることが嬉しかった。

 ぱっと表情が明るくなった衿香は眩しく、本当に光っているんじゃないかとさえ思った。何度も視線がぶつかり、そのたびに微笑みを交換する。


「あー……もう着いちゃった」


 衿香の残念そうな声。家の前に着いたのに、繋いだ手を離そうとしない。私も離す気はなかった。間が持たなくなってきたことに焦りを感じた私は、そこで咄嗟の思いつきを口にする。


「ねえ衿香。今日は私の家に泊まっていかない?」

「えっ?」


 びっくりした顔してる。さっきは私もこんな顔してたのかな。これでおあいこだね。


「久々なんだし、いっぱいお話しようよ。明日休みでしょ?」


 その日は金曜で、この頃には週休二日制になっていた。今は半日授業をするところもあるらしいが、当時の教育方針に感謝しておこう。


「いいの?」

「もちろん。ダメな訳ないでしょ」

「わかった! じゃあお母さんに言ってくる」

「私も一度家に帰るから、六時になったら迎えに行くね」


 そこで一旦別れ、私は母親に衿香が来ることを告げた。突然のことだったのに、嫌な顔などせずに喜んで了承してくれた。


「さて。久しぶりにお料理頑張らないとね。衿香ちゃんをおもてなしするんだもの」


 やけに張り切る母親だった。普段の料理も頑張ってほしいんだけど。







 帰って来た時間が遅いのもあって、すぐ六時になった。衿香の家のチャイムを鳴らすと、すぐに扉が開かれる。もしかして待ってたのかな。


「お待たせ。準備はできてる?」

「うん! 早く行こ?」


 勢いよく頷く衿香が私に駆け寄ってきた。荷物は少し大きめの鞄一つ。それで足りるのか少し疑問だが、何か忘れ物があったら取りに戻れるし大丈夫だろう。


「秋奈さん、衿香をよろしくね」


 そう言ってきたのは衿香の母親だ。私の母親と同じ年齢らしいが、それにしては放つ色気とかオーラが違う。私の母親はこんなに上品な笑顔は出さないし、年齢相応どころか年上にさえ見られてもおかしくないくらいだというのに。


