五月四日 幼馴染とお散歩デート
「それじゃ、行ってくるね」
鏡で自分の姿を確認し、秋奈は部屋の引き戸を開けた。
「行ってらっしゃーい」
椅子に座る沙織は振り返り、秋奈の後ろ姿に手を振った。
昨日の電話通り、今日は衿香が来ることになっている。
秋奈は衿香を迎えるために、駅に向かって歩く。天気予報によれば、連休中は天気の崩れはなく行楽日和が続くらしい。見上げる青空には多少の雲が浮かんでいるが、それが適度に日陰を作り出しており、上がりつつある気温の中で安らぎの場となっている。
約束の時間より三十分早く駅に到着した。周囲を見回してみたが、まだ衿香の姿は見つからなかった。
秋奈は改札が見える柱に寄り掛かった。速くなる気持ちを抑えるように呼吸をする。
同時に、今日どのように衿香を案内するかを頭の中で思い描く。時間は限られているので、市内と学園と寮の案内がほとんどになるだろう。昼食はどこで済ませようか。夜は食事前に帰るのだろうか。
──視線を上げて構内の電光掲示板を見る。衿香が乗ってくる予定の電車が数分後に到着するようだ。もうすぐ会える。二か月ぶりに衿香に会える。
やがてその時刻になり、構内から自動改札を通過する人々の流れが形成された。その中から秋奈は衿香の姿を探す。どのような服装かは教えられていなかったが、顔を見ればわかる自信があった。
しかし衿香を見つけられない。今の電車で来るはずなのに。秋奈は携帯電話を開く。着信やメールなどはない。念のため新着メールも確認してみたが、結果は変わらなかった。
しばらく待ってみても、衿香は現れなかった。構内に戻りつつある落ち着きに反して、秋奈の胸中はざわめき始めた。
「あーきーなちゃん」
不意に聞こえた弾んだ声。左側を見ると、柱の陰から衿香が顔を出していた。
「えっ、あれ、衿香? どうして?」
秋奈が慌てていると、衿香はその隣に移動していたずらに微笑む。
「実は一本前の電車で着いちゃってさ。改札出たらすぐに秋奈ちゃんを見つけたんだけど、なんだかぼーっとしてたから、いつ気付いてくれるかなーって思ってここに隠れてたんだ」
「全然気付かなかったよ……」
「ごめんね、秋奈ちゃん。ちょっとした出来心だったんだ」
手を合わせて謝る衿香。腕を覆う黒いアームカバーが作り出す線は細く、生地の光沢と相まって滑らかな印象を受ける。ちょこんと傾けた顔の上で、水色のベレー帽が短い黒髪の大半を隠している。
上目遣いの衿香と視線が合うと、途端に懐かしさが溢れ出した。
「いいんだよ。別に怒ってないし。ほら、手下ろして」
「うん、ありがと」
衿香が手を下ろしたのを確認して、秋奈は衿香の正面に立つ。
「ようこそ、葛上山市へ」
真っ直ぐに衿香を見据え、左手を差し出した。
「今日はよろしくお願いします」
衿香は軽く頭を下げ、秋奈に右手を差し出した。
二つの手が重なり、自然な流れで繋がれた。衿香は昔から秋奈とこうして手を繋ぐのが好きだった。
「まずはこの辺りを案内するね。まあ、田舎っぽいところだからあんまり見るものはないだろうけど……」
「じゃあ秋奈ちゃんを見てよっかなー」
衿香が秋奈を見つめた。昔からそうだった。衿香の開放的で積極的な態度が、秋奈を同じ色に染めていったのだ。
「そうくるなら私も負けてられないな。久々に会ったんだし、見溜めしとかないと」
「あたしも同じだよ。いっぱい見て、触って、記憶に焼き付けないといけないもん」
「ふふっ、勝負だね」
「望むところだよ。久々に腕が鳴るなー」
鋭い視線を送り合う二人。これが幼少期から続く、二人なりのコミュニケーションだった。
まず二人は駅の西側を歩いた。こちらにはデパート以外にめぼしいものはなく、その先には住宅街が広がっている。
周囲に満ちる静けさに包まれて、会えなかった時間を埋めるように会話が弾んでいた。
「それにしても、どうして突然こっちに来ることになったの? 学校見学なんて言ってたけど、今日はそんなことやるなんて聞いてないし」
「それはね、秋奈ちゃんに会いたくなったからだよ」
「えっ?」
