第十八話 お邪魔虫の居場所
次の日、私は畑仕事もそこそこに、マルフトさんのお墓の前で座り込んだ。もう両親や友達から、どう思われたっていい。断固として座り込む。もちろん、セピイおばさんに対しての意思表示だ。
しかも天気はいい。長話には最適だ。
「やれ、夜まで待てないってわけかい」
セピイおばさんの声が頭上から降ってきた。私は、うなずく。ちょっと、ふくれっ面になっているかも、と自覚はあるが、直せない。
セピイおばさんも私の隣りに座って、マルフトさんのお墓に向かって手を合わせた。
「では、いつの間にか、この村に戻っていたところから、話を続けるよ」
「待って、おばさん。その前に質問させて」
「何だい」
「おばさんは二人を、ソレイトナックとネマを恨まないの?もしかして許しているの?」
セピイおばさんは首を横に振った。
「恨むも許すもないよ。よく考えてごらん。二人の方が、つきあいが長いんだ。それこそツッジャム城で苦楽を共にしていた、と言っていいだろう。私は、そんな二人の間に後から割り込んでしまっただけ。お邪魔虫は私だよ」
「で、でも、だったらソレイトナックは、何でセピイおばさんを口説いたのよ?それじゃあ結局、あのニッジ・リオールと同じじゃない」
私も言いたくなかったのだが、言わせてもらった。一番気になったところだから。
セピイおばさんは答えた。
「これは、甘ちゃんの希望的観測なんだけどね。
彼なりに、私に本気になってくれたんだろうと思うんだよ。私だけじゃなく、彼も本気になってくれた。そして、それをネマは黙って見てくれていたんだろう。
しかし、そこにモラハルトの陰謀が迫ってきて。気づいたネマは、ソレイトナックに知らせた。羊皮紙の切れ端に書いたのか、どんな手を使ったのかは分からないけど、とにかく彼に知らせて、逃した。そして私に対しても『今は焦らないで』とか、なだめてくれて。
でも。逃した先でソレイトナックと会っているうちに、自分の想いを抑えられなくなったんじゃないかねえ。おそらくネマは、ずっと、こらえてきた。あのモラハルトの相手をさせられながら、同様にソレイトナックがビッサビアの相手をさせられるのを横目で見ながら。その上、私とソレイトナックが浮かれ舞い上がっている様子にも、ソレイトナックのためと思ったのか、割って入ろうともしないで。
しかしソレイトナックの潜伏先で、どうしても彼と二人きりになっているうちに、ネマは思い出したんだろう。私やモラハルトやビッサビアと関わる前の、双子のお姉さんを亡くしたばかりの、彼と二人きりだった頃のことを。
きっとネマは、それまでソレイトナックに告白した事は無かった、と私は思うよ。ネマはそこで、ついに自分の想いをソレイトナックに伝えた。そして彼は彼女を受け入れた」
「だ、だったら何でソレイトナックはネマを受け入れるの。ソレイトナックだって、セピイおばさんと婚約中だった事は忘れていなかったはずよ。も、もしかしてネマに同情したから?モラハルトの陰謀から助けてもらったから?」
「かもしれないね」セピイおばさんは微笑んで答えた。
「あんたの言う通り、ソレイトナックも本当は私のことを好いていて、婚約した事も覚えていたけど、ネマに押し切られてしまっただけ。私が自分本位に希望的観測をすれば、そう解釈したくもなるよ。
でも、もういいじゃないか。彼は生きのびて、そこで彼なりの決断をした。その流れで私とはもう会わないという結論に達したのなら、その彼の決断を尊重しよう。私は、そう思った」
「彼が好きだから?」
「そう」
「だからって、セピイおばさんが我慢させられるなんて。譲ってやらなきゃならないなんて。そんな」
「譲るとかじゃないよ。私が元々、お邪魔虫だったの」
セピイおばさんの微笑みは変わらなかった。
私が納得できていないまま、セピイおばさんの話は再開された。
若き日のお爺ちゃん、つまり、おばさんのお兄さんはベイジ夫婦から事情を聞いただけでなく、伝言も預かっていた。ツッジャム城の若き城主で、セピイおばさんと同い年らしい、ジャノメイからの伝言である。『しばらくしてベイジの夫たちを迎えに寄越す。それまで実家で休養するといい』
この場面で、私はセピイおばさんから釘を刺された。
「絶対に勘違いするんじゃないよ。こんなふうに気づかって、里帰りまで手配していただけるなんて、ほとんど、この方たちだけだからね。ジャノメイ様やジャッカルゴ様たちだけ。他の貴族家だったら、まず無いよ」
そして他家の例として、ビナシスを挙げた。この頃、ロンギノとオペイクスがすれ違いになったように、オペイクスはパールの墓参りに出かけていた。行き先は、もちろんロミルチ城郊外の墓地と、もう一つ、ナクビー。こちらは、オペイクスの話にあったように、ビナシス家の領地に組み込まれている。
後日、帰還したオペイクスは、セピイおばさんや主君ジャッカルゴたちにナクビーの様子を語ったのだが。
オペイクスは訪問にあたって、事前にメレディーンの城下町で薬や薬草の類を買い集めた。自分の所持金をはたいて、仕入れたのである。ナクビーの仲間たちに配るために。
しかし、実際に現地に着いたら、すぐに配るかというと、彼は配らなかった。配りたいのは山々だが、すぐにはしない。オペイクスはビナシス家のコモドーン城に出向いて、先に断りを入れようと考えたのである。
セピイおばさんは、その部分を私に語りながら、またも付け加える。「そういう発想、注意力をあんたも持ちなさい」と。
そうしてオペイクスは、コモドーン城の門を叩いた。門番や兵士たちから彼の訪問を聞いて、出てきたのは、前の主君であるビナシス本人である。
実はビナシス家も代替りが進んで、この時の党首は、もう息子が務めていたのだが。父ビナシスの方は隠居して、悠々自適の生活をしていた。にもかかわらずオペイクスの名を聞くや、自分が応対すると言い張ったらしい。
オペイクスは、かつての主君に挨拶し、自分の計画、ナクビーで薬類を配布する事の許可を求めた。
すると、ビナシスの反応は、こうだ。
『それは、ご苦労だったな。
だが案ずるには及ばぬ。そなたが持ってきた薬は当家が預かろう。ヌビ家の人間となった、そなたの手を煩わす事もない。当家の役人たちに命じて、ナクビーで配っておく。ヌビ殿にも、そのように説明しておけ。
そなたは遠慮なく、次の目的地に行くがよい』
ここで、セピイおばさんからの問題である。「プルーデンス。あんた、このビナシスの言葉を信じるかい?」
「信じるわけないじゃない」と私は即答した。おばさんからの出題にしては、簡単すぎる。
「まあ、そうだよね。
だからオペイクス様も、事前に手を打っておいた。持参した薬類の三分の二ほどを、自分が泊まる宿に残して、三分の一だけを差し出したのさ」
「う、うーん。その三分の一も惜しい気がするけど」
「仕方ないよ。三分の二を守るためさ。通行税みたいなもんだよ」
セピイおばさんがそういう表現をするということは、当時ジャッカルゴたちも同じような解釈をした、ということだろうか。
ともかくオペイクスは、自分の計画を実現した。彼とナクビーの人々の関係を思えば、そこは私も喜ばしいけれど。
三分の一ほどの薬類を受け取って、ビナシスは相変わらずの言い草だった。『なんだ、たったのこれだけか』と、のたまわったのである。
しかも予想通り、ナクビーの人々に、その三分の一が配られる事は無かった。後にオペイクス自身がナクビーを再訪し、ヌビ家の密偵たちも散々走り回って確認した結果である。
「徹底したもんね」と私も思わず皮肉を言ってしまう。ほんとはセピイおばさんに聞かせるのじゃなく、ビナシス本人にぶつけてやりたいのに。
対してセピイおばさんは言う。
「腹が立つのは、私も同じさ。
でも繰り返しになるが、よおく覚えといておくれ。貴族というものは、このビナシスみたいな奴らがほとんどなんだよ。
ビナシスだったら、私の里帰りを禁じこそすれ、他の何の世話もしてくれなかったろう。馬車の手配なんて、どれほど贅沢なことか」
というわけで、セピイおばさんを迎えに来たのは、この村に戻った時と同じ。ベイジの旦那さんが御者を務める馬車と護衛の兵士たちである。
セピイおばさんが言うには、この村での休養は五日ほどだった、とか。
メレディーン城を出る前、ノコは、セピイおばさんが親族から引き止められるのでは、と予想していたけど。おばさんのお兄ちゃん、若き日のお爺ちゃんは、もう引き止めたりはしなかった。逆に若き日のお婆ちゃんが、お爺ちゃんの袖を何度か引っぱって促しても、お爺ちゃんは黙って、首を横に振るだけ。
それでお婆ちゃんは、馬車に乗り込んだセピイおばさんに言った。『いつでも戻ってきてね』と。お爺ちゃんの代わりに言ってくれたのだ。
セピイおばさんは答えた。『ありがとう。でも、行きます』と。城女中を続けます、と答えたのだ。
この村を出た馬車は、一旦、ツッジャム城に立ち寄った。城主ジャノメイがセピイおばさんに書簡を託したかったからである。おばさんがメレディーンに戻るついでに、自分の兄であり、党首であるジャッカルゴ宛ての書簡を届けてもらう。里帰りを手配してもらったセピイおばさんとしては、お安い御用だった。「恩返しを兼ねて、しっかりお届けしようと思ったよ」と、セピイおばさんは言う。
ビッサビアが去ったツッジャム城では、ジャノメイの妻、アン・ダッピアをはじめ、皆が傷心のおばさんを気づかってくれた。ネマなどの細かい事情は分からなくても、である。
その会話の、どういう流れだろうか。セピイおばさんは、また新たな情報を得たというか、知らされた。オーカーの出奔。ビッサビアに付き従って、ヌビ家からマーチリンド家に移ったはずのオーカーが、さらに、そのマーチリンド家を出て行ったのである。おばさんがこの村で休養していた、わずか五日間中の出来事。
「もともとアン様と生家マーチリンドの間を、定期的に伝令が行き来していてね。その伝令が予定より早く現れて、アン様とジャノメイ様に報告したのさ。
で、こういう場合、普通ならマーチリンド家からヌビ家に苦情が来ても、おかしくないんだよ。(そちらが寄越した騎士が、何の貢献もせずに勝手に出て行ったぞ。この埋め合わせをどうしてくれる)とかね。
