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第五話 戻れない事

 また一日が過ぎた。畑仕事が終わり、家族で食事を済ませ、弟も寝入った。

 私は寝床からそっと抜け出し、外に出る。今夜は小雨が降っている。セピイおばさんの話を聞いているうちに本降りになりそうだわ。

 で、今回セピイおばさんが指定した離れは、家から三番目だったりする。我が家の離れと、セピイおばさんの離れ四軒。計五軒、並んだうちの真ん中。

 家からは分かりにくいが、近づいてみると、やはり薄らと明かりが漏れている。ごく小さく扉を叩いて、セピイおばさんに開けてもらう。

 二人して、周りをよく確認した。小雨を降らす空は真っ暗で、林の中もよく見えない。誰かが木に隠れていたとしても、向こうからだって見えにくいだろう。

 そう期待して離れに入ったら、数秒もかからずに本降りになった。

「どうやら神様も味方してくださっているようだね」

 セピイおばさんは床にロウソクの皿を置きながら、言った。昨夜と同じやり方だ。椅子に座って向かい合う二人の足元に、灯したロウソクを置く。そして脚の長い椅子で隠す。今回はロウソクが少し長めにしてある。準備は整った。

「神様も、私がおばさんの話を聞くべき、とお考えなのよ、きっと」と私。

「ふふ、ますます気合が入るね。では早速、始めるよ。

 私がツッジャム城で女中として働くようになって一年が過ぎて、二年目に入った頃だ。私は十七になった。今振り返ってみれば、なかなか忙しい年だったねえ。昨日も話したように、ゲスタスの事件があったり、あいつリオールと再会したり。でも、その後の出来事の方が私にとっては重大で、印象深くてね。城主様ご夫妻の娘である、ヒーナ様と知り合ったのさ。

 ある日、奥方様に呼ばれたよ、ベイジと一緒に。奥方様がおっしゃるには、ヒーナお嬢様が女子修道院から戻って来られる、とのことだった。この時、ヒーナお嬢様は私の一つ下で、十六歳。奥方様としては、自分の娘に最も歳が近い私とベイジに、お友達と世話係を兼ねてほしかったんだね。私としては、願ってもない、ありがたいご命令だよ。日頃の恩返しができるんだから、内心、張り切った」

「緊張しなかった?そのお嬢様と合わないんじゃないか、とか」

「そりゃあ、少しは心配したよ。ヒーナ様の方でも、ベイジの方は前から知っていたそうだけど、私とは初対面だ。少し気にしておられたらしい。

 でもね。たしか一週間もしなかったと思うんだが、ヒーナ様の方から言ってくださった。三人でいる時は敬語はやめて、と。お互い普通に話そう、とね」

 これを聞いて、幸先良さそうじゃないか、と私も安心して頷けた。

「それにね。ヒーナ様も、私の女中仲間の姉さんたちと同じで、私なんかよりも他の事で頭がいっぱいだったのさ。ある意味、ヒーナ様の悩みの方が姉さんたちより深刻だったね。多分、姉さんたちも、そこは認めると思うよ」

「悩みって?押しも押されもせぬ、ツッジャム城のお姫様なんでしょ。なのに?」

 私は今夜も声が裏返ってしまった。お城のお姫様なんて立場、田舎娘の私としては羨ましすぎるんですが。

「お姫様だから、だよ。貴族の娘ならではの問題があるじゃないか。結婚しなきゃいけないだろ、他の貴族と。

 しかも貴族の中でも、それなりに力を持っているところじゃないと、だめだ。この場合の力っていうのは、あんたも分かるね。領地や資金とか、ご家来の数だ。それらを使ってヌビ家に加勢してくれる貴族家でないと。

 もちろん相手側だって、同じ事をヌビ家に期待しているよ。そういう、お互いの為になる結婚をしなきゃならないのさ。

 ヌビ家も加勢は多い方がいいと思っている。だから中小の貴族家は、はじめから候補にならない。しかし相手の方が大きすぎて、ヌビ家に居丈高な態度をしてくるのも、面白くないからね。気をつけて相手を探す必要があるんだよ」

「はい、おばさん、質問。王家のご子息、王子様に縁談を持っていくのは、どう」

 セピイおばさんは一瞬、止まった。

「名案、と言いたいところだが」

 セピイおばさんが私の顔を覗き込んでくる。薄暗い中でも、じぃっと。

「プルーデンス。あんたは王家の男たちをどう思う」

 今度は、私の方が固まる番だ。言おうか言うまいか。いや、自分から振っておいて今さら引けないし。

「あ、あまりいい評判を聞かないわね。て言うか、正直、好きじゃない。ごめんなさい、おばさん。私、間違えた。自分が好きでもない人をおすすめしようだなんて」

「まだ、かなり加減した言い方だね」

「だって、どうしても王様たちの悪口になっちゃうんだもん」

「その注意の仕方は正しいよ。どこで聞き耳を立てられているか、分かったもんじゃないからね。でも今は、私しか居ないんだ。安心おし。

 それで、あんたが聞いた王族の評判とは、どんな内容かね」

 私は、セピイおばさんの目が光った気がした。

「分かった、話すよ。話すけど、おばさんも怒らないでね。私が言ったんじゃなくて、人が言っているのを聞いただけなんだから」

「約束しよう。で、誰が、王族のことを何と言ったんだい」

「村の男子たちが王様のことをこう言って、げらげら笑っていたの。『血も涙も無い。有るのは、あの液だけだ』って」

 セピイおばさんは、また止まった。あの液について推測している。よりによって、おばさんにそんなことをさせてしまうとは。私としたことが、なんて不敬な。なんだか恥ずかしくなってくる。

