五月十日 誕生日プレゼントと裏事情
沙織が目を覚ますと、要の後ろ姿が目に入った。
押入れの中から何かを出そうとしているようで、沙織が起きたことには気付いていないようだ。
「おはよー……要、何してるの?」
布団に入ったまま言うと、要は驚いたように振り向く。
「あ、おはよう。見つかっちゃったか」
「見つかったって、何が?」
よく見ると、要は何かを手に持っているようであるが、眼鏡をかけていないのではっきりしない。
要は少し迷っているようだったが、仕方ないとばかりに息をついて沙織に歩み寄る。
「沙織、誕生日おめでとう。これ、私からのプレゼント」
目の前に差し出された小箱を沙織はぽかんと見つめ、それから一拍置いて急速に意識が覚醒する。
「えっ? あ、ありがとう……いや、でも、いいの? 貰っても」
「落ち着いて沙織。私からの気持ち、受け取ってほしいな」
要に促され、まず沙織は眼鏡をかけた。鮮明になった視界で、要が持っている物を再確認する。眼鏡ケースのように見えたが、それよりも細長く、長方形の箱だった。要から箱を受け取ると、それほど重くないことがわかった。
「えっと、開けてもいい?」
「どうぞ」
箱の中にはネックレスが入っていた。細いチェーンの先にシンプルな十字架が付けられており、カーテンの隙間から差す朝日を反射している。
「これを、わたしに?」
「うん。つけてくれるかな?」
「もちろんだよ! 今すぐつけてみるね」
沙織はネックレスを手に取り、自分の首につけようとした。だが、首の後ろで手が思うように動かず、なかなかつけられない。
「私がやってあげる」
そう言うと要は沙織に接近し、手を回すと素早くネックレスをつけた。
沙織はその間、間近に迫った要の体を見ていた。今、要との間を遮るものは何もない。この溢れ出る感謝の気持ちをどうにかして表現したかった。
「はい、できたよ。あ、鏡持ってこないと沙織には見えないよね」
要が立ち上がろうとしたので、沙織は咄嗟にその体に抱き付いた。
「待って!」
「えっ、ちょっと、うわっ」
突然のことにバランスを崩した要は、沙織とともに布団へ倒れ込んだ。
「ご、ごめん。大丈夫?」
謝りながらも沙織の腕は要を離そうとしない。
「うん。なんとか。いきなりだったから、びっくりしたけどね」
「あのね、わたし、とても嬉しくて、その、ありがとうって気持ちが抑えきれなくなって、要にそれを伝えたいって思って……」
「つい抱き付いちゃった、と」
沙織は声なく頷いた。そのまま顔を伏せていると、何かが背中に触れた。
要が沙織の背中に手を回したのだった。
「これからもよろしくね」
要の優しい言葉に、沙織は再び頷く。
「ありがとう。ほんとに、嬉しい……」
要との距離が零になる。触れ合う肌の柔らかさが心地よく、沙織はそのまま眠ってしまいそうになった。
「沙織、寝ちゃだめだよ。これから学校行かなきゃいけないんだから」
すべてを見通すように要は言って、沙織の頭を撫でた。断続的に与えられる微弱な刺激が沙織の神経を駆け巡る。
それからしばらく二人はそのまま互いの温もりを確かめ合った。
「パーティー、ですか?」
放課後、要と沙織が図書館で仕事をしていると、悠希と彩が話しかけてきた。
「ええ。今日が麻生さんの誕生日だと薙坂さんから教えていただいて、ぜひお祝いしたいと思いましたので」
そこで悠希から沙織の誕生日会を開こうと提案されたのだった。
「あの、いいんですか?」
「何言ってんの! さおりんが主役なんだから気にしないでよ」
彩が陽気に沙織を誘った。
「遠慮しないでください。私たちからの、ほんの気持ちです」
「沙織、行こうよ。せっかく誘ってくれてるんだから」
「……うん。それでは、今日はお願いします」
沙織が頭を下げると、悠希と彩が視線を交わして頷いた。
「いえいえ、こちらこそお願いします」
「アイちゃんも来るよね?」
「行ってもいいのなら」
「もちろんオッケーだよ! ナギさんにも声かけてあるから、これで五人のパーティーだね。じゃ、仕事終わったらまた呼びに来るからねー」
二人は奥の部屋へ入っていった。
「やあ、お二人さん。元気かい?」
入れ替わりに秋奈がやって来た。
「ああ、秋奈かぁ」
「おやおや、ポカーンとしちゃって。難しく考えないで先輩の好意は受け取っときなさいって」
「うん。でも、こんなに誕生日を祝ってもらったことなんてなかったから……」
「今が沙織の一番輝いてる時なんじゃない? そのネックレスも輝いてるしね」
