七月二十三日 終業式と水着ショッピング
終業式の後、教室で待つ一大イベントがある。
薄いながらも十二分に存在感を醸し出す、通信簿という書類である。成績は五段階評価で、上位のAから下位のEまでのアルファベットで表されている。
「うぅ……なんでこんなことに」
「まあまあ、かな……はぁ」
「もうちょっと上だと思ったのに……C、か」
「うぐ、D……補習、出ないといけないかも」
教室のあちこちで悲痛な声が飛び交っていた。教師は既にホームルームを終えて出て行っており、実質夏休みが始まっている。教室には夏休みの開放感と成績への落胆が混ざり合った奇妙な空気が漂っていた。
「要は成績どうだった?」
そんな空気も沙織にとってはどこ吹く風。前に座る要の背中を突いていた。
「こんなものかな、って感じ。沙織は?」
要は振り向き、沙織の通信簿を見た。
「見る? いいよ」
開かれた通信簿はAとBで埋められていた。さらに言えばAが目立っていた。B評価は一、二割程度といったところか。
「……やっぱり、沙織ってなんでもできるんだね」
「そうかな。要に褒められるとなんだか嬉しい。ありがとう。要のも見せて」
微笑みながら手を伸ばす沙織に、要は通信簿を渡した。沙織がその中に目を走らせる様子を見る。自分の通信簿にもAはあったが、沙織ほどではない。Bが半数ほどを占め、ほんの少しCがある。劣等感が少なからずあったのは事実だ。
「ね? ほら、こんなものでしょ?」
要が言うと、沙織が通信簿から目を上げる。やけに真剣な表情に見えた。
「要って、頭いいんだね」
「えっ?」
「ほら、ここ。わたしはBだったのに、要はAだもん。今度のテストでは勉強教えてほしいな」
「いいよ。私にできることなら」
そんな会話が、要にとっては楽しくて仕方なかった。なんでもないことを言い合える相手がいるということの喜び。温かい感情は要の中に確実に存在している。
それから二人は昼食を済ませ、後に駅前で合流する約束をして解散した。
制服から私服に着替え、駅前に向かって要は歩く。夏の汗ばむ陽気も、沙織と会うことを考えれば苦にならなかった。初めて会った頃と比べると、接し方が自然なものになっている。秋奈や彩ともよく話すが、沙織はそれよりも一歩先にいるような感覚。要はそれが嬉しくて、心地良くてたまらなかった。
「あ、こっちこっちー」
だから、沙織がそうやって手を振っていると、そちらに向かって駆け出してしまう。
「ごめん、待たせちゃった? 暑かったでしょ」
「日陰はそんなに暑くないよ。ほら」
沙織が要の右手を取り、日陰へと引いた。
「あ……ほんとだ。涼しいね」
壁に背を預け、しばらくそのまま日陰で休む。暑さを連想させるような蝉の声は聞こえるが、それでもいくらかは安らげた。
「要ってさ」
「うん」
「あんまり汗かかないんだね」
「そうかな。あ、でも」
「でも?」
「手が、ちょっと熱くなってるかな」
要は繋がれたままの手を掲げた。先ほど沙織に掴まれてから、流れで手を繋いでいたのだった。薄着に晒された腕が、直に触れ合っている。
「それ、わたしも思ってた」
沙織は空いている右手で顔を扇いだ。暑そうな顔をして、大きく息をついている。
「じゃ、離す?」
手の動きが止まり、沙織の顔が少しだけ引き締まる。
「このままがいいな」
そこから伝わる感情が、また要に幸せを与える。
「だよね。私もこうしていたい」
そう言って、握る手に少しだけ力を込めた。
駅前ロータリー沿いに大きな店があり、そこではスーツから普段着まで、衣類総合を扱っている。カジュアルな衣類も多く、若者の人気も高い店である。もちろん水着も一通り揃っており、ここで一緒に買おうと約束していたのだった。
店内に入ると、まず冷えた空気が二人を迎えた。
「ふはぁ……生き返る」
「涼しいね」
表情を緩め、二人は水着売り場を目指す。二階の一角に、それは広がっていた。
入口の目立つ場所に、鮮やかな色と装飾を施した水着が並べられている。そこから少し視線を動かせば、店内の壁に飾られた高価な水着の数々が見える。それらに釣られて入ってしまえば、あとは数々の水着に釘付けとなるだけだ。
「これ、かわいいフリフリ付いてる」
「私はこっちの色が好きだな」
「あ、なんか要のイメージにぴったりかも」
「ちょっと試着してみようよ」
数ある水着を手に取っては目移りし、さらに良い物はないかと探す。そんな繰り返しの果てに目を付けた水着を持ち、二人は試着スペースへ移動する。
カーテンで区切られた先に、さらに小さな部屋が八つ並んでいる。その中から向かい合って空いている試着室を選び、それぞれに入る。
「要、着てみた?」
「ちょっと待って──うん、着たよ」
「じゃあ、いくよ? いち、にーの、さん!」
言い終わると同時に二つのカーテンが開かれた。向かい合う要と沙織の目に映るのは、互いの水着姿だ。
「わあ……要、バッチリだね」
「沙織も似合ってるよ」
水色の水着を着た要と、オレンジ色の水着を着た沙織。互いにビキニタイプで、要のみ同色のパレオを着けている。
「せっかくだから、他のも着てみようよ」
「いいよ」
そうして始まる二人だけのファッションショー。ときには明るく陽気に、ときには大胆に見せつけるようにポーズをとる。そんな姿を見るのが要は楽しく、誰よりも先に沙織の水着姿を見られるという優越感を覚えていた。
結局、二人は最初に着た水着を買い、店を後にした。
「プール、楽しみだね」
「うん。待ち遠しい」
目的地を定めず、なんとなく駅前の改札口に向かって歩く。示し合わせたわけでもないのに、先ほどの日陰に戻っていた。
蝉の声を浴びながら、空を見上げる。わずかに浮かぶ雲は日差しを遮ることもなく、青空を彩る模様にも思えた。隣を見れば、沙織が耳にかかった髪をかき上げている。
「ねえ、沙織」
名前を呼べば、こちらを向いて微笑む。
「なに?」
このまま帰ってしまうのが、やけにもったいなく思えた。
「ここ、寄ってかない?」
示すのは、寄り掛かっていた壁。そこにあるのは、以前も来た駅前のパン屋だ。
「あ、いいね。おやつタイムだ」
沙織と知り合ってから、二度目の長期休暇。一度目はゴールデンウィークだった。その時は要の部屋に泊まったことにより、二人の時間は大量にあった。
しかし、今回は違う。今日別れれば、次に会うのはプールに行く日になるだろう。そんな長い時間沙織と会わないというのは、要にとって未知の領域だった。沙織と会わないでいると、関係が変わってしまうのではないか。沙織はそんな薄情な人間ではないと信じてはいるのだが。
とにかく、今は沙織との時間を大切にすることにした。パンを頬張る沙織は、いつもと変わらず可愛らしい。




