第十九話 区切りの三日月
その後も、私はセピイおばさんに話をせがんだ。もちろん、しつこくではなく、おばさんの顔色をしっかり確認した上で。最低でも五日以上は間を空ける。
父さんも母さんも、弟も近くに居ない、畑仕事や家の中でセピイおばさんと私だけの時を見計らって、小声で言ってみるのだ。「そういえば最近は、どう。私に話しておく事を思い出したりしない?」とか。
するとセピイおばさんの返しは、大抵こんな感じだ。「さあねえ。思い出すような、出さないような。つまり大したことないんだろう」
そこで私は食い下がる。「そんなこと言わないで、聞かせるだけ聞かせてよ。大事なことかもしれないじゃない。大したことないかどうかは、私も判断したいわ」と。
オペイクスの話を聞く際に、オーカーに腐されたシルヴィアが返した言い回し。あれを応用したのである。おばさんから聞いた話をちゃんと覚えていますよ、という気持ちもこれで伝わる。実際、セピイおばさんは苦笑した。
でも、私を適当にあしらうだけで、やはり、おばさんの講義は再開しない。私も、食い下がるのは一回だけに留めておいた。しつこさは厳禁なのだ。静かに粘り強く。時間がかかるのは仕方ない。
冬が終わり、春になってセピイおばさんは帰ってきたのだ。そして今、少しずつ暑い日が増えている。
近頃は、夜に離れの方を確認することが習慣になった。計五軒の離れのうち、一軒でも明かりが漏れているところはないか。寝る前に、遠目でも様子見するのである。時には、忍び足で近づいてみることもあった。しかし、セピイおばさんのいびきが漏れ聞こえるだけだった。
そんな、ある夜。セピイおばさんは一度だけ講義を再開してくれた。雲が少なくて、三日月が煌々と輝く、セレン人が喜びそうな夜。
セピイおばさんは五軒の離れのうち、我が家から一番遠い、端っこの離れに居た。その離れの戸の前に椅子を出して、座って月明かりを浴びていた。
私が近づいていくと、セピイおばさんは言った。「他の離れから椅子を持ってきな」
私は急いで、その通りにした。
セピイおばさんは続けて言う。
「負けたよ。この耄碌した頭をしぼって、三つだけ話そう。はじめの二つは、私の情けない失敗談。男に関する事だよ。最後の一つは、あのグローツ王に関する、おっかない話。当然、誰にも聞かれてはならない」
私は、しっかりうなずいて、小声で「お願いします」と頼んだ。
セピイおばさんの男に関する失敗談。一人めは、メレディーン城の兵士で、名をヒレンクルトという。なんと、セピイおばさんより四つか五つ年下だったとか。何だかなあ、と思っていたら、セピイおばさんは認めた「正直、男に飢えていた」と。ソレイトナックを諦めようと決意した当時、セピイおばさんも辛かったのだ。自分に好意を持ってくれる男がそばに居ない淋しさ。早く誰かをつかまえなければ、という焦り。シルヴィアなど親しい同僚にも話さなかったが、セピイおばさんは内心、苦しんでいた。
だから、近づいていったのは、セピイおばさんの方から。ノコの葬儀が済んで何ヶ月後か、おばさんも、もう覚えていなかったけど。祭りの時だった事は確かだ、と。
祭り。ツッジャムの城下町で祭りがあったように、メレディーンの城下町でも、やはり祭りがあった。若き党首、兼城主であるジャッカルゴが、景気づけの意味で企画したのである。
何しろヨランドラ全体が流行り病という暗い影に覆われていた時期だ。セピイおばさんのお父さん、つまり私たちのひいお爺ちゃんをはじめ、ノコなど、多くの人が亡くなった。
加えてジャッカルゴの耳には、密偵たちにより、嫌な情報が入っていた。都、アガスプス宮殿で密かに囁かれていた噂。「アンディン・ヌビが移住して来てから、不幸事が増えた」
おばさんからこの言葉を聞いた瞬間、私も予想がついた。さてはシャンジャビ家とかが陰で言いふらしているんだろう、と。
