二十一話目 迷探偵登場
伊吹の視線の先を見ると、永田がハンカチで手を拭きながら歩いてきた。
「待っていてもらって悪かったね。なんせ身体が大きいから、トイレに荷物を持ち込むと、中で身動きが取れなくてね。助かったよ」
永田はとても上機嫌でそう言った。
もしかしたら、トイレの中で例の営業マンに連絡したのかもしれない。
「いいえ、大丈夫ですよ。それより、ぼく、言いそびれたことがあって、ポジティブおじさんから、他にも預かっていたものがあったのを忘れていました」
伊吹はなんの嘘も混じっていない朴訥な顔をして、自分のリュックサックの中から封筒を取り出した。
「この封筒の中に、さっき渡したデータを開くパスワードが入っています」
「エッ、パスワード?」
「はい。そうです」
伊吹はそう言いながら、その封筒をリュックサックの中に戻したが、私の記憶が正しければ、あの中には母親への大事なメッセージが入っているはずだ。
私はこれから始まる伊吹の大芝居を見守るしかなかった。
「ポジティブおじさんは言っていました。永田さんとは小学校時代からの親友だって」
「……そうだよ。親友だった」
永田は過去形を使った。
それを聞いて、心がチリチリと痛んだ。
「なので、あなたが想うおじさんとの一番の思い出を教えてください。ぼくはおじさんからも、あなたとの大事な思い出話を聞きました。それとあなたの話が一致したら、このパスワードをあなたに渡します」
「はぁ? なんだよ、それ」
伊吹の突拍子もない提案を聞いた永田は警戒した顔を見せたが、すぐにニヤッと笑った。
「あぁ、解った。お金が欲しいんだな。おかしいと思ったよ。君がよっぽどのお人よしじゃなければ、こんな頼まれ事を引き受けるはずがない。いいよ。いくら欲しいんだ。三万円でいいか?」
永田は内ポケットから財布を出し、一万円札を何枚か抜き取って、伊吹の胸に押し付けた。
「止めてください。違います。お金が欲しいんじゃありませんから」
伊吹はそう言って、永田の手を払い除けた。
「なんだよ。人が親切に言ってやっているのに」
「実は、ぼく、あのおじさんにアルバイト代をもらっているんです。それで、こういう風に言いなさいと指示を受けました」
「だとしても、通りすがりに頼まれたおじさんの言うことを律儀に聞く必要ないよ。さっさとその封筒を渡してくれたら、オレからもこのアルバイト料をやるよ。それでこの仕事は終わる。それでいいじゃないか。さぁ、受け取りなさい。大体、君だって、中年おじさんの青春時代を聞いたって楽しくないだろ」
永田は半ば脅すようにそう言って、また伊吹に金を突き付けた。
「いいえ、ダメです。ぼくはとても真面目なので、頼まれた仕事はやらなくちゃいけません。それに、あなたが本当にあのおじさんの親友なのかを、ぼくは確かめたいんです」
「そんなこと、君には関係ないだろ?」
永田は明らかにイラついた顔をした。
「いいえ、こうなったのも、何かの縁ですから。それに、ぼくにも都合があるので」
「都合? 君の都合ってなんだよ?」
「あぁ、いえいえ、それはこっちのことなので」
伊吹の言う都合とは、成仏のことだろう。
「ポジティブおじさんは具合が悪いのに、会社や研究の心配をしていました。でも、自分は永田さんを信頼しているからって、そんなあなたに全てを任せたら大丈夫だからって、言っていました」
「……友利が、そんなことを言ったの?」
「そうです」
「ホントに? そんな美談を言う訳ないけど」
永田は頭を掻いた。
「ホントです。でも、ぼくはあのおじさんの話を聞いて、不思議に思いました。世の中に本当に信頼し合っている親友なんているのかなと」
「友利が言ったんだから、そうなんだろう」
あいつはまるで他人事のように、そう言った。
「だから、聞きたいんです。永田さんのお話も」
