女流探偵 境出水の事件簿~第2話;眠らない夜を抱いて~
短編推理小説
《女流探偵 境 出水の事件簿》
第2話 眠らない夜を抱いて
眠らない夜を抱いて1;ざわめく街
東京都 JR渋谷駅ハチ公前交差点 2010年 7月20日 午後8時40分 頃
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さだ まさしが歌う『天までとどけ』の曲が、ビルに埋め込まれた大型映像画面から流れている。
磯田明の探偵事務所へ向かう途中、ハチ公前交差点で信号待ちをしながら、境出水は大画面のコマーシャル映像を見ていた。
映像は空撮影像で、草原の緑の中を走る舗装された一本道を映し出している。そして、その道と列車の線路が十字に交わっている。踏み切に遮断機は無く、赤く交互に点滅する警報機がカーン、カーンと鳴っているかのように見える。その踏切の前で、白いオープンカーが列車の通過を待っている。車に乗った人影は運転席の一人と後部座席の二人の三人である。
「あら、この映像の景色はどこかで見たわね。どこだったかしら・・・?思い出せないわね。」と思いながら、信号が青に変わったので境出水は道玄坂方面に向かって歩き出した。
今日は日曜日であるが明日は祝日のため、交差点は夜遅くまで多くの人々が行き交い、ザワザワしている。また、大画面映像横の気温表示が29℃を表示していた。
「この暑さでは、今夜のこの街は眠らないわね。朝まで、この調子でざわめくのかしら?私も今夜は眠れないけれど・・・。」と出水は思いながら、人を掻きわけるようにハチ公前のスクランブル交差点を渡り終えた。
眠らない夜を抱いて2;特別警備打ち合せ
磯田明探偵事務所 2010年 7月20日 午後9時 頃
磯田と出水が道玄坂の雑居ビルの4階にある磯田探偵事務所内で話しあっている。
「文化村通りにあるこの宝石店を怪しい男が一週間前から調査している模様だ。」と磯田明が怪しい男がうろついている監視カメラのビデオ映像をTVに出しながら境出水に説明している。
「警察は事件が発生しない限り行動を起こさない。この為、今夜からこの宝石店周辺の特別警備を警備保障会社のS警備社から依頼された。閉店が午後9時。従業員は午後10時には退店する。午後10時から午前8時までが特別警備時間となる。怪しい状況が発生したら、上着の襟に着けたこのタイピン無線マイクで逐一連絡を入れるから、出水はこの事務所で無線番をしていて欲しい。この携帯無線器の電波到達範囲は半径3Kmだ。警備会社にはこの事務所にある無線受信機からインターネット回線で音声が自動的に伝えられ、警備会社のモニタースピーカーから我々の音声が流れるようになっているが、S警備社の本部は新宿にあるため、警備員が到着するまでに20分くらいはかかる。これでは、非常事態に対処できない。緊急事態での対応指示は僕の方から出すから、出水はその指示で動いてほしい。」
「2か月前、銀座の宝石店にも中国系ギャングと思しき一味が建物の壁を壊して侵入し、2億円相当の宝石類を奪って行った事件があったわね。荒っぽい手口のギャングだから怪我をしないように気をつけてね、磯田さん。」と出水が言った。
「ああ、判った。」
眠らない夜を抱いて3;
磯田探偵事務所 2010年 7月21日 午前3時 頃
午前2時ころまでは人通りもあったが、午前3時ころには、流石に人影がほとんどない。
境出水は事務所の窓から道玄坂を眺めていた。その時、無線機から声が聞こえてきた。
「出水、道路清掃車が黄色の点滅灯をチラチラさせながら109ビル方面から宝石店の方にやってくる。確認どうぞ。」と無線機に磯田の声が入ってきた。
「こちら出水。了解。」
しばらくして磯田の慌てる声が無線機から聞こえた。
「窃盗団だ・・・、車の運転手を含め相手は4人・・・・、こらー、何をしている・・。ガシャン、バン、ドスン、ボキッ、ドスン、ベキッ・・・、ゴン、バタン。むむーう・・・・。」
「こちら、出水。指示願います。どうぞ・・・。」
(3人の男はドアーの空いていた清掃車の座席に乗り込み、残りの一人はステップにのり、ドアーの窓にしがみ付いた。そしてエンジンが懸ったままの清掃車は急発進した。)
(その時、頭を殴られて倒れていた磯田が立ちあがった。)