当然ジャッカルゴもそれくらいは推測するわけで、すかさず父アンディンに使者を送り、状況を確認した。すると前党首アンディンは、息子ジャッカルゴに自重を促す返事をした。(今は下手に動かない方が良い)ヌビ家を貶めようとするシャンジャビ家などの動きを、グローツ王が黙認している可能性を案じたのである。
そんな父の忠告を理解したジャッカルゴではあったが。言われっぱなしで何もしないのは面白くない、と思ったのだろう。それで、祭りで景気づけようと考えたわけだ。なるほど、萎れた様子を見せては、シャンジャビ家などを喜ばせるだけだ、と私も思う。
祭りのそんな事情を、城女中であったセピイおばさんも多少は聞いていたのだが。若き日のおばさんは、それでも相手を探さずにはいられなかった。
祭りで、メレディーン城の若い兵士たちも交代で城下町に繰り出す。他の兵士たちが町娘に声をかけて上手いこと成功する中、ヒレンクルトだけはなかなか成果を得られなかった。町娘たちから一向に相手にされず、いつしか仲間たちからもあぶれていた。そこへ、若き日のセピイおばさんは近づいて、声をかけたのだ。城詰めの者たちに気づかれないように、仮面で顔を隠した上で。
一緒に祭り見物を楽しみ、呑み屋に彼を誘って、おしゃべり。話しているうちに、どうやらヒレンクルトには女と寝た経験が無い事が分かった。その事で同僚たちから笑われ、劣等感に苛まれていた。カーキフと同じ悩みである。で、セピイおばさんは言ってしまうのだ。「私が練習台になってあげる」と。
「セピイおばさん。この話、ベイジにはしてないよね」と私が確認すると
「もちろんだよ。私だって、ベイジから絶交されたくない」とセピイおばさんは即答した。視線を、夜空ではなく、すぐ手前の地面に落として。
ともかく若き日のセピイおばさんは、ヒレンクルトという年下男をつかまえたのだ。はじめは恥ずかしがっていたヒレンクルトも、結局は男である。練習は一度では済まなかった。がっつかないように気をつけてはいたようだけど。
「あえて意地悪な言い方をすれば、私が付き合った男たちの中で一番楽な相手だったね」とセピイおばさんは語る。
なぜならヒレンクルトが、おばさんから嫌われまいと必死になったからだ。自分の抱き方でセピイおばさんが痛がったりしないか。妊娠したりしないか。ヒレンクルトは何かにつけて、セピイおばさんを気づかったらしい。
「私に対して、あんまり遠慮するもんだから、よく言ってあげたよ。『今日は、あなたがしたいようにしていいよ』って。そしたら、恐る恐る近づいて、私にしがみついてきてね。私に抱きついて、首筋や胸元に顔をうずめるんだ。私の腕の中で、長いこと震えて。かわいい子だった」
「で、いい子いい子してあげた、と」
「そう」
「でも、その分、頼りなかったんじゃない?」
「ああ、自分でも薄々は分かっていたよ。子供扱いは良くない。そんな事している場合じゃない、と。実際、シルヴィアさんが口をはさもうかと思案顔になっていたよ」
自覚しながらも、だらだらと関係を続けたのは、それだけセピイおばさんも淋しかった、人恋しかった、ということか。淋しさとは、なかなかの毒だな、と私も改めて認識する。
若き日のセピイおばさんとヒレンクルトの関係は、こうして一年ほど続いた。心配したほど周りから冷やかされずに済んだのは、アズールとスカーレット夫妻のおかげである。ヒレンクルトが騎士アズールの従者を務めていて、事情を知った夫妻が応援してくれたのだ。
この騎士夫婦は、セピイおばさんたちが城下町で逢い引きできるよう、何かと外出の口実を作ってやった。スカーレットが買い物などにセピイおばさんを誘い、アズールがヒレンクルトに用事を言いつけて出かけさせる、などなど。
そこまでしてもらったセピイおばさんだが。『私は、あくまでも練習台なんだから。もっと歳の近い娘をつかまえなさい』とヒレンクルトに何回か言ったそうだ。練習を繰り返しながら。
しかしヒレンクルトは従わなかった。『セピイさんじゃなきゃ嫌だ。セピイさんを他の男に取られたくない』と。
