七月十六日 頭脳明晰と決定事項
「終わったあぁ……」
図書館の奥、いつもの部屋。午後二時の熱気も、冷房の利いた室内には届かない。試験終了ということで、五人が集まっている。
「あたしも終わった……なにもかも」
「彩の場合はダブルミーニングだね」
「ナギさん、今は難しいこと言うの止めてよう……」
脱力して座る秋奈と彩が、そんなやり取りをしていた。
座る位置は前回のお茶会と同じ。悠希は離れた場所で準備をしており、この場にはいない。残る二人、要と沙織は相変わらず暗さとは無縁の口調で話す。
「沙織はテストどうだった?」
「うん。どれも空欄全部埋めたし、手ごたえもあったからね。要は?」
「私もいい感じだったなって思うよ。来週は勝負だね」
週が明けてからは登校日に授業は行われず、試験の返却と解説のみが行われる。それが過ぎれば、今日から一週間後の二十三日に終業式が行われる。
「要と勝負かー。どうなるのか予想できないや」
「昔の成績はどうだったの?」
要の言葉に、沙織がしばし考える。
「えっと──」
久永学園の入学試験では、成績上位者数名に対して奨学金を支給している。これは返還不要であり、その額は入学金と一年間の授業料に相当する。つまり、入学金と授業料の実質的な免除である。
その奨学金を沙織は受け取っていた。同時に、成績が良いことが好ましい結果を招くとは限らないことも知っている。
しかし、要のことを信じたい気持ちも無視できない。
「あ、言いにくかったらいいんだけど……」
だから、要がそんな困惑した表情をするのは見たくなかった。
「──ここの入試で奨学金もらうくらいかな」
一瞬の沈黙の後、要が驚きの表情を見せる。
「えっ? ほんとに?」
「うん。なんかね、入学案内と一緒に奨学金の書類が入ってたの」
「沙織って、凄かったんだね」
「そ、そんなことないよ。ほら、わたしの他にも奨学金もらった人がいるだろうから」
沙織がずれた弁解をしていると、秋奈がゆっくりと顔を向ける。
「あれっ、要さん知らなかったの?」
「初耳だったよ」
「ほら、前に言ったじゃない。沙織は頭いいって。まだテスト前だったのに、どうしてそんなことわかったかと言えば、その奨学金をもらったって聞いたからなのよ」
「あ、そういうことか。なるほど」
「さおりんが……輝いて見える」
彩も会話に入ってきたが、その目こそが輝いていた。
「お待たせしました。始めましょう」
悠希が戻ってきて、机に人数分のカップと紅茶が入ったポットを置いた。
「今日のお茶菓子はあたしが作ったやつじゃないけど、大目に見てね」
そう言って彩が悠希から袋を受け取り、その中身を机に広げた。
「これって、駅前の?」
目を輝かせた沙織に、彩が頷く。
「そう。あのパン屋で売ってるエクレアだよ。悠希が買ってきてくれたんだ」
「デパートへ買い物に行きましたので、そのついでです」
悠希に礼を述べてから、お茶会を開始した。既に試験の重苦しい空気は消え去っている。
「やっぱり、夏と言えば海だと思うわけよ」
エクレアを食べ終え、紅茶を一口飲んでから秋奈が口を開いた。なぜか自信たっぷりの表情である。
「海か……いいかもね」
答えたのは彩だった。斜め上に目をやって想像を膨らませている。
「でしょ? 暑い日は水に入って涼む。これしかないよね」
熱弁する秋奈の横で、要と沙織が視線を交わして微笑み合っている。
「予想通りだね。秋奈さんの話」
「うん。元気になった途端これだもん」
「じゃあ次に来るのは……」
「アレ、だろうね」
二人は会話を止め、秋奈と彩に目を向けた。
「うーん、いいとは思うんだけど……ナギさん、本気?」
「わりと、ね。彩が言いたいのはあれでしょ? 海がないってこと」
「そうそれ。ここからだと、ちょっと遠いよね」
「それは私もわかってる。ちゃんとわかってたよ」
隣で「嘘ばっかり」と沙織が呟いたが、それに気付かず秋奈は続ける。
「だから、人間の知恵に頼ることにしたの」
「知恵って?」
「海がなければプールに入ればいい。プールなら近くにあるでしょ?」
「うん、確かに」
彩が納得したのを見て、秋奈は他の四人にも視線を巡らせる。悠希は柔らかい笑みを浮かべ、要は思案顔で首を傾げ、沙織は目が合わないように顔の向きを変えた。
「さて、みんなの了解を得た訳だけど、プール行く日を決めちゃおうか」
「誰も了解してないって。少なくともわたしはね」
秋奈が独壇場を開く前に、沙織が口を挟んだ。
「えー? 夏は水着で涼しくなるものでしょ?」
「そうかもしれないけど、秋奈は一人で走りすぎ。もっとみんなの意見を聞かないと」
秋奈は「それもそうか」と頷き、悠希に顔を向ける。
「泉沢先輩は来てくれますか?」
悠希は彩と一瞬だけ視線を交わし、それだけで意思疎通が完了したかのように頷く。
「ええ。皆さんが良ければ喜んで」
「あたしも行くよー」
「よっし。さて、要さんはどうする?」
秋奈が見ると、要は思案顔のままだった。
「もし行くなら、いつ頃になるのかな?」
「そうだねえ、八月の頭くらいかな。何か予定あるの?」
「ううん、そうでもないんだけど……じゃあ、私も行こうかな」
「ありがとう! これで四人だね。あ、と、は──」
節を付けて言った秋奈がこちらを見る前に、沙織は口を開く。
「わたしも行くよ。ダメだなんて一言も言ってないし」
「ふむ、素直でよろしい。じゃ改めて行く日を決めようか」
それから話し合いが始まり、八月三日にプールへ行くことになった。理由としては、火曜日であることが一番だった。可能な限り混雑を避けるため、土日祝日は真っ先に論外。次に月曜と金曜はそれぞれ日曜と土曜にかかり、近隣ホテルの宿泊者が多数訪れると考えられるため除外する。残った曜日の中から、一番早く来る火曜日を選んだのである。
「でも、世間は夏休みだから、それなりに人がいるだろうと考えておいてね」
秋奈がまとめ、話し合いは終わった。一仕事終えた様に深く息をついた。
「ねえ、沙織は水着持ってる?」
そんな秋奈の横で、要は沙織に訊ねた。
「一応持ってるけど……サイズ、ちょっと不安」
言いながら沙織は自分の腕や腹を見つめた。
「もしよければ、一緒に買いに行かない? 見るだけでもいいけど」
「いいね、行こう。今日これから行く?」
「いや、まだいいや。来週、終業式の後なんてどうかな」
「うん、わかった。ふふ、今から楽しみ」
その夜のこと。要は風呂上がりに姿見の前に立っていた。鏡に映る自分の体。そして巻き付くメジャー。要は自分のスリーサイズを測っていた。
一人で測るのは難しく、正確な数値を割り出しにくい。入学前の健康診断でも計測したのだが、約四か月前の数値よりも一応の目安になると考えたのだ。
水着を着ると意識し始めると、気になることが加速度的に増えていった。人にどう見られるのか、肌が荒れていないか、バランスがおかしくないか。水着を買うならば、自分に似合う物を選びたい。
何より、沙織に無様な格好は見せられない。それが要の気持ちだった。




