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二人旅  作者: 停滞
2/6

笑顔というもの

 晴れやかな青に染まる空の下を、一台のサイドカーつき二輪駆動が走っていた。風を切るようにして走るそれは、荒れた地面によりガタガタと揺らされながらも安定した走りを見せていた。

 二輪駆動を操縦する青年はヘルメットとゴーグルを付けていた。ゴーグルから覗く顔は精悍そうであったが、その瞼は何度も眠たそうにしばたいていた。地味目な服に覆われた、比較的平均的な体躯をする青年の腰には剣帯が結び付けられていた。その中には程よく細工された手のひらサイズの長方形な物体があった。

 二輪駆動に付いたサイドカーには、同じくヘルメットを被りゴーグルを付けた少女がいた。少女は線が細く、何処か儚げな印象を与える身体つきをしていた。服装は青年と対照的に、白い色調のシャツの上に同じく白の羽織物を掛け、更に同じく真っ白なスカートを穿いていた。

「もうじき着くか?」

 青年はヘルメット越しに荒れた大地を見ながら独り言のように呟いた。その独り言に、サイドカーに座り地図を見ていた少女は返事を返した。

「もうそろそろですね。あ、そこは右に折れてください。近道になります」

「こっちか?」

 青年が右に折れた瞬間、車体は大きく揺れた。

「うわっ!」

「……二輪駆動は曲がりが難しいという事を忘れましたか、慎弥様」

「悪い……すっかり忘れてた」

 慎弥と呼ばれた青年は申し訳なさそうに言うと揺れた車体を立て直した。瞬間、メキリと車体とサイドカーを繋ぐ部分が軋んだ。

「危ね……ん?」

 慎弥が少女の方を向くと、少女は暗い面持ちをして口元を覆っていた。

「どうした?」

「……舌を噛みました」

「……悪い、奏」

「慎弥様が私を痛めつけてその姿を見て楽しむような人とは思いませんでした」

「ごめんなさい……」

 奏と呼ばれた少女のボヤキに慎弥は素直に謝罪した。

「あ、見えてきましたよ」

「はぁ……やっとか」

 奏の立ち直りに内心安堵しつつ、慎弥は彼女が指差した先を見た。そこには小さな町並みが広がっていた。

 町に這入った所で慎弥は二輪駆動を停車させた。

「……と」

 奏がサイドカーから降り、付けていたヘルメットとゴーグルを今まで座っていた座席に置き、代わりに頭部全体を覆うほどの大きさを持った麦わら帽子を被った。

「今回の依頼は何だっけ?」

 慎弥が尋ねると奏は抑揚の無い声で「護衛です」とだけ言い、持っていたガイドブックに目を落とした。

 暫く歩き、町長の家の場所を通行人に尋ねた所で奏が話し掛けてきた。

「気付きましたか慎弥様」

「何がだ?」

「この町の人達、みんな暗い面持ちをしています」

 言われて慎弥は周囲を見渡した。確かに皆暗い顔をしていた。

「この町は何だか元気が無いですね。どうしてでしょう」

「笑顔が無いんだな、皆」

「そういうことですか」

 納得するように奏は頷いた。


 屋敷前で門番に断りをいれて二輪駆動を置くと慎弥は奏をその場に残し案内されるまま中に這入った。

「良くぞ来てくれた」

 通された部屋で町長らしき人が笑顔で出迎えてきた。

 挨拶を交わし、慎弥は依頼の再確認をした。

 近頃、命を狙われていると思う事が多々あるので護衛をして欲しい。ただそれだけの事だった。

 慎弥は了承し立ち上がろうとした所で町長は片手を突き出してきた。

「ああそうそう。護衛してくれる時間は夜の九時から十一時の間で良いから」

「は?」

「つまり、それまでの間は自由にしてもらって構わないという事だ。ちなみに宿は取ってあるから、暫くはそこで寝泊りしてくれ」

「え、いや、そんな適当で良いんですか? だって貴方は命を狙われているんでしょう?」

「いや、良いんだそれで。すまないがそろそろ帰ってくれ。私も忙しいんだ。ああ、そうだ。だから来る時間は八時を少し過ぎた辺りに来てくれれば良い。頼んだぞ」

 町長はそう言うと慎弥たちを無理矢理退室させた。



「……何だかよく分からない話ですね」

 宿屋に着き部屋に通され、一息吐いてから先程までの話を慎弥から聞かされた奏は不思議そうに首を傾げた。だろ、と慎弥は相槌を打った。

「変な話だろ。護衛は夜の間だけで良いって言うんだからさ」

「もしかしたら相手は夜の内にしか出ないのでしょうか」

「そうだとしても家には上げといた方が良いだろ。もしもの時でもすぐ対応できるんだからさ」

 そうですけどね、と奏は頷いたきり黙った。


 夜、慎弥たちは屋敷に向かった。

 屋敷では慎弥たち以外にも請負人らしき人々がいた。この人達も俺と同じようにこの時間に呼ばれたのだろうか?