実際、ヒレンクルトは一度だけ、城下町に住む両親にセピイおばさんを紹介した。が、結果は芳しくなかった。息子より年上のお嫁さん候補を、ヒレンクルトの両親は終始、苦い顔でもてなしたのだから。
そんな二人の関係に終止符を打ったのは、戦だ。またしても賊が暴れ出したのである。この時は、ヨランドラ南西部、セレニアとの国境付近。前回と違って、王子が三人も出陣するほどでも、幾つもの貴族家から兵を募るほどでもなかった。
後年、伝わってきた噂によると、宮殿でグローツ王の取り巻きを形成していたレザビ家やシャンジャビ家の者たちは、名乗り出るべきか様子見に終始していたらしい。そんな彼らの煮え切らない態度を叱りもせず、グローツ王は言うのだ。『案ずるには及ばぬ。いずれヌビ殿が駆けつけてくれる』と。
ヌビ家の党首ジャッカルゴは、グローツ王のそんな計算を知ってか知らずか、計算通りに名乗りを上げた。貴重な活躍の場、ヌビ家を貶めようとする連中を黙らせる絶好の機会だからである。
そしてヒレンクルトは、この戦に従軍した。上役アズールの従者として。アズールやジャッカルゴとしては、セピイおばさんとの交際を理解した上で、彼に実績を積ませ、手柄を立てさせようと配慮したわけである。ヒレンクルトの方でも『ゆくゆくはセピイさんを養っていくため』と意気込んでいたらしい。
しかしヒレンクルトは、そのまま戻って来なかった。
「はじめ、私はヒレンクルトが戦死したと聞かされたよ。生還したアズールさんが私に謝ってくれたんだ。
私は、しばらく泣き暮らしたね。よく塔や城壁に登って、だらだら涙を流していた。
すると兵士の一人が、私に言い寄ってきたよ。ニーゴリといって、ヒレンクルトと同じく、アズールさんの従者だったんだが。そのくせヒレンクルトをいじめるというか、以前は童貞として馬鹿にしていた。たしか、私と同い年だ。
城壁の上で、このニーゴリが抱きついてきたんだよ。私は必死で振り解いて、マルフトさんからもらったナイフを突きつけた。
そしたらニーゴリは悔しまぎれなのか、言うのさ。『ヒレンクルトの野郎は、本当は死んでねえんだぞ。戦地で負傷して、現地の娘に手当てしてもらっているうちに、その娘と、わりない仲になりやがってな』と。しかも、その娘に月のものが来なくなって、娘の両親からヒレンクルトは散々に責められた。そして責任を取る形で、娘の家に婿入りして、現地に残ったとさ。
ニーゴリはアズールさんから殴り飛ばされて、メレディーン城から追い出されたよ。私にした事もさることながら、ヒレンクルトの事情を秘密にしておこう、というアズールさんたちの方針に逆らったんだからね。そんな調子じゃ、戦闘での大事な機密も漏らしてしまうだろう、と。
私は、嘘をついていたアズールさんやジャッカルゴ様たちに、改めて感謝したよ。そして思った。嘘の方が良かった、ヒレンクルトが戦死したと思い込んでいた方が良かった、とね」
このセピイおばさんの失恋を見て、奥方ヘミーチカが心配してくれた。それが、もう一つの失敗談につながるのだから、何だか皮肉に思える。
へミーチカは自分の生家リブリューに、その党首を務める実弟に打診した。城女中セピイに相応しい男はいないか、と。
リブリュー家党首は騎士の一人を推薦した。イクスカーナインという少々変わった名前の、小貴族出身の青年である。
奥方へミーチカは早速、このイクスカーナインをメレディーン城に呼び寄せ、若き日のセピイおばさんのためにお見合いの場を設けた。
イクスカーナインは、そつがない男だったようだ。話し上手で、万事、相手の女を飽きさせない。はじめの印象は、あのオーカーを少し筋肉質にしたような感じだった、とセピイおばさんは言う。歳の頃も、オーカーやアズールと同じくらい。しかも、セピイおばさんが田舎の平民の出である事を正直に告白しても『それに何か問題があるのかな』と、屈託のない笑顔を見せてくれた、とか。
