STAGE2
STAGE2〜ホームパーティ〜
「ホームパーティ?」
あきはまだ湯気を立てている味噌汁の入った汁椀を丁寧に置きながら聞き返した。汁椀からは味噌の匂いと朝日のように暖かい湯気が立ち込めている。
「この街にもだいぶ慣れてきたし、何よりラムルさんが我々に引っ越し祝いをしたいと仰るんで、どこか食べにいこうというのだが、せっかく私達の引越しパーティなのだから自分達の家でやろうと思ってね」
「でも、それだと買い物にいかなくちゃいけないよ?私は学校だし、お父さんも研究があるんじゃないの?」
「なぁに、今日は研究を早めに切り上げて買い物は私がしておくよ。それならいいだろう?」
正史の口調から察するに、彼はどうしてもパーティを開きたいようだった。そんな父の思いに駄目だしをすることなんか、あきにはできなかった。
「よし、それじゃあ今日はあきもお友達をいっぱい連れてきなさい」
「う〜ん、急にそんなこと言われて皆来るかなぁ」
「まぁ、無理に連れてくる必要はないよ。
我々だけでこぢんまりとやるのも悪くはないが、どうせなら大勢で楽しくやりたいからね」
「わかった。とりあえず誘ってみるね」
あきはそう言って、小さく微笑んだ。
同じクラスの友人に相談すると、友人は快くパーティの参加を希望した。皆、予定があるのではないかと考えていたが、そんな話は微塵も出なかった。
学校にいる間中、あきは誘える友人達を誘えるだけ誘った。中にはやはり予定が入っていたりした者もいたが、終業時間までには十分な人数が集まっていた。
(でも、よくよく考えたらうちはそんなに広くないし、みんな入りきれるかなぁ)
あきはそのことを若干気にしていたが、父の言葉を思い出すと、それもいいかと思えるのだ。
(そうだ。あと一人、絶対に参加して欲しい人がいた)
下駄箱まで来ていたあきは靴を履き替えるのを止め、部活動棟に向かった。
向かった場所は部活動棟の二階にあるパソコン室、パソコン部の部室だ。今日は活動が休みじゃなかったらしく、中にはあきの予想していたようなヲタク達がパソコンの並ぶ机に一列になって座って、キーボードに触っていた。
さて、この中からどうやって哲也を見つけようか。あきの一番の問題点はそこだった。人に聞けば変な意味合いをもたれてしまう可能性がある。それだけはあきとしては避けたいところだった。
「藤宮さん?」
策を練っている最中のあきの肩にポンっと手が置かれた。びっくりして振り返ると、そこにいたのは、噂の本人その人であった。
「やっぱり藤宮さんだ。どうしたんだい、こんなとこにきて?」
「あ、尼崎先輩」
本人から声をかけてもらってあきは安堵したが、少し情けない気分ではあった。そんな表情が顔に出ていたのだろうか、哲也は「どうかしたの?」と心配そうに声をかけた。あきは「なんでもないです」と苦笑した。
「ここで立ち話はなんだから、廊下で話そうか」
哲也は他の部員達に断りを入れ、あきを廊下に連れ出した。
「ありがとうございます」
「部長だったんですね」あきは意外と言わんばかりの顔を哲也に向けた。
「まぁね。この部屋で話していたら他の男共が気になってしょうがないだろ?なんか言いづらそうな顔していたし。それで、用件は何?」
「あ、はい」
あきは朝の話を哲也に伝えた。
「僕も来ていいの?」
「はい。是非どうぞ」
「ほんとにいいの?」
哲也が確認するように問い返すと、あきは優しく微笑みながら頷いた。
「先輩、前に家族のことを話してくれましたよね」
あきはそう言いながら、先日哲也から聞いた家族の話を思い出した。
それは、あきがラムルには家族がいるのかと哲也に質問したことが始まりだった。
「家族?確か、子供が一人いた気がするよ」
「へぇ、会ってみたいな」
あきの願望に哲也は「近いうちに会えるんじゃない。案外もう会っているかもよ?」と曖昧な返事をした。もちろん、そんな哲也の態度にあきは怪訝な顔をしていた。
