セイラー服のまま
【セーラー服のまま】
中学二年の二学期に、大阪の住吉区から八尾市へ僕は転校しました。
転校初日、先生からクラスの皆に紹介され、偶然、教壇から彼女と視線が合ってしまいました。
そしてその目は、微笑んでいるように見えました。
新入りの僕の席は、たまたま彼女の近くに決まりました。
斜め後ろから、彼女のおさげの横顔を見ているだけで、嬉しかったのを覚えています。
彼女は帰り支度をするときだけ後ろを振り向きました。
その時一度だけ、毎日視線を交わせられるようになり、僕は幸せでした。
気弱な僕はひたすら待ちました。彼女が話かけてくれる日を。
三ヶ月程経ったある日、彼女が後ろを振り向き、僕の机に片手を置き
突然こう言って黄色い小さな紙切れをくれました。
『住所、教えて』
『僕にも教えて』
これが僕達の最初の会話でした。
たぶん年賀状でもくれるのだろうと思いました。
年末に、純白の封筒が届き、朱色の細長いクリスマスカードが入っていました。
トナカイが空駆け橇を引き、その下に美しいローマ字で、楽しい家庭のクリスマスの様子が書いてありました。僕は年賀状の隅っこに、小さなちいさな文字で「きみがすき」って書いて送ってしまいました。
年明けに年賀状ももらいましたが、玄関先に飼っていた子犬が食べてしまいました。
僅かに残ったその切れ端を集め、呆然と眺めていたことを覚えています。
三学期に席替えがありました。
ほんの少し席が離れ、彼女の席から一列空けた斜め後ろがボクの席になりました。
毎日、視線は合わせましたが、依然として会話らしい会話はありません。
そのうち、酒井君が僕達を見ると、近づいていないのに『桂馬!桂馬』と囃し立てるようになりました。
僕と彼女の席の位置が将棋の桂馬の関係だったのです。
クラスメートの数人もこのことを知っていました。
彼女に近寄ることがぎこちなくなってしまいました。
ある日、音楽室に平井先生が僕を呼び出し教えてくれました。
『珠美ちゃん、あなたのこと、好きだって!』
僕は先生にも知れたのかと、嬉しいのを通り越し不安になりました。
三学期には、音楽室に保護者を集め、ミニ発表会が開かれました。
僕は「荒城の月」を独唱することになりました。
その練習日、ピアノ伴奏が彼女でした。僕は動揺してキーがずれ、歌うことができませんでした。
本番の当日は、伴奏なしのアカペラになってしまいました。
三年生の卒業が近づき、僕達二年生は「三年生を送る会」に出る事になりました。
私達のチームは、合唱をすることに決めました。
放課後、彼女が教壇に立って、歌詞を書き始めました。
(アルプス1万尺・・・・お花畑で蝶が出てきて)
ここまで板書し、彼女は続きを書くのをためらいました。
そして、席にいる僕と黒板と、横にいた同級生とを、かわるがわる見ました。
(蝶が出てきてキスをする)
と書くのを躊躇していたのです。
三年生になり、別々のクラスになりました。
僕は蝉の抜け殻状態でした。
その一年間、僕は彼女のクラスの廊下を通るたび
(もしかしたら、会えるかも知れない)と思っていました。
そして、そのまま会話も出来ず卒業し、再び彼女と会える日はありませんでした。
あのクリスマスカードは、大切に引き出しにしまい、時折取り出して読み返しました。
その後、高校を卒業する時「卒業タイムカプセル」にそれと日記とを入れ
引きずっていた思いを断ち切ることにしました。
長い、ながい年月が流れました。
還暦同窓会の案内ハガキが届きました。
幹事さんの名前を覚えていました。池田さんでした。
参加する事を伝えたら、同じクラスで無口だった池田さんが、まるで別人かと思えるほど中学時代と現在とを話してくれました。
その最後に出て来た話題は、彼女が数年前に亡くなったことでした。
その夜、僕は中学時代に戻っていました。
シャワーの湯量を最大にして、子供のように泣きました。
僕の心の中で、彼女はセーラー服のまま亡くなりました。
どんな人生を送っていたのでしょうか。
僕は現在、結婚してこうして生きています。
人生一度だけの見合で、魔法にかかったように結婚しました。
妻は彼女と全く同じ名前「珠美」だったのです。
もし彼女に再び会うことが出来て、この話をしたら、
あの頃のように、やさしく微笑んでくれるのでしょうか。
-了-