しかし、その伝令は単に報告しただけ。アン様のお父様をはじめ、マーチリンド家の幹部たちから多少の嫌味を言付かっているかと思われたが、そんなのは一切無し。
そのわけを、ツッジャム城の人たちは、こんなふうに噂していたよ。『表向きは騎士という立場でも、オーカーさんはビッサビア様の愛人にすぎない。マーチリンド家にとっては、やはり好ましくない存在だったのでは』『醜聞が広がる前に当事者が居なくなってよかった、ぐらいにしかマーチリンド家も思っていないのだろう』とか。もちろん小声でね」
「おばさん」私は、ここで、ふと口をはさみたくなった。
「たしかオーカーは、自分はビッサビアに連れて行ってもらえないだろう、と予想していなかったっけ。せっかく、いい意味で予想が外れたのに、結局、その予想に合わせるみたいに、自分から出て行くなんて。オーカーは意地を張ったのかしら」
「うーん、意地とは、ちょっと違うねえ。
実は、マーチリンド家の伝令は、オーカーさんから私宛ての手紙も届けていたんだ。と言っても、その伝令もどうやらオーカーさんを快く思っていなかったらしくてね。その辺を自覚していたオーカーさんは、一計を案じた。まず、アン様とジャノメイ様宛てに、自分の出奔を謝罪する手紙を書く。それとは別に私宛ての手紙も書いて、アン様たち宛ての手紙の中に紛れさせる。するとアン様たちは、自分たち宛ての手紙を開いた際に、私宛てのものを見つけるだろう。後は、アン様たちから私に、その手紙が手渡されるって段取りさ。
ただし、このやり方だと、私宛ての手紙をアン様とジャノメイ様に読まれる危険性がある。そこは分かるね。
オーカーさんも、その危険を半ば覚悟して、半ばアン様たちを信頼した上で実行したよ。と言うのも、私宛ての手紙には、あの人、ビッサビアに対する批判も含まれていたんだ。
手紙の中で、オーカーさんが言うには・・・あの人、ビッサビアは私の事を笑っていたそうだ。ツッジャム城からスボウ城に向かう道中、それこそ声と表情に出して、私を笑っていたとさ。
そして、その姿にすっかり幻滅して、オーカーさんは出奔を決意した。結構きつい書き方をしていたよ。『所詮、あのパウアハルトのおっかさんか、と思い知らされた』とかね。
もちろんアン様たち宛ての謝罪文には、オーカーさんも、そこまで書いてないよ。同族のアン様に気をつかって、ビッサビアの事には触れず、あくまで一身上の都合とか、ぼかしてあったようだ。
と言うのも、私が手紙を読み終えると、ジャノメイ様から尋ねられたんでね。『そちらの手紙には、オーカーが出奔した理由や行き先を書いていないか』って」
「てことは、ジャノメイもアンも、おばさん宛ての手紙を事前に覗いたりしなかったんだわ」
「そう。お二人とも真面目なんだ。
何度も言うけど、他の並の貴族だったら、手紙を覗かれて当たり前だよ。私に手渡してもくれなかっただろう」
「で、おばさんも、アンには言わなかった」
「ああ。まだお会いして日も浅い私に味方してくださるアン様に、わざわざ嫌な思いをさせるなんて、私も楽しくないし、恥ずかしいくらいだからね。それに、手紙を書いたオーカーさんだって、私がそこまで話さない事を期待していたはずだよ」
「私も、そう思う。手紙の内容を分けていたくらいだもの」
「分かってくれて、ありがとうよ、プルーデンス。
でもね。オーカーさんだって、なにも、愚痴混じりに動機だけを伝えたかったわけじゃないんだ。その後に、ちゃんと本題が書かれてあった。
『セピイちゃん。俺を振ってもいいから、最後に一つだけ言わせてくれ。ソレイトナックなんか、早く忘れろ。そして、もっといい奴をつかまえろ』
と」
「それを伝えたいがために、オーカーは二通も手紙をこしらえたのか。アンとジャノメイにも読まれる事も多少、覚悟しながら」と私。
「それでも書かずにはいられなかった。私に伝えようとしてくれた。そう思うと、やっぱり、ありがたかったよ。
そして、そんなオーカーさんが去っていくのは残念だった」
セピイおばさんは、ため息混じりに視線を遠くに飛ばした。マルフトさんの墓石を通り越して、林や、さらにその向こう。
私も内心、オーカーをちょっと見直している。
そんなオーカーに対する、ツッジャム城の者たちの反応は様々だった。
セピイおばさんによると、まず分かりやすかったのは、ロンギノである。オーカーの行動を勝手な振る舞いと怒りながらも、彼の騎士としての技量を惜しんだのだ。『あ奴のことだ。二、三年もすれば、ひょっこりメレディーンに顔を出すかもしれん。その時は、セピイ、こらえて、若党首に取り次いでやってくれ』などと、おばさんに頼んで。
若き日のセピイおばさんは快諾したものの、ロンギノに指摘する事は控えておいた。オーカーは、むしろ現れない。シルヴィアから彼の人となりを聞いていたセピイおばさんは、そう推測した。そして、それをロンギノに言っても、状況は変わらないのだ。
その他の、兵士や使用人、女中たちも、それぞれ自分たちの説を展開した。(ヌビ家、マーチリンド家と続いて、オーカーは、さらに他家の門を叩く)あるいは(国境をまたいで、他国で仕官する)(いや、それでは、このヨランドラに弓を引く事になるぞ。さすがに、それはないんじゃないか)などなど。
終いには、もっと大げさな説が飛び出した。なんと、オーカーは船に乗って、ヨーロッパに渡ったのでは、というのである。しかも、この説が後日、メレディーン城でも囁かれるようになった。もちろん、誰が確かめたわけでもない。
そうなると、私としては、やはりシルヴィアの反応が気になるところだが。
「そりゃ、笑っていたよ。『それはそれで、あいつらしいわね』とか言って」
「でも、なんか、もったいないような」
「シルヴィアさんとオーカーさんかい?私もよく、そんなふうに思ったよ。
それで、私がオーカーさんからもらった手紙を、シルヴィアさんにも見せようか、とまで考えた。こんな気づかいができる人だと、言ってあげたくて。
でも、やめておいたね。出過ぎた真似だし。こちらもロンギノ様の時と似たようなもんで、結果は変わらないよ」
セピイおばさんの視線は、遠くに飛んだままだった。
「オーカーさんの話をしているうちに、また先走ってしまったね。自分の話に戻そう。
ジャノメイ様たちから話を聞き終わると、私は改めてメレディーンに向けて出発したよ。ジャッカルゴ様が配下の役人に命じて、迎えの馬車をツッジャムまで寄越してくれていたんだ。
だからベイジ一家とも、ツッジャム城でお別れさ。ベイジの旦那さんばかり働かせては悪かろうと、ジャッカルゴ様とジャノメイ様が伝令たちを行き来させて、話し合った結果だったよ。
私は馬車の中で、ジャノメイ様から託された書簡を膝の上に乗せて、次の目的地を目指した」
「ノコを引き取ってもらった修道院ね」と私。
「そう。メレディーンの城下に入る手前。
行きと違って、今度は馬車の中で私一人だろ。どうしてもソレイトナックやネマの事が頭に浮かんで、悲しくなったよ。
でも、もう泣いてばかりもいられない。それまでツッジャム城や、この実家で散々泣いたんだし。
しかも、預かった書簡や、ノコさんとの合流とか、次のお役目が待っていた。やる事があるだけ、私は恵まれていたよ」
セピイおばさんを乗せた帰りの馬車は、行きよりも速かった。ロンギノの休憩を考えなくていい分、先に進めるし、セピイおばさん自身が御者やお迎えの役人に「飛ばしてください」と頼んだからだ。
「早く戻りたかった」と当時を思い出して、セピイおばさんは言う。ノコを拾って、メレディーン城に帰還し、仕事に没頭する。普段の生活に戻る。そうすることで、少しでもソレイトナックの事を忘れたかったのである。
「修道院に着いたのは、夕暮れ時だったね。そこまで来れば、メレディーン城へは、あと少しだ。
私とお役人は、修道女に案内されて、ノコさんの病室を訪ねたよ。
私が『お加減は』と聞くと、ノコさんの答えは、こんなだった。『予想したよりも悪いね。あんたが来る頃には持ち直している、と思っていたんだが。仕方ないから、あんただけ先に戻りな。奥方様には、もう二、三日お休みをいただきたい、と頼んでおいてくれ』
私は承知して、そこを後にしたけど、心配だったねえ。何だかノコさんが、会話をするのも億劫なくらいに疲労しているように見えて。
メレディーン城に着いたら、ジャッカルゴ様に書簡を渡すだけじゃなく、その辺りを報告したよ。もちろん、あの人が大人しくマーチリンド家に引き上げた事もね」
セピイおばさんは、もうビッサビアという名前を口にしなかった。昨夜から少しずつ敬語が減っている事には気づいていたけど。ついに、あの人だ。それでいい、と私も思う。つながりを絶ったのは向こうなのだから。
セピイおばさんは話を続ける。
「さてジャッカルゴ様の次は、ヘミーチカ様だよ。私は書斎を出たら、ヘミーチカ様のところに飛んでいって、ノコさんの状況報告と休暇延長のお願いをした。もちろん、ヘミーチカ様はノコさんを心配して、了承してくださった。『明日、私も見舞いに行ってみましょう』とまで言い出して。
それで安心した私は早速、洗い物とかに加わろうとしたんだけど。ヘミーチカ様は『帰って来たばかりなんだから、少し休んだら』なんて気づかってくださる」
「でも、おばさんとしては、早く手仕事に没頭したかった」
「そう。それで遠慮する私とヘミーチカ様で、へんな押し問答になった。
でも、長引いたりしなかったよ。すかさず、シルヴィアさんが提案してくれたんだ。『セピイには私と組んでもらって、休み休み働いてもらいましょう』とね。
おかげでヘミーチカ様が、やっと折れてくださった。『無理しないで、区切りがついたら、すぐに休むのよ』なんて最後までお優しいんだ。
それで私は一瞬、思ったよ。ああ、あの人も昔は、こんなふうに私に接してくれていたのにな、と」
「うーん。セピイおばさんは、もうソレイトナックだけじゃなく、ビッサビアも忘れた方がいいわね」と私。言った後で、生意気だったかも、と後悔がわいてくる。
セピイおばさんは、しかし、笑ってくれた。ちらと睨む事さえしなかった。
「全くだね。あんたに参考にしてもらえるように話し終えたら、思い出す必要も無い。今後は、そうしよう」