 おばさんの顔が見る見る険しくなった。

「あの液、と来たか。はあ。口さがない、とはこのことだよ。呆れて、開いた口が塞がらないね。あんたと同年代の小僧っこたちかい?」

「そう。分かるでしょ。要するに、男子もお年頃で、そういうことに興味津々なわけよ」

 この国、ヨランドラのヘイロン王は、やらしいことで有名だ。それは、昨夜おばさんの話に登場したゲスタスの比じゃないと思う。何しろ王の威厳を使って、狙った女に拒ませないのだから。ヌビ家やジャンジャビ家のような大貴族でさえ、娘が病気だなんだと言い訳して、かわすのに必死になっている。それで、アガスプス宮殿の近郊に住む若い娘たちには泣き暮らしている者が多い、という噂だ。

 私も、いや村の誰でも、目の前にお役人や貴族が居ない限り、ヘイロン王に敬意を表したりしない。様とか陛下とか、敬語も極力使いたくないのが本音だ。

「それにしても、随分と隙だらけだねえ。通りかかった伝令なんかに聞かれでもしたら、それこそ、どんなお咎めを受けることやら。一度、痛い目を見ればいい、と言ってやりたいところだが。そん時は村全体が巻き込まれちまうんだよ。とんでもない不用心だ」

 セピイおばさんは、どっと疲れたように重いため息をついた。

「おばさん。言い訳じゃないけど、少し補足させて。私の推測なんだけど、その男子たちは街の市場とかに行った時に耳で、その悪口を仕入れてきたんじゃないか、と思うの」

「なるほど、妥当な推測だね。しかし、その小僧っこたちから、その辺りの事情は聞いたのかい?」

「やだ、聞けるわけないじゃん。そういうことに興味を持っている女みたいに、男子たちから思われたくないし。聞いているところをルチアや他の女の子たちに見られた日には、私、死にたくたくなっちゃう」

「大げさだねえ。しかし、小僧っこたちから勝手にしゃべってくれない限りは、たしかに聞きようがないか。

 そうなると、やっぱり推測するしかないね。で、さっきの推測は妥当だ、と私も思う。

 その上で、さらなる推測が可能なんじゃないかい?小僧っこたちがその悪口を市場で仕入れてきたとしたら、それはもう巷に広まっているって事だろ。

 王族の悪口が巷に広まるなんて。情けない国になったもんだよ」

 セピイおばさんは、もう一度、大きなため息をついた。

「まあ、たしかに今のヘイロン王なら、充分あり得る話か」

「おばさんが若い頃の王様は違ったの?」私は思わず聞いてしまった。

「違うって言っても、まあ、あの方も似たようなもんか。だからあの頃、ヒーナ様が王家に嫁げばいいなんて、私は思わなかったね。おそらく城主様ご夫妻も考えなかっただろうよ。

 しかし今回ほど、ひどい悪口は初耳だ」

「おばさん、ごめんなさい。やっぱり言わなきゃよかった」

「逆だよ。むしろ、これからも教えとくれ。知りたくないじゃ済まないことは、世の中にたくさんあるんだ。私も、その手の話をあんたに山ほどしなきゃいけない。私自身も知らなきゃいけないんだよ。お互い様さ」

「分かった。報告できることがあったら、また話すね」

 と一応答えたが。また呆れさせるかも、と不安がよぎった。


「さてと。では、またヒーナ様に話を戻そうかね。

 とにもかくにも、ヒーナ様は名家に嫁がなきゃいけないってことで、責任重大なわけだ。でなければ、ヌビ家全体に、いや私らみたいにヌビ家に付き従っている者たちも不利益を被るんだからね。周りからの期待が重すぎて、そりゃあ、悩むよ。

 しかも、だ。ヒーナ様は私と知り合う前に、すでに一度やらかしていた。ヒーナ様が十四歳の時だ。リブリュー家との縁談が持ち上がったんだが、ヒーナ様が頑なに拒んで破談にさせていたのさ。

 あんたもリブリュー家の名前くらい、聞いた事があるだろ。二匹の色違いの蛇が絡み合っている紋章で、ヌビ家に負けず劣らずの、なかなかの名家だよ。そこの御曹司はべつに醜男でもなかったそうなんだが、ヒーナ様としては結婚そのものが嫌だったらしい。まだ早いと。

 まあ厳密に言えば、十四になる前に結婚する例は、貴族の間では珍しくないんだがねえ。城下町や市場で世間話を聞いていたら、あんたも分かるだろ」

「うん。私も、そういう話は何度か聞いた事がある。

 でも、そのお嬢様の気持ちも分かるなあ」

「そりゃ、私も分からないではなかったよ。大して親しくもない男と結婚しろだなんて、急に言われてもねえ。

 しかしヒーナ様は、私らのお友達の村娘じゃない。お城のお姫様だからね。私なんかが意見のしようもないよ。

 それでね。城主様ご夫妻でも特に奥方様の方が、その破談をお怒りになったらしい。私が初めてその話を知った時、あれほどお優しいビッサビア様がご自分の娘に怒るなんて、いまいち想像できなかったよ。

 私があんまり不思議がっていたら、スネーシカ姉さんがこっそり教えてくれた。姉さんの分析は、こうだった。

『ビッサビア様も、生家マーチリンドからヌビ家に嫁いできた。長年モラハルト様に連れ添って、お世継ぎもお産みになり、娘であるヒーナ様も育てなさった。ビッサビア様としては、それを貴族の女として当然とお考えなんだよ。

 そして娘ヒーナ様も、ゆくゆくは同じように生きていくべきだ、と思っておられる。にも関わらず、ヒーナ様が縁談を断ったもんだから、貴族の女として自覚が足りない、とお怒りなのさ』とね。

