十九話目 黒い靄
「おじさん? おじさん! ちょっと、どうしたの!」
伊吹がそう大声を出したので、私は我に返って、冷静を装った。
「イヤ、何でもないよ」
「何でもない訳がないでしょ! おじさん、顔色が悪いって言うか、全体的にどす黒くなってたよ。なんか怒ってたみたいだけど?」
「……怒ってはいないが、どす黒いとはなんだ?」
怒ったところで、私が生き返る訳ではない。
それよりも、今のベストを考えるべきだが、頭が回らない。
「ぼくが声を掛けたら、普通に戻ったけど……。なんかこう、雰囲気がオドロドロしいというか……、おじさんの肌の色が段々と黒く染まっちゃって、それで、急に背筋がゾーっとして。ぼく、鳥肌が立っちゃってるよ、ほら」
伊吹は腕まくりをして、ブツブツが浮かび上がった肌を見せながら、話しを続けた。
「もしかして、永田さんの心の中を見たの?」
「見たのではないよ。向こうが勝手に見せるのだ。あれ? あいつはどこに行った?」
私は辺りを見廻して、永田を探した。
「永田さんは急にお腹が痛いって、トイレに走って行ったよ。しかも、バッグが大きくて邪魔だから見ていてくれって、捨て台詞のように言いながらね」
「そんなに慌てて行ったのか?」
「そうだよ。あの人って、やっぱり天然なの?」
「まぁ、昔からそんな感じだ」
私は心を落ち着かせるために、窓の外に目を向けた。
いつの間にか、土砂降りの雨が降っていた。
「それで? 何が見えたの? 早く教えてよ」
「オッ、この私にそんな口を利くとは、いい度胸だ」
「もう、ふざけている場合じゃないでしょ! それにしても、あの人って、感じ悪いよね?本当に親友だったの?」
「そうだなぁ……」
「怪しいな~。でも、例の物を渡したんだから、もう成仏できるんだよね?」
「……だろうなぁ」
私は一向に考えが纏まらなかった。
鎮めようと思っても、怒りが沸々と腹の底から沸き上がる。
――……しかし、あいつの身勝手な理由で殺されたなんて
到底、納得できない!
私の人生は、これからだったというのに!
散々、私を頼っておきながら……
そんなことが許されるのか!
「ちょっと、おじさん! また、黒くなってる! これじゃあ、成仏できないんじゃない?大丈夫なの?」
「……あぁ、なるべく、大丈夫であろうと努めているところだ」
私は首を振りながらそう答えたが、自分の胸に広がる黒い靄を払うことができなかった。
頭が爆発しそうだった。
だが、伊吹の前で取り乱すことはできない。
伊吹はそんな私の苦悩を知るはずもなく、彼なりの推理力を働かせていた。
「あの人、水筒の事を聞いてたよね? やっぱり、あれに毒が入っていたんじゃないかな?」
私は考えるふりをした。頭の中には、あらゆる罵詈雑言が行き交っていた。
伊吹はその沈黙を肯定だと理解したらしい。
「許せないよ。友達を殺しておいて、あんな平気な顔をしているなんて。アッ、でも平気じゃないからお腹が痛いのかな? イヤイヤ、そうだとしても絶対に許せない! ぼくは許さない!」
そう言うと、彼は自分の太ももを、バシッ! と、力強く平手打ちした。
そして、その弾けるような音を聞いた瞬間に、目の前がパッと明るく開けた。
伊吹の真っ直ぐな心が、私に巣食う黒い靄を晴らしてくれたのだ。
「伊吹……、君は思っていたより、いいやつだな」
「それは誉め言葉なの? っていうか、今まではどう思っていたのか、めちゃくちゃ気になるよ」
「イヤイヤ……」
私はこの純真な少年と出会えたことに感謝した。
永田の気持ちはあいつにしか解らないし、今更、どうしようもない。
――前に進む。
ただ、それだけだ。