とは言え、彼らについては、あともう少し言及しなければならなかった。若き日のセピイおばさんとシルヴィア。手仕事をしながら、やはり彼らに触れないわけにはいかない。聞かれる前に、セピイおばさんの方から話し出したそうだ。
「修道院に着いたのが夕方で、ヘミーチカ様たちと話がついた時には、もう夜さ。
私とシルヴィアさんは、しばらく炊事場で食材を切り分けたり、食器を洗ったりしたよ。晩餐と片づけが進むと、他の女中たちがその場を離れて、二人だけになる時間も増えた。
私はシルヴィアさんに、小声で報告したよ。『負け惜しみのように聞こえるかもしれませんが、私たちの対決に勝者は居ませんでした。私は勝者になれなかった。でも、あの人も勝者ではない』
こんな言い方だから、当然シルヴィアさんは首をかしげた。で、私はネマの説明もしたよ。ネマがメレディーン城に来た事は無かったのか、シルヴィアさんも彼女を知らなかった。
私の説明を聞いて、おそらくシルヴィアさんも、モラハルトやあの人のやり方に呆れていただろうけど。シルヴィアさんは、長々と感想を述べたりはしなかった。代わりに、こんなふうに言うんだ。
『情報という収穫は有ったわけね』
それで私も答えた。『ええ。少なくとも、彼が生きている事は分かりました』
シルヴィアさんは続けて言ったよ。『私ったら、言い過ぎたわ。時間の無駄だなんて』
もちろん、私はシルヴィアさんを責めなかった。そんなの、見苦しい八つ当たりに過ぎない。『気にしないでください』と返しておいた」
うーん、と私は小さくうなる。私だって、おばさんの努力を時間の無駄とか言いたくない。けど、それに見合った収穫とは言いがたいと思う。
「で、シルヴィアさんは質問もしてきたよ。『そのネマって人に譲って、セピイは彼のことを忘れられそう?』と。
私は、もう正直に答えるしかないと思った。『自信は無いです。だから仕事に専念して、なるべく思い出さないように心がけます』
すると、シルヴィアさんは、こう言って微笑んでくれたよ。『よっし、じゃあ仕事をどしどし振るから、覚悟しといてね』って」
ふふっ。これには私も微笑むことができた。きっと、マルフトさんだって微笑んでくれているはず。
それからシルヴィアは、気を使ったのか、話題を変えた。オペイクスがセピイおばさんより一日早く帰還していたのである。ビナシスの横柄な振るまいは、こうしてメレディーン城の人たちに知れ渡ることとなった。
その夜のセピイおばさんとシルヴィアの会話は、それで済んだ。つまり、シルヴィアへの報告は、そこまで。オーカーがセピイおばさんを心配して書いた手紙の件は、出さずじまいである。
それから、セピイおばさんの話の軸は、病床のノコに移った。
奥方ヘミーチカは有言実行で、翌日ノコを見舞ったのである。リブリュー家から連れてきた女中たちのうち二人ほど、お供にして。
修道院に入ってきたヘミーチカたちを見て、ノコは、自分に近づかないよう頼んだ。何歩か間をあけて声も大きめにして話そう、と言うのである。それくらい、ノコは自分の病気が主人たちに移ることを恐れたわけだ。女中頭としての責任感か。自分も女中になった時のために覚えておこう。
わざわざ来てくれた奥方様に、ノコは恐縮して詫びた。その際に床から体を起こそうとしたのだが、ヘミーチカは止めた。そのまま話すように、と。そして『あなたが戻ってくる日を、待っていますからね』と励ました。
しかしノコの返事は。
『ありがたいお言葉ですが、おそらく私は戻れないでしょう。いえ、奥方様、どうかお聞きください。自分の体は、自分が一番分かっているつもりです。私は半ば、いえ七割がた厳しいと見ております。
とは言え、私も、せっかくおいでくださった奥方様に泣き言をお聞かせしたり、同情を買いたいわけではないのです。もう、そんな場合ではありません。私の後のことを考えておきませんと』
そしてノコは言った。自分の死後、女中頭の代理としてシルヴィアに任せつつ、リブリュー家から来た女中の一人、カディッケンスを補佐役で付けること。ヘミーチカが連れてきた二人のうちの年上の方で、ノコやロッテンロープほどの歳ではないが、中年の女中である。
ちなみに年下の方、当時のセピイおばさんと、ヘミーチカやシルヴィア世代の中間くらいだった、若い女中がテマニーク。どちらも小貴族出身なのか、変わった名前である。
カディッケンス本人は急に自分が取り沙汰されて驚いたが、ノコは『ぜひともお願いしたい』と引かなかった。カディッケンスが『自分は他家から来た立場だから』と不安を口にしても、ノコは『大丈夫』と請け合った。
『カディッケさんも、テマニークも、こちらの者たちと充分打ち解けてくれました。誰も、カディッケさんに反発したりしませんよ。
シルヴィアには、何事もカディッケさんに相談するように奥方様から言って、いや、シルヴィアなら言われなくても、あなたの意見を聞くでしょう。
そうやって、しばらくシルヴィアと一緒に、城の家事を切り盛りしてくださいな。
その後は、奥方様が頃合いを見計らって、シルヴィアと交代させて、正式にカディッケさんを女中頭に据えてください。なあに、一年もすれば充分でしょう。時期の判断は、奥方様にお任せします。シルヴィアが異議をはさむ事は、まず、ありません。
そして、いつかカディッケさんとテマニークが、それぞれリブリュー家領のご実家に帰る時が来たら、その時はシルヴィアを今度こそ本当に女中頭にしてください。その頃には、あの人も、役職にふさわしい年齢になっているでしょう』
これに対し、奥方ヘミーチカもカディッケンスも、一つ質問した。シルヴィアの仕事ぶりなどは信頼しているが、その前に女中頭として頼るべき人物がいるのではないか。ロッテンロープ。女中たちの中では、彼女が最年長だったのである。
ノコは首を横に振った。
『あの人は老いました。私も、です。本当は、前のご党首様が引退なさった時に、私どもはお暇をいただくべきでした。しかもロッタの場合は、息子さん夫婦が一緒に暮らそうと言ってくれているのに。お嫁さんに遠慮してか、死ぬまで女中を続けるなんて言い出して。
でも私が居なくなったら、あの人も、さすがに引退した方がいいでしょう。
いいえ、奥方様、今のうちに備えておかなければならないのです。明日にでもロッタを、ここに寄越してください。もう息子さん夫婦のところへ行くよう、私から説得します。
ああ、こんなことなら、セピイが来た時に言付けておけばよかった。後で気がついて、奥方様を煩わせるなんて。やはり私も耄碌しました』
そんなこと言わないで、とヘミーチカたちはノコを元気づけようとしたのだが。ノコは考えを変えなかった。
それどころか付け加えた。シルヴィアの、さらにその後。セピイおばさんの登場だ。
『おそらくシルヴィアは、ある程度、歳をとったら引退するでしょう。修道院で下働きがどうの、とか言っていたそうで。彼女の後は、セピイを据えてください。
奥方様もご党首様からお聞きでしょうが、あれは、なかなか危なっかしい娘です。しかし、あの娘の経験も、ヌビ家にとっては貴重な教訓と言いましょうか、資料と言いましょうか。いつか役に立つでしょう。ナタナエル様に妹君や従姉妹ができたり、さらにはナタナエル様が娘親になられた時は、特に。いや、それ以前に、若い女中が新しく加わる時などは、セピイがよく気を配ってくれるはずです。奥方様からも、そのように言い含めてくださいまし。本人も励みますから』
これが、ノコの考えた備え、メレディーン城で働く女中たちについての計画だった。
「ノコさんが、そんなふうに私を見てくれていたなんて。私は、その気持ちが嬉しかった。
ノコさんの計画は、だいぶ後になって、ヘミーチカ様が話してくださったよ。ヘミーチカ様としても、私の件は大賛成だったそうだ。賊討伐でご主人のジャッカルゴ様たちが出陣する際に、私がヘミーチカ様とイリーデに言った事。あれで私を評価してくださっていたらしい。
ノコさんも、ヘミーチカ様も、得難い方々だった」
セピイおばさんは付け加えて、微笑んだ。親族として私も嬉しい。かつ、羨ましくもある。
さて、ノコの要望を聞いたヘミーチカたちだが、大人しくメレディーン城に引き上げた。それ以上ノコを励ますことはできない、と判断したのだろう。
もちろんヘミーチカは、ロッテンロープに声をかけ、翌日ノコを見舞うよう、馬車などの手配もしてやった。
こうして老いた女中二人は再会を果たす。そしてノコは予定通り、長年の同僚を説得しようと努めたのである。『息子さんのところで居心地が悪い時は、お城に顔を出して、女中たちを手伝えばいい』
対してロッテンロープは『だったら、わたしゃ毎日通うからね』と返したとか。
『それでいい』とノコも言った。イリーデが子育てを優先して、城に上がる機会がすっかり減っていたのである。イリーデだけではない。他の若い女中も一人、また一人と結婚などで城を去り、別の娘が新たに加わる事が何度かあった。新人が育つにも時間がかかる。働き手はまだまだ必要で、ロッテンロープも働けないわけではない。彼女を案じて、親族の元に帰すだけだ。
二人の話がまとまった頃、雨が本降りになった。そもそもロッテンロープを乗せた馬車がメレディーン城を出た直後から、小雨が降り出していたのだ。
雨粒が地面や修道院の屋根を濡らして、空気が冷え出した。それに気づき、ノコはロッテンロープに、城に戻るよう促す。ロッテンロープは『もう少し、あんたとおしゃべりしたい』とか言ったようだけど、ノコとしては彼女が風邪をひいたり、ノコの病いをもらってしまっては、元も子もない。待たせている馬車に早く乗るように、長年の同僚を急き立てた。
そのくせノコは、こうも言うのだ。
『明日はセピイに来るように言っておくれ。奥方様には、もう一度、馬車を手配してほしい、とあんたから頼むんだよ。
いや、あんたは、もう来ちゃダメさ。今だって、病気を移さないために帰ってもらうんだから。もし奥方様が見舞いに来るとかおっしゃっても、あんたが止めておくれ。私への見舞いは、できるだけ少人数で。あとは、もうセピイと話せればいい。
言っとくけど、明日、雨がどんなにひどくなっていても、必ずセピイだけを寄越しておくれよ。大事な説教があるんだ。奥方様やあんたが付き合う必要は無いけど、これをやっておかないと、わたしゃ死んでも死にきれない』