 実際ビッサビア様は、それに近いお言葉でヒーナ様をお叱りになったみたいだ」

「おばさん、また質問があります。ビッサビア様がお世継ぎをお産みになったって、ヒーナ様のお兄さん?」

「正解だよ。あの頃、ヒーナ様の兄君はメレディーン城に留学しておられた。自分の伯父にあたるご党首様にお仕えして、騎士として、将来の統治者として修行中だった」

「じゃあ、もう一つ質問。ヒーナお嬢様が縁談を断って、ヌビ家とリブリュー家の関係は大丈夫だったの?」

「おお、これは、もっと大事な質問だねえ」セピイおばさんがニヤリとした。

「もちろん、大丈夫じゃなかったろうよ。こういう場合、下手すりゃ戦争になりかねないことは、あんたも知っているだろ。

 しかし戦争になってもいいとは、どちらのご党首様も考えなかったようでね。ありがたいことさ。そんなことしたら、他の貴族、シャンジャビ家なんかが勢力を伸ばしたり、よその国が口をはさんできたり、しかねない。領民たちだって、焼け出されるだろ。誰のためにもならないよ。

 とにかく両家とも、何とかこらえたってところだね。まあ、アガスプス宮殿で二人のご党首様が鉢合わせになって気まずい、なんて事はあったみたいだが」

「危なかったけど、まずは一安心だったわけね」

「そう。外に対してはね。

 で、次は内のこと、ヒーナ様の処分だ。母親であるビッサビア様はヒーナ様を、しばらく女子修道院に預けることになさった。教育を受けさせるという建前でね。おそらく謹慎の意味もあったんだろう、と私は解釈しているよ。

 ヒーナ様が修道院で生活している間も、ビッサビア様とモラハルト様は手をこまねいたりしなかった。ヒーナ様の次の婚約相手を探して、ヨランドラ中に使者を送りまくったのさ。時にはソレイトナックやネマも、使者として立ち回ったのかもしれない。

 とにかく、その甲斐あってビッサビア様たちは、それなりの相手を確保した。今度はシャンジャビ家だ」

「うーん、結局シャンジャビ家か」

「そうだよ。ヌビ家にとっては目障りな競争相手だが、べつに他国人じゃないんだ。無闇に敵対することもないだろ。ご党首様もモラハルト様も、たまには同盟してみよう、と結論なさったらしい」

「で、今度のお相手は、どんな人だったの」

「ふふ、急かすじゃないか。シャンジャビ家党首の息子ではなかったけれど、甥か何かで、党首に結構近い立場の若者だったよ。歳もヒーナ様とそう変わらなくてね。

 というわけでヒーナ様も、女子修道院は卒業さ。ビッサビア様は急いでヒーナ様を連れ戻して、結婚の準備を始めなさった。私とベイジを引き合わせたのも、その一環だったんだよ。

 いざ私たち二人がヒーナ様のお世話をするようになると、ビッサビア様から、ちょくちょく呼び出されたもんさ。物陰とか別の部屋に。それで、いつも同じことを言われた。

『あの子が少しでも結婚を渋るようなことを言ったら、励まして。たくさん励ましなさい。結婚に前向きになる方向に、話をもっていくの。いいですね』

 それで私もベイジも、お言いつけ通りにがんばりたいところだった。でもヒーナ様は、とっくに気づいておられたよ。

『あの名家シャンジャビの若様なんですもの。きっと素敵な方ですよ』なんて私が言っても

『そう言えって、お母様に言われたんでしょ』とか見破られてね。説得なんて、夢のまた夢さ。

 逆に私ら二人の方が、ヒーナ様からよく尋問された」

 セピイおばさんは一度、話を区切って、閉めている窓の方を見た。おばさんが言い淀んでいる。これは、もしかして。

「私にはリオールとの事。ベイジには女中としてお城に上がる前、まだ商家にいた頃に付き合っていた男の事、をね」

 ほら、やっぱり。予感的中。

「いくら結婚を嫌がるお姫様でも、さすがに興味が無いわけではなかったのね。きっと、すぐに結婚じゃなくて、しばらくはお付き合いを楽しみたい、とかお考えだったのよ」

 私は上手く推測したつもりだったが。

「うーん、今回は外れたねえ。ヒーナ様は、もっと切羽詰まっていたよ。お母様、ビッサビア様に逆らえないことは分かっておられたからね。だから結婚は避けられない。結婚した後のことが心配で仕方なかったのさ」

「結婚後?」私は思わず聞き直した。

「夫婦のことだよ。ヒーナ様は『男に抱かれるのが恐い』と言っておられた」

 私は一瞬、固まってしまった。そっちだったか。そういう気持ちなら、私にもある。

「それでヒーナ様は具体的に、細かく知りたがってねえ。三人だけの時に、しつこく聞かれたよ。私がリオールとどんなことをしたのか。リオールが私にどんなことをしたのか。思い出すのも赤面もので、極力ぼかして話したいんだが、ヒーナ様はあくまで真剣だ。少しも妥協してくださらない。

 そりゃ馬鹿にして笑ったり、後で言いふらしたり、は無いよ。しかしヒーナ様が真に受けすぎるのも、考えもんじゃないか。私がその時、知っていたのはリオールだけ。リオールがした女の抱き方しか知らないんだ。もし、それが世間一般と違っていたら。そう思ったら気が気じゃなかったよ。リオールはその意味でも私を騙したんじゃないか、と勘ぐったほどさ。

 とにかくヒーナ様が間違った知識を身につけてしまったら、奥方様に申し訳が立たない。私とリオールのやり方が必ず正しいとは限らない、と何回も念を押したもんだ。

 ヒーナ様も、おっしゃったねえ。『私も、セピイたちのやり方は、あんまりしたくないな。何だか女の方が我慢するのに、男ばっかりが楽して、いい思いしているような気がする。聞いていて、全然納得がいかない。