「慎弥様、お怪我の無いように」

「お前こそ」

「善処しましょう」

 慎弥は町長の部屋に行き奏をそこに残すと自らは屋外に出た。

 外は漆黒に覆われ、僅かな街灯と星々によって照らされていた。

 慎弥は剣帯から長方形の柄を取り出すと、底にあるスイッチを押した。すると反対からまず大き目の刀身が現れすぐ後に小さ目の刀身が現れた。

 それを試し切りでもするように二度三度振った時だった。

「来たぞ!」

 何処からか大きな声が上がった。

 慎弥は柄をギュッと握ると周囲が指差す方向を見た。

「黒装束に身を包んでる……」

『闇夜に身を潜めるという事でしょう』

 耳に付けた通信機から淡々とした奏の声が響いた。

「だが、狙う瞬間はこちらのチャンスだ。しっかり身構えとけよ」

 慎弥は耳元を押さえて言った。

 黒装束は門の前で悠然とこちらを見ていた。

「――」

 フッと黒装束の姿が掻き消えた。違う、走った。

「行かすかよっ」

 慎弥は武器を構え駆け出すと真っ直ぐに黒装束に向かった。

「――」

 黒装束は袖からクナイの様な物を取り出すと慎弥の小太刀とぶつかり合った。

(勢いが足りない……っ)

 慎弥はその瞬間に自分のミスに気付いた。咄嗟の出現で焦ったためか、力の込め具合を間違えたのだ。

「――」

 黒装束はそのまま押し切るように小太刀を弾くと慎弥の腹部に蹴りを入れ吹き飛ばした。

「ぐっ……」

 慎弥が受身を取りその場で立ち上がると、黒装束は既に玄関付近にまで到達していた。周りの見張りも運悪く玄関から離れた位置にいたため黒装束を阻む事は出来なかった。

「くそ……よりによって丁度全員が離れたときに……」

 ここからではどんなに頑張っても黒装束が屋敷に侵入するのを防ぐ事は出来なかった。

 間に合わない。慎弥がそう思った時だった。

「――」

 黒装束が無言でこちらに向き直った。黒装束は無言のまましばらくこちらを見たあと、不意に踵を返して元来た道を戻っていった。

「逃がすな、追え!」

 誰かが叫び、何人かが追っていったが捕えられないだろうと慎弥は思った。

 あの闇夜に紛れ易い格好とそれなりなあの速度では、追い付くのはまず不可能だ。

「奏」

 慎弥が無線で連絡を取ると、奏はすぐさま応答した。

『見てました。お怪我は無いですか?』

「ああ、無い。それより、どう思ったあの動き」

『速さで勘違いするかもしれませんが、一般のそれと何も変わりません。恐らく今の醜態は慎弥様の油断だと思われます』

「だよな……」

 慎弥は苦い顔を作り頬を掻くと通信を切った。



 次の日もまた同じだった。

 今度は油断せず黒装束を圧倒しかけたが、たまたま後ろから別の請負人がぶつかり、目測を誤っている内に何処かに消えてしまっていた。

 その隙があったというのに、だ。

『またですね……』

 無線に繋いだ瞬間奏は即応した。

「こっそりとそっちにワープしてたりしないか?」

『人間にそれが出来るとでも本気で思ってます?』

「思いません……。でも、そうだな。まただよな。一体どうしてだ……?」

「へえ、それは大変でしたね」

 宿屋の娘が布団を整えながら言うと、慎弥はコクリと頷いた。

「全くですよ。二度目ですよ二度目。これ以上取り逃して、いつまでこの町にいれば良いのやら……」

 そこで慎弥は一つの間を置いた後続けた。

「でもホントよく分からないんですよね」

「その殺し屋さんがですか?」

「いやまあそれもそうなんですけど。俺が分からないと思っているのは依頼人の事なんです」

「町長が?」

 布団を敷く手を止めて娘は慎弥を見た。慎弥は「ええ」と言って続けた。

「命を狙われているのなら四六時中俺たちを側に置いておけば良いのに、夜の数時間だけしか屋敷に入れてくれないんですよ。まるで、相手がその時間にしか来ないのが分かっているかのようで」

