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十四話目 伊吹の疑念

 伊吹が無視を決め込んだ後、タクシーが車線変更し、スピードを上げた。

 その拍子に、彼は真顔になった。


「でも、おじさんのそういうところじゃないかな?」

「何がだ?」

「だからさぁ~、う~ん」

「何だ。言い難そうにして。いいから言ってみろ」


 私がそう促しても、彼はなかなか口を開かなかった。

 

 クラクションが短く鳴った。


「最近、誰かに恨まれるようなこと、言ったんじゃない?」

「どうして、そんなことを聞くんだ? 私は誰からも好かれているぞ」

「ほら、だから、そういうところが」


 伊吹はそう言うと、首を振って話を続けた。


「じゃあ、おじさんが死んで得をする人っている?」

「得? 誰も得なんてしないぞ。私を失う損失の方が遥かに大きいからな」

「……だから、そういうポジティブ論じゃなくて、お金とか会社とか。他には、その……、よくある恋愛のもつれ的な? おじさんが不倫していて、奥さんがカンカンに怒っているとかさ?」

「私に妻はいない」

「へぇー、独身なの?」

「そうだ。一度も結婚しようと思ったことが無い」

「どうして?」


 伊吹は、やけに興味深々だ。


「どうしてもこうしても、その必要性を感じなかったからだ。それに、ずっと他人と一緒にいなければならない理由が思いつかない」

「理由って……。そこは、好きだから、ずっと一緒にいたいってことじゃないの?」

「私はそうは思わない。好きであれば、なおのこと、その人には自由であってほしいと思う。そして、私も常に自由でありたい」


 彼は、スッと身体を引いた。


「やっぱり、変わってるね」

「ご理解いただき、誠にありがとうございます」


 彼はまた無視して、続けた。


「じゃあ、誰かのストーカーをしたことも無さそうだね?」

「失礼な。誰がストーカーだ。それに、女性は向こうから寄ってくるぞ。誰もが私を奪い合いだ。モテる男はつらいよ」

「ハイハイ。じゃ、会社で派閥があるとか?」

「アハハッ、君は本当にドラマの見過ぎだな。うちみたいに小さな会社は、派閥ができる程の従業員がいない。それに私の代わりに社長になりたい奴もいないさ。しかし、私がこうなってしまっては、永田に夢を託したい」


 そのためには、早く空港に着かねばならない。


 タクシーのメーターを見ると、時速百キロメートルを示していた。

 これなら、後十分ぐらいで空港に着くだろう。


「本当に永田さんって言う人を信頼しているんだね」

「そうだな。あいつは少し頼りないところもあるが、いいやつだ」

「ふ~ん。じゃあ、おじさんの家族は仲がいいの?」

「あぁ、両親には猫可愛がりされている」

「その歳でネコって……。じゃあ、どうしてなんだろうね?」

「何がだ? 何が言いたい?」


 私は、質問攻めの意図が掴めなかった。


「う~ん、あのね。不思議に思うんだけど、おじさんって、死んじゃった時の事を覚えてないよね?」

「あぁ、覚えていない」


 私は胸を張って、そう言った。


「やっぱり、そうなんだ……」


 そうして、伊吹は肩を上下にゆすり、姿勢を正した。

 タクシーが速度を落として、左車線へ入った。


「あのね、落ち着いて聞いてね」

「なんだ、改まって」


「あの時、おじさんはベンチに座っていて、ぼくはバス停の時刻表を見ていた。おじさんに背中を向けてね。そしたら、急にグワッって変な声とガチャンって音が聞こえて、それで振り向いたら、おじさんが地面に倒れていた。手で喉とか胸とかを押さえて、めちゃめちゃ苦しんでた。その時、おじさんのそばには水筒が転がっていて、中のコーヒーが道路にめちゃくちゃこぼれてて。たぶん、それを飲んで死んじゃったと思う」


 私はハッとした。


「あのバス停の植木の中にあった赤い水筒は、私が持っていたのか?」

「うん。赤だった気がする。おじさんのじゃないの?」


 私は記憶を辿って、よく考えた。


 ――確か、今朝はスーツケースを持って会社へ行き、永田と少し話して、

   そして、あいつと一緒に空港へ行くはずだった……

   だが、あいつが家にパスポートを忘れたと言いだして……

   それから、別々に空港へ行くことになって……

   それで? 赤い水筒は? 

   ……あれは、あいつがくれた物だ! 

  「お前が好きな店のコーヒーが入っている」と言って……


「あれに毒が入っていたと言うのか?」

「そう思ったけど。じゃなかったら、急病とか? どこか具合が悪かったの?」

「強いて言えば、実験の最終チェックで忙しかったから、あまり寝ていないが、そんなことはよくあることだから問題はない」

「じゃあ、信じたくないかもしれないけど、誰かが、おじさんのことを……」


 そんなことがあるはずもがない。

 あいつには恨まれるどころか感謝されているはずだ。


 ――あいつの人生最大の窮地を救ったのは、この私なのだから。


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