 大体、セピイは許しすぎだわ。リオールなんか、懲らしめて当然よ』とね。

 ヒーナ様のお気づかいはありがたかったが、やっぱり恥ずかしかったよ」

 聞いている私も恥ずかしくなってきたので、話を少しずらそう。

「ベイジは、どんなだったの」

「ああ、ベイジはね、私と正反対だった。ベイジがヒーナ様に話すのを横で聞いていて、私は愕然としたもんさ。

 いや、することは、ほとんど同じだよ。口づけを交わして、どんなふうに抱き合うのか。男が自分にどんなことをしてくるか。ベイジの彼氏がした事と、リオールがした事は、大して変わらなかった。

 ただ、確実に違っている事が一つあってね。リオールと私の場合は、リオールが必ず主導していた。ベイジと彼氏の場合は、ベイジだ。男女のうち、どちらが主導するかで、私たちは全く逆になっていたのさ。

 それがどういう事を意味するか、あんた、分かるかい。数だよ。男と抱き合った回数が、私とベイジでは違っていたんだ、明らかに。ベイジは、ためらいながらも言っていた『自分は両手の指で数えられるくらいかな』と。それを聞いた私は、また恥ずかしくなったもんさ。あいつが私に迫って抱きついてきた回数は、両手の指じゃ、とても足りないからね。

 それで私は、また勘繰るというか、心配になったよ。ベイジは私のことをすごくふしだらな女と思っているんじゃないか、とかね。いろいろ迷ったが、私は思い切ってベイジに聞いてみた。

 そしたらベイジの答えが、また意外でねえ。

『そうじゃなくて。逆に、私が彼を拒みすぎたのかなって後悔していたところよ。私も、もう少し応じてやっていたら、彼から別れを切り出されずに済んだのかなって』だとさ。

 だから私がさっき、愕然とした、と言った理由が分かるだろ」

「ま、まあ、たしかに」としか、私も返事できなかった。

「念のため、言っておくけど、ベイジはその男が嫌いだったわけじゃないんだよ。ベイジ自身が言っていた『むしろ、好きだった』とね。

 ただ、無闇に抱き合わなくてもいいじゃないか、そばに居るだけでもいいじゃないか、と思っていたんだとさ。

 その男も商家で育って、親同士が友達だったらしい。つまり小さい頃からお互いを知っていた。幼なじみだったのさ。家の規模も同じくらいで、金持ちではない。商人の息子にしては、話が特に上手いわけでもない。醜男ではなかったが、色男でもない。だけどね。一緒に居ると、とても落ち着いた、と。気を使ったり、無理したりせずに、自然でいられた、と。ベイジは懐かしそうに話していた。そんな彼女の横顔を見ながら、本当に好きだったんだろうな、と私も思ったよ。

 しかし、あんたも、もう想像がつくだろう。相手の男は盛っていて、それじゃ収まらなかったわけさ。ベイジに嫌われたくない一心で我慢していたんだろうが、彼氏はとうとう、他の女に走った。

 おかげで親同士が喧嘩になったり、結構大変だったそうだよ。ベイジもそれで家に居づらくなって、街も出たくなった、と言っていた。

 それで父親から、城主様ご夫妻に頼んでもらったのさ。住み込みの女中として働かせてほしい、とね。父親は商人として、何度かツッジャム城に上がった事があった。そのつてを頼ったわけだ」

「な、なんか惜しいと言うか、もったいない気がするなあ。二人とも、もう少し歩み寄れたんじゃない?特に彼氏の方だけでも、もう一踏ん張りしてほしかった。それで充分、結婚できていたと思うよ」

「私も時々、考えたもんだよ。ベイジが城に来てくれたおかげで、私は大いに助かった。しかしベイジ自身は城に来なくても、そして私と出会わなくてもよかったんじゃないか。そんな別の人生もあったんじゃないのか、とね。

 でもまあ、なってしまった事は仕方ないよ。私としては、ベイジに感謝するだけだ」

「やっぱり私も女中さんをなって、そんなふうに言える友達を作りたいなあ」

「何言ってんだい。女中になれば必ずベイジみたいな人に会えるとは限らないんだからね」

 セピイおばさんに、あっさりとかわされてしまった。私としたことが、水の向け方が露骨だったか。

「ちなみに、ヒーナお嬢さんの反応はどうだったの」私は大人しく話を戻した。

「ヒーナ様も困っていたよ。ベイジの場合だったら希望が持てそうと期待して聞いていたら、結局は実らなかったんだ。それじゃあ、そのままお手本にするわけにもいかないだろ。

 ヒーナ様だって、全く結婚したくないわけでもなかったのさ。ゆくゆくは好いた男と暮らしたいと願っていたんだよ」

「そ、そうか。そりゃ、そうよね。

 でもお嬢さんも、ほんと困ったでしょうね。親が勝手に決めた結婚だし、その上、解決策も見つからないのなら。

 あ、もしかしてヒーナお嬢さんは、他のお姉様方にも体験談を聞いたのかしら」

「それは無いね。ヒーナ様は、そんなこと一言も言っていなかったし、ベイジからも、そんな話は聞いた事が無かった。

 まあ、私がヒーナ様の立場でも、姉さんたちには聞けなかっただろうよ。べつに姉さんたちと喧嘩していたわけじゃないが、そこまで腹を割って話をするには、よほど打ち解けていないと。そのためには、姉さんたちとは、歳が離れていた。尊敬はしていたが、打ち解けるのとは、ちょっと違うだろ。しかも男の話を聞くだなんてね」

