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四月一日 入学式と初めての出会い(2)

「お昼食べるのにいい場所があるんだ」


 そう言って沙織は要を中庭へ導く。

 南棟の北側、中央棟を囲むように中庭がある。沙織は空いているベンチを見つけるとそこを指差す。


「あそこで一緒に食べよ?」


 断る理由が浮かばず、要は沙織の隣に座る。

 二人はそれぞれ、先ほど買った昼食を取り出す。要はツナサンドを、沙織はメロンパンを手に取り食べ始める。


 食べつつ要は周辺を観察する。緑が多い地面にコンクリートで舗装された道が走る。青々と茂った木々が日陰を作り出している。都会ではあまり見られなくなった、この学園の立地条件ならではの光景である。

 久永学園がある葛上山市は、都心から離れた郊外である。郊外と言っても都に隣接した県であり、最寄り駅から都心まで電車一本で行けるほどの距離である。近くには大きな国道もあり、その交通量も多い。駅や国道の周辺にはデパート、カラオケ、レストランなどがあり賑やかであるが、少し道を外れれば喧騒とは無縁の住宅街が広がる。


「──ねえ、ちょっと訊きたいんだけど、いいかな?」


 不意にかけられた言葉に、要は沙織に向き直る。


「うん、何?」

「違ってたら悪いんだけど、四十崎さんってもしかして左利き?」

「そうだけど……どうしてわかったの?」

「やっぱり! 後ろからだとはっきり見えなかったんだけど、教室でプリントに名前とか書いてた時に左手がよく動いてたから気になってたんだ。それでさっきレジでお金出す時に、左手を使ってたのを見てそうなのかなって。今も左手にサンドイッチ持ってるから、やっぱりそうなんだって思ったんだ」


 予想が的中して嬉しいのか、得意気に沙織は言った。

 そんな沙織とは対照的に、要は重い口を開く。


「──でもね、左利きって不自由なことが多いんだ」


 要の言葉に、沙織は興味を持ったのか首を傾げる。


「そうなの? わたしは右利きだからわからないけど……たとえば?」

「まずは……駅の改札がそうだね。切符や定期を右手に持たないとやりにくくて」


 沙織は考えるように首を反対側に傾げる。


「あっ、そうだよね。そういえば」

「他には財布だね。あれも右利き用に作られてるし、自動販売機だってそう。それに、左利きは少数派だから、昔はからかわれたりもしたし……」

「そうなんだ……」


 沙織は視線を下へ落とした。その顔は、まるで何かを考え込んでいるかのようだった。

 その姿を見て要は考える。喋りすぎたかもしれないと。昔のことは話すべきではなかったのだろうか。でも言ってしまったことはどうすることもできない。

 気まずいとはいかないまでも、居心地が良いとは言い難い空気が漂う。少なくとも要はそう思っていた。


「──でも、わたしはいいと思うよ。左利き」


 突然、沙織が視線を戻して言った。


「……えっ?」


 思いがけない反応に、気の抜けたような声が要の口から漏れた。


「わたしは別に悪く思ったりなんかしないし、むしろ憧れちゃうかも」


 気まずい空気が消えていくように感じた。


「そう……かな。そんなに凄いことではないと思うけど」

「四十崎さんがどう思っても、私は気に入っちゃった。それでいい?」


 そう言って沙織が微笑んだ。その顔を見た瞬間、要は照れと嬉しさを同時に感じていた。


「……うん。それでいい」

「えへ、ありがと」


 沙織は微笑んだまま、メロンパンにかぶりついた。

 次々と飛び出す沙織の予想外な行動に、要は驚かされてばかりいる。面白いと考えればそうなのだが。

 頭の中で考えを巡らせながら、要もツナサンドに口を付けた。




          *




「へぇ、元気にしてるんじゃない……」


 思わず呟きが漏れていた。薙坂秋奈なぎさかあきなは読んでいた手紙を丁寧に折り畳んで鞄に入れた。ベンチの背もたれに寄りかかり、大きく息をつく。顔に張り付いた微笑みは、なかなか消えない。

 今朝届いたばかりの手紙。朝の忙しさにかまけて今まで読まずにいた。本当は早く読みたかったのだが、手紙を他人の目に晒したくなかった。自分以外には触れさせたくない。この時代、単なる連絡ならばメールで簡単に済ませることもできるのに、わざわざ手紙を送ってくれたのだから。


 学園の北西、北棟の裏側にあたる場所に秋奈はいる。人通りも少なく、落ち着いて手紙を読むには最適だった。教室での説明や委員会決めなどが終わり、自由な時間が訪れるとすぐに秋奈はこの場所にやって来た。