「この前、秋奈ちゃん電話してくれたでしょ? 声聴いちゃったら会いたくなっちゃってさ、連休中に時間できたから来ちゃったんだ」
「そうだったんだ。前もって言ってくれればもっと準備できたのに」
「やっぱり突然だったよね。ごめんね。抑えられなくなっちゃった」
「いいよ。私だって会いたかったのは同じだからさ」
秋奈が言った時、二人は小さな川を見下ろせる道を歩いていた。マンションが建ち並ぶ中で、隙間を縫うように作られた道。柵の向こうには谷のような窪みが並走しており、周囲の色を映した川が静かに流れている。岸との境目には青々と草が茂っており、柵の上まで蔦を伸ばしている植物もある。
二人の歩く速度が落ちる。人が少ないこの空間を壊さないように、ゆっくりと歩く。
「ここって、静かでいいところだね」
衿香が川を見ながら言った。
「そうでしょ。衿香もきっと気に入ると思う」
「あたしは秋奈ちゃんがいるとこなら、どこでも楽園だけどね」
「楽園を目指して頑張るのだよ、うん」
「その言い方、なんか変だよー」
衿香がくすくすと笑った。
「勉強はちゃんと頑張ってる?」
「もちろん! ……成果が出てるかは別だけど」
「わからないところがあったら教えるよ。私がわかるところならね」
「うん。あたし絶対久永学園に入るから」
衿香が握る手に力を込めた。
「待ってるからね」
秋奈も同じように握り返した。そこに生まれた熱が二人を支えている。
住宅街を進み、周囲に工場が見え始めると、騒音が目立つようになった。
ここを折り返し地点として、先ほどまでとは違う道を歩いて引き返す。そのまま駅を通過して東側、学園に続く道を歩く。
駅と学園の中間地点に開けた場所がある。広場と公園を合わせたような場所で、中心には折れ線と球体で構成された奇妙な形のモニュメントが建っている。片隅には花畑があり、景色に彩りを加えていた。
連休であるからか親子連れが多く見受けられる。走りまわる子供たちの甲高いはしゃぎ声を浴びながら通り過ぎた。
広場の端には横断歩道があり、その向こうには久永学園の敷地が見える。平日には電車通学の生徒たちがここで信号待ちの固まりを作るのだが、今日はそれがない。背後の喧噪もここまでは届かなかった。
「次は学園の中を案内するね」
青信号を待ちながら秋奈が言った。
「休日だけど入れるの?」
「部活とかサークルの活動があるからね。校舎も……まあ、多分入れると思うよ。うちの学校ってオープンなところあるから」
「ホント? 秋奈ちゃんの教室見られるかなー」
信号が青になり、二人は歩きだす。西門から学園に入り、目前の高等部校舎を目指して進む。扉を押すと難なく開き、中に入れるようだった。
「あれ、本当に開いてる」
「やった。入れるね。あ、上履きとかいる?」
「いや、靴のまま入れるから大丈夫だよ」
二人は校舎に入り、階段を上って四階を目指す。そこには一年生の教室がある。並ぶ教室を横目に進み、目的の教室の前で立ち止まる。
「ここが私の教室だよ」
「へー、四組なんだ。入ってもいい?」
「いいよ。って私が言えることでもないけど」
教室に入ると、衿香が秋奈の腕を引く。
「ねえねえ、秋奈ちゃんの机ってどれ?」
「こっちだよ」
窓側から数えて二列目、前から二番目の席に移動する。まだ名前順で並べられた席のままだった。
「座ってもいい?」
「どうぞ」
衿香は手を離して秋奈の椅子に座った。机に手を置き、表面を撫でている。
「これが秋奈ちゃんの机か……あ、教科書入れっぱなしにしてる。体操着は持ち帰ってるのかな。見られちゃ困るようなのは……入ってないか、残念」
矢継ぎ早に並べられる言葉に、秋奈は答えていく。
「宿題に必要じゃないのは置いてるの。体操着はもちろん持ち帰ってるってば。残念で申し訳ありませんでした」
秋奈は机の上に座り、衿香に顔を向けた。
「あたしもこの席に座れるように頑張らないと」
「それって相当低い確率だよね」
「乙女は奇跡を信じるものだよ?」
「信じてないとは言ってないでしょ」
「じゃあ、秋奈ちゃんも同じ席に座れるように祈ってくれる?」