「やっぱ、だめか」

「あんただって、この村の女たちと男の話をするとしたら、相手を選ぶんじゃないかい?」

「うん。あんまり目上の人だったら、笑われたり、子供扱いされたりしないか、心配になるもの。やっぱり歳が近い方が、気が楽だわ。こっちの悩みとかも、察してくれそうだし」

 答えながら私は、セピイおばさんの異変に気づいた。おばさんが固まっている。薄暗い中でも分かった。私を通り越して、どこか遠いところを見るような目。何秒、そうしていただろうか。セピイおばさんは、ハッと我に返ったように、改めて私を見た。

「プルーデンス。今から、かなり辛い話をするよ。どうか覚悟して聞いておくれ。できれば聞かせたくないが、それじゃ済まないって類いの話だ。

 ヒーナ様はね、一つだけ、姉さんたちの話を知っていたよ。これは確実だ。私やベイジも一緒に聞いたんだからね。姉さんたち、目上の女中たちの中で一番優しかった、ヴィクトルカ姉さんの話だ」

 話し出しておきながら、セピイおばさんは一度、深く息をついた。


「あれは、ヒーナ様がツッジャム城に戻って来られて、何ヶ月か経った頃だ。ヴィクトルカ姉さんが婚約して、ヒーナ様とは逆に、ツッジャムを去ることになった。

 お相手は、モラハルト様が見つけてこられたんだよ。小貴族の青年で、年齢も身分もヴィクトルカ姉さんと同じくらい。何度かお見合いして、二人で夫婦になる気持ちが固まったんだろう。ヴィクトルカ姉さんは、その時点でソレイトナックに対する想いをあきらめたんだ、と私は推測した。

 で、ある日、そのお相手の方がヴィクトルカ姉さんを迎えに、ツッジャム城にやって来た。城主様ご夫妻からお祝いの品々を受け取るために、自分の家とヴィクトルカ姉さんの家の人を二、三人ずつ連れてね。男たちに混じって私ら女中も、その品々を荷車に積むのを手伝ったよ。

 荷車の前には、姉さんが乗って帰る予定の馬車も並んでいた。派手じゃなくて、いかにも姉さんらしい馬車だと思ったが、側面に紋章が掲げられていたよ。姉さんの生家ジルフィネンの紋章を見たのは、その時が初めてだった。

 私も女中になってから客人たちの紋章を幾つも見てきたが、ヴィクトルカ姉さんの生家の紋章は、ちょいと珍しかった。左右半分ずつに分けてあって、片方に竜巻というか、つむじ風のような線の集まり。もう片方の中央には、四弁の花が描かれていた。私としては竜巻の方が珍しく思えたんだが、実は本当に珍しいのは四弁の花の方でね。姉さんの紋章に見入っていた私に気づいて、モラハルト様が居合わせた全員に声を掛けた。

『ほう、セピイは、さっそく気づいたようだな。

 よし、皆も、よく見ておけ。数多ある紋章の中でも、ヴィクトルカを生んだジルフィネン家の紋章は、そうそう見られるものではないぞ。どこが貴重と言って、この花よ。皆も、この花に見覚えは無いか』

 すると、あっと声が上がった。婚約者の従者らしい中年男が、少し震える手で紋章を指差した。

『じょ、城主様。これはもしかして、お、王弟様たちの花ではごさいませんか』

 モラハルト様がニヤリとして、正解だ、と答えた。途端に、どよめきが起こったよ。

 プルーデンス。あんたも王弟様の花を知っているかい?」

「見た事は無いけど、話には聞いているわ。王家の紋章の蛇には宝珠とかが添えられているけど、世継ぎでない弟君たちの紋章では、宝珠がお花に替えてあるって。それが四弁の花だったのね。

 そういえば昨日、王様の甥御さんがツッジャム城を訪れた話もしてくれたよね。その人の紋章にも、その花が入っていたんじゃない?」

「ふふ、覚えていてくれたか。その通りだよ。私は、それを見ていたから、逆に珍しくないものと勘違いしてね。

 モラハルト様は、続けて説明してくださったよ。ジルフィネン家は、かつて王家のお役に立った事があった。その詳しい事情まではモラハルト様もご存知なかったが、王様たちはすごく感心なさったらしい。で、本来なら王族しか紋章に入れてはいけない四弁の花が、ジルフィネン家に下賜された、と。ヴィクトルカ姉さんが自慢話をするような人じゃないから、それまで誰も知らなかったんだ。

 説明を聞いた婚約者はモラハルト様に駆け寄って、ひざまずいて、お礼を言ったよ。

『そんな名家と縁を結んでくださるとは。このご恩は一生忘れません。微力ながら、一族を挙げて、ヌビ家のために働きます』くらいの勢いでね。

 私からは、ヴィクトルカ姉さんの婚約者が、ちょっと頼りないというか、気が弱そうに見えたんだけど、その時はさすがにシャキッとしていたよ。

 とは言え、頼りなく思ったのは、私だけじゃなかった。スネーシカ姉さんだよ。考えてみれば、ヴィクトルカ姉さんとスネーシカ姉さんは必ずと言っていいほど、一緒に居たからね。間違いなく大親友だ。

 だからスネーシカ姉さんとしては、何か言ってやらずには気が済まなかったんだろう。ヴィクトルカ姉さんが馬車に乗って、婚約者もいよいよ馬に乗ろうという時。よりによって、そんな時にスネーシカ姉さんときたら、婚約者を引き止めてしまったんだ。

