二十話目 伊吹の名案
私がそのように気持ちを新たにしていると、伊吹が神妙な顔をして、こう言った。
「おじさん、警察に行こうよ」
「警察?」
「そうだよ。おじさんはあの人に殺されたんだよ。捕まえてもらわなくちゃ。それで罪を償わせるんだよ」
「だが、あの水筒はバス停に置き去りになっているし、それに、私は死んでしまったのだから、あれを永田から貰ったと証言できない」
永田から水筒を受け取った時、私達の周りには誰もいなかった。
そういえば、あいつは風邪気味で手が冷たいからと手袋をしていたような気がする。
今思えば、水筒に指紋を付けないようにしていたのか。
――あいつ、案外、悪知恵が働くのだな
私は変なところで永田を見直した。
「しかも、今は大雨が降っている。水筒の蓋は開いていたから、泥水が中に入ってしまって証拠にならないかもしれない」
「じゃあさ、自首してもらったらどうかな?」
「自首?」
伊吹は突拍子もないことを言い出した。
「そうだよ。ぼくが説得してさ」
「何を言ってるんだ? そんなこと、無理だろう」
「やってみなくちゃ解らないよ」
「しかし、どうやって説得するつもりだ」
「それはね、『おじさんは永田さんのことを本当に信頼しているよ』って、言えばどうだろう?」
彼は自信満々にそう言うと、屈託のない笑顔を見せた。
「……君は思っていたよりも、頭がアレだな」
「アレって、どういうことだよ!」
彼は目を吊り上げて怒った。
「じゃあ、どうするの? おじさんは自分を殺した人に、大事な研究も会社も任そうとしているんだよ。しかも、あの人のことを親友とか、信頼しているとかって! そんなのおかしいでしょ!」
伊吹の正論に、私は、ぐうの音も出なかった。
「なのに、何だよ、あの人の態度は! おじさんは、本当にそれでいいと思っているの? ぼくはそんなの嫌だよ!」
伊吹は少し涙目で悲しそうな顔した。
驚いたことに、彼は私のために本気で怒っているのだ。
「そうだな。私の人生の中で弱音を吐くというのは不本意だが、正直に言うと、ちょっと参っていることは確かだ」
「だろうね。おじさんと知り合って、ほんの数時間しか経ってないけど、そんなことを言うなんて、ちょっと信じられないよ。これは相当なことだね」
「あぁ、相当だ」
さすがの私も反論できずに、素直にそう答えた。
すると伊吹が面を食らったように、こう言った。
「ちょっと、止めてよ~。急に素直になられると、なんだか調子が狂っちゃう」
その時、悪天による運航遅延のアナウンスが流れ、ロビーのざわめきが一際大きくなった。
伊吹は気を取り直して、作戦会議をするように声を顰めた。
「それで、一体、何が見えたの? あの人に殺されたのは正解でしょ? その理由を教えてよ」
私は言いたくはなかったが、仕方なく口を開いた。
「……永田は会社の金を遣い込んでいた」
「なにそれ! どれぐらいの金額なの?」
伊吹はまるでワイドショーを見ているように、好奇心と憤慨の入り混じった声を出した。
「金額までは分からないが、バレたら困るからと、私に毒入りコーヒーを渡すほどの金額なのだろう」
「ヒドイ! そんな理由で人を殺すなんて! 自分勝手じゃないか! しかも、やっぱり水筒に毒が入ってたんだね。それって、青酸カリかな? ドラマでよくあるけど、あれってアーモンド臭がするんだよね? でも、アーモンドの匂いってどんな匂いかな? あの時、おじさんからそんな匂いは全然しなかったけど」
「……今、そんなことはどうでもいい」
「だって、ずっと、気になってたんだよね。アーモンドを食べたって、たいして匂いなんてしないし……。あぁ、ごめん。そんな場合じゃなかったね」
伊吹は自分で気づいて、話しを本筋に戻した。
「でも、何に使ってたのかな? ありがちなのは、女の人に貢いだり、ギャンブルしたり? そういえば、あの人、高そうな時計してたよね。あれも会社のお金で買ったのかな?」
「あの時計は最近亡くなった親父の形見だと言っていたが……。言われてみると、形見の割にはやけにピカピカで新品だったような気もする……」
永田の父親は二カ月前に亡くなった。癌の転移が見つかった時には、もう手遅れだったらしい。そういえば、あいつの奥さんとは葬式で挨拶をした。ということは、あの後に離婚したのかもしれない。
「じゃあ、きっと会社のお金で買ったんだよ。でも、見えたのはそれだけなの?」
伊吹は妙な勘を働かせて、痛いところを突いてきた。
「それと、さっき渡したデータと白い粉だが……」
「うん。あれがどうしたの?」
「……あれは、ライバル会社に売り飛ばすらしい」
それを聞いて、伊吹は勢いよく後ろに仰け反った。
「あいつ、飛んでもない極悪人じゃないか! せっかく持ってきたのに! そんなことのために来たんじゃないでしょ! おじさんの夢を叶えるために、ここまで来たはずだよ。なんでだよ! どうしてそんなひどいことするんだよ。あぁ、それじゃあ、ますます成仏できないじゃんか!」
伊吹が顔を真っ赤にして怒っている姿を見て、逆に私の気持ちは潮が引くように鎮まっていった。
「あいつは私のことを誤解しているようなのだ」
「誤解って?」
「あいつは私にずっと馬鹿にされていると思っているようだ。そして、私にいいように使われていると思っているらしい」
私はそんなことをした覚えはない。
「それは……、永田さんが間違っているよ」
「君……」
伊吹は私の感動をよそに、捲し立てた。
「おじさんがバカにしているのは永田さんだけじゃないでしょう? それに、ぼくだって、こうやって利用されてる。でも、悪気はなさそうなんだよね。こう言うのって、サイコパスって言うんだっけ? だから、永田さんはそんな事で気に病むことは全く無かったのに」
「……君は一体、私の何を知っていると言うんだね」
私はそう抗議したが、彼はそれを一切受け入れずに話しを続けた。
「でも、ライバル会社にあれを渡すのは、絶対ダメだよ」
「どうしてだ?」
「だって、それで成仏できるの?」
「どうだろう? まだ、成仏できる実感が湧かない」
私は不本意にも、ため息交じりでそう言った。
「そうでしょう? ぼくだって心残りなのに、おじさんがスッキリするはずないよ」
「だが、ライバル会社があれを商品化して世の中に広めてくれれば、助かる人々がたくさんいる。あの技術が永田に握り潰されるよりはいいのかもしれない」
「それ、本気で思っているの?」
「……そう思うしかない」
今のベストはそれしかないのだ。
「そんなの嫌だよ」
「君が嫌だと言っても仕方がない」
「ダメだよ。何とかして、あれを取り返そう」
「取り返して、どうする?」
「それは取り返してから、考えようよ。おじさんが心置きなく成仏できるようにしないと、ぼくが困る」
「では、どうするつもりだ」
私がそう尋ねると、伊吹は少し得意げな顔でこう言った。
「ぼく、いいことを思いついたから、見ていてよ。ほら、あの人がトイレから出てきた」