秋奈は沙織の胸元で光る十字架を見た。秋奈には見覚えのないアクセサリーだった。
「あ、これ? あのね、要が誕生日のプレゼントでくれたんだ」
沙織は十字架を掌に乗せ、慈しむように見下ろした。
「よかったじゃない。大事にしなよ」
「当たり前だよ。ずっと大事にする」
沙織は手を胸に戻し、そっと握った。
*
「ここがパーティー会場。あたしもお気に入りの隠れた名店だよ」
彩が案内したのは駅前の喫茶店だった。建物の間に走る細い道を抜けた先にあり、そこにあるということを知らなければ見落としてしまうような立地だった。
「ここは私も知らなかったな。よく見つけたね」
秋奈が感心したように言った。
「まあ、あたしも人に教えられたんだけどね。とりあえず入ろうよ」
彩が扉を開くと、ドアベルが喫茶店独特の音色を奏でて来客を知らせた。
「やあ、いらっしゃい。待ってたよ」
カウンターの奥で女性が振り向いた。白いワイシャツに黒いベストと蝶ネクタイ。典型的な喫茶店のマスターと言うべき服装である。短く整えられた髪と中性的な顔が、外見からの性別判断を困難にしていた。
「お世話になります。テーブルは用意していただけましたか?」
慣れた様子で悠希が前に出て対応した。
「もちろん。こちらへどうぞ」
「ありがとうございます。さあ、皆さん行きましょう」
女性と悠希に導かれ、一同は奥の個室へ移動した。円卓を囲むように椅子が並んでおり、八人ほどが入れる広さである。元々店内にそれほど客はおらず、常連の集まる店という雰囲気を放っていたが、この部屋はさらにそこからも隔絶されたような空気が漂う。
「ありがとうございます。こんな素敵な場所を用意していただいて」
「どういたしまして。楽しんでいってくださいね」
礼を述べた沙織に悠希が答えた。
「でね、メニューは値段とか気にしないで好きなのを頼んでいいよ。ここはあたしたちのおごりだからさ」
「えっと、それはいくらなんでも……」
「これが私たちからのプレゼントということで受け取ってはいただけませんか?」
悠希の言葉に沙織はしばらく考える。
「さおりんとは友達だもん。これくらいさせてほしいな」
彩からも言われ、ようやく沙織が頷いた。
「わかりました。二人からのプレゼント、受け取ることにします」
「よーし、それじゃ楽しいパーティーのはじまりはじまりー」
彩が手を打つと、他の皆もそれに続いて拍手した。それがパーティー開始の合図となった。
パーティーの間は席が定まらず、それぞれが思うように動き回っていた。個室の隅にある扉がカウンターに繋がっているようで、そこから彩が皆の注文を伝えていた。
「あの女の人は店長さんなんですか?」
要は隣に座る悠希に訊いた。
「そうなんです。あの方も学園の卒業生なんですよ。そのおかげで色々とよくしていただいているんです」
「そういうことだったんですか。だからこの部屋に通してくれたんですね」
要はレモンティーを一口飲んで室内を見回した。斜め向かいで沙織は秋奈と話している。注文を伝えて戻ってきた彩がそこに近付いていた。
「そういえば、麻生さんが四十崎さんのお部屋に行ったそうですね。それも泊まりがけで」
「え、ええ、そうですけど」
突然のことに一瞬動揺したが、別にやましいことをしたわけではないのだと思い直した。
「二人で楽しく過ごせましたか?」
「はい。また沙織が来てくれたらなって思います」
正直な気持ちを告げると、悠希はすべてを受け入れるような優しい表情になる。
「その気持ち、大切にしてくださいね。誰かを想うというのは、何よりも尊いことなのですから……と、少し硬くなりすぎましたね。私が言いたいのは、麻生さんとずっと、これから、もっと仲良くなってほしいということなのです」
「そのつもりです。沙織といると楽しいですから」
要は沙織を見た。秋奈と彩に囲まれて楽しそうに笑い合っている。
「私も彩と一緒にいますが、そういうのっていいと思います。女の子同士が仲良くしているのを見ると、なんだがほわわんとした気分になるんです」
「ほわわん、ですか?」
思わぬ悠希の言葉に、要は視線を戻した。
「ええ。ほわわん、です。なんとなくわかりませんか?」
要は沙織のことを頭に思い描く。心が温かくなったような気がした。
「わかる気がします」
そう言って要は再び沙織を見た。想像するよりも実際に見つめる方が心は温かくなった。
*
パーティーを終えて、惜しみながらも五人は解散した。また集まろうと約束し、それぞれの帰る場所へと向かった。
寮の部屋で、秋奈は沙織に声をかける。