『花婿さん、ヴィクトルカをお願いします。どうか優しくしてあげて。とにかく、ヴィクトルカを大事にして。

 ヴィクトルカはね、すごくいい人なの。私は商人の娘で、彼女は貴族だけど、一度として見下すような事は無かった。他人とぶつかってばかりの私がここで女中を続けられたのも、彼女のおかげ。ヴィクトルカが居たからなのよ。

 あなたも一緒に暮らし始めたら、ヴィクトルカがどんなに優しい人か、すぐに分かるわ。

 だから、お願い。彼女を幸せにすると約束して。どうか、お願いだから、私に約束して。ヴィクトルカを泣かさない、悲しませないと約束して』

 スネーシカ姉さんは、延々と訴え続けた。あんたも想像がつくだろうが、スネーシカ姉さんは言っている途中で、もう泣いていたよ。

 もちろん、スネーシカ姉さんに悪気は無いさ。それどころか、ヴィクトルカ姉さんのために大真面目だったろう。しかし姉さんのあまりの剣幕に、婚約者は明らかに戸惑っていた。居合わせた全員が困惑していたよ。

 ベイジまで、こっそり肘で私をつついてね。場合によっては、スネーシカ姉さんを引き離そう、と目で伝えてきた。

 気をつけて様子を見ているうちに、スネーシカ姉さんは、どんどん感情が高ぶった。ヴィクトルカ姉さんの婚約者に対する敬語も、いつの間にか無くなったよ。

『ヴィクトルカを泣かしたりしたら、絶対に許さないからねっ。

 ヴィクトルカも覚えていて。私のことをどう思ってもいいから、一つだけ覚えていて。何があろうとも、私はあなたの味方だから。誰が何と言おうと、私は最後まで、あなたに味方するから』

 なんてことまで言い出した。そろそろかと思って、私はベイジと顔を見合わせたよ。

 しかし幸いに、と言おうか、私らの出番は無かった。奥方様が先に動いてくださったんだ。

『スネーシカ。少し言い過ぎですよ。落ち着きなさい』

 泣きじゃくるスネーシカ姉さんの両肩をつかまえて、そおっと後ろに引っぱりなさった。

 婚約者の方も合わせてくれたよ。

『奥方様、どうか、お気づかいなく。僕は今また感謝しております。自分が花嫁として迎える女性がどんなに素晴らしい人か、もう理解しました。こちらのスネーシカさんが証明してくださった。どうか、お礼を言わせてください。スネーシカさんにも、もちろん奥方様と城主様にも、そして今ここに居る皆さんにも』

 これを聞いて、スネーシカ姉さんの泣き声が一層ひどくなった。

 それから婚約者とヴィクトルカ姉さんは去っていったよ。ヴィクトルカ姉さんは馬車の中から、いつまでも手を振っていた。泣きながらね。それを、私らは城門から出て、見送った。城の兵士たちとか、ヴィクトルカ姉さんと馴染みの薄かった者は城壁の上からだったかもね」

「おばさん、ちょっといい?」

 私はつい、口をはさんでしまった。

「ソレイトナックやネマも、ヴィクトルカを見送ったの?」

 私としては何気なく尋ねただけなのに、セピイおばさんは、また固まってしまった。

「そうだ。ソレイトナックとネマ。あの日、あの人たちは居なかった。あんた、よく気がついたわね。私はあんたに言われるまで、今の今まで気づかなかったよ」

 セピイおばさんは本当に驚いていた。目を丸くして、絶句していた。かと思えば、何で自分は気づかなかったのか、見落としていたのか、などと小声でつぶやき出した。

 このままでは困るので、私は話の続きを催促してみる。

「で、その後、スネーシカはどうなったの」

「あ、ああ、ごめんよ。取り乱しちまった。

 スネーシカ姉さんはその後もぐずぐず泣き続けて、奥方様から少し休むように言われていたよ。だから、スネーシカ姉さん以外の全員は、それぞれの持ち場に戻った。

 晴れた日の午後で、日が暮れるまでには、まだ時間があった。私とベイジはしばらく、ヒーナ様のところに戻ったり、厨房を手伝ったり、ちょこまかしていたよ。

 小一時間くらい経った頃か、ベイジが声をかけてきた。『スネーシカ姉さんの様子を見に行ってみない?』

 私も仕事しながら、ずっとスネーシカ姉さんのことを考えていた。それこそ、去っていったヴィクトルカ姉さんをそっちのけで、気になっていたよ。

 だから私は快諾したんだが、それをヒーナ様に聞かれてね。ヒーナ様も、スネーシカ姉さんに事情を聞きたいと言い出した。

 で、三人で城内をうろうろして、スネーシカ姉さんを探したよ。なかなか見つからないと思ったら、姉さんは塔の上に居た。胸壁の陰に隠れるようにして座り込んで、静かに泣いていてね。普段のスネーシカ姉さんとは、真逆の姿だよ。私は驚いて、何と言ったらいいのか分からなかった。

 ベイジもヒーナ様も、すぐには声を掛けられないでいた。でも、黙って人の泣き顔を覗き込んでいる場合じゃないだろ。私たちは意を決して、姉さんに話しかけた。『元気を出してください』って。

 スネーシカ姉さんは、のろのろと顔を上げて私たちを確認した。で、ヒーナ様に気づいて言ったんだ。

『ああ、お嬢様もいらしたのですか。ちょうどいいわ』

 姉さんは無理に微笑もうとして、できないでいたよ。

 その上で、姉さんはヒーナ様に謝罪することがあると言い出した。しかも、私とベイジが下がろうとしたら、私たちも聞くように引き止めてね。それでスネーシカ姉さんがヒーナ様に何を謝罪するのかと思ったら、姉さんはヒーナ様のご両親、城主様ご夫妻の会話を盗み聞きしてしまった事がある、と。城主様ご夫妻がヴィクトルカ姉さんについて話しているのを陰で聞いた事がある、と言うんだよ。

