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STAGE6

STAGE6〜サン・ライズ〜


 訳もなく走っていた。

 ただ、がむしゃらに走り続けた。

 信じたくなかった。自分の父親がまさか今の今まで自分を騙し続けていたことを。

 信じたくなかった。この街が所詮は夢の物語の虚構の街であることを。

 哲也は気がついたら公園に来ていた。なぜ公園に来たのかはわからない。なぜかはわからないが、ここなら自分を慰めてくれる気がした。

 自分がこの街に来たときからずっと街を見守ってくれていた大樹。

(お前は、全てを知っていたのか?)

 哲也は大樹の幹に手を当て、問うてみるが、もちろん答えなど返ってくるわけがない。

(そういえば、親父と会ったのもここだったな)

 大樹に手を当てる哲也の中にあの頃の記憶が蘇ってくる。


                


 十二年前の雨の日、僕はこの場所であの人に拾われた。僕は自分がどうして捨てられたのか覚えてはいなかった。

「こんなところで何をしているんだね?」

 あの人が話しかけてきた。

 僕の答えは「別に…」だった。今思うと、昔の自分はかなり無愛想だったのだな。

 あの人は、最初に僕にそう問いかけるだけで一向にその場を去ろうとはしなかった。しかも腹が立つことに、大樹の周りに咲く花達を見ながらニコニコと笑っていたのだ。

「あんた、花がそんなにおかしいかよ?」

 あの人は「いいや」と小さく首を振った。花を見て笑っているのではないということは当然、笑われている対象は自然と僕になるわけで。

「そんなに俺がおかしいかよ?」

 僕はありったけの怒りをぶちまけてやった。

 あの人は面食らったような顔をしていたがやがて小さく首を横に振った。

「いいや、私は君に笑顔と言うものを教えてあげようと思っただけ。どうだ、私の家に来ないか?」

 今思うと、なんでだろうって思う。僕はあの人に反発することなく、なんというか自然にあの人を追いかけていた。この人なら信用できると、僕の直感が言っていたのかもしれない。

「ここが君の部屋だ」

 あの人は家に着くなり、僕を空き部屋に案内した。

「どういうつもりだ?」

 僕は当然言い返した。いきなり家に連れてこられたと思ったら、空き部屋を指して「ここが君の部屋だ」なんて言われて不振がらない奴はいないだろう。

「どういうつもりもさっき言ったとおり、私は君に笑顔を教えるのだよ。そのためにはまず一緒の家で暮らしてどういうときに笑うか研究せねばなるまい?」

 あっけらかんと言い返され、僕はしばらく次の言葉が出なかった。しかし、ここで反発して家を追い出されたら、僕だってたまらなかったので、この場は黙って言うとおりにしてやった。

「欲しいものがあればいつでも言いなさい。すぐに揃えてあげよう。それから、この街に住む上はこの薬を飲むのを忘れてはならんぞ」

「わかっている。明後日までは毎朝一粒、それ以降は四日間に一粒でいいんだろう?」

 僕がすらすらと答えると、あの人はにっと白い歯を見せて「そのとおり」と言って笑った。そのときの僕にはどうして、この人が笑ってのか理解ができなかった。

「この薬には紫外線を防ぐ膜を張るものだ。決して忘れてはならんぞ」

 あの人はそう言って僕を部屋に残して出て行った。あのときの僕は、知らない人間に世話になるくらいなら死んだほうがマシだと思う性格だった。なのに、僕はなぜそれをしなかった。どうしてだろう、不思議とあの人が信頼できた。そして、僕はあの人の息子代わりとなった。あの人からいろんなものを見て、笑い、時には泣くことも教わった。そして、一緒に生活するようになってから一ヵ月後には、僕の感情はその時の同年代よりかは劣っていたものの、充分感情豊かにはなっていた。しかし、そんな僕に一回目の不幸が訪れた。あきちゃんがかかったあの病気に感染したのである。彼女ほど激しいものではなかったが、楽なものではなかった。病院にも入れられたが、見舞いに来るのはもっぱら役場の人間と少ない友達のみだった。入院中、あの人がきてくれたことは一度もなかった。やっときてくれた時は、既に病気が治りかけのときだった。この時ほど悲しかった時はなかった。

 僕はあの人をなじりになじった。これでもかというくらい怒声を浴びせた。わずか六歳とは思えないほど汚い罵り言葉も使った。しかし、あの人は何も弁解すらしようとしなかった。退院してからも半年くらいは冷戦状態が続いたが、その後はまた元通りの鞘に収まっていた。

 そう、あきちゃんのかかった病気、あれは病気なんかではなかったんだ。あの薬を飲んだときに起こる副作用だったのだ。僕の時は一ヶ月に達する前に回復したから、彼女もそろそろ完全に回復するはず。早く博士に知らせよう。