若き日のセピイおばさんは、たちまち、この男に夢中になった。陽気で、終始、女を楽しませる気づかいができ、しかも騎士である。セピイおばさんが付き合った男たちの中で一番、身分が高い。
順調に行けば、騎士の奥さんになれるかも。こういう展開を狙って、セピイおばさんは城女中になったと言っても過言ではないのだ。セピイおばさんに倣って城女中に憧れる私としては「ほら、だから私も諦めたくないのよ」と言わずにはいられなかった。
しかしセピイおばさんは言うのだ。「まあ待ちな。話は最後まで、よく聞いて」と。
奥方へミーチカからの後押しという強力な好条件に恵まれながらも、全く反対されなかったわけでもない。アズールである。セピイおばさんから見ると、イクスカーナインはオーカーを少し真面目にしたような、と思われたのだが。この見立てを、アズールは顔をしかめて否定した。『全然違う。あいつの方が、よっぽど責任感がある』と。そしてセピイおばさんに忠告するのだ。『あいつは、やめとけ。絶対、断った方がいい』
とは言え、アズールも反対する根拠を明確に示すことまではできなかった。あくまでも勘。これまでの自分の恋愛遍歴や、オーカーなど男友達を思い出しながら、言うのである。『何となく嫌な予感がする。怪しい』アズール本人も偏見である事は認めていたのだが。
「反対されたら、かえってイクスカーナインに対する期待が強まったりして」と私は突っ込んでみる。
すると、おばさんの答えは、こうだ。
「たしかに、そういう気持ちもあったね。そもそもヘミーチカ様の生家リブリューが推薦してくれたんだ。あまり悪くは言えないという遠慮、そしてお墨付きを得ているという安心感があった」
だから若き日のセピイおばさんに、縁談を断ろうという考えは無かった。それでイクスカーナインの方も、ちょくちょくメレディーン城を訪れたのだが。
ある時、この色男の騎士はセピイおばさんに提案した。『これからは、城下町で落ち合わないか』と。メレディーン城に上がって、セピイおばさんに会おうとすると、必ずアズールに絡まれるので、閉口したのである。
一応、アズールとしては、遠回しの冷やかしなど、冗談混じりのさりげない絡み方のつもりだったようだが。それでも主君ジャッカルゴやオペイクスたちから必ずたしなめられた。どういう理由にせよ、客人に対して失礼である事には変わりないのだ。
もちろんアズールも、さすがに党首に逆らうつもりはない。しかし『くれぐれも、あいつには油断なさいますな』と付け加えずにはいられなかったようだ。
では、どうやって、この他家の騎士とセピイおばさんは城下町で逢い引きするのか。そこは男の方が、ちゃんと手を打っていた。奥方ヘミーチカが生家リブリューから連れてきた女中の一人、テマニーク。彼女に協力をあおいだのである。
ヒレンクルトの時はアズール夫妻が応援してくれたが、この時は、このテマニークがイクスカーナインとセピイおばさんの手紙を取り次いだわけである。かつ、セピイおばさんが城下町に出るための口実も、テマニークが適当につくる。市場への買い出しだとか、何軒か在る教会堂へのお使いだとか。これならアズール夫妻どころか、他の城詰めの者たち、奥方ヘミーチカにさえも気づかれずに逢い引きすることもできた。
「で、彼に求められて、真っ昼間から一緒に宿屋にしけこんだよ」
うーん、と私が唸ると、セピイおばさんは続けた。
「そりゃ私も、少しは不安になったさ。体目当てじゃないかって。それで『奥方様に隠し事するのは良くないから』とか、やんわり躱そうとしてみたんだ。
そしたらイクスカーナインは、いろいろ言ったよ。『もちろん、へミーチカ様やリブリューのご党首様には、いずれ僕たちの事を報告するさ。その順が少し入れ替わるだけじゃないか』とか。『まだ僕を信じてくれないのかい。僕はもう、君以外の女性を探したくないのに』とか。『君には早く自覚をもってほしいんだよ。騎士の妻としての、僕の妻としての自覚を、ね』とも。で、結論として『君が欲しくてたまらない』って言うのさ」
