五月六日 距離感の模索と実験
「要、おはよう」
「おはよう、沙織」
先に来ていた要に挨拶をして沙織は席に座った。
教室内には全員ではないが、ある程度の人数がいる。それでも騒がしいことに変わりはない。
沙織はなんとなく周囲に目をやる。
「おはよー。会いたかったよぉ」
そう言って一人の女生徒が別の女生徒に後ろから抱きついた。
「連休中は元気だった?」
抱きつかれた方は微笑みながら相手をしていた。
そんな光景を見て沙織は考える。おそらくあの二人も友達同士なのだ。あのようなスキンシップならこの学園でいくつも見てきた。やはり一般的なことなのだろう。
それなのに、要と沙織は抱きつくどころか手を繋いだこともなく、それ以前に互いの体に触れたこともなかった。これで添い寝など夢のまた夢ではないか。
「沙織、どうしたの?」
「な、なんでもないよ」
首を傾げた要に、沙織はごまかして答えることしかできなかった。
昼休み、要と沙織は中庭のベンチに腰掛けて食事をしている。いつもならば秋奈がいるはずだが、用事があるらしく今日はいない。
ここでも沙織は周囲を気にしている。
離れた道には南棟に向かう人波が見える。その中には手を繋ぎ合っている人々も確認できる。ただ繋ぐだけではなく、両手で片手を優しく包み込んだり、指を絡めたり、腕にしがみついたりと、その内容は様々である。
少しだけ視線を戻し、中庭を見回す。
斜め向かいにあるベンチに二人の女生徒が座り、パンを食べている。その内の一人がもう一人のパンに目を向ける。
「ねえ、それも食べてみたいなー」
「いいよー」
そう言うが早いか、その女生徒は食べかけのパンを相手の口元に持っていった。食べたいと言った女生徒は嬉しそうにそれを頬張る。それだけではなく、二人は一つの紙パック牛乳を同じストローで飲んでいた。
間接キス、という言葉が沙織の頭に浮かんだ。隣を見れば、要が玉子サンドを食べている。欲しいと言ったら食べさせてくれるだろうか。
「どうしたの?」
視線に気付いた要が沙織に顔を向けた。
「あ、えっと、それおいしそうだよね」
沙織は要が持つ玉子サンドを指し示した。
「うん。ちょっと半熟でおいしいよ」
「そっか。うん、そうだよね」
途切れる会話。肝心なことを言おうとすると、なぜか戸惑ってしまう。皆のようにさらっと言えるようになれば、要ともっと仲良くなれるかもしれないというのに。
気分を変えようと周囲に視線を巡らせたが、先ほどと同じような光景しか見えなかった。いつもは気にならない人たちが、今に限って目についた。
*
「ねえ、秋奈」
寮の部屋で、後ろから沙織が呼ぶ声が聞こえた。
「どしたの? 深刻な顔して」
開いていた携帯電話を閉じて秋奈は椅子を反転させ、沙織と向かい合った。
「あのさ、女の子同士で手を繋いだりとか抱きついたりとかって、やっぱり普通のことなの?」
突然の質問だったが、訴えかけるような沙織の瞳に、秋奈は正直な考えを述べる。
「そうだねえ……確かにこの学園ではよくあるね。中学でも仲良しグループで似たようなことやってるのを見たこともあるし、普通のことだと思うよ」
「そっか……」
何かを言おうとしている沙織を、秋奈は辛抱強く待った。
「あの、そしたらさ、わたしが要と同じことしても、変じゃ、ないよね?」
途切れながらも紡がれた沙織の言葉に、秋奈は秘められた悩みを直感した。同時に、ここは真面目に語るべきだと判断する。
「変じゃないよ。この学園なら周りも気にしないだろうから。要さんだって、沙織となら嫌な思いはしないんじゃないかな」
「そうかな……?」
「もちろん、やるなら徐々にね。いきなり抱きついたりしたらびっくりされちゃうだろうから、まずは軽いボディータッチから始めるのがいいんじゃない?」
その言葉に元気づけられたのか、沙織の表情が明るくなる。
「うん。ありがとう秋奈。わたし、頑張ってみる」
「その意気だよ。応援してるからね」
秋奈は椅子を転がして沙織に接近する。
「じゃ早速だけど、練習してみようか」
「え、なんの練習?」
「ボディータッチに決まってるでしょ。ほらほら、まずは肩からがいいかな」
秋奈は体を斜めにして沙織に肩を向けた。
「う、うん。やってみる」
沙織はゆっくりと手を伸ばし、秋奈の肩に触れた。
「なんだ。普通にできるじゃない」
「だって秋奈だし」
「言ってくれるねえ。そんな感じで要さんにもすればいいんだよ」
「そうなんだよね……でも、どうしたらいいのかな。何もないのに触るのもどうなのかなって思うし」
「難しく考えないでさ、挨拶するときに軽くポンって触ればいいんじゃない?」
「そっか。秋奈って頭いいね。よし、明日の朝に実践しよっと。ありがとね、秋奈」
「要さんのことになると沙織は何も見えなくなるんだねえ……これが恋は盲目ってやつか」
秋奈の呟きは沙織の耳に届いてないようだった。沙織は机に向き直り、思考の海を探索しているようだった。
秋奈は携帯電話を開き、読みかけだったメールに再び目を通す。それは彩からのメールで、明日時間があれば部屋に来ないかという内容だった。
衿香とのことを相談する時間も欲しかった。
快諾の返事を送信して、秋奈は肘掛けに腕を置き、壁と天井の境目をなんとなく見つめていた。