「はい。突然のことですみませんが、しっかり面倒を見ます」


 かしこまって答えると、そんな必要はないとばかりに首を振られる。


「いいのよ。衿香があんなにはしゃいでたんですもの。それを止めたら何をされるかわかったもんじゃありませんから。秋奈さんと久々のお泊まりだーってウキウキしちゃって」


 口元に手を当てて小さく笑う仕草も上品だ。うちの母親も見習ってほしい。


「もう! そういうことはいいの! ほら秋奈ちゃん、早く行こうよ」


 私の腕を引っ張る衿香の顔が赤い。そんなに楽しみにしてくれたなんて、なんだか微笑ましい。


「わかったわかった。それじゃ、失礼します」


 これまた上品に振られた手に送られ、私たちは衿香の家を後にした。

 暗くなり始めた屋外も、移動する距離が短ければ怖くもなんともない。私たちの家は目と鼻の先にあるのだから。


「ただいまー。衿香連れて来たよ」

「ああ、おかえり。お風呂沸いてるわよ。せっかくだから一緒に入ってらっしゃい」


 帰るなりそんなことを言う母親は「衿香ちゃん、秋奈といっぱい遊んであげてね」と言いながら台所へ引っ込んでしまった。もう少し落ち着きを持ってほしい。

 私の部屋に移動し、ひとまず衿香の荷物を置いた。ちらりと横目で衿香の姿を盗み見る。母親に妙なことを言われたせいで、変に意識してしまう私がいた。


「えっと、一緒に入る?」


 探るような誘いにも、衿香は元気に答えてくれる。


「入る!」


 それはいっそ清々しいほどの声だった。







 そんな訳で、私は衿香と浴室へやって来た。こうして二人で入るのも久々だ。確か最後に入ったのは去年だったはず。頭を洗ってあげたっけ。こう、後ろからゴシゴシって。

 服を脱ぐ時は、特に意識はしなかった。まだ特別な感情を持っていたわけでもないし、初めてというわけでもないから当然といえばそうなんだけど。当時はピュアだった。


「さっ、衿香。体洗ってあげるから座って」

「はーい」


 衿香はとても素直だった。私の言うことには従うし、それでいて自分の意志も持っている。そんな大人っぽさが、私には羨ましくもあった。


「衿香、ほんとに成長したよね。昔はポエーっとした体だったのに」

「そうかな? でも秋奈ちゃんみたいにはまだなれないよ」

「わかんないよ? もしかしたら、何年か後にはびっくりするくらいのモデル体型に衿香がなってるかもしれないし」

「うーん……あたしは秋奈ちゃんと一緒にいても不自然じゃないくらいでいいや」


 頭の泡を洗い流し、体を洗い始める。触れてみると、やはり女性特有の柔らかさが全身を包み始めていることがわかった。成長しているという証拠だ。


「私は今のままでもお似合いだと思うけどな」

「それって、私が妹みたいだからって意味で?」

「さあ、どうだろうね。でも、衿香のことは妹みたいに可愛がってるつもりだよ」


 衿香からの返事がない。見れば、何かを考えているような顔をしている。その時はなぜそんな顔をしているのかがわからず、私は首を傾げるばかりだった。


「ひゃっ! 秋奈ちゃん、そこくすぐったいよう」


 注意を逸らしていたせいか、洗う手元が狂ったようだ。予想外の動きに衿香が体を震わせる。もちろん、私は簡単に食い付いた。


「くすぐったいって、ここ?」

「や、ははっ、だめだめ!」

「衿香の弱点、みーつけた」


 正面にある鏡が曇っていたのは幸いだった。衿香をくすぐる私の姿は、とても見られるようなものではなかったはずだから。







「えーりーかー。機嫌直してってば」

「……」


 ツーンとそっぽを向いてしまった衿香。どう考えても調子に乗り過ぎた私のせいである。


「ゴメンね。ほんと、私が悪かったよ」


 自分で自分の体を洗いながら謝った。これじゃ一人での入浴と何も変わらないじゃないか。衿香がいるってのにもったいない。


「……じゃあ、あたしのお願い聞いてくれる?」

「なんなりとお申し付けください」


 深々と頭を下げ、ゆっくりと衿香の顔を見上げる。また視線を逸らされたけど、さっきまでとは顔色が変わっていたような気がする。それも良い方向に。


「えっと……お風呂」


 そう言って衿香が湯船を指差した。薄くピンク色に染まったお湯からは、ほんのりバラの香りがしている。母親お気に入りの入浴剤らしく、かれこれ二年ほど使い続けている。


「お風呂がどうしたの?」

「その、秋奈ちゃん先に入って」


 何をするつもりかわからないが、衿香がそうしろと言うなら従うまでだ。湯船に浸かり、次にどうするつもりなのか見守る。


「そのままじっとしてて」


 衿香も湯船に入って来た。それだけなら何も問題はない。

 しかし、私が衿香のために空けた半分のスペースに見向きもせず、衿香は私に体を預けたのである。寄り掛かるような姿勢で、私の前に衿香の後頭部がある。


「えっ、ちょっと」

「このまま、ぎゅってして。それがあたしのお願い」


 衿香はこちらを振り向かずに言った。唐突な願いだったが、言われてみれば簡単なことだ。衿香を抱き締めることは普段からしていたから。ただ、それが衣服を挟むかどうかの違いだけ。

 そっと衿香の体に手を回し、お腹の前辺りで交差させる。衿香の柔肌が私の腕に吸い付く。だんだん頭の中がぼんやりしてきた。


「これでいい?」

「……うん。ありがと」

「ふふっ。衿香は甘えんぼさんだね」


 そう言うと、衿香がさらに体重を預けてきた。浮力を差し引いても軽いその体。私は抱き締める腕を引き寄せ、衿香と体を密着させ続けた。







 母親からは「もう一つ布団を敷こうか」と言われたが、部屋が狭いからと言い訳して断った。一緒に寝たいから、という本音は隠したまま。

 昔は互いに体が小さかったから一つの布団でも十分なスペースがあった。今もまだ、そうすることができるだろうか。


「秋奈ちゃん、こうして寝るのも久しぶりだね」

「私が中学に入ってからは初めてだったかな」


 交わす声は小さくても十分過ぎるほど聞こえている。あまり大きな声を出すと親に気付かれるというのもあるが、体がこれ以上ないほどに密着しているのが一番の理由だ。

 私も背が結構伸びたし、衿香の成長もさっき身を持って確かめたから、布団が狭くなるのも仕方ない。だから体がくっついても、何もおかしなことなんてない。今は夏の暑苦しい時期でもないし。


「へへ、秋奈ちゃん独り占めだ」


 そんなことを考えて自分に言い訳をしていたら先手を取られた。衿香が私の体に腕を回し、すり寄って来たのだ。これじゃ思うように動けないじゃないか。


「ん? なあに? 秋奈ちゃん」


 文句の一つも言ってやろうかと思ったが、間近で見る衿香の顔は想像以上に破壊力があった。今ならなんだって許してしまいそう。


「なんでもない。ほら、早く寝ないと明日起きられないよ?」

「休みだからいいんだもーん」


 そう言って衿香は改めてじゃれ付いてきた。その体を受け止めながら、今日のきっかけを作ってくれた衿香に感謝する。あの帰り道で衿香が待っていてくれなければ、また違った運命を辿っていたのだろう。


 それ以降、また衿香と会う時間が増えていった。できる限り時間を合わせて待ち合わせをして、短い時間を大切に扱いながら登下校を共に過ごす。それからというもの、中学校への長い距離を歩くのが楽しくなった。

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