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十月十二日 手作りケーキと秘めた蜜月

「要、今週の土曜日だけど泊まりに行ってもいい?」


 翌日、計画通りに沙織は行動に出た。これが沙織の次にやるべきことだった。

 自分の誕生日と同じ状況を作り出すこと。そこで要の誕生日を祝うのが目的である。寮の部屋に呼ぶことも考えたが、要と二人きりになりたいという欲を通したかった。秋奈には心の中で詫びておく。


「いいよ。沙織が泊まりに来るのって久々だね」


 思えば、夏休みが始まる前に行ったのが最後だった。それでも八月の中旬に要が寮の部屋に来て泊まったことがあるので、言うほど久しぶりには思わなかった。その時、要が沙織の側にいてくれたことを思い出し、少しだけ嬉しくなる。


「じゃあ、土曜に行くね」

「うん。また料理作ろうね」


 頷き合い、約束を交わした。







 放課後、要と帰りたい気持ちを抑え、一人で図書館へ向かった。目的はもちろん、やるべきことを済ませるためである。カウンターを覗くと、目当ての人物はすぐ見つかった。


「お疲れ。今ちょっといい?」

「あーっ、さおりん、おつかれー。別にいいけど、どうしたの?」


 静寂を象徴する場所には収まりきらないほどに活発な声色が届いた。エアウェーブのかかった髪を揺らす少女の名前は小野原彩。沙織と同学年ながら、図書委員会で書記を務めている。


「ちょっと二人で話がしたくてさ、場所、移動しない?」

「あたしはいいけど……ねえ悠希、行ってもいい?」


 彩が訊ねる先には、図書館にふさわしいとも言える落ち着きをまとった女性が座っていた。

 その雰囲気は、例えるなら和服が似合う淑やかさ。久永高等学校三年生、泉沢悠希。図書委員会の委員長を務め、彩とは寮の同室で生活している。見ているだけで心が洗われるほど優雅な笑みを浮かべて振り返る姿は、彼女だからこそできる芸当だろう。


「いいわよ。行ってらっしゃい。ここは私がいれば大丈夫だから」


 透き通るような声は川のせせらぎのように、ずっと聞いていたいとさえ思わせる魅力があった。しかし彩は慣れているのか、至極あっさりとした受け答えをする。


「ありがとっ。じゃ、行こっか」


 沙織の手を引いて彩が歩きだそうとした。その直前、悠希が沙織に向けて言う。


「彩をお願いしますね」


 その口調は先ほど彩に向けられたものとは違っていた。自分が上級生でありながら沙織に対して敬語を使う上品さ。逆に、彩と話す時にはくだけた口調になる。それが悠希と彩の関係を如実に表わしていた。


「はい。それでは」


 彩に引かれ、最後の言葉が中途半端になってしまった。向かう先は、今まで何度か使ったことがある奥の部屋。暇さえあれば、委員会の仕事がなくても自然とここに集まるような、そんな馴染みの部屋である。


「──で、なんの用事? さおりんの頼みって珍しいけど」


 椅子に座り、机を挟んで向かい合う。彩は身を乗り出しそうな勢いで訊いてきた。真剣な顔を作りながら、沙織は自分の願いを口にする。


「彩って、お菓子作り得意でしょ?」

「んー、まあね。それなりのは作れる自信あるよ」

「だよね。それでお願いなんだけど……わたしにお菓子作りを教えてほしいんだ」


 沙織がそう言った瞬間、彩が訳知り顔で頷いた。それだけですべてを把握したかのような余裕のある表情。


「ほほう。誰かお菓子をあげたい人でもいるのかなー? それも手作りで」

「えと、それは……まあ」

「もしかしなくても……アイちゃん、だよね?」


 彩が言ったアイちゃんというのは要のことである。名字のアイザキから取った呼び方であり、彩は人に自分流のあだ名を付けて呼ぶことを趣味としている。その例外は悠希くらいなものだ。