「むむむむっつ・・・・。こら、待てー・・・。ガシャ、ガシャ。フン、フン、フン、フン・・・・。やつらが清掃車に乗って山手通り方面に猛スピードで逃走中。ああ、車には追いつけないな。追跡を中止する、ハア、ハア、ハア・・・。腹をけられ、頭もなぐられた・・・ハア、ハア。S警備社は現場に急行してください。出水、110番通報だ。警察に清掃車を追えと伝えろ。やつらの遺留品がある。やつらの中の一人はあばら骨が折れているはずだ。俺の正拳突きがまともに胸へ入ったからな。もう一人は関節技で右肩を脱臼させた。かなりの痛みがあるはずだ。」と磯田の元気そうな声が無線機から聞こえ、出水は安心した。
眠らない夜を抱いて4;
山手通り 渋谷区松涛二丁目交差点 2010年 7月21日 午前3時20分 頃
清掃車と乗用車が衝突し、どちらも横転している。出会いがしらに衝突したようである。
清掃車は交差陸橋の壁角に激突した模様で運転席側のドアーが大きく凹んで、フロントガラスも粉々になって飛散っている。
そして、事故現場に救急車が2台到着した。
警察パトロールカーはすでに到着しており、生存者から事情を聴いている。
乗用車の運転席の男性は頭と口から血を流し、意識がない。
清掃車から投げ出された清掃服を着用した男一人が道路上で頭から血を流し倒れている。
「この清掃員は死んでいます。運転席の男性もダメですね・・・。」と救急隊員のひとりが大声で言った。
乗用車から運転手を助け出し、脈を見ていたもうひとりの救急隊員がつぶやいた。
「脈があるが、かなり弱い。脳挫傷の疑いがある。静かに移動する。病院まで命が持つかな?」
警察官が乗用車に同乗していたと云う男性二人から事情を聴いている。
二人とも頭から血を流している。ふたりとも体を強く打った模様で、体中に痛みがあるらしい。
「清掃車に乗っていた二人の男は山手通りを初台方面に走っていきました。」と男が話したところで救急隊員が救急車に乗るように促した。
警察官も事情聴取はあきらめ、メジャーで交差点入口から横転している乗用車までの距離を測りはじめた。
30分くらいして、宝石店前からパトカーに乗ってきた磯田明が姿を現わした。
そして、警察官に窃盗団が乗っていた清掃車に間違いないことを伝えた。
「清掃車の4人のうち二人は死亡。残りは逃走したようです。死亡した二人の遺体はこの近くの病院に運ばれたようです。磯田さんに犯人かどうかご確認いただきたいのですが、よろしいでしょうか?」と警察官が磯田に言った。
「ええ、行きましょう。そこの角にある病院ですかね?」と磯田が交差点角にある病院を指差して言った。
「そこは内科のみです。別の救急外科病院です。パトカーで行きましょう。」と警察官が言った。
眠らない夜を抱いて5;
T大付属駒場病院 2010年 7月21日 午前4時10分 頃
遺体が窃盗未遂犯一味の二人であることを確認した磯田と警視庁渋谷署の刑事が病室前で話をしている。
「これから乗用車に乗っていた二人の方に事故の状況を聴きに行きますが、同行してもらえますか?」と刑事が磯田に言った。
「私が同行しても構わないのですか?」
「ええ。逃げた犯人二人の姿を目撃したらしいので、その話を聴きに行きます。あなたが目撃した人物に似ているのかどうかを一緒に確認していただきたいのです。」
「ああ、そういう事ですか。判りました、ご一緒します。」
刑事が病院の受付で、先に救急車で来た負傷者の病室を確認している。
「えっ、帰った?」と刑事が言った。
「ええ、この程度の怪我なら大丈夫と言って、いましがた帰られましたけれど。」と救急受付当番の看護婦が言った。
「しかし、全身打撲で血も流していたと聞いていますが・・・確か?」
「ええ、一人の方はろっ骨が折れていましたし、もう一人の方は右腕脱臼で先生が肩を嵌めてあげました。けれど、入院は必要なかったので、仕事があるとのことで急いで帰られました。警察官のいない裏口から帰られましたけれど。」
「えっつ! 肋骨が折れて、脱臼していた!」と磯田が大声を出した。
「どうかしましたか、磯田さん?」と刑事が訊いた。
「その二人が犯人です。私は正拳突きで犯人のあばら骨をへし折りました。そして、もう一人の右腕を水平に押さえ、腕を蹴り上げて右肩を脱臼させました。たぶん、いましがた帰った二人が残りの犯人です。」