「もちろん。なんなら目印でも付けとこうか?」
「いいの? それじゃあ、これ貼っていい?」
衿香はハンドバッグからキャラクターのシールを取り出した。
「いいけど、目立たないところにね?」
「机の裏でいいかな? 指で触ればわかると思うし」
「奥の方がいいな。そうした方が秘密っぽくていいじゃない?」
「そうしよっと。──よし、貼れた」
「それにしても、よくそんな都合よくシールなんて持ってたね」
「乙女のバッグはミステリアスって決まってるんだよ」
「私はそんな特別なのは入ってないけど」
「そしたらさ、いいのがあるんだ」
衿香はキーホルダーを取り出した。シールに描かれていたキャラクターのキーホルダーだった。
「このキャラ、もしかしてお気に入り?」
「まあね。これ同じのダブっちゃってさ、秋奈ちゃん貰ってくれる?」
「ありがたく貰い受けましょう。お揃いってやつだね」
秋奈はキーホルダーを受け取り、自分のハンドバッグの中にある小袋に入れた。
今日からそこはキーホルダーだけの場所にしようと決めた。
二人は学食で昼食を済ませ、寮に向かって歩いていた。
「寮の中も入っていいの?」
「それは難しいかな。学園生なら寮生でなくても入れるんだけど、そうじゃないとやっぱり……」
「ちぇーっ、残念だな」
「中は入学してからのお楽しみってことで我慢してね」
寮の門を抜けて、真っ直ぐに延びる石畳を進む。その途中で道を外れ、寮の周りを囲む芝生に足を踏み入れる。寮の西側から時計回りに建物を眺めながら歩いた。
一周して寮の玄関近くに行くと、柔軟体操をしている女性が目に映った。
「こんにちは、寮監さん」
秋奈が声をかけると、寮監は動きを止めて姿勢を正す。
「おお、こんにちは。薙坂と……そっちの子は見ない顔だね」
「はじめまして。笛吹衿香っていいます」
衿香は帽子を脱いで一礼した。
「私の幼馴染なんです。地元に住んでるんですけど、今日はこっちに来てくれたので案内してるんです」
寮監は秋奈と衿香の顔、そして繋がれた手に目を走らせる。
「なるほど。そりゃあれだね。デートってわけだね」
「そう見えますか?」
衿香の声は心なしか嬉しそうだった。
「違うのかい? そういうの見抜く目には自信あったんだけどねえ」
「違いません! デートです! ね、秋奈ちゃん」
「そうね。それも久々の、ね」
秋奈は寮監に向き直る。
「そんなわけで、今は寮を案内してたんです」
「いいねえ、若いカップルは目の保養になるよ。眼福ごちそうさま。お返しといっちゃなんだけど、寮の中も見ていくかい?」
「えっ、でも衿香は学園生じゃないんですよ?」
「あんたが責任持って付き添うなら許可するよ。目を見ればわかる。あんたたちは信用できる人間だってね」
「えっと……衿香、どうする?」
「秋奈ちゃんの部屋、行ってみたいな」
衿香の言葉を聞いて、寮監は満足そうに頷く。
「よし、決まりだね。ついといで」
寮監は窓口に入り、紐付きのビニールケースに入ったカードを引き出しから取り出して衿香に差し出した。
「これを持っていればいいんですか?」
「ああ、通行証みたいな物さ。首から提げるなり、ポケットに入れとくなりして持ち歩いてくれるかい」
「わかりました。ありがとうございます」
衿香は頭を下げて、秋奈と共に寮の中に入った。
「あ、衿香、ちょっといい?」
「どうしたの?」
「ルームメイトにこれから部屋に行くって連絡しないと。ちょっとそこに座って待っててくれる?」
秋奈はエントランスホールにあるソファーを指し示した。
「うん。わかった。ゆっくり電話してていいからね」
衿香はソファーに向かって歩いていった。
秋奈はその後ろ姿を見守りながら、携帯電話を取り出して沙織の番号を呼び出す。
「──もしもし、沙織?」
「うん。なーに?」
「突然で申し訳ないんだけどさ、今から部屋にお客さん連れてっていい?」
「別にいいよ。それに、わたし今部屋にいないから」
「そうなの? あ、もしかしてまた要さんのとこ?」
「ち、違うよ。彩と泉沢先輩の部屋にいるの」
