八話目 報われるということ
予想以上に伊吹が怒ってしまった。
「焼け石に水」の状態だが、こんな時は「焼石に大量の氷水」
――それが、私のセオリーだ。
「う~ん。意味の有り無しというのは、君ではなく、母君が決めることだよ」
彼はさらに顔を強張らせたが、私はお構いなしに続けた。
「ましてや、報われないと言ったが、他者からの見返りを求めるなんて、それこそが意味のないことだ。他人に期待したところで、だぞ」
「でも、それじゃあ、損してばっかりじゃないか!」
「例えば、お金や物を貰ったとしても、使ったり、誰かに取られたりしたら、それで終わりだ。しかし、知恵や経験は誰にも奪うことができない。だから、自分自身の成長こそが最大の報酬になる」
「なんだよ。だから、母さんは報われているとでも言いたいの?」
ますます素っ気ない口調だ。
「イヤイヤ、そうじゃない」
私は小さくため息を吐いた。
「死んじゃったら、それで全部終わりじゃないか。それに自分がやったことに対するそれ相当のお金も欲しいし、ありがとうとか、感謝ぐらいはしてほしい。みんながそう思っているよ」
「それこそ、ナンセンスだ」
「……おじさんは、ほんとに何を言ってんの?」
「すべての答えは自分の中にしかない」
彼はキャパオーバーで目をシバシバさせた。
潮時だ。
「まぁ、君には難しい話だったな。だがな、伊吹。洗濯機の使い方なんて簡単だ」
「だから、呼び捨てにしないでって……」
彼は驚きで目をまん丸にした。
「どうして洗濯機のことを知っているの!」
「さて、ここで問題。伊吹君が洗濯もできないことを、なぜ知っているのでしょうか?」
私はニヤリと笑った。
「もしかして、それって、テレパシー的な?」
「どうでしょうか?」
「もう! 勝手に見ないでよ!」
怒りに震える顔に、どうにか笑いを堪えた。
それに、見たいわけではない。そっちが勝手に見せてくるのだ。
「これは私の持論だが、物事をポジティブに受け止めると、不思議とうまくいく。君は少し暗すぎるぞ」
「大きなお世話です! それに、母親の死をポジティブに受け止めろなんて、おじさんはだいぶん変わっていますね!」
「オォ~、これは、これは。お褒めのお言葉を頂戴し、ありがとうございます」
「誰も褒めていません!」
伊吹は、また目を吊り上げて怒り出した。本当に面白い顔だ。
「おじさんはよく人と違うと言われたでしょ? 全く、言葉が通じない!」
「オォ~、二度もお褒めのお言葉を頂けるとは、恐悦至極に存じます」
私は恭しくお辞儀をして微笑んだ。
すると伊吹が地団駄を踏んだ。
それに驚いた運転手がバックミラー越しに後ろを睨みつけた。
「わざと怒らせて、面白がるなんて、サイテーだ!」
「本心を言っているまでだ」
「そんな訳ないでしょ!」
彼はそっぽを向いた。
「本当だ。人と違うということは、独創性がある証拠だ。特別な存在という誉め言葉だよ」
「ワァ~、それはポジティブだ」
伊吹は茶化したように、冷ややかな目を向けた。
「そうだ。これぞ、ポジティブシンキングだ。人と人とは異なるからこそ、そこに新しい発見が生まれる」
それは本当のことだ。
皆が同じ着眼点を持っていたら物事は進展しない。
―― なぜ、人は人と同じでなければ不安になるのか?
あの時、大学を落ちた永田もそうだった……