 そのヴィクトルカ姉さんの話がねえ」

 セピイおばさんは言い淀んだ。私から目を逸らして、すごく苦しそうに見える。私の中で、嫌な予感がどんどん膨らんでいく。聞きたくない。だけど。

「ヴィクトルカ姉さんは、男に犯された事があったそうだ。どっかの貴族の若造で、ヴィクトルカ姉さんにしつこく言い寄っていたらしい。で、姉さんも悪い気はしなくて、信用してしまったんだ、と。それで、ある時その男に誘われるままについて行った。そしたら他の男たちが待ち構えていたのさ」

 セピイおばさんは、すぐには話を続けられなかった。息が乱れている。聞いている私も、そうだ。

「男たちはヴィクトルカ姉さんを散々弄んで、なぶりものにした、と」

 セピイおばさんの手が膝の上で震えていた。固く握りしめられて震えていた。それに気づいた私は、思わずその手をつかんでいた。

「ありがとう、プルーデンス。私も同じようにスネーシカ姉さんの手を握ったよ」

 私はセピイおばさんに何も答えられなかった。心臓が早鐘を打つようで、背筋というか体の芯が急速に冷えていくのが分かった。おばさんの手を握るのが、やっと。

「ヴィクトルカ姉さんは、殺されるまではなかったよ。でも事が事だからね。スネーシカ姉さんが言っていた。

『三人とも、ヴィクトルカを大人しくて優しい人と思っていたでしょ。違うの。あの人は、大人しいのではなくて、人を怖がっているの。男はもちろんだけど、女もね。男がヴィクトルカを騙した時、手伝った女が居たらしいのよ。女も同行したから、ヴィクトルカは安心した。でも、その女からも裏切られて。

 初めてヴィクトルカに会った頃、あの人は私にもオドオドしてね。私、馬鹿だから、それにイライラしてキツい態度で接したりした。しかも、それが一度や二度じゃなかった』

 スネーシカ姉さんは、そこまで言うと、塔の床石を殴り始めた。いくら姉さんが勝ち気だからって、女の華奢な拳だよ。見る見る血が滲み出て、その上に姉さんの涙が降りかかった。ヴィクトルカ姉さんが別れ際に、馬車の中から握って、額に当てていた手だよ。ほんの二、三時間前にヴィクトルカ姉さんの涙にも濡れた手だよ。それがさらに、血と涙に濡れたのさ」

「おばさん」

 私は声をかけたものの、言葉が続かなかった。私がセピイおばさんの手の上に乗せた自分の手は、おばさんの涙でとっくに濡れていた。胸が張り裂けそう、とは、まさにこのことだ、と思った。

 セピイおばさんの話は続いた。

「私ら三人はスネーシカ姉さんに飛びついて、床石を殴るのを何とか、やめさせた。

 ヒーナ様も泣きながら息巻いたよ。

『何で、そんな悪党が居るのっ。お父様に言いつけて極刑にしてやるわっ』

 スネーシカ姉さんがそれに答えた。

『ご安心ください、お嬢様。事件は、お嬢様がまだ小さかった頃の話です。モラハルト様は見事、悪党どもを捕まえて処罰してくださったようです。モラハルト様とビッサビア様の会話では、そのように聞こえました。

 しかもお二人はその後、ヴィクトルカをこの城に呼び寄せたのです。そばに置いて、いつでも見守ってやれるように、とのご配慮で。ヴィクトルカも辛い体験をした地元には居たくなかったでしょうから、お嬢様のお父様とお母様のご厚意で、どれほど救われたことか。

 おかげで、私もヴィクトルカと出会えました』

 スネーシカ姉さんの話を聞いて、ヒーナ様も少し落ち着いた。

 それを確認して安心したのか、スネーシカ姉さんは、やっと立ち上がってくれたよ。

 で、私たちと一緒に仕事に戻るかと思いきや、城主様ご夫妻のところに行く、と言い出した。お二人が話していた、ヴィクトルカ姉さんの事情を盗み聞きした事を正直に謝まろう、と。『その方がお嬢様も、後でお父様、お母様にヴィクトルカの話をお尋ねしやすいでしょう』と言ってね。

 今、あんたがこうして私から話を聞いているように、ヒーナ様もご両親から事件の話を聞くべきだ、と姉さんも考えたんだろうよ。そんなところがあるから、私は叱られてばかりでも、スネーシカ姉さんを尊敬していたもんだ。

 結局、私らはスネーシカ姉さんに同行した。ヒーナ様も、だよ。『もしお母様がスネーシカを怒るようなら、私が弁護するから』なんて言ってね。実際、その通りにしてくださった。スネーシカ姉さんの告白を聞いたビッサビア様が口を開きかけただけで、先にしゃべり出したんだ。

 ヒーナ様が一通り言い終わると、今度はベイジまで城主様ご夫妻に発言の許可を求めた。許しを得たベイジの言い分は、こうだったよ。

『スネーシカ姉さんは、そもそも盗み聞きするような人じゃありません。おそらく、お二人のそばを通りかかった時に、ヴィクトルカ姉さんの名前が聞こえたんで、びっくりしてしまったんだと思います』