「尼崎先輩はラムルさん、この街の市長さんについてどう思いますか?」
「市長を?」
哲也は空を見上げながら考えた。それはどちらかと言えば、考えているというよりかは思い出しているといった表現のほうが近いかもしれない。
「あの人は優しい人……かな。困っている人を放っておけない人で、それがどんなにみずぼらしくても、どんなにみっともなくても必ず助けるんだ」
哲也は言い終わった後に「僕も、その助けられた者の一人なんだ」と懐かしいそうにつぶやいた。
「尼崎先輩が?」
意外な一言だった。それだけにあきはその一言しか口に出せなかった。と、同時にさっきの子供がいるという話は彼のことだとわかった。
(だからあんなふうに言ったのね)
哲也はそんなあきの心情に目をやりながら、自分の全てを話した。
「僕の本当の両親はいないんだ。と言っても死んでいるのかはわからない。シェルターができて、太陽の恐怖から逃れられたから、もしかしたら生きているかもしれない。今から十二、三年ほど前に、僕は市長に拾われて育ったから。だから、今はあの人が僕の父親代わりかな」
「そうだったんですか」
あきは申し訳なさそうに謝った。
「別にいいんだよ。僕が話したくて話したんだから」
哲也は気にした様子もなく、穏やかに笑った。
「あのときの話を覚えててくれたのかい?」
「はい。だから、余計に先輩には来て欲しくて」
「ありがとう。是非、行かせてもらうよ。それで、いつやるんだい?」
「今夜です」
あきの一言に、哲也は急に申し訳なさそうな顔になった。
「実は、今夜は予定がもう入っているんだ」
哲也は本当に残念そうに言った。
「市長が今夜出席するパーティに僕もついていかされるんだよ。そのメールがついさっき届いたんだ」
「そうなんですか?残念です」
あきはしょんぼりうなだれた。
「ごめん、せっかく誘ってくれたのに」
「いいんですよ。今日のパーティ、楽しんできてくださいね」
「ありがとう。藤宮さんも楽しんできてね。そうだ、今度は僕が君をパーティに誘うよ」
哲也なりの思いやりなのだろう。しかし、あきは首を横に振った。
「だめですよ先輩。先輩は受験生なんだからしっかり勉強しないとね」
あきの激励に哲也は心底嫌そうな顔をしていた。哲也は見た目こそ真面目そうなのだが、実は意外にも勉強が嫌いなのだ。
「先輩、ちょっといいですか?」
部屋のドアが開き、中からパソコン部員が出てきた。
「ああ、すぐ行くからちょっと待っていてくれ。それじゃ藤宮さん、また機会があったら会おう。なんなら、パソコン部にきてくれてもかまわないよ。いっそのこと入部しちゃったりしてね」
「アハハ、それはちょっと……」
あきは苦笑しながら部室を去っていった。
学校から帰る途中のバスの中、あきは電子メモ帳に今日のホームパーティに参加する人数を数えていた。
(結構誘ったけど、結局来てくれるのは五人か。まぁ、そのくらいがちょうどいいか。お父さんもきっと、ラムルさんの会社の人を誘ったりするだろうし)
あきは電子メモのメモリから古いものをディスプレイに表示した。
(大人がくるんだから、少しはお酒のおつまみも作っとかないといけないよね。お母さんが残してくれた料理メモの中に、それっぽいのがあるといいけど)
あきは料理の腕はかなり良い。もともと、料理に縁があったわけではなかったが、母親が病気で亡くなって以来、家事をする人間がいなくなってしまったため、あきは母親の部屋から見つけた料理メモを頻繁に活用しながら料理の腕をあげていったのである。
(お父さん、私達用にちゃんと軽いお酒やワインも買ってきてくれるといいけど)
あきはバスの窓からちらりと見える夕陽を眺めながら、そんなことを考えた。
家の鍵は閉まっていたので、どうやらまだ正史は買い物中であることがわかった。あきは父親にワインを忘れないようにメールをするか悩んだが、父を信頼し、自分は今日のパーティの料理に取り掛かることにした。
(おつまみ系は必須でしょ、それから友達用におしゃれな料理も入れて……と)