 僕は大樹から離れようとして、動きを止めた。

 今、このことを伝えに言ってどうする。現に博士はあきちゃんの病気が薬の副作用であることは気づいていた。となれば、僕がいまさらのこのこと伝えに行く必要性は皆無だ。

 それに、この街の秘密を知った博士はすぐあきちゃんを連れて、シェルター内の研究所に戻ってしまうだろう。

「何を言ってるんだ、これでめでたしめでたしじゃないか」

 僕は嘲笑めいた笑いを浮かべた。そうだ、これでめでたしなんだ。この街は滅び、博士達は真に太陽の世界で暮らすために、より一層研究に励むだろう。これでいいんだ。いいはずなのに、なぜだろう。僕の心の中はとても寂しい気持ちでいっぱいだった。誰かを想いつづけることよりも誰かに忘れられることのほうがよっぽど辛い。そのことを僕は知っていたからだ。果たして、彼女の心の中に僕という存在は残ってくれるのだろうか。

 カサ。ポケットに手を入れると、中から何か音がした。取り出してみると、十数個が対になっているカプセルのようなものがいくつも出てきた。

「これは博士がくれた薬?」

 そういえばどうして博士は僕にこれを託したのだろう。あきちゃんに飲ませるなら、役場に行く前に直接彼女に渡せばよかったのに。

 ふと、僕の頭の中に博士の言った言葉が思い起こされた。

「そうだ、博士は僕にこれを飲むようにと言っていた。いったい、どういうことだ?」

[それが、貴方の未来への道しるべとなるからよ]

「誰だ!」

 僕は突然、周囲から聞こえた声に声を低くして叫んだ。

[貴方もあきから聞いたんじゃないかしら?私の名前]

「え?」

 僕は必死にあきちゃんとの会話を思い出した。そういえば、彼女の母親の名前を聞いたことがあったような。名前は確か千春と言っていた。

[大正解]

 その声は嬉しそうに言うと、その正体を僕に明かした。

一瞬、僕は目を疑った。目の前に突然現れた人は……

「浮いている?」

 そう、彼女は浮いていた。正確に言うと、下半身にあるべきはずのパーツがそこにはなかった。

「まさか……幽霊?」

 僕が驚きながら言うと、千春は嬉しそうに[ピンポーン]と明るく答えた。

[何と私は幽霊なの。でも、悪霊とかじゃないわよ。ちゃんと幽霊界の人にお願いして、ある目的のためにやってきたの]

 幽霊界?なんだか話が違う次元に移ってきてるような……

[ふうん、貴方があきの言っていた哲也君ね。あきの言ってたとおり感じよさそうな少年じゃない]

 呆然としている僕を尻目に千春はしきりに僕の体をじろじろと見ている。

「ちょっと貴方いきなりなんですか。人の体をじろじろと見て!」

[あきの決めた人はどんな人かな〜とか思ってちょっと精神のほうまで見てきちゃった]

 精神のほうまで見てきただって?なんだか頭が痛くなってきた。これ以上この人(?) に関わるのはよしたほうがいいかもしれない。心の中の僕がそう悲鳴を上げていた。

[失礼ね。人を変質者呼ばわりしないでよね!]

 なっ!?今考えていたことを読まれた?そんな馬鹿な。

 彼女はそんな僕の考えをまたも察したかのように[幽霊って便利よね。人の心の中まで簡単に読めちゃうんだもの]と悪戯っぽく笑った。

こうなってはもう逃げようがない。僕は仕方なく千春が現世に来た理由を尋ねた。

[あきにちょっと用事があったの。それで君にさっきしたみたいに心の中にいって、会話をしてきたのよ。あの子も最初は貴方と同じような顔をしていたわ]

 千春はクスクスと笑った。

 ピピピピピ。突然、甲高い音が僕らの周りに響き渡った。どうやら僕の携帯電話ではないみたいだけど…?

[あ、もしもし]

 僕の目の前にはまたも信じがたい光景が飛び込んできた。

(幽霊が携帯を使ってる)

 と言うか、幽霊って透明だから物体をもてないんじゃなかったっけ?

 やばい。僕の現実感がどんどん薄れていく気がする。小声だから、何を話しているのかは僕にはわからないが、彼女の表情から察するに、あまりよいことではないようだ。

 千春はため息をつきながら携帯電話をしまいこんだ。(どこに、とはちょっと言えない)

[ふぅ、せっかく君と出会えたけど、もうお別れが来ちゃった。残念]

 千春は心底寂しそうに言った。

「どういうことだよ?」

 僕が言うと、千春は簡単に理由を説明してくれた。どうやら、幽霊が現世にとどまれる時間はあらかじめ幽霊会とやらで定めてあって、彼女はそれをすでに二分オーバーしているらしいのだ。

[二分くらいおまけしてくれたっていいじゃない!ねぇ?]

 う〜む、問題はそこでよいのだろうか?