 スネーシカ姉さんは『それでも言い訳にならない』と頭を下げたが、ビッサビア様は責めなかった。

『ベイジの言う通りでしょう。それより私たちが迂闊でした。人に聞こえるように話していたなんて。

 むしろ聞かれたのが、あなたで良かったわ、スネーシカ。この三人以外にヴィクトルカの話をしたりしていませんね?』

 ビッサビア様が念を押すと、スネーシカ姉さんは即答した。『もちろんです。ヴィクトルカ本人にも言っていません。私が知っている事を、本人に言えませんでした』

 これを聞いて安心なさったのか、ビッサビア様とモラハルト様は深く、ため息をついておられたよ。

 すると、ヒーナ様が話を少しずらした。『それより、お父様。ヴィクトルカを傷つけた悪党どもはどうしたの?』

『もちろん、ただではおかなかったさ』とモラハルト様も即答だった。

『ただ、そなたたちに謝らなければならないのだが。ヴィクトルカと親族には、悪党どもの死体を見せてやる事しかできなかった。わしとした事が、思いのほか手こずってな。生け捕りにできなかったのだ。

 あまりに抵抗する奴らで、わしもつい、カッとなって、あの世行きにしてしもうた』

 これを聞いたヒーナ様は感激して、モラハルト様に抱きついたよ。『さすがお父様っ。お父様を誇りに思うわ』ってね」

「うーん、強姦魔たちをやっつけたのはいいけど、私としては、やっぱりヴィクトルカ本人やご家族に復讐の機会を持たせてあげたかったなあ」と私も言わずにはいられなかった。

「そりゃ、私たちも城主様ご夫妻も、みんな同じことを考えていたよ。ヒーナ様なんか『でも、そいつらを楽に死なせたくなかった』とか言って、モラハルト様をちょっと睨んだくらいだ。

 しかしヒーナ様もそれ以上、不平を言わなかったよ。私もベイジも良しとした。スネーシカ姉さんが涙をこぼして、モラハルト様に感謝していたからね。

 その後は、ビッサビア様からスネーシカ姉さんの拳の手当てをするように言われて、私らは退室した。姉さんの拳には薬が塗られて包帯が巻かれたんだが、姉さんたら、そんなもの無いかのように、いつも通り針仕事なんかをしていたよ。

 私とベイジも仕事に戻った。掃除をしたり、ヒーナ様のお勉強に付き合ったり。ヴィクトルカ姉さんを送り出して、またすぐに普段の生活に戻ったわけだ。

 いや、戻ったつもりになっていただけだね、私たちは。厳密には戻れていなかった。ヴィクトルカ姉さんは去っていって、私たちは知ってしまったんだ。もう、以前の知らなかった自分には戻れない。以前と同じようにヴィクトルカ姉さんを見ることができない。

 この世の中もそうだ。世の中は、ヴィクトルカ姉さんを傷つける前の世の中とは違う。自分が生きて加わっている世の中は、すでに姉さんを傷つけた後の世の中なんだ。

 そういう大事なことに、すぐには気づかなくてねえ。

 その夜、私とベイジはネマに起こされた。まだ真っ暗、と言うか、女中部屋の床に入って、大して時間も経っていなかったろう。昼間見かけなかったネマが、なぜか目の前にいて、私の顔をのぞき込んでいる。言葉を交わすのも久しぶりだった。

 何事かと心配したよ。火事や刃傷沙汰を真っ先に予想してしまってね。でも違っていた。ネマはヒーナ様から頼まれたのさ。私たち二人を呼んできて、と。

 ベイジと私は内心、ネマを珍しく思いながらも、ヒーナ様の寝室へ急いだよ。

 私たちが入るや、ヒーナ様は抱きついてきた。泣いて震えておられた。体に、ヒーナ様の震えが伝わってきたんだ。

 プルーデンス。ヒーナ様が何に怯えていたのか、分かるかい」

 私は答えられなかった。お嬢様が怯え出したのが、あまりにも唐突に思えたのだ。しかし唐突でも何でもなかった。

「ヒーナ様は言ったんだ『ヴィクトルカのことを考えていたら、怖くなった』と。ガタガタ震えながらね。だから私たちに添い寝してほしい、せめて手を握っていてほしい、と。

 私たちは、言われた通りにしてあげたよ。私とベイジが、ヒーナ様を挟むように並んで寝た。時々抱きしめて、頭を撫でてあげたりもしたよ。三人とも、なかなか寝付けない夜だったねえ。私も何だか、ヴィクトルカ姉さんの悲鳴が聞こえるようで、怖くて泣けてきた。暗くてよく見えなかったが、多分、ベイジも泣いていたと思うよ」

 セピイおばさんは話し疲れたのか、そこで話を区切った。私は何か言わなければと思ったけど、なかなか言葉が出なかった。

「ヒ、ヒーナお嬢様は昼間、城主様であるお父さんの前では威勢が良かったんじゃなかった?それが夜になって怯え出すなんて」

「たしかに、ヒーナ様は『人でなしどもを八つ裂きにしてやりたい』とか散々息巻いていたよ。それが、まったく逆になった。まあ、お父様とお母様の前だから、強がりを言えたのか。昼間の明るいうちは良かったが、夜の暗さが災いしたのか」

 セピイおばさんは、閉じた窓の方を見た。雨足が、いつの間にか強くなっている気がした。

「ヒーナ様が変わった理由はね、次の日に分かったよ。

 プルーデンス、続きを聞いてくれるかい?」

 えっ、と私は思わず声が出てしまった。セピイおばさんの方から、そんなことを尋ねてくるなんて。

「き、聞くつもりだけど、おばさんはどう?話し疲れたんじゃない?」

「私は、いいんだよ。むしろ話してしまいたい気分なんだ、ヒーナ様の話を」

 気のせいか、セピイおばさんが少し苦しそうに見える。私は緊張してきた。ヴィクトルカの話より辛い内容なのでは。でも、おばさんは聞いてほしいと言っているし。私は改めて背筋を伸ばした。

「聞かせて、おばさん。私に話して、楽になって」

 ちょっと生意気な答え方になってしまった。でも私だって、少しはセピイおばさんの役に立ちたいんだ。

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