「で、その勢いに流されちゃった、と」
「そう。私は私で、あれこれ心配したよ。彼を拒みすぎたら、彼が他の女に走って、私は騎士の奥さんになり損なうんじゃないか。あるいは、破談になったら、奔走してくださったへミーチカ様に申し訳ない、ってね」
私はもう一度、唸りそうになったが、呑み込んだ。おばさんを責めても仕方がない。それより聞けることを聞こう。
「それで、そのイクス何とかは、少しは優しくしてくれたの?」
「イクスカーナイン。って、今では、どうでもいい名前だが。
まあ、優しくなかったのでも、乱暴ってほどでもなかったよ。ただ、騎士らしいと言うか、軍人らしいと言うか。私にのしかかるやり方が、何だか力任せのような気もしてね。ニッジ・リオールほど、しつこくはないんだが。やっぱり受け止める方は疲れたよ。
事が終わった後も、一応は気づかう言葉をかけてくれたけど。ソレイトナックだったら、もっと気づかってくれるのになあ。いや、騎士の奥さんになるためなんだから、我慢々々。なんて心ん中で、自分に言い聞かせていた」
「何だか、その前の、ヒレンクルトの時と真逆のような気がする」
「真逆は言い過ぎだよ。一応、気づかいはあったんだから」
一度は、そう言ったセピイおばさんだったが、私と改めて目を合わせると、そらして首を横に振った。
「なんて、かばってやる場合じゃないか。足元を見られて、相手の顔色をうかがっていただけだからね。認めるよ。私が甘かった」
セピイおばさんの記憶によると、この騎士との逢い引きは、六回か七回くらいという。使った宿屋には、かつてヒレンクルトと一緒に入ったところもあって、そこのおやじが余計なことを言わないか、ヒヤヒヤするような場面もあった、とか。
そんな中、若き日のセピイおばさんはイクスカーナインに言った。『そろそろ田舎の親族に手紙で、あなたとの交際を報告しようと思う』と。対してイクスカーナインは『そうだね』と答えた。表情も変えずに。
しかし、その逢い引きを最後に、彼からの手紙は全く来なくなった。
当然、おばさんはテマニークに何度も尋ねたのだ。イクスカーナインから手紙が届いていないか、何か伝言を預かっていないか、と。そのいずれにも、テマニークは否と答えた。はじめは、いかにも済まなそうな顔で丁寧に。それが回を重ねるごとに次第に雑になって。終いには『同じこと、何回も言わせないで』と来た。それどころか『あなたが彼に、何か嫌な思いでもさせたんじゃないの』と問い返したほど。
若き日のセピイおばさんは途方に暮れた。
反対に、奥方のヘミーチカは、セピイおばさんとイクスカーナインの交際が順調に進み、健全に手紙のやり取りをしているものと思い込んでいた。そしてセピイおばさんのために、久しぶりにイクスカーナインをメレディーン城に呼び寄せようかと考えた矢先。リブリュー家の党首を務める弟が、使者を寄越してきた。
弟からの伝言は、次のような内容だった。『急きょイクスカーナインを、リブリュー家領の小貴族の娘と結婚させることにした。したがって、ヌビ家メレディーン城の女中セピイとの縁談は取り下げる』と。
この一方的な報告に、ヘミーチカは仰天。生家からの使者を問いただした。しかし、あまり効果は無かった。使者は下っ端の役人だったのか、党首やイクスカーナイン本人から詳しい事情を聞かされていなかったのである。
続けてヘミーチカは手紙を送って、弟を責めたのだが。リブリュー家党首である弟は居直った。『歴とした貴族の一員であるイクスカーナインの嫁に、田舎の農家の娘など、やはり相応しくない』との主張を繰り返して。
優しくて生真面目なへミーチカは、この件でセピイおばさんに謝ってくれるのだった。
「奥方様は、まるで自分が悪い事をしたみたいに凹んでおられてね。私は言ったよ。『どうか気になさらないでください。彼に相応しくない私が悪いのです』と。