[じゃあ、私はもう帰るけど、一つだけ。君、早くそれを飲まないと本当に取り返しのつかないことになるわよ]

「ちょっと待ってよ!これを飲まなかったら僕はどうなるんだよ!?」

[二度とあきと会えなくなるわ。それでもいいならそうしなさいな]

 千春は最後に脅迫めいたことをつぶやいて、虚空へと消え去った。

 

        


 千春の消えた空を見つめながら、哲也は呆然としていた。いや、半分は呆気に取られていた。何せ、幽霊に脅迫された人間など、人類史上初の出来事だったからだ。そもそも二十五世紀に実際に幽霊を見たという事実のほうがすごい。

 混乱した頭を静めながら哲也はゆっくりと西へ沈みつつある太陽に目をやった。

(僕はあの娘のために太陽を捨てることができるのだろうか……)

眩い星の中央にあきの顔が写る。

「こんなところにいたのか」

 不意に声をかけられ、肩が震えた。

「親父……」

「急に飛び出したと思ったらこんなところでぼけっと宙なんぞ眺めおって」

「少し気持ちの整理をしていただけだ。それより藤宮博士はどうした?」

「彼ならとっくにあきさんのもとへと帰ったよ」

「そっか……」

 哲也は素っ気無くつぶやいた。

「いいのか?」

 ラムルがつぶやいた。

「あの娘をこのまま帰しても」

「別に……僕と彼女では生きる場所が違いすぎたんだ。一緒にはいられない」

 哲也の感情を押し殺した言葉をラムルは鼻で笑った。

「お前がこんな虚構の世界で生きるのはまだ早すぎる。だからこそ、博士はお前に道しるべをくれたんじゃないか。それを無にするということは、博士の期待を裏切るのと同じだぞ?」

 哲也は何も言わず山の陰にほとんど隠れて光を放つだけの太陽に目をやった。

「こんなまやかしの光を信じるな。博士の言ったとおり、まやかしは所詮まやかしなんだ。お前にそんな世界で生きていて欲しくは……ない」

「でも、親父……」

「私のことは気にするな。お前に対してのせめてもの償いで、私は太陽の元に逝くとしよう」

 ラムルは膝から一気に地面に崩れ落ちた。

「嫌だ!死ぬな、親父!!」

 泣き叫ぶ息子の頬を伝わる涙を手で隠すように覆いながらラムルは微笑んだ。

「そんなしょぼくれた顔をするな。人はいつか必ず死ぬ。お前もその悲しみを乗り越えなければならん」

 哲也は必死に首を横に振った。ラムルを叱ってやりたかったが、口から出るのは嗚咽だけだった。

「前へ進め。お前と、お前の決めたパートナーと共に。私の死を決して無駄なものにするんじゃないぞ」

 大樹の幹を枕に、ラムルは永遠の眠りについた。

 太陽が沈み、暗闇を星が照らす中、哲也は永劫とも言える時間、父親の手を握って泣いていた。


 



                             〜Ten Years Later〜





「あき、そこに置いてあるウィスキーの小瓶をくれないか?」

 あきは小さく頷き、墓石においてあるウィスキーの小瓶を手渡した。哲也は小瓶を受取ると、それを墓石の上から掛けた。

(もう十年か……親父、ちゃんと見てるかい?)

 哲也はふっと空を見上げた。今日は雲ひとつない快晴で、太陽は眩いまでに輝いていた。

(ここまでくるのに十年もかかっちゃったよ)

「ハハハ、かかり過ぎちゃったかな?」

「哲っちゃん、何か呼んだ?」

「いや、なんでもないよ」

 哲也は後ろで待っているあきに優しく微笑んだ。

「お義父さん、元気にしてた?」

 あきの問いに哲也は小さく頷いた。

「もう十年も経つのねぇ」

 あきは遠い目で空を見上げた。

「ここまでくるのは本当に長かったね。でも、哲っちゃんが、お父さんが、皆ががんばってやっと守ったんだよ」

「うん。そして、あき、いつも君が側にいてくれた」

「うん……」

 あきは小さく頷いた。

「私、今すごく幸せだよ」

「それは僕も同じさ」

 二人の男女は、墓に向かって手を合わせた。

(僕は本当に幸せ者だ。自分の決めたパートナーと一緒にいられて。人がまた、太陽の下で暮らせるようになって。でも、やっぱり親父がいないのは寂しい)

[そんなしょぼくれた顔をするんじゃない。私はお前が幸せであるなら満足だ]

[あき、彼と仲良くやるのよ。少々のことは大目に見てあげるのがいい女のコツだからね]

「「!!」」

 あきと哲也は同時に空を見上げた。

「哲っちゃん、今ね……」

「うん、聞こえた…」

「お母さん達に励まされちゃったね」

「ああ…」

 哲也は恥ずかしそうに後ろ頭を掻いた。

「いつまでも後ろばかり向いてられないよな」

 哲也は物言わぬ墓石に向けてにっこりと微笑んだ。

「さぁ、行こう!これからは僕たちの時代だ!」

「うん!!」

 今、二人の若者は未来という名の街へ向けて旅立った。

 二人の若者が気づくことはあるだろうか。彼らそのものが人々にとっては太陽だということに。

                〈完〉


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