「よし、緊急配備指令だ。」と言って刑事は外に停めてあるパトカーに向かって走って行った。
窃盗未遂犯の緊急配備指令を本部に依頼したあと、パトカーから警察官が出てきた。
「やあ、磯田探偵さん。今夜は大変でしたね。」と警察官が言った。
「ああ、滝山さん。パトロールご苦労様です。」と磯田がいった。
滝山警察官は渋谷駅界隈のパトロール中にしばしば磯田の探偵事務所に顔を出していた。磯田とは顔なじみであった。
「ところで、意識不明の乗用車の運転手さんは神宮外苑近くにあるSテニスクラブの会員証をお持ちでした。松崎義男と云う方ですが、ご存じですか?確か、磯田さんも同じSテニスクラブの会員でしたよね。」と滝山警察官が言った。
「ええ、そうですが。松崎さんですか?記憶に無いですね。」と磯田が言った時、事務所で無線を聴いていた境出水の声が聞こえてきた。
「松崎義男さん?知っているわよ。」と境出水が言った。
「どんな男だ?」と磯田が無線マイクに向かって言った。
「テニスクラブの女性会員の間では隠れた人気者なのよね、男前ではないけれどね。ちょっと、母性本能をくすぐるところがあるのよね。」
「母性本能?何だ、そりゃ。」と磯田が言った。
「まあ、磯田さんみたいな無神経者には理解不可能ね、うふふ・・。」と出水が茶化して言った。
「ふーん。そんな奴が居たのか、Sテニスクラブに。」
「でも、好きな女性に振られたみたいだわね。」
「そうだろう、そうだろう。この磯田を差し置いて、女性の人気者とは、許せねえ。」と桜木花道のようなことを磯田が言った。
「蝶のように舞い、蜂のように刺すショットを持っている天才・磯田明としては許せない、と云う訳ね。あははははっ・・・。」と出水が笑った。
眠らない夜を抱いて6;
T大付属駒場病院手術室 2010年 7月21日 午前5時30分 頃
医者や看護婦が懸命になって手術をしている。
そして、手術を受けながら松崎義男は遠ざかる意識の中で、不思議な夢を見ていた。
「これは7年前、クラブ内親睦テニス大会のシングルス戦にはじめて参加した時の情景だな。ああ、辛うじて相手コートにボールが返せたな。しかし、体は倒れてしまった。おや、誰かが俺を見ている視線を感じる。ああ、あの女の子だ、誰だろう?やあ、彼女か。あの時から時々クラブ内で話すようになったな、話はあまりかみ合わなかったがな。そういえば1年半前、ホテルのロビーに誘ってプロポーズしたな。断られたけれど、良い思い出だ。ああ、我が青春だな。あれ、ここは何処だろう?さわやかな風が吹いている草原だな。草原に中の一本道を、黒のタキシードを着た俺が運転する白いボディのオープンカーが走っているな。あれ、後ろの座席に乗っているのは、彼女だ。彼女はウエディングドレスをきているな。横に居る女性はお姉さんらしいな。この風景は俺の故郷の高原に似ているな・・・・・。ふーん。前方に踏切が現れたぞ。警報がカーン、カーンと鳴っているな。踏切前で車は停止か・・・・・。」
「先生、心臓が停止しました。午前5時40分です。」と看護婦が手術室内の壁掛時計を見て言った。
眠らない夜を抱いて7;
某所山内家の寝室 2010年 7月21日 午前5時30分 頃
今日は山内良子の結婚式の日である。
昨夜は遅くまで、部屋の整理をし、少女の頃から今日までの出来事を時系列に思い出していた。そして、少し疲れ、良子はウトウトと寝込んだ。
しかし今、山内良子は夢を見ていた。
「なんと穏やかな草原でしょう。あら、白いオープンカーが走っているわね。そして、白いウエディングの女性は私だわ。それに、お姉様が横にいるわね、何を話しているのかしら。運転している人は黒いタキシードを着ているわね。誰かしら・・・・?あら、この男性は・・・・・・。」と思ったところで夢から覚めた。
昨夜からの暑さが朝まで続いており、強い朝の日差しが窓から飛び込んできている。
再び眠る気にもならないので、山内良子は音楽ステレオのスイッチを入れた。
取り出し忘れていたCD盤が回転を始め、
ZARDの歌曲『眠れない夜を抱いて』が流れて来た。
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女流探偵 境出水の事件簿
第二話 眠らない夜を抱いて 完
目賀見 勝利
2010年 7月 26日 午後3時11分 脱稿