それで頭を下げて書斎から退出したら、シルヴィアさんが待ち構えていた。私を物陰に引っぱっていって、言うんだ。『あんた、もしかして、あの男と寝たんじゃないの』と。その一言で、私は泣き出してしまったよ。それで泣きじゃくりながら、これまでの事を洗いざらい話した。
シルヴィアさんは言ったね。『奥方様に話すべきだ』と。『あんたが話さなければ、私が勝手に話す』とまで言ってくれてね。私は改めて、へミーチカ様に謝罪したよ。内緒で、城下町でイクスカーナインと逢い引きしていた事。それをいつまでも報告しなかった事を」
セピイおばさんの告白に、へミーチカは叱るべきか迷ったようだ。しかし結局は、セピイおばさんを叱らなかった。シルヴィアがかばって、止めてくれたのである。『セピイは相手の男に嫌われないように必死だったのでしょう』と。
「以上、これが私の、もう一つの失敗談さ。恥ずかしい限りだが、せめて、あんたの教訓にしておくれ。あんたは、私みたいに間違えるんじゃないよ」
「間違い、なのかなあ」私としては、セピイおばさんが自分自身を否定しているようで悲しいのだが。
おばさんは、すかさず言い切った。「ああ、明らかに間違いだよ」と。そして夜空に向かって並んで座っている私に、しっかりと体を向けた。
「自分を安売りしたり、嫌われるのを恐れて言いなりになったり、するべきじゃないのさ。正直に自分の気持ちを伝えてみて、それで離れていくような男なら、もう追うべきじゃない。その程度の男ってことだよ。
それと、自分の家族に敬意を払って、尊重してくれないような男は、そういうところの方が本性ってこと。普段はどんなに優しくしてくれても、ね。
お願いだから、間違えないでおくれよ、プルーデンス。わたしゃ今夜だけでなく、事あるごとに、あんたに言うからね。それこそ、今際の際までだ」
そこまで念を押されたら、こちらも肝に銘じないわけにはいかない。「分かりました」と答えるしかなかった。
「ちなみに、この二つめの失敗には、なかなか厄介なおまけがついたよ」とセピイおばさんは続ける。
まずは、おばさんとイクスカーナインの連絡を取り次いだ、テマニーク。奥方へミーチカは彼女を、リブリュー家領内にある実家に帰した。セピイおばさんとしては、彼女の態度の変化を恨まないでもなかったが、奥方の処置が厳しすぎるようで心配したらしい。しかしへミーチカは処置を緩めなかった。長年、信頼していたからこそ、期待してメレディーンまで連れてきたのに、裏切られた、と思ったのである。
「後でシルヴィアさんから言われたよ。『案外テマニークは、昔イクスカーナインと付き合っていた事があるんじゃないか』って。『さらに言えば、あんたとあの男の手紙を取り次ぎながら、あの男と寄りを戻したのかもしれない』とね。言われてみれば、テマニークは、やたら気を利かせてくれる人だと思ったよ。ただ単にイクスカーナインのかつての同僚だっただけ、にしては。
その上で、シルヴィアさんは私に謝るんだ。もっと早く気づいて、私を止めるべきだった、とね。アズールさんとスカーレットさんから『だから言ったじゃないか』って責められたらしい。そもそも迂闊だった私が悪いのに」
とにかくテマニークは追い出された。しかし奥方へミーチカは、それだけでは収まらなかった。リブリュー家から連れてきた他の女中も、次々に帰したのである。リブリュー家領出身の者たちがそばに居ると、何かと頼ってしまう。それでは、自分はいつまでもヌビ家の人間になりきれない。そう案じてのことだった。
これに驚いたシルヴィアは、女中頭のカディッケンスだけでも残ってもらうべきだと主張。へミーチカの夫、ジャッカルゴも、妻に心細い思いをさせたくないと、シルヴィアの意見に賛成した。
これで、ようやく奥方へミーチカの気も済んだと思われた。しかし、一つだけ長引いた。問題のイクスカーナインを問い詰めようともしない、生家の弟。姉弟の間に根強いしこりが残ったのである。