「へー、珍しいね」
「さっき廊下で彩と会ってさ、誘われて部屋に行くことになったんだ」
「そっか。じゃ心おきなく入れるね」
「でさ、お客さんって誰? わたしの知ってる人?」
そこで一瞬秋奈の言葉が詰まる。沙織に衿香のことは伝えていなかった。隠していたわけではないのだが、言う機会もなかったので黙っていたのである。
今がその機会かも知れない。だが、どこまで言うべきか。秋奈は頭を回転させる。
「私さ、今日出掛けたでしょ? それって幼馴染に会うためだったんだけど、その幼馴染が私の部屋を見てみたいって言うからさ」
「幼馴染か。学園の人?」
「ううん、二歳年下でまだ中学生なんだけど、寮監さんの許可が貰えて中に入れたんだ」
「特例ってやつ? 寮監さん気前いい感じするもんね」
「だよね。じゃ、そろそろ……」
「うん。ごゆっくり。あ、戻る時は連絡するから」
「お気遣い感謝いたします。それじゃね」
秋奈は電話を切り、衿香が座るソファーに歩み寄った。衿香は緊張した様子もなく座っており、周囲を観察している。
「あ、電話どうだった?」
「部屋にいないみたいだから大丈夫だってさ」
「それじゃルームメイトさんへの挨拶はまた今度だね」
「うん、また……ね」
不意に出た次回を匂わせる言葉に、秋奈は嬉しさとわずかな痛みを感じた。
「とりあえず、そこのベッドに座って」
部屋に入り、そう言うと秋奈は机に二人分のバッグと衿香のベレー帽を置いた。
「これが秋奈ちゃんのベッドかー」
衿香はベッドに座り、敷き布団を撫でたり、掛け布団に手を入れたりしている。
無邪気なその様子を微笑ましく見つめながら、秋奈は衿香の左隣に座った。
「うわー、秋奈ちゃんの枕柔らかくていい匂い……」
衿香は枕を胸に抱いて顔をうずめていた。
昔と変わらないその姿と振る舞いが急に愛おしくなり、秋奈は衿香の頭をそっと撫でた。
衿香は驚いたように秋奈の顔を見ると、徐々に表情を緩ませ、目を閉じて秋奈の体にしなだれかかった。安らぎを湛え、幸せを噛み締めているようだった。
「衿香、やっぱり昔と変わってないよね」
秋奈は撫でる手を休ませることなく言った。
「秋奈ちゃんもそうだよ。優しくて、あったかい」
衿香の声は囁くようなものだった。
「この短い髪も、あの時のままだね」
「秋奈ちゃんのポニーテールも変わってないし、かっこいいよ」
言いながら衿香は秋奈の髪に触れた。結んだ先の広がった毛先を弄んでいるのが秋奈からも感じられた。
互いの髪に触れ合いながら、幸福な時間は過ぎていった。
「ありがとうございました」
衿香は窓口に通行証を返却した。
「おっ、満ち足りた表情しちゃって。楽しめたようで何よりだ。また来てな」
陽気に手を振る寮監に会釈し、二人は寮を後にした。
日が暮れて、衿香が乗る予定の電車の時刻が近づく。秋奈は衿香を連れ、駅に送るために学園内を歩いている。
「ねえ、秋奈ちゃん」
「うん、何?」
「……手、しっかりと繋いでもいい?」
絞り出すような衿香の声。秋奈が抱えるわずかな痛みが疼く。
「もちろん、いいよ」
秋奈が指を開くと、衿香はその間に自分の指を通し、壊れ物を扱うかのように優しく、しかし力強く握った。
そのまま歩き続け、北棟の裏を進んでいた時、衿香が突然立ち止まった。秋奈は腕を引っ張られ、後ろを振り向く。
衿香は俯いていた。
「どうしたの?」
秋奈が訊くと、繋いだ左手が衿香に両手で握られる。
「あたし、まだ帰りたくないよ……」
涙交じりの声に、秋奈の痛みは決壊寸前まで追い詰められた。
「とりあえず……座ろっか」
近くにあるベンチに衿香を導く。腰を下ろしても、衿香は握る手の力を緩めなかった。
その両手を包むように、秋奈は右手を乗せる。体を寄せ合ったまま、しばらく時間が経過する。
「──秋奈ちゃん、ひとつ、いいかな」
衿香がゆっくりと言葉を紡いだ。
「うん。いいよ」
秋奈は何を言われても了解するつもりだった。
「秋奈ちゃんの胸、貸して」
返事をする代わりに、秋奈は衿香の頭に右手をやり、自分の胸に抱き込んだ。
「あり、がとう……」
