十八話目 知らない顔の親友
あいつは本当にお腹の具合が悪いらしい。
真っ青な顔をして、でっぷりとした腹を摩っている。
「永田さんですよね?」
伊吹がそう呼びかけると、あいつは初対面の少年の顔を怪訝そうにジロっと見た。
それは、私が見たことの無い険のある顔つきだった。
「君、誰なの?」
「ぼくは高山と言います。友利っていうおじさんに頼まれてきました」
伊吹はオドオドしながら何とか声を振り絞り、私に指示された通りのセリフを言った。
「エッ? 友利に?」
永田の顔つきが、さらに険しくなった。
「それで友利は? あいつはどうしたの?」
「ええっと……、あの、おじさんは空港行きのバス停で急に具合が悪くなって……、びっ、病院に行きました」
伊吹の口調はしどろもどろで不審者そのものだったが、永田はそんなことを一切気にせず、身を乗り出して彼に迫った。
「病院に行くって……。具合って、どんな風に悪そうだったの?」
「エッ? どんな風にって、その……」
伊吹は私が耳元で囁く通りに、こう返答した。
「おじさんは急にめまいがすると言って、倒れてしまって」
「めまい? それだけか? ほかには? 例えば、吐き気がするとか?」
「いいえ。そんなことは言っていませんでした。でも……、大したことは無いけれど、念のために病院に行くと言っていました」
「大したことがない? そうか……。それはそうと、あいつが倒れた時に、何か飲み物を飲んでなかったかな?」
「わかりません。倒れた瞬間を見ていないので」
「じゃあ、あいつの近くに何か落ちていなかったか? 例えば、水筒とか?」
それを聞いた伊吹は、私に意味ありげな目配せをしてから、「わかりません」と首を振った。
「君は、あいつの知り合いなの? どういう関係なの? それにしても、どうしてこの広い空港でオレを見つけられたの?」
永田はしつこく質問をした。
これには、さすがの私も伊吹に悪いことをしたと思った。
「ええっと、おじさんとぼくは初対面ですけど、おじさんが倒れた時に、ぼくもバス停にいたので、それで介抱したら頼みたいことがあるって……。それで空港に永田という部下がいるからと言われて。あなたの写真を見せてもらいました」
「部下ね……。それでわざわざ、空港まで来たの?」
永田はあからさまに不機嫌な態度を取った。
「はい。でも、ほら、ぼくも空港に行くから、そのついでって言うか」
「あぁ、そうか。空港行きのバス停にいたってことは、君もこれから飛行機に乗るってことか」
「そうです。母の田舎へ行きます」
永田はフーンと言う顔をして納得したようだった。
その様子を見て、伊吹が私の方に顔を向けた。
私は大きく頷いて、話しを続けるように促した。
「それでおじさんは、『次の飛行機に乗るから、永田さんは先に行って、現地で待っていてほしい』と言っていました。それから、これを……、あのポジティブおじさんから預かってきました。あなたに渡してほしいって」
最後の「ポジティブおじさん」は、伊吹のアドリブだ。
私は苦笑いした。
すると、永田も同じように苦笑いしながら、受け取ったUSBと小ビンをスーツのポケットに入れた。
「ポジティブおじさん……。おめでたいあいつにピッタリのネーミングだ」
しかも、永田は唇の片方だけを上げて笑っていた。
こんな笑い方も、私は見たことがなかった。
私の知らない永田に胸がざわつく。
「それにしても、友利は本当に運がいいのかもしれないな」
永田はそう言うと、小さく舌打ちした。
それと同時に、永田の感情が強風に煽られた火砕流のように、私に襲い掛かってきた。
『どうして、あいつは死ななかったんだ!
コーヒーを少ししか飲まなかったのか?
会社の金も使ってるし、ヤバいな……。こうなったら、捕まる前に逃げないと
しかし、この少年から、諦めていたブツが手に入った。
早いところ、あの営業マンに売り払って、金にしよう。
それにしてもいい気味だな。
あいつの夢が叶う目前で、オレに全てを台無しにされるとは。
あいつは昔っからオレのことをうまく利用して、心の中では馬鹿にしやがって。
何が人類を救うだ! どうせ、オレには解らないよ!』
そうして私の脳裏には、燃え盛る炎の向こう側に、ラボの中で薬品保管庫を漁っている永田が見えた。あいつは口にペンライトを咥えて、薬品の入った瓶をまじまじと見ている。
それから、あいつが喫茶店の隅でスーツ姿の男と会っている姿が見えた。あれは私に執拗に纏わりつき、技術協力を依頼してきた営業マンだ。
最後に……、離婚届に印鑑を押している永田の姿が見えた。あいつの目の前には、ぱっちりとした二重の女性が座っている。二人の間には殺伐とした空気が重苦しく漂っていた。
――なんだ、これは……
信じられない。
私は、あいつに殺された?
どうして……
横領も、裏切りも、離婚も……
私は全く知らない……
しかし、こんな形で裏切られるとは……
私の輝かしい未来は?
夢は?
好きなことを追求する自由は?
全て奪われた……
あぁ、意識が朦朧とする……