長年の同僚の頼みとあって、ロッテンロープはノコの手を強く握り、うなずいてから、修道院を後にした。
そしてメレディーン城の門をくぐった時には、ロッテンロープの皺の多い顔は濡れていた。雨は馬車で防げていたはずなのに。
もちろん、老女たちの約束は果たされた。ロッテンロープから頼まれて、奥方ヘミーチカも快諾したので、セピイおばさんの移動手段の心配も無い。
というわけで、三組めの見舞い客として、おばさんもノコを訪問できるようになったのだが。
翌日、雨は止んでいなかった。むしろ雨脚が強まっていたほど。メレディーン城の門の内側も、滝のように水を流していた、とセピイおばさんは語る。
この、あまりの土砂降りに、奥方ヘミーチカと老女中ロッテンロープは顔を見合わせた。
『セピイ。お見舞いは延期しましょう』とヘミーチカが言い出したのは、当然だろう。しかしセピイおばさんは改めて彼女に頼んだ。
『奥方様。どうか行かせてください。ロッテンロープさんの話では、ノコさんは、必ず、と念を押しています。よほど大事なお話がおありなんでしょう。私も、しっかりと教わって参りますので、どうか馬車を出してください。御者さんたちには、お手数ですけど』
ヘミーチカは少し迷いながらも、結局は『そこまで言うなら』と了承してくれた。
となると、御者を務める使用人も、奥方様相手にぶつくさ言ったりはしない。ただ、現地に着いたら長引きそうだ、とセピイおばさんから聞かされて、少々苦い顔をしたようだけど。
とにかく若き日のセピイおばさんは、土砂降りも物ともせず、メレディーン郊外の女子修道院に向かったのだった。
修道院の敷地内に入って、馬車を降りていると、ノコが体を揺すりながら現れた。
「ノコさん本人は走っているつもりかもしれないけど、何とも頼りない足さばきでね。足をもつれさせて転ぶんじゃないかと心配して、私からも駆け寄ったよ。修道女も険しい顔で追っかけてきた。
『よく来た、セピイ。あんたに話しておかなきゃならない事があるんだ』なんて、息を整えながら言ったと思ったら、ノコさんは私の腕をぐいぐい引っぱる。続けて、修道女たちに『椅子は用意してくださいましたね』なんて確認したりして。
どこに行くのかと思ったら、修道院の奥の方だ。広い中庭に面した回廊の途中に、ぽつんと椅子が二脚、並べられていたよ。
『後は、こちらでいいようにしますんで』と修道女たちを追っぱらうと、ノコさんは、そのうちの一つに座って、顔を中庭の方に向ける。私にも残りの椅子を使うよう促した。
私はノコさんに倣って、体を中庭に向けた。二人して並んで中庭を眺めている形だ。
一度引っこんだ修道女の一人が、ノコさんが体を冷やすのを心配して、毛布を持ってきてくれたよ。膝掛けとかに活用しなさいって」
「な、何で中庭を眺めるの。晴れた日でもなかったんでしょ?」と私は首をひねる。
「ふふ、修道女さんたちも、そうやって不思議に思っただろうね。でも、いいんだ。ノコさんとしては、庭を眺めながら会話しているふりができればよかったのさ。
しかもノコさんは言ったよ。『大雨が好都合だ』とね」
「えっ、どういうこと。雨が何かに利用できるの?」
「できるよ。正確には、利用するのは雨音だけだが。その雨音が大きければ大きいほどいい。そうすれば修道女さんたちも、ノコさんと私の会話を聞き取れない」
「あっ。ということは」
「そう。ノコさんは、ほかの人に聞かれたら困るような秘め事を私に話すつもりだったんだ。それこそ長年の同僚であるロッテンロープさんにも、奥方ヘミーチカ様にも聞かせられないような話を。
そこまで言ったら、あんたも大方、予想がつくだろ」
私は、つばを呑み込んだ。もう、あのことしか考えられない。アンディンが失ったと言う誰かのこと。
「と言っても、ノコさんは、まず私に状況を確認したよ。
ツッジャム城で私とあの人がどういうやり取りをしたか、は前回、修道院に立ち寄った時に報告している。ツッジャム城の様子。ジャノメイ様ご夫妻やロンギノ様、城詰めの者たちの様子もね。
今回はメレディーン城の様子だ。党首ジャッカルゴ様やオペイクス様、騎士たちが忙しそうか。城詰めの者で、自分以外に病気で寝込んでいる者はいないか。まだ幼いナタナエル様は元気か。豪商など、ご党首さんに表敬訪問に来る連中の顔ぶれは、どうか。ロミルチ城から悪い報せが来ていないか、とかね。
それらを私が報告すると、次の話題は、ノコさんの計画についてだ。私は続けて言ったよ。ヘミーチカ様から伝え聞いて、私もシルヴィアさんも異存は無い、と。ただし、あくまでもノコさんに万が一のことがあった場合の話であって、皆はノコさんが回復して戻ってくることを願っている、とも付け加えた。
そしたらノコさんに遮られた。
『それは、もういいんだ。お気持ちはありがたいが、分かるんだよ。神様からお呼びがかかっているのが。
そりゃ死ぬのは怖いし、神様が恨めしくもある。でも今はそれよりも、やり残してしまうことの方が怖い。幸い、そのための時間を神様はくださった。そこは感謝しよう』
と。
私としては、すっかり覚悟しているノコさんが悲しかったが、反論したところでノコさんの病気は治らない。聞き役に徹して、一言も忘れまい、と思ったよ。ノコさんがやり残さないで済むように。ノコさんがやろうとしていること。それは、私に伝えるということ。ノコさんは私に伝えたがっている。そのために、この状況を整えたんだ、と」
セピイおばさんの言葉に、私もうなずいた。まったく、その通りだと思う。
「さて、肝心のノコさんの話なんだが。『始める前に、もう一つ確認しておきたい』とノコさんが言い出した。予想しているかい?オペイクス様の事だよ。オペイクス様が、アンディン様に呼ばれて都へ行き、帰ってきてから私に話した内容。
私は、それをノコさんに洗いざらい話した。オペイクス様としては他の人に話さないでほしいと思っていただろうけど、ノコさんなら良かろう。私は勝手ながら、そう判断した。あんたが推測したように、私もノコさんが何か知っていると思ったからね。
実際、ノコさんはご存知だったよ。オペイクス様と私の見立て。アンディン様が大切な誰かを失ったのは、奥方のキオッフィーヌ様とお舅様が関与しているからではないか。これを聞いて、ノコさんは認めたね。『もう、ほとんど見破ったも同然だ』と。
その上で『だからこそ』とノコさんは続けるんだ。
『だからこそ、あの人には、オペイクス様には話せない。あの人は、もう、この件に関わるべきではないんだ。
なぜか分かるかい、セピイ。オペイクス様は、またアンディン様に呼ばれるかもしれない。アンディン様のところに行って、キオッフィーヌ様と顔を合わせる事も充分あり得る。その時、オペイクス様が顔に出してしまったら。オペイクス様の顔に動揺が走ったら。キオッフィーヌ様はお気づきになるだろう。あの方は、間違いなく気づく。見破ったも同然の今の時点でオペイクス様は、もうキオッフィーヌ様に会わない方がいいんだ』
そこまで言われて、私はどんどん怖くなっていったよ。ノコさんが『大雨で好都合』と言った意味が、やっと分かった気がした」
私は口をはさむのも忘れて、セピイおばさんを凝視する。
「ノコさんは言った。私だけに話す、と。
本来なら、アンディン様たちのお子であるジャッカルゴ様、メイプロニー様、ジャノメイ様が知るべきかもしれない。あるいは、まったく知らない方が、ヌビ家の子孫の安寧につながるのかもしれない。いずれも迷うところだが、少なくともノコさんが直接ジャッカルゴ様たちに話し伝える時間までは無さそうだ。ノコさんは自分の状況を、そう捉えた。
そこでノコさんは、私に話を預ける、と言うんだよ。アンディン様とキオッフィーヌ様の間にあった秘め事。それを一旦、私を預ける。そして時が経って、私からジャッカルゴ様たちに伝えるかどうかは、私が判断していい。逆に、最後まで伝えないという判断でも構わない。このセピイが真剣にヌビ家の将来、領民たちの将来を考えた上でのことなら、ってね。
私は、雨音も修道女さんたちの存在も忘れて、体が硬直する気分だった」
セピイおばさんの話を聞きながら、私だって今こわばってんですけど、と思う。
「ノコさんが言うには、もともとアンディン様には、おつき合いしていた女性が居たらしい。キオッフィーヌ様との縁談が持ち上がる前から。小貴族の娘で、ヌビ家の発展にはあまり寄与しないであろうお人でね。
ヌビ家自体も、今ほど羽振りは良くなかったよ。ヨランドラの貴族社会では、まだまだ中流だったようだ。
それでも、いや、だからこそアンディン様のお父様、初代のご党首様は奔走した。そして、その甲斐あって、跡継ぎであるアンディン様と王族の娘との縁談にこぎつけた。それが、当時の王様の姪にあたるキオッフィーヌ様だ。
お父様は当然、長男のアンディン様に娘と別れて、王族のキオッフィーヌ様と結婚するよう命じた。アンディン様も、それに従った。
かに見えたんだが。
アンディン様は別れられなかったよ。お父様や親族、そして婚約者のキオッフィーヌ様と婚家である王家に、相手の存在をひた隠しにした。周囲の人々の監視の目をかいくぐって、娘と交際を続けたんだ」
「うーん、アンディンにしては、優柔不断なような」
「まだ若かったから、なのかねえ。
さて、結婚前のアンディン様には、のちのご子息であるジャッカルゴ様たちと同じように、戦に出る機会があった。国内の賊どもをやっつけるためか、国境に押しかけて来た他国人どもを追っぱらう戦いか。詳しい内容までは、ノコさんもご存知なかったよ。ノコさんの推測では、花婿であるアンディン様に手柄を立てさせてやろうと、お舅様や王様が計画したんじゃないか、とのことだった。
とにかくアンディン様は出陣したのさ。その間の事だよ。お相手の娘さんはご家族と共に、都アガスプスにある教会堂の一つにお参りしたんだ。傍目には敬虔な信者としての振る舞いだけど、実際はアンディン様の無事を祈るためでね。まあ、その願いを神様は聞き入れてくださって、アンディン様は後日、生還なさった。それはいいんだが。