へミーチカは、途端に里帰りを渋るようになった。それでも夫ジャッカルゴが気づかい、根気よく説得して、ごくたまにでも、妻へミーチカを生家に連れていった。
しかし、行けば行ったで、義弟であるリブリュー家党首は上辺だけのもてなしに終始する。ジャッカルゴは妻と義弟の間で板挟みになるわけだが、その気まずさに耐え続けた。おかげでへミーチカの里帰りは一度だけじゃなく、回を重ねることができた。
「まったく、申し訳ないことだよ。私のせいで、ご夫妻に、すっかり嫌な思いをさせてしまった。でもお二人は、その事で私を責めないんだ。一度もね」
セピイおばさんは、そこまで言うと、しばらく夜空の星や月を黙って見つめていた。
「では最後に、グローツ王の話で締めるか」
セピイおばさんは、椅子の上で背筋を伸ばして、話を再開した。
「私がイクスカーナインから捨てられて、奥方ヘミーチカ様と、ご実弟のリブリュー家党首がもめ始めた頃。もう一つ、とても重大な事態が発生したよ。グローツ王のすぐ下の弟君、ラング殿下がお亡くなりになった」
「ええーっ」思わず、私は声を大きくしてしまった。
「まったく急な話だろ。ジャッカルゴ様は急ぎ、アガスプス宮殿に上がって、葬儀に参列しようとした。しかし断られたよ。ヌビ家だけじゃない。シャンジャビ家とか他の弔問も控えさせて、王族のみで葬儀を済ませる予定だ、と。そうすることで経費を抑える。国民に負担を掛けない。それが、心優しいラング殿下の遺言だってことでね。
それでも、親交のあったジャノメイ様やオーデイショー様のご子息二人は都入りして、離れたところからでも葬列に手を合わせたそうだ。おかげで、党首ジャッカルゴ様の代理が果たされたよ。
まあ、その時は、それで済んだんだが」
セピイおばさんは話を中断して、大きなため息をはさんだ。何とも重たげに聞こえる。
「年月が過ぎて、赤ちゃんだったナタナエル様が、ようやく十歳になってからだ。いよいよ、オペイクス様がロミルチ城に転属することになった。
見送りに、こちらツッジャムからベイジの一家も駆けつけたよ。私らは、イリーデの一家も加わって、昔話に花を咲かせた。
そして、いつしか話題がジャノメイ様に移った。実は、その前の年に奥方のアン様が病気で亡くなっていてね。伝え聞いたジャノメイ様の様子は、そりゃあ可哀想だったよ。ほとんど気も狂わんばかりに泣きじゃくって、アン様のご両親に縋りついて訴えるんだ。『僕を殺してください。アンを長生きさせてやれなかった僕を殺してください』とね。当時はヨランドラで知らない者は居ないと言われたくらい、有名な話だよ。
この、あまりの事態に、急きょ兄君のジャッカルゴ様がツッジャムに駆けつけた。弟君ジャノメイ様の横っ面を叩かなきゃならなかったんだ。
ああ、アン様の葬儀には、私も参列させてもらったよ。
でね。そうやってジャノメイ様とアン様の話をしているうちに、だ。ジャノメイ様つながりで、ラング殿下に話が及んだ。思い出話をしているベイジの家族とイリーデの家族から少し離れた位置で、ジャッカルゴ様がポツリとつぶやくんだ。『アン殿も、だが、ラング殿下も残念だったな』と。見送られるオペイクス様も『まったくです』とうなずいて。
私と目が合ったお二人は、私に小声で教えてくださったよ。『ラング殿下は、どうやら実兄であるグローツ王陛下に毒を盛られたらしい』とね」
今度は私も叫ぶどころか、息を呑んだ。
「ジャッカルゴ様がおっしゃるには、ラング殿下は亡くなる直前に密偵たちを走らせていたんだ。どこへかと言うと、生前親しかったジャノメイ様や、オーデイショー様のご子息二人のところさ。で、密偵たちが届けたラング殿下の手紙に書かれていたらしい。
らしい、と私が言うのは、手紙を読んだジャノメイ様たちが、すぐに手紙を燃やして残っていないからだよ。分かるだろ。ラング殿下が文末に、そうするよう書き加えておられたんだ。兄で、犯人でもあるグローツ王の目に触れさせないためにね」