 慎弥がそう言うと娘は安堵した様な顔をして頷いた。

「まあ良いじゃないですか。二度も進入されたのに町長は未だ無傷なんでしょう? 私達にとってそれはありがたいことですよ」

「町長さんは良い人なんですか?」

 奏が既に敷き終えた布団の上で寝転がりながら尋ねると、娘は、

「当然です」

 と胸を張って頷いた。

「町長はみんなの笑顔を守るために毎日頑張っているんです。そのためなら彼はどんなに自分にとって不利益な事でも平然とやってのけます。だからみんな、町長のことを誇りに思っています。だから……本当なら命を狙われる事なんてありえないんですけどね」

「そうですか」

 慎弥はやっぱりかと首を捻った。

 誰に訊いても「町長は素晴らしい」や「町長は立派だ」といった類の事しか言わない。

 批判の声は何処にも無く、それは無理矢理といった感じでもなかった。

 ならば一体誰が、町長の命を狙っているのだろうか。



 三日目の朝、目を覚ました慎弥は顔を洗い着替えを済ますと、先に起きていた少女に声を掛けた。

「少し出掛けてくるよ」

 慎弥の言葉に奏は読んでいた本を閉じ立ち上がろうとした。慎弥は慌てて両の手を振った。

「いやついて来なくて良いから。少し散歩に行くだけだから」

「……そうですか」

 奏は小さく呟くと閉じた本を開き再び読み始めた。

 慎弥はそれを見て取ると、すぐに扉を開いて玄関に向かい外に出た。

 空の明るい日差しを身体に浴びながら慎弥は歩き、外でうろうろしながら何気なく道行く人々を観察してみた。やはり、誰もが暗い雰囲気を漂わせていた。

(空はこんなにも爽やかなのに、どうして皆浮かないをしてるのかな。一体どうしてだ?)

 考えながら歩いていると、向こうで見知った顔を見つけた。

「あ……」「……あ」

 二人はお互いの姿を視認すると、ほぼ同時に間の抜けた声を上げた。しかし向こうはすぐに微笑みを浮かべると慎弥に近付いてきた。

「お早うございます、お客さん。奇遇ですね、散歩ですか?」

 それは宿屋の娘だった。娘の笑みに慎弥は愛想笑いを返すと、

「そうです」

と答え視線を娘の腕元にずらした。そこには色々な食材が入った袋があった。

「買い物ですか?」

「ええ、そうです。お客様が増えましたから追加の食材をと思って。作り甲斐があって良いと母もう大張りきりでしたよ」

 そう言って娘はまた笑った。慎弥はそれを見て少し不審に思った。

「あの、一つ聞いてもいいですか?」

「はい? 何ですか」

「どうして貴女以外の町の人はこんな来る人来る人が通夜みたいな顔をしてるんですか? 何か見ているとこっちまで気分が暗く沈んでいくような気がしますよ……」

「ああ、それはごめんなさい。でもそればっかりは今はどうしようもないんですよ」

 慎弥の言葉に娘は何とも複雑な顔を作った。

「でも、そうですよね。気にはなっちゃいますよね。……まあ大丈夫です。明日にはきっとみんな笑顔になっていますから」

「え? それってどういうことですか」

 慎弥の疑問に娘は申し訳なさそうな顔をして頭を下げた。

「ごめんなさい、深くは言えないんです。この町のルールなので。でも、一つだけなら貴方の疑問に答える事は出来ます」

「一つだけ?」

「はい。実は私、今この町では特別な人間なんです。だから特別でいられるその間はどんなに自由に振る舞っても許されるんです」

「特別って……それってどういう……?」

 慎弥が再び尋ねようとすると娘は悪戯っ子のような顔をして、

「一つだけって言ったでしょ?」

と言ってクスリと笑った。



 今度こそ捕まえてみせる。

 慎弥は一昨日からと同じく、奏を依頼主の側に待たせ、自分は屋外で待機した。

 慎弥が不思議に思っている事はもう一つある。それは、自分以外の請負人にやる気があまり感じられない事だった。

 ここ二日の行動から見て、一応の動きは見せるが決してそれは積極的というわけではない。

 一体どういう事なのだろうか。慎弥がそう思った時だった。

「来たぞ!」

 誰かの叫びに慎弥は思考するのを止めて前を向いた。

 月明かりに照らされた門をくぐる一つの影がそこにはあった。

 黒装束が門番二人を倒し悠々とこちらに向かって歩いてきていた。その手にクナイ状の武器を携えて。

「今日こそ!」

 慎弥は呻くように言うと小太刀を握り締め黒装束に肉薄した。

 一刀目は刀身と刀身がぶつかり合い、そのまま弾きあった。

 慎弥が体勢を立て直したときには既に黒装束は家屋に侵入していた。

(今日は動きが違う!?)

