十六話目 信じる気持ち
私はあの居酒屋で友情を育んだ夜を思い出した。
――そうだ。
このゴビ砂漠での実験さえ成功すれば、私の夢が叶う。
こんな時に、あの固い絆で結ばれた親友が私を殺すはずがない。
私は自信をもって、伊吹にこう言った。
「そんなことはあり得ない。あの永田が私に毒入りコーヒーを渡すはずがない」
すると、伊吹が意外そうな顔をした。
「エッ? 空港で待っている永田さんが、あの水筒をくれたってこと?」
「そうだ。あいつは忘れ物をしたお詫びだと言って、自分が飲むはずだったコーヒーを私にくれたんだ」
伊吹は首を捻った。
「う~ん。あれは自分が飲もうとしていたのか~。だったら、他の誰かが永田さんを殺そうとしたとか?」
「永田は誰かに恨まれるような……」
私は永田の浮気相手や奥さんの顔を思い浮かべた。
しかし、あれはもう過ぎたことだ。
今では、奥さんと仲直りをして、双子と奥さんと奥さんの母親の五人で一緒に住んでいるはずだ。
「あっ、その顔は何か思い当たることがあるの?」
「そんなことはないが、君はあの水筒に毒が入っていたと決めつけているな?」
「だって、そうでしょ? それしかないじゃん」
伊吹はまるで、「ハンバーガーのサイドメニューはポテトしかない」と言うような軽さでそう言った。
「イヤ、そんなことは仮説に過ぎない。決めつけると、そこに先入観が生じる」
「でも、本当に永田さんが毒を入れたということもあると思うよ。ほら、おじさんは変にポジティブだし、自分が一番正しいって思っているでしょ?」
先程から気になっていたのだが、もしかすると、彼の辞書から『遠慮』という文字が消えかかっているのかもしれない。
私は胸に刺さった言葉の棘を抜こうと、強い口調で言い返した。
「またまた、誉め言葉を頂いたが、だからって、私が殺される理由にはならないし、そもそも毒など入っていなかったはずだ」
「ほら、そういうところがね。じゃあ、おじさんはどうして死んじゃったの? 覚えていないんでしょう?」
私は返答しなかった。
いくら、思い出そうとしても、何も出てこないのだ。
「その永田さんって人、おじさんの部下だけど友達なんだよね? って言うか、本当におじさんと仲良かったの?」
「君は一々、失礼だな。永田と私は幼馴染だぞ」
私としたことが、彼の挑発的な態度に少なからず憤慨してしまった。
「ぼくはおじさんのことを心配しているんだよ。おじさんは自分が死んだことをちっとも悲しんでない。しかも、ちょっと他人事のように感じてない?」
「イヤ、そんなことは……」
それは当たっている。
私は自分が死んだという実感もないし、悲観もしていない。
むしろ、感覚が研ぎ澄まされて、心地良い解放感すら感じている。
もしかすると、死への恐怖に抗うため、多幸感をもたらす脳内物質が大量に放出されているのかもしれない。
まぁ、今の私には脳みそどころか実体がないのだから、本当のところは解らないが、伊吹はそんな私を奇妙に感じたのかもしれない。
「永田さんに殺されたかもしれないのに、そんな人に大事な研究を託すって言ってるし。それで本当に成仏できるの?」
「大丈夫だ。私はあいつを信じている。私を殺そうだなんてするはずがない。最初に言った通りに、君が例の物をあいつに渡してくれたら、私は成仏できる」
「本当だね」
「あぁ、約束する」
疑いのまなざしを向ける彼に、私は大きく頷いた。
窓の外に目を向けると、空港のターミナルが見えた。