 待ちわびていた手紙には、求めていた言葉がすべて書いてあった。秋奈が入学したことへの祝辞。健康で元気な生活を送っているので心配はいらないということ。そして自分も必ず後を追い、久永学園に入学するという決意。

 以前と変わらず自分のことを考えてくれている。そう思うと、心が温かさで満ちていくのを感じた。幸せと切なさを合わせたような感覚。秋奈には上手く表現ができない気持ちであったが、いつまでも浸り続けたい気分にさせられる。


 しばらくその感情に陶酔し続けていたが、ふと自分自身のことを考えた。彼女を迎える準備をしていると言えるのか。この学園に入った理由──目的はまだ達成されていない。一歩ずつで構わないのだから、これから積み重ねていかなくてはならない。

 秋奈は改めて決意を固め、寮へ帰ろうと歩き出した。すると、少し離れた場所に二人の女性を見つけた。寄り添ってベンチに座っている。秋奈は咄嗟に木陰へと隠れた。思わず息を飲む。先ほどまでとは違う理由で胸の鼓動が速まりつつある。


 改めて様子を伺う。二人の身長には差があるが、見た目だけでは年の差があるかどうかわからない。左側に座る背の低い方が幸せそうな表情をしながら、高い方の体にしなだれて甘えている。高い方は低い方の頭を右手で抱き寄せ、その髪に自分の顔をうずめるようにしている。よく見ると、二人の手は指を絡めてしっかりと繋がれている。

 もう一つ気付いたことがあった。背の低い方の少女に、秋奈は見覚えがあったのである。

 人もあまり来ない場所で、気持ちを確かめあっている二人。その関係は容易に想像できた。まさかこうも都合よくこんな光景を見られるなんて。秋奈は軽い興奮を覚えていた。


 二人の様子を見ている内に、もっと見続けていたい、もっと知りたいと思い始めていた。目的を達成するためには、抗いがたい欲望だった。折角だから、もう少しここにいても構わないだろう。これも目標の、そして彼女のためなのだから……。

 秋奈が寮へと帰るのはもう少し先になりそうである。




          *




「さて、腹ごしらえも済んだし、次行く?」


 二人が食事を終えた頃、沙織が言った。


「うん、そうだね」


 要は食べ終わって空になった袋を片付けつつ答えた。


「よしっ。じゃ次は東棟に行こう」


 二人は東棟に向かって歩き出した。中庭から一度南棟側に戻り、渡り廊下を進んだ先に東棟の入口がある。他にも入口はあるのだが、ここが中庭からの最短距離で行ける入口なのである。

 東棟は大学に通う学生が使用している。一部例外もあるが、高等部生徒の立ち入りは禁止されておらず、自由に中を見て回ることができる。内部には講義用教室や、パソコンルームといった特殊教室などがある。多数の教室が入っているため敷地面積が広いのはもちろん、全十階建てという高層設計となっている。隣にはサークル棟が併設されており、多くの部室が備えられている。

 東棟に着くと、中から数名の女性が出て来るのが見えた。


「あ、大学の人たちだ」


 沙織の言葉に反応したのか、学生たちがこちらを見る。要と沙織が会釈をすると、学生たちも会釈を返しつつ立ち去って行った。


「大学生か……私もいつかは大学生になるのかな」


 沙織が呟いた。それに要は気付いていたが、返す言葉が見つからず、「うん……」と小さく頷くだけだった。沈黙は長く続かず、すぐに沙織が言葉を続ける。


「東棟の中も見ていこっか」

「そうだね」


 東棟に入ってすぐ見えるのは自動販売機。飲料はもちろん、パンや菓子、軽食までもが販売されている。昼が過ぎ、ここを利用した学生も多かったのだろうか。売り切れている商品が多い。