腕の中で震える衿香を感じながら、秋奈は涙が零れ落ちないように、そっと空を仰いだ。
「えへへ。ご迷惑をおかけしました」
衿香は調子を取り戻し、いつもの笑顔になっていた。
「いいよ。年下の面倒は年上が見るものだからね」
秋奈もそれに合わせて明るく振る舞った。
「じゃあさ、ひとつだけ、ワガママ言ってもいい?」
「今度はワガママか。いいよ。なんでもどうぞ」
「忘れないでね。あたしのこと」
それは以前も聞いた言葉だった。
秋奈が地元を離れ、久永学園の寮へ移り住む時にも衿香は同じことを言ったのだ。そこには衿香自身のこと、そして告白したことを忘れないでほしいという願いが込められている。
「忘れないよ。待ってるから」
秋奈もそれは理解していた。だから、あの時と同じ答えを返した。
「ありがと。きっと追いつくからね」
その微笑みは、先ほどまで震えていたことを感じさせない明るさで満ちていた。
駅に着くと、衿香は名残惜しそうに繋いだ手を離した。
「それじゃ、秋奈ちゃん。夜に電話するから」
衿香は右の掌を秋奈に向けた。
「うん。またね」
秋奈も右の掌を見せ、衿香のそれを軽く叩いた。乾いた音が小さく鳴る。
衿香は微笑んで手を振ると、改札の向こうに消えていった。
それを見送った秋奈は、頭の中で衿香の姿を思い返しながら寮へ戻る。その途中の道で沙織からメールが届いた。
『彩たちと食堂に行ってるんだけど、よかったら秋奈も来る?』
時間を確認すると、七時まであと十分ほどだった。
『食べる! 今は外にいるから先に席取っといて。探すから』
返事を送信して、秋奈は帰路を急いだ。
──寮の食堂に入ると、沙織たちはすぐに見つかった。入口近くの席で手を振っていれば発見するのは簡単だった。
「こんばんは。泉沢先輩、彩」
「こんばんは。どうぞ、こちらに座ってください」
「ナギさんおつかれさまー」
秋奈は示された席に座る。円形の机で、秋奈から時計回りに彩、悠希、沙織という配置で座っている。
「今日は沙織がお世話になりました」
秋奈は悠希に向かって頭を下げた。
「いえいえ、私たちも楽しめましたから。今度はぜひ薙坂さんもいらしてください」
「はい。機会がありましたら」
「それよりさ、秋奈。今日のデートはどうだったのさ。笛吹さん、だっけ?」
沙織が横から入ってきた。
「えっ? なんで名前まで知ってるの?」
秋奈は悠希と彩をちらりと見た。二人は小さく手を振っており、口は滑らせていないと言っているようだった。
「さっき下りてきた時に寮監さんが教えてくれたんだ」
沙織の言葉は秋奈を落ち着かせた。衿香に対する感情を沙織に知られるには、まだいくらかの抵抗があった。
「そうなんだ。まあ、今日は楽しめたよ。久々のデートだったからねー」
秋奈は調子良く笑って答えを返した。
今日あったことを楽しく話す秋奈の姿を、悠希と彩がじっと観察していた。
夕食を終えて時刻は夜九時過ぎ。秋奈の携帯電話が衿香からの着信を知らせた。
「ちょっと電話してくるね」
「ごゆっくりー」
秋奈はベランダに出た。窓を閉めて通話ボタンを押す。
「こんばんは、衿香」
「秋奈ちゃん、今大丈夫?」
「うん。春の夜長は時間がいっぱいだからね」
秋奈は室外機に腰掛けて話を続けた。今日あったことを振り返ったり、言いそびれたことを話したり、とりとめもない会話をしたり、話題は尽きなかった。
都会よりも多く、田舎よりは少ない星の数。欠け始めの月は流れる雲に見え隠れしている。そんな空を見上げながら、秋奈は衿香の姿を思い描いていた。
「あのね、あたしいいこと思いついちゃったんだ」
「どんなこと?」
自分でも驚くほどに、静かで艶っぽい声が出た。
「あたしと秋奈ちゃんってさ、携帯電話の通話無料プラン入ってるよね?」
「うん、そのはずだよ。携帯会社も一緒だし」
「それ使ってさ、今度一日中携帯で話しながら過ごしてみない?」
「えっ、一日中?」
声が元に戻った。
「そう。どうかな? あたしは一度やってみたいなって思うんだけど」
衿香は再び秋奈の胸中をかき乱したのだった。