「めんどくせーな」
永田は露骨に嫌な顔をしたが、伊吹は機嫌を取るように、ねこなで声を出した。
「そう言わずに、ね。あのおじさんから聞いた話とあなたの話が同じで、あぁ、親友ってこういう風に信頼し合っているんだなと納得できたら、パスワードの入った封筒をお渡ししますから。お願いしますよ~」
私には、伊吹の意図が見えなかった。
永田も明らかに困惑していて、毛虫を見るような目つきで伊吹を睨んでいた。
しかし、それでも伊吹が怯まなかったので、諦めたように深いため息をつき、手で後ろのベンチへ座るように合図した。
そして、自分もその横に座った。
「友利は君に何を話したの?」
「それは言えません」
永田はうんざりした表情を見せて、こう言った。
「どうせ、あれだろ。オレの母親が死んだ時の話だろ」
「では、それの話を聞かせてください」
伊吹は真摯な顔でそう言った。
「チッ、話せばいいんだろ」
「お願いします」
永田は仕方がなく話し出した。
「オレが高校3年の時、母親がオレを塾に迎えに来る途中で、交通事故を起こして死んじまったんだ。その事故の知らせを聞いた時、オレは友利と一緒に塾にいた。それで、急いで家に帰った。今でもあの日のことは、よく思い出せない。塾からどうやって帰ったのか覚えてないんだ。それで、家に着いたら、母方のじいちゃんとばあちゃんがいたらしいけど、それも覚えていない。ただ、母ちゃんが死んだっていう電話がかかってきた時に、自分の部屋で友利と一緒に勉強をしていたことだけは覚えている。当時は、こんな時に勉強なんかさせやがってって、あいつのことを怒ってたけど……。だけど、それで良かったんだと思う。じゃなければ、母ちゃんが死ぬか死なないかっていうギリギリの状況に、オレは堪えられなかった。今、思えば、辛い時に一緒にいてくれて、有難いことだったのかもしれないな……」
「そんなことがあったんですね」
伊吹はそう言いながら、私の顔を見た。恐らく、「この話は本当なの?」と聞きたいのだろう。
私は大きく頷いて見せた。すると、伊吹も大きく頷いた。
「どうだ? 友利もこの話しをしただろう? そして、あいつはこうも言ったはずだ。あの時、オレが『母ちゃんが死んじまった』って言って、鼻水垂らして大泣きしたってな。あいつはそれを学校中に言い触らした。オレはそれが恥ずかしくて、しばらく学校に行けなかった」
伊吹が眉を顰めて、再びこちらを見たが、私は大急ぎで首を振った。
それを言い触らしたのは、葬式に出席した別のクラスメートだ。
「その話ではありませんでした。他の話しを教えてください」
伊吹が淡々とした口調でそう言ったので、永田はカッとなって大きな声を出した。
「なんだよ! もういいだろう。早く、封筒を渡せよ!」
しかし、伊吹は頑なに首を振った。
「いえ、その話だと、お二人が親友だったという説が立証できません。もっと、心温まる話を聞かせてください」
「お前、何様のつもりだよ!」
「お願いします」
伊吹がそう言って丁寧に頭を下げると、あいつはベンチの肘掛けを殴りながら、こう言った。
「クソ! じゃあ、この話はどうだ。オレが大学に落ちた話だろ?」
「その話を聞かせてください」
「もう、なんなんだよ。オレは早く行かないといけないのに!」
永田はそう言うと、例の腕時計をチラッと見た。
「エッ、飛行機の時間はまだですよね。それに、さっきのアナウンスでは出発が遅れるみたいですし。それとも、その前に、どこかに行かないといけないんですか? ……例えば、誰かと待ち合わせしているとか?」
永田はその言葉を聞いて、ビクッと身体を震わせた。
「ただ、飛行機の時間が気になるだけで……」
「では、まだ大丈夫ですよね。お願いします」
そう言われて、あいつは渋々話し出した。