 慎弥は慌てるように駆け出すと家屋に這入った。今までと今日は動きがまるで違った。もしや今までは何かを図っていたとでも言うのだろうか?

 階段を駆け上がり真っ直ぐに町長の部屋に向かうと、扉の前で見張りが二人倒されていた。

 慎弥が部屋に這入るとそこでは奏が銀ナイフを構えて黒装束と相対している所だった。その周囲には数本のナイフが散らばり、見張りについていた請負人が何人か倒れていた。

「奏!」

 慎弥が叫ぶと同時に黒装束は奏に肉薄すると腹部に掌打を当てた。

「ぐっ……」

 奏が苦悶の表情を浮かべてその場に崩れ落ちる。

 これで依頼人の側で守れる人は居なくなってしまった。

「――」

 黒装束が持っていたクナイを掲げて依頼人に振り落とそうとした。依頼人は腰が抜けたようで、動く様子を見せなかった。

「待て!」

 慎弥は咄嗟に足元に落ちていたナイフを拾い上げ、黒装束にむけて放った。ナイフを黒装束の背中に突き刺さった。

 ウグッ、と黒装束は悲痛そうな声を上げて怯んだ。慎弥はその隙を逃さず一気に黒装束の許に駆け寄ると、刃引きした小太刀を振るおうとした。

 だがその前に黒装束は体勢を立て直し、持っていたクナイを強く握り慎弥のいる方向へ我武者羅に振るった。

 破れかぶれなそれは、運悪く丁度慎弥が振るおうとしていた小太刀に当たり、その衝撃で小太刀を弾かれてしまった。慎弥が思わずジンと痺れた右手を押さえると、黒装束はその隙を逃さず蹴りを見舞った。

「ぐう――くそっ」

 慎弥が急いで起き上がったとき、再び黒装束は依頼主にクナイを向けていた。

 間に合わない、そう思ったとき、ザクリと黒装束の脇腹に銀ナイフが突き刺さった。

「慎弥様!」

 刺した時に出た血を顔面に浴びながら奏が大きな声で慎弥を呼んだ。

 慎弥はその意味を理解すると体勢を立て直し、一気に黒装束の許へ駆け出した。

「このっ!」

「――!」

 慎弥は黒装束の背中に体当たりすると、そのまま勢いを殺さず押し続け窓から突き落とした。危うく自分も転落してしまう所だったが、それは咄嗟に窓枠を掴んだのと奏が掴んでくれたお陰で回避できた。