その娘さん一家がお御堂で手を合わせていると、知り合いから声を掛けられた。同格の小貴族の人たちで、娘さん一家と親交があり、かつヌビ家にも出入りしていた。
そんな知り合いと娘さん一家は、しばらく世間話で和んでいたようだけど。どういう話の流れかねえ。その時ちょうど改修中だった釣り鐘を皆で見に行くことになった。そして二家族ほどの人数で鐘楼を登って、釣り鐘を間近で見たのさ。釣り鐘の内側にも寄進者の名前とか、聖書の一文とかが彫られている、なんて事も話題になったりしてね。娘さん一家と知り合いは交代で、少し屈んで釣り鐘の中に入ってみたそうだ。
すると、だよ。娘さんの時。ちょうど娘さんが一人だけで釣り鐘の中に入った瞬間だ。釣り鐘が落ちた。どすんと落ちて、娘さんを閉じ込めてしまったんだ」
セピイおばさんは一度、話を区切って、私の目を覗き込んだ。私は動けない。
「途端に、ご家族と知り合いたちは大騒ぎさ。教会堂の神父や、改修を請け負った大工たちが彼らに呼ばれて、鐘楼に駆け上がったよ。そして男連中は釣り鐘を持ち上げようと焦るけど、釣り鐘の縁と床の間に隙間がほとんど無くて、指を差し込めない。そこで大工たちが急いで、釘とかで石の床を削って、その隙間を作る。それでもダメだった。釣り鐘が重すぎて、持ち上げようにも、びくともしないんだ。
その間にも当然、中から娘さんの悲鳴が聞こえてきてね。釣り鐘の縁と床の間に足を挟まれたりはしなかったようだが、泣き叫んでいる。
そうやって鐘楼で人々が取り乱していると、だ。さらに別の問題が発生した。火事だよ。祭壇のロウソクが倒れて、掛けてある布や飾ってある花、椅子なんかに引火したとかで、お御堂が大変なことになっていた。
娘さんの家族や知り合い、神父たちが騒いでいた鐘楼は、お御堂のちょうど真上。石畳みの床にも隙間があるのか、足元から煙がわいてくる。しかし釣り鐘は、どうやっても持ち上がらない。人々の怒号や悲鳴がいくら飛び交っても、時間が過ぎるばかりだ。
そのうち、お御堂から鐘楼に慌てて上がって来た人が叫んだ。『火が教会堂全体に回ろうとしている。早く降りろ。ここから逃げろ』と。この言葉に、娘さんの両親が他の者たちによって、釣り鐘から引き離されそうになった。しかし母親が髪を振り乱して抵抗し、釣り鐘にしがみつく。神父や大工たちは、仕方なく父親だけでも助けようと、無理矢理担ぎ上げるなどして階段を降りた。
そうして神父たち、娘さんの父親とお供の従者が教会堂から転がり出たところで、とうとう教会堂が炎にすっかり包まれてしまった。
父親は泣き叫んで教会堂の中に戻ろうとしたよ。しかし大工たちが、羽交締めにして必死にそれを止める。
近所の者たちが、彼らと入れ替わるように割り込んできて、手にした桶とかで、しきりに水を放った。そんな人が一人、また一人と増えていったんだが。
火の勢いは一向に衰えなかった。むしろ時間と共に、ますます強まるような。
結局、火がおさまったのは翌日だったとさ」
セピイおばさんは、ふーっと重たい息をついた。
「当然、都の役人や警邏が大勢やって来たよ。彼らと神父、大工たち、娘さんの父親と従者は、黒焦げの教会堂に恐る恐る入った。
そのところどころは焼け崩れていたけど、鐘楼は何とか崩れずに済んだ。重い釣り鐘を据え付けるだけあって、頑丈に建てられていたようで。しかし、下から炎であぶられた事は確かだ。釣り鐘のそばに、母親の焼死体が残っていた。
釣り鐘そのものは、すぐには触れなかった。炎で散々熱せられたんで、冷めるのに時間がかかったんだよ。
もう、中から娘さんの声は聞こえてこない。父親に急かされて、男たちは桶に水を汲んできては、釣り鐘にかけた。それを何度も繰り返して、釣り鐘に触れるようになったのは、夕刻だったかねえ。たしかノコさんは、そう言っていたような。
とにかく男たちは工具を駆使したり、縄で引っぱり上げたりして、やっと釣り鐘を横倒しにしたよ。中から、すっかり炭になって、縮んでしまった娘さんの真っ黒な遺体が出てきた」
私はセピイおばさんを見つめたまま、先ほどから固まっている。口も半開きのまま。こんな、こんな話だったなんて。
一方、セピイおばさんは淡々と話し続ける。
「プルーデンス。あんた、私が見てきたように話していると思っていないかい?当時、私もノコさんから話を聞きながら、驚いて硬直しながら、疑問に思っていたよ。
種明かしは、こうだ。ノコさん自身は、その事件の話を自分の前の女中頭さんから聞かされたのさ。その人が亡くなる直前に、ね。
そもそも、その先代の女中頭さんが、結婚前のアンディン様と娘さんの交際を手伝っていたんだ。手紙での連絡を取り次いだりして。
だから、交際相手である娘さんたちの一家が教会堂に行った事も、その後の火事についても、知ることができた。火事で生き残った、娘さん一家のお供が、彼女に話したんだ。
ちなみに、そのお供、従者が娘さん側の窓口だよ。アンディン様が手紙を書いて女中頭さんに渡し、女中頭さんは娘さんの従者に渡す。そういう寸法さ。もちろん、アンディン様の親族や、時折り見かける王家からの伝令なんかの目に気をつけながら」
「お、おばさん」私は、やっと声が出た。
「お待ち。先代の女中頭さんの説明をすると、また話が先走るから一旦、置いといて。
とにかく火事の現場に居た人の証言を、ノコさんは人伝てに聞いたわけだよ。
そしてアンディン様の交際相手である娘さんは亡くなった。まあ、尋常じゃない亡くなり方だ。
ノコさんは言っていたねえ。『アンディン様が、いつの時点でお相手の死を知ったのか。そこまでは、前の女中頭さんにも分からなかった』と。アンディン様が戦から戻られると、前の女中頭さんは秘かに近づいて、娘さんの死を報告しようとしたんだ。しかしアンディン様は、それを遮った。言わせなかったそうだ。以来、アンディン様がその小貴族の娘について言及すること、彼女の死について前の女中頭さんに尋ねることは一切、無かった。
念のため言っておくと、アンディン様は火事の現場に通りかかっているんだよ。戦の後の凱旋行列さ。自分の手勢ともども、王様たちから招かれてね。
実は、この凱旋行列の時に、娘さんとこの従者は観衆に混ざって、アンディン様を見送っていたんだ。再建中の教会堂の前に突っ立って。アンディン様の手勢の者たち、他家の兵士たちがその建築現場を奇異の目でチラ見する中、アンディン様だけは前を向いて、教会堂を少しも見ようとしなかった。その従者とも目を合わせなかった」
「見られなかった」と私は思わずつぶやいた。
「そうだね。お相手の死が悲しかったからこそ、なのか」
「あるいは、王族の目がある中で、そんな素振りもできなかった」
「うん、いい見立てだよ、プルーデンス。それも充分、考えられる」
セピイおばさんが誉めてくれるのは、ありがたいのだが。内容が、あまりにも酷い。
「その後、アンディンはキオッフィーヌと結婚したのね。何事も無かったかのように」と私は先を促す。
「きつい言い方をすれば、ね」とセピイおばさん。
「でも火事の原因究明は、どうなったの。役人や警邏が押しかけて、調べたんでしょ?」
「調べたよ。でも、それで判明すると思うかい?」セピイおばさんは、また私の目を覗き込む。
私は言葉に詰まった。
「予想は、ついているだろ。よく分からない不審火として片付けられたよ」
「な、何だか、ヒーナが死んだ時みたい」
「言われてみれば、たしかに結末が少し似ているかもね。
しかし、今回の黒幕がマムーシュどころじゃないことは分かるだろ」
私は、うなずくしかなかった。
「さらに言うとね。ノコさんが聞いた話だと、娘さん一家を鐘楼に誘った、知り合いの連中は、火事以来、見かけなくなったそうだ。行方知れずになった、と」
「逃げたのかな」
「かもしれないが。
ノコさんは『消されたんだろう』と言っていた」
イッ、と私は声を漏らした。
「け、消すって。キオッフィーヌや王家としては、その連中を使って、娘さん一家を誘い出したんでしょ?こき使っておきながら?」
セピイおばさんの指が、久しぶりに飛んできて、私の唇を押さえた。
「お名前が頭に浮かんでも、言うもんじゃないよ、こういう時は。
私もノコさんも、そしてノコさんの前の女中頭さんも、黒幕を確かめたわけじゃないんだ。と言うより、確かめようもない。こちらの推測が正しければ、相手が大きすぎる。
そう、あくまでも推測に過ぎないんだ。あの方の、あの方のお父様、親族が手を回したのだろう。密偵たちを走らせ、娘さん一家の知り合いである小貴族に一働きさせて。下手すればアンディン様のお父様だって、一枚かんでいるのかもしれない。
しかし。そう考えるのが妥当だろう、と私たちは思うだけ。私たち臣民に確かめる力は無いよ。無いけど、考えないわけにはいかない。考えて、推測して、用心しなければならない」
セピイおばさんの言葉に、私は、また絶句する。そんな私にお構いなしに、セピイおばさんは話を続ける。
「脅かして悪いんだが、よく聞いて、心に留めておいとくれ。私もノコさんから、そう言われたんだ。
娘さん一家は、その後、断絶したよ。もう王家やヌビ家が、取り潰しにしようなんて乗り出してくる必要も無かった。生き残った父親は気が触れてね。しかも跡継ぎになる男子が居なかった。親戚も少しは居たのかもしれないけど、もうダメだよ。お仕えしていた従者も、ノコさんの前の女中頭さんに火事の状況を話してから、どこかへ去っていった。もちろん、アンディン様が何らかの救いの手を差し伸べることも不可能だ」
うーん、と私は唸る。
「な、なんか、やり方が極端じゃないかな?キオッフィーヌが怒る気持ちは、分からないでもないよ。同じ女として。
でも、どうせならキオッフィーヌは、アンディンに怒るべきじゃないかしら。その娘さんはキオッフィーヌの存在を知っていた上で、アンディンとつき合い始めたわけじゃないんだし。つき合っていた男に後から婚約者ができて、その婚約者から恨まれる。最後は命まで奪われて。迷惑どころじゃない、とんでもない話だわ」
「そこなんだよ、要点は」
セピイおばさんは、またも指を飛ばしてくるかと思いきや、私の目を覗き込むだけで済ませた。