あきは作る料理の品を頭の中で決めながら、てきぱきと野菜や肉の下準備に入る。今日は何を作ろうかと思うと、ついわくわくしてしまうものだ。あきはいつのまにか鼻歌を歌っていた。
パシュ。家のドアが開く音がした。正史が帰ってきたのだ、と思いながらもあきの料理をする手は休まらない。
「ただいま」
「どうしたの、ご機嫌だね?」
「そうか?人を呼んでパーティをするなど久しぶりだからな。心が躍るんだよ。日本酒もいいものがいっぱいあったしね」
正史はこの時代では稀にも見ない日本酒派だった。いや、普通の酒を好むという時点でかなり珍しかった。二十世紀末から二十一世紀中ごろまでは流行っていた日本酒だが、今ではほとんどの人間が機械の作った、ただ酔うためのジャンクアルコールを好むからだ。
「ワインはあった?」
あきが聞くと、正史は微笑を絶やさぬまま「もちろんあるぞ」と、袋からそこそこ値段の張りそうなワインを取り出した。
「お父さん、そんな高そうなワインじゃなくてよかったのに。そこら辺に売っている果実酒でよかったんだよ」
「いいじゃないか。今日は楽しい夜をすごすのだから、このくらいはいかないと」
「お父さん、完璧に私が未成年だって忘れてるでしょ」
「大丈夫だよ。今日は市長さんがくるんだから、多少のことは多めに見てくれるさ」
正史の上機嫌は今日いっぱい続きそうだ、あきは父のあまりの浮き足立ちように少し呆れながらも、料理だけはしっかり作っていった。
(あれ?今日ラムルさんは他のパーティに行くって言ってなかったっけ?)
あきは学校で聞いた話を正史にしたが、正史は「う〜ん、朝にラムルさんのところへ行って本人と会ったけどそんなことは言ってなかったぞ?」と、首を捻るだけだった。
「役所の人達は大体参加するから来るとは思うのだが……ところで、今日も美味しそうなものを作っているんだな」
「あ、うん。今日はお客さんがいっぱい来るし、お酒のおつまみも用意しないといけないと思ったから奮発したよ」
「お前もこんなに豪勢なものを作れるようになったんだな」
「アハハ、昔はつぶれた目玉焼きを作るのがやっとだったのが嘘みたいだよね。私もびっくりだよ。これも全部、お母さんのおかげだね」
「お母さん、か」
正史は何もない天井をふっと見上げた。
「千春の料理は天下一品だった。彼女もきっと天国で満足してくれているに違いない。自分の子供が、自分のレシピをこんなに立派に再現してくれているのだからな」
正史の目にうっすらと何かが光った。
「もうすぐお母さんの命日だね」
天井に向かって昇る湯気をあきは目で追いながらつぶやいた。
「もう、か。早いなぁ」
同じように湯気を目で追いながら正史がしみじみとつぶやいた。
あきの母、千春はこの暗黒の時代を吹き飛ばすような明るくて気さくな女性だった。そういえば、彼女もまた早くに両親を亡くして、家事を切り盛りするようになったのだとか。
(親子の血は争えないということか)
正史の心の中には今でも、病気になる前の明るい彼女がいた。千春は、シェルターでの生活に慣れることができず、最初にシェルター内で大流行した病気にかかり、その短い生涯を終えた。
(千春、君にも見せてあげたいよ。私の夢でもあった、この風景を)
[まだ、駄目]
「え?」
正史は閉じていた目をはっと開いた。確かに今、何かが聞こえた。
[これは貴方の望んだ風景じゃない]
やはり聞こえた。そして、この声は……
[この風景は仮初の姿。早くまやかしを破って。取り返しがつかなくなる]
「待て!どういうことだ!」
[急いで……]
声はその一言を最後に再び立ち込める湯気の中に消えていった。
「どうしたの、お父さん?」
あきは怪訝そうに父親の顔を覗き込んだ。正史の額にはいつの間にかじっとりと脂汗がにじんでいた。
(今のは彼女なのか?この風景が仮初とは一体どういうことなんだ?)
正史の耳には、もはや娘の声など全く入ってこなかった。