「か、奏、大丈夫か?」

 蹲

うずくま

った奏の側に寄ると慎弥は顔に付着していた血を拭ってやった。奏はそれをくすぐったそうにしながら「大丈夫です」と答えた。

「少々アバラに違和感を覚えますが、動作するのには問題ありません。慎弥様こそ大丈夫ですか? 見る限りでは三回ほど打撃を食らったみたいですが」

「大丈夫だよ。ていうか、それより……」

 慎弥はまだ薄っすらと痛みの残る右手をさすり(もしかしたら捻ったのかもしれない)ながら窓際により下を見詰めた。

 そこには動く様子も無く地面に大の字を書いて倒れる黒装束の姿があった。

「……奏」

 慎弥は奏に声を掛けると駆け足に階段を下り黒装束の許に向かった。

 黒装束は頭からドクドクと血を流し地面を赤黒く染め上げながら死んでいた。

 出血の量と身動

みじろ

ぎも一切無い状態からそう判別できた。

「……ん?」

 慎弥はその有様をじっと見詰めてから初めて黒装束を覆っていた布が取れ掛けているのに気付いた。慎弥は思わずその布を取り除いた。

 布が取れ、黒装束の素顔を暴く。

「えっ……?」「……!」

 その素顔を見て、慎弥と奏は絶句した。

「なん……で?」

「……」

 そこにあったのは慎弥たちを甲斐甲斐しく世話してくれた宿屋の娘の顔だった。

 やったぞー! という歓声が周囲から上がった。

 慎弥たちは驚き辺りを見渡すと今まで倒れていた請負人とそれを見ていた全員が笑顔えお作り歓声を上げていた。

 その歓声は上からも聞こえ、見上げれば町長とその部屋にいた請負人が同じく笑みを浮かべていた。

 慎弥は奏と戸惑い顔を見合わせると、側にいた請負人の一人が話し掛けてきた。

「いやあ、本当にありがとう! お陰でこの町はまた一年、笑顔で過ごしていく事が出来るよ」

「笑顔……?」

「そうさ、騙していて悪かったね。実はこの町では毎年人柱を一人立ててそれを外から来た人に殺させる風習があるんだ。どういう事かというとね。この町に怒るべき災いを一人が受け持ち、それを外から来た人に殺してもらう事によりその災いを地獄にまで持っていってもらうというわけさ。そうしてもらう事により町は一年いがみ合う事無く平和に暮らす事が出来る様になるって訳さ」

「……」

「ははは、ポカンとするのも仕方ないね。突然の事だから驚いてしまうのも分かるよ。でもこれはめでたい事なんだ。君には本当に感謝してるよ。さあ、宴だ! 皆、宴を始めようじゃないか!」

 請負人の男はそう言うとスキップでもするようにして宴会の準備を始めた人々に混ざって行った。

 そこにまた別の請負人が近付き慎弥に話し掛けてきた。

「実は俺たちこの町の住人なんだ。今回は請負人に殺させようって事になったからカムフラージュのために変装してたんだ。悪かったな騙すような真似をして。お詫びと言っちゃ何だけど、是非ともアンタたちも祭りに参加してくれ」

 そう言うとこの町人も準備の中に混ざっていった。

「……慎弥様」

 ポツリと奏が呟いて慎弥を見上げたが、何も言わず視線を落とした。

「……」

 慎弥は何も言わずに右手を押さえ、強張った目で宴会の準備を進める群衆を見詰めた。

 やがて一人の女性が目の前を横切ろうとしたので、慎弥は声を掛けた。

「あの」

「はい?」

「この風習って、いつから始まっているんですか?」

「あの町長が就任してからよ。それが何か?」

「いえ、何でもないです。ありがとう」

 女性は怪訝な表情を作ったがすぐに興味を失い、歩いて行った。

「……」

 笑顔。

 笑顔笑顔笑顔笑顔笑顔笑顔。

 誰も彼もが笑顔を作り、談笑している。

 この場で笑顔を作っていないのは三人だけ。

 自分と奏、そして宿屋の娘だった少女だけ。

 ――町長はみんなの笑顔を守るために毎日頑張っているんです。だからみんな、町長のことを誇りに思っています。

 それは、この事を含めての言葉だったのだろうか。

 こうなる事を分かっていながら、彼女はそれでも心の底から町長のことを慕っていたのか?

 何よりそういうことを……。

「貴方は……死ぬ間際にも思えたんですか……?」

 慎弥の小さな問いに答える声は何処にも無かった。

 少女はただ、光を宿さない瞳を空に向け絶命していた。



「笑顔を作るために命を犠牲にする町……ですか」

 今や遠くにある町並みを、二輪駆動の座席に座りながら見詰めていた奏はポツリと呟いた。慎弥は無言のままカチカチと二輪駆動を整備していた。

 奏は続けた。

「道理と言えば道理ではあります。人は笑顔を作る時には必ず何かを踏み台にしている。それがただ、町という巨大な物の対価だったため命に変容したというだけなのですから」

 麦わら帽子から覗く白い髪を風で揺らしながら奏は懇々と呟いた。

 そこで初めて慎弥が顔を上げた。整備が終わったのだろう。持っていた工具を小さなバッグに詰め始めていた。詰め終えた所で慎弥はハンドルにぶら下がっていたヘルメットを取り中に入っていたゴーグルを見に付けた。

「奏、降りろ。そろそろ行くぞ」

 奏は素直に座席から降りるとサイドカーに移動して座り、ヘルメットとゴーグルを付けた。

「……対価の相手が町だから。……そうだよな、仕方ないのかもしれない。でも……」

 慎弥は二輪駆動のキーを回すとエンジンを掛けるため何度もハンドルを回した。ブロロンという音と共に二輪駆動が稼動し始めた。

「……でも、救われない町だ」

 慎弥は一度だけ遠くの町並みを見た後、すぐに二輪駆動を発進させた。

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