「あんたの指摘した通り、キオッフィーヌ様も内心は、アンディン様に怒りを覚えていただろう。しかし、だ。キオッフィーヌ様は、その怒りをアンディン様にはぶつけなかった。ヌビ家にも、だよ。アンディン様もヌビ家も、それまで通り。ただ、ある時、どこかの小貴族の一家が消滅しただけ。
でもプルーデンス、ここで、よおく考えるんだ。逆にキオッフィーヌ様がアンディン様に怒りをぶつけたとしたら。あるいは、王家がヌビ家に対して怒ったとしたら」
「あっ」私は、また固まった。
「なにせ、火事と見せかけて、人を焼き殺すくらいだからね。家同士の対決ともなれば、もう内戦だ。王家は、反乱の疑いだとか、有る事無い事でっち上げて、ヌビ家討伐をヨランドラ中の貴族たちに呼びかけるだろう。シャンジャビ家なんかは大喜びさ。そうやって王家側の貴族家がどんどん増えて、逆にヌビ家と親交のある貴族家は少しずつ離れていく。そして王家に靡く。
これで分かっただろ。キオッフィーヌ様が本気でご自分のお父様、当時は王弟の立場であったお父様、そして伯父である当時の王様や親族に訴えれば、とっくにヌビ家は滅ぼされていたんだ。領民たちも大勢、焼け出されて、ね」
私は絶句しかけたが、何とか搾り出した。「その時は、この山の案山子村も」
「ああ、ただじゃ済まないよ。ここもヌビ家領なんだから」
事も無げなピイおばさんの口調に、私は、へなへなと力が抜けそうな気がした。
「しかしキオッフィーヌ様は、そんな事は望まないでくださったらしい。そんな手段は使わず、娘さん一家を抹殺しただけ。おかげで、私ら領民は助かった。娘さん一家には悪いが」
「そ、そんな」
私は言いかけたけど、続かない。とてもじやないけど、続きが出ない。
「プルーデンス。まだまだ、だよ。まだまだ考えるべき要点があるんだ。
よおく状況を思い出してごらん。私はノコさんから話を聞いたけど、ノコさん自身は前の女中頭さんから聞いたんだ。前の女中頭さんは、次の女中頭となるノコさんに話した。つまり話すことで、ノコさんに託したんだ。アンディン様とキオッフィーヌ様の問題を。
戦が終わって、お二人が結婚して、キオッフィーヌ様はメレディーン城に来られた。前の女中頭さんは、キオッフィーヌ様が怖くて怖くてたまらなかったそうだよ。
幸い、何事も無かった。キオッフィーヌ様から意地悪される事も無かった。むしろ親切なくらいだった、と。念のため、女中頭さんは秘かに親戚たちに確認したそうだ。何か嫌がらせめいた事は無かったか、と。もちろん火事の件とかは言わずに。しかし一切、無かった。何も無く、それまで通り。まるで、女中頭さんがアンディン様の秘密の交際を手伝っていたという事を、キオッフィーヌ様が全くご存知ないかのように。
しかしプルーデンス。キオッフィーヌ様が本当に知らなかったと思うかい?」
「思うわけない」私は、ぶんぶん首をよこに振った。「逆に、知っていたとしか思えないわ」
「だよね。その女中頭さんも、そう思った。もちろん、キオッフィーヌ様に確かめたわけでもないよ。確かめられるわけがない。話題にすらできないさ。ただ、ご存知なのだ、と考えるべき。女中頭さんは、そう肝に銘じながら、キオッフィーヌ様にお仕えし続けた。
そして結論に達した。今度は、お二人の仲を取り持とう、と。それは言い換えれば、ヌビ家と王家の仲を取り持つ事でもある。無闇に怖がっている場合じゃない。自分なりに世のためヨランドラのためと思うなら、アンディン様とキオッフィーヌ様が仲違いするような事態を見逃してはならない。ヌビ家と王家の関係が割れるような事態を防がなければならない。何としても。ヌビ家の女中頭として、そう心がけるべきなのだ、と。
やがて老いて、誰かにこの課題を託さなければ、と女中頭さんは考えた。そして郊外の女子修道院に目をつけたのさ。とは言っても、修道院もキオッフィーヌ様と交流が無いわけではない。ただし、キオッフィーヌ様が毎日、通っておられるわけでもない。距離は取れる。病気の療養を口実にして、その女中頭さんはメレディーン城から、つまりキオッフィーヌ様から一旦、離れた。そして見舞いとか、引き継ぎとかの名目で、まだ若かったノコさんを呼び出したんだ。
女中頭さんは、ノコさんに語った。アンディン様の秘密の交際。その恐ろしい結果と、推測されるキオッフィーヌ様や王家の暗躍。それら全てを語って、ノコさんに託した」
「そしてノコ自身は」私は思わず口にした。「同じように、セピイおばさんに託した」
「そう」
「シルヴィアの心配があったから」
「その通りだよ」
セピイおばさんは、そこまで言って、私から視線を外し、また遠くを眺めた。
「ノコさんは言ったよ。『おそらくキオッフィーヌ様は、シルヴィアの気持ちに気づいていただろう』と。『当のシルヴィア本人は、気づかれているという事に、気づいていないようだけど』とね」
セピイおばさんは、また私に視線を戻した。
「それらしい言動が実際にあった、とノコさんは言うんだ。キオッフィーヌ様に。
それは、まだジャッカルゴ様が都で修行中で、戻って来られる直前か。それこそ私がツッジャム城からメレディーン城に移った後かねえ。
詳しい会話の流れは、ノコさんも忘れていたよ。おそらくヨーロッパの十字軍の動向とか、勇ましく、きな臭い話題だったんだろう。単純な男どもだったら、威勢の良さそうな、景気の良さそうな意見ばかり出しそうな話題さ。
でもシルヴィアさんが、そんなのを真に受けるはずがない。ちゃんと考えてから意見したに違いないよ。ノコさんが言うには、いまいち分かりにくい、とにかく楽観論だけじゃない、下手すれば敵方サラセン人たちの肩を持つようにも取られかねない意見だったらしい。
実際、オペイクス様やオーカーさんたちの上役にあたる騎士様が居合わせて、ぶつくさ言ったとか。
しかしアンディン様は騎士様を止めて、シルヴィアさんを誉めた。ノコさんは、アンディン様が顔を輝かせた、と言っていたね。
シルヴィアさんは頬を赤らめて、その場を離れた。私も、シルヴィアさんが赤くなるなんて珍しい、と聞きながら思ったよ。
そんなシルヴィアさんを見送りながら、キオッフィーヌ様がおっしゃったんだ。『まあ、うちの人が教師なら、一番の教え子はシルヴィアね。メイプロニーよりも熱心に学んでいるわ』と。
ノコさんは『キオッフィーヌ様のこの言葉を、はっきり覚えている』と言うんだ。『会話の前後とか、細かい状況とかは忘れても、言葉は覚えている』と。
さらにはキオッフィーヌ様の表情も。いたって普段通りで、尖った気配など全く無い微笑みだったそうだ。
あんた、これを、ノコさんの気にしすぎ、考えすぎと思うかい?」
「うーん、普通なら、考えすぎって言うけど。火事の件を知った後じゃ、普通とは、もう言えないし。
そうだ。逆に、隙が無い。無さすぎるんだわ」
「よく気がついたよ、プルーデンス。そうなんだ。あまりにも見事に、感情を隠しきっておられたんだ。
それでノコさんは戦慄した。これはまずい、と。たとえアンディン様にシルヴィアさんへの関心が無くても、キオッフィーヌ様がシルヴィアさんを見る目は変わったはずだ。確実に。
以来、ノコさんはシルヴィアさんを、秘かに見張るようになった。キオッフィーヌ様から命じられなくても、ね。
そして同時に、キオッフィーヌ様にも気をつけていた。その一挙手一投足に目を配り、耳をそば立てて。
お二人が直接、衝突したりすることは、まず無いよ。それは私も思う。しかしノコさんとしては、注意を払わずにはいられなかったんだ。前の女中頭さんから託されたからには」
「そして、しばらくしてアンディンとキオッフィーヌが、都に移り住むことになった」と私。
「そう。お二人は、シルヴィアさんとは別の場所で生活を始めたんだ。ありがたいことに」
セピイおばさんの視線は、いつの間にか、また前方に、遠くに伸びていた。
「ノコさんも一瞬、迷ったそうだよ。シルヴィアさんに火事の話をするべきか。あえて話すことで、シルヴィアさんにアンディン様への気持ちを諦めさせることができるのではないか、と。
でも、ノコさんは取り止めた。私に話しても、シルヴィアさんには話さないことに決めたんだ。シルヴィアさんが意固地になるというか、かえって気持ちを募らせる場合を恐れて」
「そ、そうだね。周囲から駆け落ちを反対されたのに、逆に走ってしまう男女とか、世間話で聞いたことあるし。って、シルヴィアの場合は片想いだけど」
セピイおばさんは、ふふっと小さく笑った。ちょっと違ったかな。
「私も、シルヴィアさんは知らない方がいい、と思ったよ。自分だけ話を聞かせてもらって悪いけど。
シルヴィアさんが事実を知ったところで、どうにもならない。亡くなった娘さんを羨むか。キオッフィーヌ様を恐れるか、憎むか。私がシルヴィアさんの立場で火事の件を知ったとしたら、そのいずれか。いずれでも、良いことは一つも無いよ。
だからアンディン様たちの問題は、私が預からせてもらったんだ。ノコさんから託された通りに。シルヴィアさんには、ずっと内緒で」
そこまで言ったセピイおばさんの表情は、穏やかだった。ノコから託されたものをしっかり受け止めた証拠である。ノコは、やり残さないで済んだ。
こうして話を伝え終えて安心したノコは、セピイおばさんをメレディーン城に帰した。おばさんを最後の見舞客として、もう誰も見舞いに来ないように、念を押した上で。
その時も雨は、まだ降り続いていた。雨音の大きさも、そのまま。修道女も、たまに回廊の端に現れる事があっても、話し込むノコとセピイおばさんに怪訝な顔をするだけで、すぐにいなくなったとか。
そんな状況なら大丈夫だろう、と私も思う。修道女たちはもちろん、回廊のどこかに密偵が潜んでいたとしても。
そして実際、何事も無かった。セピイおばさんは、次の日から耳をそば立てるようにして、城下町で流行る噂話に気をつけた、と言う。しかしアンディンとキオッフィーヌの名前は聞こえてこなかった。領民たちにとって、先代の党首夫妻は、すでに過去の人だったのである。
「そうだ、思い出したよ。翌朝、大雨は止んでいたんだ。いつまで続くのかって心配したくらいなのに、止む時はあっさりでね。もしかしたら神様がノコさんの作戦に合わせてくださったのか、なんて考えたりもしたっけ。