 愛くるしいものを見るような目で見つめられ、沙織は視線を泳がせる。真剣な顔など、もはや維持できるはずもない。


「だ、誰にあげたっていいじゃない。教えてくれるの? くれないの?」

「もちろん教えてあげるよ。どんなのが作りたいとか、希望はある?」

「ケーキを作りたいんだ。バースデーケーキをさ」


 この時点で語るに落ちているのだが、当の沙織は気付いてすらいない。


「なるほどね。いいよいいよー」

「でも、ケーキ作るのって難しくない?」

「モノによるね。あ、そうだ。せっかくだから、後であたしの部屋においでよ。レシピ一緒に見て作れそうなのを考えようよ」

「いいの? それなら……」

「決まり! じゃあねえ、六時にあたしの部屋に来てね」


 陽気な彩の笑顔に、上向きに立てられた親指が似合っていた。


「うん。ありがとね」

「仕事がなければもっと早くできるんだけどなあ」

「いいってば。気にしないで」


 かくして、沙織の計画は着実に進行していくのだった。




          *




「──なるほどね。麻生さんが四十崎さんにプレゼントを」

「うんうん。これってイイ傾向だよね」

「ええ。四十崎さんの誕生日が近付いているのに何も動きを見せないものだから、どうなるのかこっちが焦っていたくらいだもの」


 午後四時半。悠希と彩は自室で話し合っていた。委員会の仕事を早く切り上げてまで用意した場である。持ち味である彩の陽気さも、ここではいくらか薄れているようだ。


「それで、六時に麻生さんがここに来るのね?」

「そうだよ。あたしがお菓子作りを教えることになったから」

「彩が教えるのなら、さぞ美味しいお菓子が完成するのでしょうね」


 悠希が浮かべた微笑みは、図書館で見せたものとは一味違っていた。決して不特定多数には向けることのない、甘く妖艶な色を帯びた表情。愛しい存在を包み込む柔らかな目で見つめられ、彩の顔色も次第に蕩けていく。


「ありがと。やっぱり悠希に褒められると嬉しいな」

「今だけじゃなくて、いつだって私は彩を褒めてあげられるのよ。彩の良い所はいくらだって知っているのだから」

「悠希……あたし、うまくやるからね」

「期待しているわ。でも、一人で全部背負うのだけはやめてね。私がいることを忘れないで」

「わかってるよ。悠希はあたしを支えてくれてるってこと」


 二人の手が重なり合い、その熱を交換する。少しずつ動かした指は次第に大胆になり、最後には固く絡み合った。その間も互いの視線は交わったままである。

 二人だけの世界に入ってしまえば、外界の雑念も届かなくなる。下校してきた生徒たちで賑わう廊下の喧噪も、夕日に染められたカーテンも、軋むベッドの音さえも。互いの温もりと鼓動に神経を支配され、ただ相手を想うことしかできない。

 ふわり、と彩が悠希に体を寄せる。その胸に頭を預けながら、背中に回された手の感触に身を委ねていた。


「まだ、麻生さんが来るまで時間はあるわよね」

「──っ!」


 悠希の声に彩は答えられなかった。その唇が悠希に塞がれたからである。

 口内に満ちる甘い刺激に力を奪われ、彩は静かに目を閉じた。




          *




 時は過ぎて夕方、約束より少しだけ早く沙織は自室を後にした。


「ちょっと彩の部屋に行ってくるね」

「彩の部屋? 遊びにでも行くの?」


 秋奈は奇妙な動きの柔軟体操をしている。寮監に教えてもらった運動方法だ、と言っていたことを沙織は思い出す。


「まあね。色々と用事があってさ」

「ふーん。夕食はどうするの?」

「食べるよ。七時までには終わるから、後で食堂の前で集合しよ?」

「ん、わかった。行ってらっしゃい」

「はーい、また後で」


 そんな会話があったのは数分前。今は彩と悠希の部屋に招き入れられたところである。二人が清涼感溢れる顔をしているのは気のせいではないが、それは沙織の知るところではない。


「いらっしゃいませ。ゆっくりしていってくださいね」

「やっほー。さおりん、こっちこっち。準備できてるよ」

「あ、あの、お邪魔しま……って彩、引っ張らないでってば」


 そうして連れられたのは部屋の奥、彩の机だった。


「ほら。これがお菓子のレシピ本だよ。まずは何を作るか決めないと先に進めないからね」


 沙織は椅子に座らされ、彩は後ろから身を乗り出すようにして説明する。体がやけに押し付けられているような気がするが、教えてもらっている身というのもあって沙織は反論できない。