 もう一つ見えるのは階段。数階程度の移動ならば利用する学生もいるが、十階まであるため、少し奥に見える二基のエレベーターを利用する学生がほとんどである。


「それじゃ、まずエレベーターで一番上まで行って、階段で下りながら見て行こうと思うんだけど、それでいい?」

「うん」


 そう要は答え、沙織の顔を見た。まだ何かを言いたそうな、しかし言いにくく躊躇しているような……要の目には沙織がそのように見えていた。

 エレベーター前に着き、沙織が口を開く。


「……あのね、四十崎さん。もしも、なんだけどね」


 要は「うん」と頷き、続きを促した。

 沙織は微笑みながらも、どこか苦笑じみた顔をしている。


「もし、疲れてたりして迷惑だったら、いいんだよ?」

「いいって、何が?」


 その意味を掴めず、要は問いかけた。


「なんだかわたし、おせっかいかなって思って。四十崎さんのこと勝手に連れまわして案内して……わたしがしてることって本当に必要なのかなって……」


 沙織の苦笑は戸惑いを含み、視線を泳がせ始め、居心地の悪そうな表情へと変わりつつあった。それを見て、要は沙織の悩みに気付いた。


「そんなことないよ。学園のことは何も知らないから、案内してくれて助かってるよ。麻生さんに任せてばかりで、逆に私の方が悪かったかも」


 だから要は、素直に思ったことを言った。


「いや、そんなこと……でも、迷惑じゃなくて、よかった」


 沙織は安心したようで、表情を緩やかなものへと戻した。自分の行ないが余計なことではなかったと確認でき、心に余裕ができたのだろうか。


「この後も、案内お願いしてもいい?」

「もちろん! わたし、しっかり案内するね!」


 沙織は明るく言葉を返した。

 二つある内の右側の扉が開き、二人は乗り込む。沙織が最上階のボタンを押し、エレベーターは上昇を始める。


 十数秒後には最上階に到着し、軽い振動と共にエレベーターが止まる。要はエレベーターから出て、辺りに視線を巡らせる。

 左右に広がる廊下。その途中にいくつかの扉があり、それぞれが教室への入口となっている。右側の突き当りが近く、すぐ左側には少し広めの空間がある。

 沙織は要の隣に立ち、左側の空間に目を向ける。


「こっちに窓があってね、この辺りの景色を見渡せるんだよ」


 その窓はエレベーター前からは柱の陰になって見えない位置にあるが、歩み寄るとそれは突然目の前に現れる。

 見渡す限りに広がる景色。民家や団地、遠くには立体交差や高速道路が見える。全方向ではなく正面だけではあるが、決して狭くは感じさせない。十階という高さと、周囲にそれ以上の高い建物が少ないことが、この景色を生み出す要因となっていた。


「ほら、見える? あそこにあるのが学園寮だよ。わたしがお世話になってるところ」


 沙織が指差す方向は北門を出てすぐの場所。そこに学園寮が建っている。生徒や学生が多く生活しているからか、学内施設にも劣らない大きさである。


「うん、見えるよ。門の近くにある大きな建物だよね」

「そうそう! 寮では二人で一部屋を使うから少し狭く感じるんだけど、それでもいいところなんだよ。それでわたしのルームメイトがちょっと変わってるんだ。だけど頼りになるところもあってね──」


 沙織の話を聞きながら要は考える。沙織がルームメイトについて楽しそうに話している。きっとその人を信頼しているのだろう。そんな物事とは無縁だった自分が惨めに思えた。


「──そんなわけだから、今度紹介するね」

「え? う、うん」


 余計なことを考えすぎたせいか、要は咄嗟の返事をするのがやっとだった。話の流れを掴めていなかった。


「そういえば、四十崎さんは一人暮らしなんだよね。住んでる所ってここから見える?」

「どうかな……」


 これ幸いと要は窓に顔を向けた。冷静さを取り戻そうと意識しつつ目標を探す。寮から西へ、駅の方へと視線を移す。

 駅と線路の向こう側、住宅街の中に小学校がある。そこから少し南西の方向にマンションが建っている。六階建てとなっており、その五階に要の部屋がある。


「うん、見えるよ」

「え、どこどこ? 教えて!」


 沙織は忙しそうに首を左右に動かし、視線を巡らせている。

 その勢いに少し驚きつつも、要は冷静に教える。


「小学校わかる? 駅の向こうの」

「えっと──」


 沙織は駅の方を見つめ、小学校を探している。


「あ、あった!」

「その近くに白い壁のマンションがあるよね。そこに住んでるの」

「そうなんだ……ふむふむ」


 頷きながら、沙織はマンションから目を離さなかった。

 夢中で見続けるその姿に、要は疑問を持つ。なぜこんなに熱心に見ているのだろうか。その視線が動いているような気がする。ここからマンションまでの距離を確かめている? いや、まさかそんなことはないだろう。もしそうだとしても理由が思いつかない。

 沙織がマンションを見つめ、要が沙織を見つめる。そのまま沈黙の状態が続く。


 ──ふと、沙織が要の視線に気付く。


「あ……ご、ごめんね。ちょっと考えごとしてた」

「いや、うん、いいよ、別に」


 要は詰まりながら答え、途端に気まずさと照れが湧き出た。沙織を見つめていたことに対しての感情である。たとえ意図してそうしていたわけではないとしても、結局は見つめていたことになる。

 そもそも、なぜこんなに動揺してしまうのだろうか。その理由がわからなかった。


「そ、それじゃ、一階ずつ下に行こうか。この階は大きい教室があるだけで、見る物もそんなにないし」


 なぜか沙織も動揺しているようである。


「……うん、そうしよう」


 沙織が先導し、二人は階段を下りていく。

 気まずさのような空気はまだ感じていたが、要には居心地が悪いとは思えなかった。

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