おかげでメレディーン城のみんなは、ロッテンロープさんを気持ちよく送り出すことができた。息子さんが家族連れでお迎えに来たんだ。ロッテンロープさん本人と荷物を二頭のロバに分乗させていたよ。お孫さんがはしゃいで、その周りを走り回っていた。
空が晴れ渡ってね。大通りは水たまりが陽の光を反射させて、キラキラしていた。角を曲がるまで、ロッテンロープさんの一家は何度も振り返って、こちらに手を振って。城門から出ていた私らも手を振り返して。そんな見送りをしてもらったロッテンロープさんが羨ましいくらいだった。
と言っても、次の日もロッテンロープさんは通いで城に来てくれたんだけどね」
セピイおばさんは説明に、私も安堵した。セピイおばさんに続いて、ロッテンロープについても、ノコの考えた通りに事が進んでいる。
そこまでは順調と言えるのだが。
「ロッテンロープさんが住み込みじゃなくなって、二週間ほどだったかねえ。女子修道院から早馬が来た。院長様から遣わされた使用人は、ジャッカルゴ様に伝えたよ、ノコさんが亡くなった事を。ジャッカルゴ様は、ノコさんを世話してくれた修道女さんたち一同への御礼を、その使用人に言付けて、送り返した。
と同時にジャッカルゴ様は、ノコさんの葬儀などの手配に乗り出したよ」
セピイおばさんによると、彼は妻ヘミーチカを修道院に派遣することにした。メレディーン城の女中たちに関することは全て、彼女に任せてあるのだ。
翌日ヘミーチカは女中数名をお供に、馬車で出発した。リブリュー家から来たカディッケンスとテマニークは、前回の見舞いと同様。それにシルヴィアと、若き日のセピイおばさんが加わる。護衛の兵士たちも付き添って、彼らを束ねる役がオペイクスだった。
ヘミーチカたち一行は城門を出てすぐ、足止めをくらった。ちょうど、通いのロッテンロープがやって来たのである。ヘミーチカは彼女も拾って、再出発した。
馬車の中で、ロッテンロープは泣きっぱなしだったらしい。『奥方様、どうか嘘だとおっしゃってくださいまし』とまで言ったとか。
「そんなロッテンロープさんを見て、テマニークさんなんかは、ちょっと苦い顔をしてねえ。抑えていたつもりだったかもしれないが、当時の私より少し年上ってだけだ。感情を顔に出さないようにするのが、まだ下手だったんだろう。取り乱したロッテンロープさんを修道院に連れて行っても、大して役に立たないんじゃないか、って顔に書いてあった。
ロッテンロープさんには悪いけど、私も半分くらいは、そんな考えだったねえ」
しかし、とセピイおばさんは話をつなぐ。
「女子修道院に着くや、院長様がヘミーチカ様を出迎えた。そしてノコさんの遺体がある病室に案内しながら言うんだ。ノコさんの遺族がどこに住んでいるのか教えてほしい、と。
これを聞いて、ヘミーチカ様も私らも、目を丸くしたよ。てっきり、ノコさんがその辺りのことを修道女さんたちに話しているものと想像していたんだ。ところが院長様は、聞いていないと言う。修道女たちも。
では、彼女たちはノコさんと、どんなやり取りをしたのか。ヘミーチカ様がそれを院長様に尋ねると、答えは、こんなだった。なんとノコさんは生前『自分が死んだら、引き取り手の無い者たちの墓に入れてほしい』と言い続けていたんだよ。
ありがたいことに、修道女さんたちは『そんなわけにはいかない』と反対してくれてね。『どこに親戚が居るの』と何度も尋ねたが、ノコさんは『自分は天涯孤独の身で、そんな者は居ない』と言い張ったらしい。で、最後まで聞き出せず、修道女さんたちは困っていた、というわけ」
「ええーっ。居ないはずないでしょうに」私は首をかしげた。「誰か聞いていないのかしら。あっ」
「そ。ここでロッテンロープさんの出番だよ。ロッテンロープさんが手を上げて、ヘミーチカ様と院長様の会話に割って入った。『私が聞いております』と。ロッテンロープさんが言うには、たしかにノコさんは、ご家族の話をあまりしなかったそうだ。でも、その数少ない機会をロッテンロープさんは覚えてくれていた。
ノコさんが生まれ育ったところは、メレディーンの城下町の郊外でね。幾つか点在している部落の一つだった。女子修道院からは、メレディーン城を挟んで、ぐるっと反対側に回らなきゃ行けなかった。
ヘミーチカ様から相談を受けたオペイクス様は『護衛の兵士を一人、二人、現地に向かわせましょう』と言ってくださったよ。
するとロッテンロープさんが、自分も行きたい、と言い出した。自分が現地でノコさんの生家を尋ねて回る、と。これには、居合わせた全員が賛成して、ヘミーチカ様も改めてロッテンロープさんに頼んだよ。もう、この人の記憶だけが頼りだって、みんな分かっていたからね」
「ふーむ。結果、一番役に立ったのは、ロッテンロープだったのね」
「そういうこと。おかげで方針が決まったよ。
兵士をすぐに行かせるではなく、まずノコさんの遺体を引き取る。てっきりノコさんの遺族が来るものと思っていたから、こちらは棺とか何も用意していなかったよ。そこで急きょ、テマニークさんと私が、騎乗する兵士の後ろに乗せてもらうことになった。すると、シルヴィアさんも『オペイクス様の後ろに乗せてもらう』とか言い出して。オペイクス様が、ちょっと恥ずかしがっていたっけ。とにかく三人分の空きを馬車の中に確保して、そこにノコさんを寝かせたんだ。
で、みんなで一旦、メレディーン城に戻る。いつまでも修道院でノコさんの遺体を預かってもらうわけにもいかないし、メレディーン城に運んだ方がノコさんの生家に近くなるだろ。その分、遺族も引き取りに来やすくなるはずさ。
メレディーン城に着いたら、ヘミーチカ様が城内の礼拝室を開放してくださって、女中たちがそこにノコさんを安置した。その際に女中たちを取り仕切ったのは、シルヴィアさんとカディッケンスさんだよ。
その様子を途中まで見て、私はロッテンロープさんと一緒に、空になった馬車に戻った。私から、お手伝いを申し出たんだよ。ヘミーチカ様も『頼みますよ』と言ってくださった」
「それにしても、へんなことになったわね。余計な手間が発生している」と私。
「ノコさんには悪いけど、私もちょっと、そう思ったよ。しかも、これが手際よく、というわけにはいかなくて」とセピイおばさんも眉をひそめる。
「郊外の部落を回って、ノコという苗字の一家を探すこと自体は難しくなかったんだ。そう多くない苗字で、地元の住人たちに何回か尋ねたら、家まで案内してくれたからね。
で、その家から中年のおじさんが一人、出てきた。私らは、ついに遺族に会えたと思ったよ。
でも、ロッテンロープさんと私が事情を説明しても、そのおじさんは目を丸くするだけ。挙げ句に『スージー?うちの女連中にスザンナなんて名前の者はおらんですよ』と来た。『自分の父親の姉妹、母親の姉妹にも居ない』とまで言い張るんだ」
え?私は、ますます首をかしげる。
「もちろん、私らは食い下がったさ。ロッテンロープさんは、そのおじさんに、親戚を集めるよう、特に昔の事を知ってそうな年寄りを呼んで来るよう頼んだ。
そしたら、おじさんは面倒臭そうな顔をしてねえ。『まだ畑仕事で、それぞれ家に戻っていないだろうから』とか、ぐずぐず言うんだ。
それを見て、イライラしたんだろう。私らの後ろで待っていた兵士の一人が、ツカツカ歩み寄って、怒鳴りつけた。『いいから、とっとと連れて来やがれ。間違えるなよ。お前らが待たせてんのは、俺じゃねえ。城のご党首様をお待たせしてんだぞ』
それで、おじさんは慌てて走り出した。こんな若造にって顔が、一瞬だけ見えたけど。相手がご党首様と聞けば、一城の主以上という事くらいは分かっただろう。
こういう脅しめいた事は、なるべくしたくなかったんだがねえ。何しろ、相手はノコさんの遺族だ。
とにかく、この気の毒なおじさんは、部落を右に左に走り回ってくれたよ。私らの前も一、二回ほど往復したっけ。大人だけでなく子どもにも言いつけて、手分けして親戚を集めていた。
その甲斐あって、やっとノコさんを知る人が現れた。ノコさんやロッテンロープさんと同じくらいのお婆さんで、明らかに、遺族の中で一番の年長者だ。走り回ってくれたおじさんの伯母にあたるらしい。
そのお婆さんが思い出して言うんだ。『そう言えば、小さい頃に一緒に遊んだ従姉妹に、スザンナって子が居たねえ。でも顔を合わせたのは、ほんの何回かだよ。物心つく頃には、すっかり名前も聞かなくなった』と。
それでも貴重な証言には変わりないさ。私らは、このおじさんとお婆さんを含め、大人を六人ほど連れて行くことにした。お婆さんとかは馬車に乗せて、おじさんとか男連中はロバとかでついて来てもらう。
そんな行列だから、進みが速いとは言えないよ。私らがメレディーン城に戻った時には、陽が沈みかかっていたね。午前中に修道院からノコさんの遺体を引き取って、午後に遺族探しをした事になる」
「長い一日だったね」と私。
セピイおばさんは、ちょっと首を横に振った。
「たしかに日中も忙しかったけど、まだまだだよ。遺族たちを党首ご夫妻に会わせなきゃ。
もちろん彼らも、お二人にご挨拶したさ。でも礼拝室に通されて、寝かされたノコさんの顔を覗き込んだら、お互いの顔を見合わせるんだ。『誰だ、この人』って小声と、ひそひそ話し合う声が聞こえたよ。彼らは一番年長のお婆さんに尋ねたけど、お婆さん本人は首をひねる。『こんな顔だったかねえ。何しろ六十年以上前だ。しかし、うちの一族でスザンナは、あの従姉妹だけだし』とか、ぶつぶつ言って」
「前途多難か」
「そうだよ。
それでも、もう陽が暮れたってことで、ヘミーチカ様の指示で、女中たちが彼らを食堂に呼んだ。ご夫妻の気前の良さもあるが、長年働いてくれたノコさんへの感謝の現れでもある。
その晩餐の席で、ジャッカルゴ様が気軽に声をかけた。葬儀の日取りや、執り行なう教会が決まったら、知らせてほしい、と。自分たちも手を合わせたいから、とかね。
そしたら遺族のおじさん、おばさんたちは、また顔を見合わせるんだ。『お前が言え』『いや、あんたから』なんて小声でなすり合ってから、最初のおじさんが、やっと答えた。『わ、若殿様。私らは、あの亡き骸を引き取らなきゃならんのでしょうか』
これにはジャッカルゴ様も目を剥いて固まったよ。そしてオペイクス様を呼んで『後ろから肩を押さえてくれ』とか頼むまでした」