「何もかもが初めてだから、どんなのがいいかもわからないんだけど……」

「それなら、これなんてどう?」


 彩が示したのはシフォンケーキのレシピだった。誕生日には生クリームと苺が乗ったショートケーキだと思っていた沙織は面食らう。


「これって……ケーキ?」

「これがケーキに見えなかったら眼鏡変えた方がいいよ」


 予想外の返答に、沙織は再び首を傾げる。しかし、彩の説明を聞いている内にケーキの種類は気にならなくなっていた。大切なのは気持ちを込めること──それが念頭にあったのも要因の一つである。

 話し合いの結果、紅茶味のシフォンケーキを作ることになった。紅茶の葉を悠希が持っていることもあり、協力の幅が増えるからと彩に勧められたのである。


「んじゃ、ケーキはこれにするとして、材料はどうする? あたしも一応それなりには揃えてるつもりだけど」

「ありがと。でも、それくらいは自分で用意したいな」

「くーっ、なんだかさおりんカッコイイ!」


 彩は炭酸飲料を飲み干したような顔で沙織の背中を叩いた。痛くはなかったが、沙織は苦笑する。


「どこでそう思ったのかわかんないんだけど……」

「トッピングに必要な物は色々と細かいから、それくらいはあたしに出させてね。さおりんの気持ちを応援したいし、それに──」

「それに?」


 言葉を区切った彩に、沙織は首を傾げた。心底楽しそうな笑みを浮かべて、彩はこう続けた。


「──デコレーションでアイちゃんの名前も書いてあげる。ついでにラブとか書いてあげてもいいよっ」

「ん、なっ」


 沙織は目を大きく見開き、表情を固めてしまった。


「あははっ、そんなに焦らなくてもいいってばー」


 笑いながら彩は沙織から離れ、ベッドに腰掛けた。


「お話は終わったのかしら?」


 頃合を見計らったかのように悠希が入ってきた。その手に持った盆には、人数分のティーカップが乗っている。


「うん。とりあえずはね。あとはまた明日かな」

「そう。ごめんなさいね麻生さん。お話の邪魔をしてはいけないと思って、お茶を出すのが遅れてしまって」


 そう言って差し出されたのは、何度も見慣れた色の紅茶だった。悠希は紅茶を淹れることを趣味としており、お菓子作りが得意な彩とのコンビで委員会の面々に舌鼓を打たせている。


「あ、すいません。いただきます」


 紅茶を飲み、一息つく。何度かこの部屋に来たことがあるせいか、すぐに心を落ち着けることができた。そこで沙織は部屋に残る微かな熱気に気付く。その正体を探ろうとした時である。


「それにしても、突然だったからびっくりしたなあ。夏休み前に作り方教えてって言われて、それっきりだったんだもん。もういいのかなーって思っちゃったよ」


 彩が沙織の顔を覗き込むようにして言った。沙織は思考を切り替える。


「あのね、彩に教えてもらおうってのは前から考えてたんだ。だけど、要へのプレゼントを先に用意したくて、それに手間取っちゃってさ」

「なーんだ。そうだったんだ。まあ、あたしが教えるんだから誕生日前日でもすごいの作れるようになっただろうけど」


 彩が薄い胸を張って自慢げに言った。その隣では悠希が紅茶を一口飲み、穏やかな笑顔を向けてくる。


「麻生さんは、四十崎さんと本当に仲がよろしいのですね。うらやましい限りです」

「あ……はい」


 口に出して言われたせいか、照れが込み上げる。沙織は紅茶をもう一口含み、その感情ごと押し流すように飲み込んだ。

 ここまで話しても、沙織は違和感に気付くこともなかった。自分がその話題を振った覚えはないので、要から聞いていたのだろうくらいにしか思っていない。深く考えず、気にすることもなく。

 悠希と彩が要の誕生日を知っていた事実。その理由に沙織が目を向けることすらない。

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