「改めておめでとう。これ、私からのプレゼント」
秋奈は机の横から丁寧に包装された箱を取り、沙織に差し出した。
「ありがとう。あっ、このクッキーセット欲しかったんだ。どうしてわかったの?」
「ふっふっふ。毎日一緒にいればなんでもお見通しなのだよ」
得意気に言った秋奈だったが、本当は二人を尾行した時に沙織がそれを欲しがっている場面も見ており、二人が去ってから購入したのだった。
「どうしよっかなー。今食べちゃおっかなー」
沙織は包装紙をあらゆる角度から観察して考えていた。
「それにしても、泉沢先輩と彩がパーティー開いてくれるなんてね」
「そうそう。びっくりしちゃった。あんなの初めてだったもん」
「面倒見てくれる先輩がいてよかったね」
「うん。要とのことも相談にのってくれたし」
「えっ?」
その瞬間、秋奈の脳内を何かがよぎった。
「どうしたの?」
「いや、先輩たちに相談したの?」
「そうだよ。そこで色々と教えてくれたんだ。そのおかげで……うふふ」
思わせぶりな沙織の言葉には反応せず、秋奈は別のことを考える。
沙織から相談を受けているなど、悠希も彩も一言も言わなかった。その必要がないと言えばそうだが、秋奈が気になったのはそこではない。
「それって、いつのこと?」
「えっとね、秋奈が朝からデートしてきたあの日だよ」
茶化すような言葉も秋奈には効果がなかった。
「そっか、そうだったんだ」
一度湧き上がった思考は徐々に形を成していく。
秋奈は机に片肘を乗せ、足を組んで片目を閉じる。すぐに導かれる結論──秋奈、沙織、要それぞれの行動が悠希と彩に監視されている。
「うん。要の部屋に泊まりに行くんだって話から始まってね、わたしの誕生日が近いってこともそこで話して──」
考えてみれば今日のことも不思議だった。急に知らされた誕生日パーティー。まるで決められたシナリオに沿うように物事が進んだ。悠希が行きつけの店だと言っていたが、一年間でそこまで懇意にしてもらえるほどの常連になれるのだろうか。
毎日のように通いつめれば、あるいはなれるかもしれない。だが、その資金はどこから来ているのか。悠希も彩もアルバイトはしていないはずだ。
「──それで手ぐらい握っちゃいなよって彩が言うから、変に要のこと意識しちゃってさ。それは秋奈にも相談したことなんだけど──」
何かが、おかしい。基礎の大事な部分が抜け落ちた感じ。
そもそも、たとえ監視しているとしてもその理由がわからない。先輩として見守っているだけだと言われればそれまでだ。むしろその方が納得できる。
「──まあ、結果オーライだからよかったんだけどね……って秋奈、難しい顔してるけど、どうしたの?」
そこで秋奈は思考の海から現実に戻った。沙織が目の前でいぶかしむような顔をしている。
「ん? ああ、なんでもないよ。それより今クッキー食べたら夕食どうするのさ」
沙織は早くもクッキーの包装を解き、その中に手を伸ばしている。
「甘い物は別腹だもん」
「その別腹もさっきケーキで一杯になったと思うんだけどねえ……」
秋奈の言葉などお構いなしに沙織はクッキーを頬張った。
そんな姿を見て、自分の考えが飛躍しすぎていたかなと秋奈は感じていた。
*
「パーティー楽しかったね」
「そうね。あんなに賑やかなのは久しぶりだったものね」
ベッドに座って足を伸ばす彩と、その様子を椅子から見守る悠希の姿があった。
「それに、さおりんは結構がんばったみたいだし」
「私も四十崎さんから聞き出したんだけど、どうやら一緒の布団で眠る仲になったらしいわよ」
「そうそう。これなら意外とすぐにくっついちゃうんじゃないかな?」
「そうなればいいんだけど。薙坂さんの方は時間がかかりそうだから」
「えっちゃんがこっちに来るのを待たないといけないもんね。二年待つのはなあ……」
「その分確実性は増すのだけれど。あちらを立てればこちらが立たずで困るわね」
小さく溜息をつくと悠希は椅子から立ち、彩の隣に腰掛けた。すぐに彩が腕を回して抱き付いてくる。
「大丈夫。きっとなんとかなるよ。だって、候補が二組も見つかったんだから。それも、こんな短い間にさ」
「そうね。焦りは禁物。ゆっくり、じっくりと進めていきましょう」
悠希が頭を撫でると、彩は甘い声を出した。続けて髪や耳を撫でていると、彩が瞳を潤ませて見上げてくる。顔を近付けると目を閉じたので、悠希は止まることなく彩の唇に口付けた。
やがて唇の隙間から熱い息が漏れ始める。抱き締める手に力が入り、悠希は彩をベッドに押し倒した。