なかなかの怒りっぷり、いや正直な自制ぶりである。「ジャッカルゴにしては珍しいんじゃないの?」と私が聞くと、セピイおばさんも「そうなんだよ」と答える。
なんでもジャッカルゴは、豪商とか司教などのような偉い立場の者に声を荒げることはあっても、自分より低い立場の相手には穏やかに話すよう心がけていたそうだ。ましてやノコの遺族でもある平民に、怒鳴るわけにもいかない。
しかし、そんな気づかいも分からず、ノコの遺族としての自覚の無い彼らは、のうのうと言ってしまうのだ。『遺体を引き取りたくない』と。
たちまちジャッカルゴの目が吊り上がったので、すかさずオペイクスが声をかけた。『ご党首様、しばし、こちらへ』
そうして食堂の隣りに誘導して、オペイクスは小声で意見した。
『ご党首様。私もノコさんが彼らの手によって、同族の墓に葬られるべきと思っています。
しかし、もしかしたら、ノコさん自身がそれを望んでいなかったのかもしれません』
続けて、こう推測した。
『何らかの理由で、ご両親や兄弟姉妹と縁を切っていたものと思われます。それで、従姉妹とその子孫である彼らも、ノコさんの存在を知らなかった。彼らにしてみれば、赤の他人がいきなり遺体となって現れたようなものなのでしょう』
母、弟と絶縁しているオペイクスならではの推測と言える。
対してジャッカルゴの意見は、こうだ。『だからと言って、俺は、引き取り手の無い者たちの墓なんぞに頼るつもりはないぞ。たとえノコ自身が望んでいたとしても、だ。そんなことをするくらいなら、ヌビ家の墓地に一画、空ければよい』
小声ながら、ジャッカルゴの語気が強くなるのを、セピイおばさんは覚えていた。
いつの間にか、二人のそばに来ていたロッテンロープも、口をはさんだ。『いいえ、若様。若様たちを煩わせる必要はありません。私どもロッテンロープ家の墓に、スージーを入れてあげれば、よろしいのです』
それはそれで、ちょっと変な話だ、と私は聞きながら思った。当時ジャッカルゴも同じことを彼女に言ったらしい。
結果、オペイクスが提案した。『ここは一旦、遺族を帰らせて、考えさせましょう』と。
ジャッカルゴは、これを了承した。ただし『明日には返事するように』と遺族たちに念を押して。『ここまで来るのが手間なら、地元の役人に申し出るでも良い。役人には、事前にこちらから話しておく』
と言うのも、彼らを部落に送り返す際に、ジャッカルゴは、また馬車や護衛の兵士を使うつもりだったのである。そのついでに、近くの役人のところに立ち寄って、言い含めておく。本当に気前の良い若殿様で、他家ではあり得ない気配りだ。
それだけではない。遺族たちに食事を提供しながら、彼は同時に、領民の台帳を持って来るよう使用人に言いつけた。城詰めの役人やオペイクスと共に、それを開いてみる。
遺族たちの部落を含め、周辺地域にノコという苗字は、たしかに何軒か在った。遺族たちにその一つ一つを確認すると、どれも親戚と答えた。全く別のノコ家は、やはり存在しなかったのである。
これには遺族たちも認めざるを得なかった。どうやら、亡くなった人の関係者は自分たちだけらしい。その辺りから、ようやく自覚が芽生えたのだろう。帰りの馬車に乗せてもらう段になって彼らは、また顔を寄せ合った。そして、こう言った。
『私らは決心しました。明日までお待たせするまでもありません。若殿様へのご返事は、今、ここでさせてくださいませ。
亡き骸を受け取ります。なので、どうか馬車に乗せていただけんでしょうか?部落に着きましたら、小さいところですが、近くの教会堂に案内しますので、そこまで運んでいただきたいのです』
もう、そのまま地元の教会に直行して、夜のうちに神父に話をつけておこう、というわけである。
当然、ジャッカルゴは快諾した。そして護衛の兵士たちと共に、ロッテンロープとセピイおばさんも再び同行を申し出た。ノコの遺体に付き添い、神父が預かるところを見届けるためである。
「で翌日、葬儀のミサが執り行われて、党首ご夫妻も約束通り出席した。私も同行させていただいて、手を合わせたよ。ロッテンロープさんとカディッケンスさん、シルヴィアさんもね。
シルヴィアさんは、はじめ躊躇していたよ。『私はノコさんから、あまりよく思われていなかったはずなんだけど、いいのかなあ』なんて頭をかいて。でもカディッケンスさんが説得してくれた。『そんなこと言わないで。大丈夫。ノコさんは、ちゃんと分かってくれていますから』とね。ヘミーチカ様もシルヴィアさんの背中を押してくださった」
「うーん。それはいいんだけど、おばさんも大変だったわね。ノコの生家まで何回も往復して。
ノコも変だわ。女中頭としての仕事をやり残さないように、あれこれ神経を使ったのに、自分自身のことは疎かだなんて。何だか、ノコらしくない気がする」
私が言うと、セピイおばさんは少し微笑んだように見えた。
「葬儀から帰る馬車の中で、シルヴィアさんが同じ指摘をしたよ。私は、そんなシルヴィアさんを見て、あっと声が出そうになった。で、慌ててこらえた」
「えっ、シルヴィアのせいなの?」
「じゃなくて、アンディン様。正確に言えばキオッフィーヌ様のせいだよ、きっと」
あっ。私まで声が出そうになった。
「ノコさんは、アンディン様とキオッフィーヌ様の問題を知っている。アンディン様が失った交際相手。その人の死に、キオッフィーヌ様が関係しているであろうということ。
それらを踏まえて、ノコさんは考えたんだ。自分は、親族との関わりを断とう、と。自分とつながりがあるために、いつかキオッフィーヌ様や王家から自分の親族が睨まれるような事態を怖れて。
と言っても、前の女中頭さんのように、心配した割には何事も無かった、という場合もあるだろう。
でも、それに期待していいのか。ノコさんは期待しないよ。そんな人じゃない。油断に過ぎないんだから。そんな甘い考えの人じゃなかった」
セピイおばさんは、また前を向いて遠くを見る。
「と、まあ、私は推測したのさ。あくまでも推測であって、ノコさん本人に確かめたわけでもない。オペイクス様の時みたいに、もともと何らかの理由で親族と疎遠になっていたという場合も考えられる。
後で知ったけど、シルヴィアさんも似たようなもんだったよ。オーカーさんやアズールさんとのつき合いがご両親の耳に入って、けっこう搾られたとさ。で、シルヴィアさんも意固地になって、生家に寄りつかない。手紙のやり取りもしなかった、ってね。
そうした、他の人の事例を考えれば、ノコさんが生家の墓に入ろうとしなかった事も、そのまま本心なのかもしれない。私らが遺族を探し出して、遺体を引き取らせた事は、余計なお節介かもしれない。
しかし、ねえ」
「うん。引き取り手の無い墓は、あんまりよ。そんなこと、するわけにはいかないわ。親族のお墓に入れて、正解」
私が言い切ると、セピイおばさんは今度こそ、はっきりと微笑んだ。「ありがとう、プルーデンス」
「ところで、セピイおばさん」私は前から気になっていた事を尋ねてみた。「ノコって、ずっと独身だったの?」
「そうみたいだね。ロッテンロープさんみたいに子どもがいるとか、聞いた事が無かった」
「それもキオッフィーヌ対策とか」
「さあねえ。私がノコさん本人から聞いたのは、別の理由だったよ。『自分は子どもの時からずんぐりしていて、醜女。言い寄ってくる男なんか一人も居なかった』って。だからシルヴィアさんたち五人組の騒ぎとか、私がいつまでもソレイトナックのことを引きずっている様子とか、大嫌いだったとさ」
「えっ。それってセピイおばさん本人に言ったの?」
「そうだよ。何かの話の流れで、そう言われたんだ。
でも、安心おし。それだけだよ。嫌いと言っただけ。私やシルヴィアさんが嫌いだからと言って、仕事上で意地悪するわけでも、仕事を回してくれないわけでもない。
同僚として、女中としては認めてくれていたのさ」
ふうむ、私情をはさまない、ということか。その点も、ノコに感謝しよう。
私が感心していると、隣りでセピイおばさんが立ち上がった。
「さあて、そろそろ帰るかねえ。すっかり長話になってしまった。もう、陽も暮れかかっているよ」
私も立ち上がって、二人して服の裾から埃を払う。
そして、改めてマルフトさんのお墓に一礼してから、私たちは歩き出した。
それで気がついたのだが、いつの間にか、周りの草木が夕陽をあびて、赤みがかっていた。
それらをぼんやり眺めながら、家路をセピイおばさんと並んで歩く。言葉は無い。会話せずに並ぶだけなんて、おばさんに対してよそよそしいようで、あまり良い気がしないのだが。何だか、言うことが見つからない。話しすぎたのかな?
「プルーデンス」
私が心配していたら、セピイおばさんの方から声がかかった。
「なあに、セピイおばさん」
「あんたへの講義は、しばらくお休みしようと思う」
「えっ、もう話してくれないの?」私はセピイおばさんの横顔を注視した。
「話さないわけじゃないよ。ただ、話が大きな山を越えたのは、確かだ。これからも時々、あんたに話したい事、話すべき事を思い出すだろう。それまで焦らなくてもいいと思ってね」
「ええーっ。もしかして、ネタ切れ?」
「ある意味、そんなとこだね。ネタが無いというわけでもないが、これまで話した事ほど重要とも言えない気がするんだよ。
重要なところは、あらかた、あんたに伝えられた。私は安心したよ」
「ノコの前の女中頭さんはノコに伝えて、ノコはセピイおばさんに伝えた。そしてセピイおばさんは私に伝えた。
でも私は、まだ城女中になっていないよ。
あっ。これって、セピイおばさんは賛成してくれるってこと?」
「いいや。賛成はしないね。城女中なんて、やめときな。ノコさんが家族を巻き込みたくなかったように、私だって、できるだけ、あんたたちを巻き込みたくないんだよ。
私が教えたことは、あんたの人生や家族のために役立てておくれ。城女中にならなくても、それはできる」
「そうは言っても」
私は、反論の言葉を探したけど、思い浮かばない。
「ほら、我が家が見えてきただろ。
さあ、頭を昔のことから今に切り替えて。
あんたの人生は長いんだからね」
セピイおばさんは私に微笑んだ。