私は絶句して、セピイおばさんの横顔に見入った。
「もちろんジャッカルゴ様は、私に口止めなさったよ。しかし『近い将来に女中頭を務める者として、頭に入れておいてほしい』とおっしゃるんだ。
その上で、ジャッカルゴ様はご自分で見立てまで話してくださった。ご自分のお祖父様、つまりアンディン様のお舅様。グローツ王より前にヨランドラ国王を務めていた、アダム陛下。そして、あの人、ビッサビアの弟で、かつてのマーチリンド家党首も」
「まさかっ」私は思わず口をはさんだ。
「そう。そのまさかを、ジャッカルゴ様は考えたんだよ。おそらくラング殿下と同じように殺された。グローツ王が密偵たちを放って、毒などを使わせたんだろう、と。
どちらが先か分からないが、ちょうど国中に病が流行っていたから、周囲の者たちは誤解した。それも、グローツ王の計算のうちだったんだろう、とね。
さらに言えば、あの頃、急死した都の要人の何人かも、同じ手口でやられたのかもしれない。そう、ジャッカルゴ様もオペイクス様も推測しておられた」
そこまで話してから、セピイおばさんは、ため息をはさんだ。そして言った。
「だから私は、やっぱり、あんたが城女中になるというのは反対だねえ。城詰めになれば、それだけ貴族に近づく事になる。そして、いつ何時、貴族たちの軋轢に巻き込まれるかもしれない。
このセピイが親戚であるって事だけでも、もうすでに気をつけるべきなんだよ」
私は絶句して、返す言葉も無かった。唸る事も、「でも」とか、ぐずぐず口答えする事もできなかった。
「というわけで」とセピイおばさんは月明かりの下で、苦笑いを見せた。
「何とか、しぼり出しても、これくらいだね。
まあ、また思い出したら、あんたに話すよ。後は、もう、そんなにドギツい話は残っていないはずだから、安心しな」
そして椅子から立ち上がって、私にも部屋に戻るように促した。
実際、セピイおばさんは、その後も私に話を聞かせてくれた。何ヶ月かに一度とか、ごくたまに。しかも手短に、だが。
ヒレンクルトが出征した戦で、実は熟練の騎士ロンギノが戦死していた事とか。
妻アンを失って、すっかり意気消沈したジャノメイが、ロミルチ城の従兄弟、オーデイショーの下の息子に頼んで、ツッジャム城の城主になってもらった事も。ジャノメイ自身は騎士の一人として治政に協力したが、普段は郊外に隠居したそうだ。
そして、かつてのヌビ家党首、アンディンの死。葬儀を取り仕切りために、ジャッカルゴの一家が都に上り、それをセピイおばさんとシルヴィアは見送った。
その後で、おばさんはシルヴィアに告白したのだ。ノコに言われて、密かにシルヴィアを見張っていた事を。シルヴィアは苦笑した。『さすがノコさんね。オーカー以外には気づかれていないと思っていたのに」
セピイおばさんは、その時ちょっと失敗したと言う。シルヴィアに尋ねてしまったのだ。アンディンではなく、キオッフィーヌが先に死んでいたら、アンディンに会いに行ったか、と。途端にシルヴィアは、涙をぼろぼろこぼした。『ええ、文字通り、飛んで行くわ。って、もう、できないけどね』シルヴィアは泣きながら、舌を出してみせた。
私は今日も、マルフトさんのお墓の前に座る。そして考える。
私はセピイおばさんは話を通して、いろんな人を知った気になっている。しかし、向こうは私のことを知らない。ちょっと悔しいような、残念な気もするが、贅沢は言っていられない。私は彼らから教わったのだから。感謝しなくちゃ。
これから先、私も大人になる。その過程で出会う人々は、話の中の登場人物ではなく、実在する人間だ。その出会いを期待したいような、ちょっと恐いような。
でも、それを言うと、セピイおばさんに叱られた。
「こら。私に散々恥ずかしい話をさせといて、結論がそれかい?そんなの、認めないからね。しっかりするんだよ」
そう言って、セピイおばさんは私のお尻を叩いた。
(了)