「オレは、母親のことがショックで受験勉強に身が入らなくて、志望校にことごとく落ちた。それで、投げやりになっていたら、友利がオレに会計の専門学校に行けと言った。当時は、数学も得意じゃないし、電卓ばっかり叩いて、オレは何にも楽しくないのに、あいつは自分の思った通りの大学生活を楽しんでいて。羨ましいと言うか、正直、怨めしかった。あいつに誘われて、何回かあいつの所属していたサークルに顔を出したこともあったけど、オレみたいな普通の頭じゃ、話題についていけなくて、居づらくて……、すぐに行かなくなったよ。あの頃は、毎日が面白くなかった。でも、まぁ、今思うと、社会に出たら、経理の仕事は需要があることが解ったから、食いっぱぐれはしなかったし、家業を継いだ時も、そっちの面では困らなかった。だから、いい選択だったのだろうなと思う。何より、母親の遺言通り、フーテンだけは避けられたからな」
「フーテン……。それってなんですか?」
伊吹はそう言いながら、私の顔を見た。
恐らく、私がタクシーの中で「フーテン」というワードを口にしていたことを思い出したのだろう。
「知らないの? 無職って言うか、何て言ったらいいかな? 昭和の映画に出てくる言葉なんだけど、面白いんだよ。あれは何度も観ている」
――……………………これは、どういうことだ?
あの映画は観ないというのが、私達のセオリーのはずなのに…………
私は目の前が真っ暗になった。
あいつも私と同じように、この二人だけの合言葉を大事にしていると思っていた。
しかし、それは私が最も嫌っていた『普通』と言う名の価値観の押し付けに過ぎなかったのか?
私は自分自身に足元をすくわれた気がした。
そして、今までの何もかもが間違いだったのかもしれないとさえ思った。
だが、この絆が私の押し付けだとしたら、人と人とは、どのようにして信頼関係を築けばよいのだろうか。
思いやりと称して干渉し合い、価値観を押し付け合って生きていくしか他に道が無いのだとしたら、この世に自由なんて存在しない。
ふと、目線を上げると、伊吹が怪訝そうに私を睨んでいた。
私は咄嗟に、伊吹から目を反らした。
すると、彼は永田にこう言った。
「それは、フラフラした人って意味ですか?」
「まぁ、今はそういう人のことをなんていうのかな? ニート? フリーター? ハングレとか闇バイトとか、あれは怖いよね。ニュースでよく見る。まぁ、フーテンはそこまで悪い人ではないよ。遺言を正確に言うと、プー太郎だけにはなるなと言っていた」
「プータロウ?」
「エッ、それも通じないの? こりゃ、参ったな。おじさん凹んじゃうよ。たぶん、オレの母ちゃん的には、定職にも就かないでプラプラしている人のことを言っていたと思う。プラプラ太郎。略して、プー太郎ってとこだな。それをオレ達、あぁ、オレと友利はふざけて、『フーテンにだけはなっちゃダメだぞ~』って、ギャグのように言い合ってた……」
永田はそう言うと、少し遠くを見つめた。
あいつの見つめる先にあるものは、私と同じ二人の絆への想いなのだろうか?
それとも、全く違うのだろうか?
考えても解らないからと切り離していたものが、今、大きな波となって、私を暗く冷たい海の底へ沈めようとしていた。
「じゃあ、つまり、今の永田さんがあるのは、ポジティブおじさんのアドバイスのおかげと言うことですね」
「どうして、君にそんな恩着せがましいことを言われないといけないんだ?」
「でも、結果としてそうですよね」
「フン。しかし、まぁ、結局はその通りだ。オレがどんなにピンチの時でも、あいつの言う通りにしたら間違いない。だけど反対に自分で決めたことは何ひとつうまくいかない。……皮肉なもんだな」
伊吹は黙ったまま、私の顔を見ていた。
私も黙ったまま、伊吹を見つめた。
――もう言葉がない。




