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十三話目 普通という名の枠

 ふと気が付くと、伊吹が私の顔をじっと見ていた。

 そして、痺れを切らしたように、こう言った。


「ねぇ、どうして、普通が難しいの」

「そうだな。例えば、君の普通と私の普通は違うだろう? そこにいる運転手の思う普通もまた別物だ。十人十色とはよく言ったもんだな」

「でも、普通に考えると、どこかの会社のサラリーマンになって、お給料もらって、それで生活できればいいでしょ?」

「うん。だから、それは誰の思う普通だと思う? それが君の本心か?」

「えっ? そうだけど~」


 伊吹が戸惑っている。


「じゃあ、具体的には?」

「え~っとね。そんなこと急に言われても解らないけど、ほら、ドラマとかで、何かの企画を考えたり、営業したりしてるじゃん。あんな感じかな~。みんな、そう思っているんじゃない?」


 伊吹は能天気な顔で、そう言った。


「それは、あれか。大都会の巨大ビルに勤めていて、出勤時には、胸元に下げた社員証を駅の改札みたいなゲートに翳しているような。美男美女が繰り広げるステキなオフィスライフ。そんなイメージか?」

「うん。それだよ」


 彼は喜々として答えた。


「それが普通の基準だとしたら、相当苦労するな」

「なにそれ? それは、ぼくには無理だってこと?」

「あの仲間入りをするには、並大抵ではない」

「エッ、そうなの? みんな、お気楽そうに見えるけど」

「あれはいわゆるエリートだよ。あそこで働くには、飛んでもない努力が必要だぞ。まぁ、強力なコネがあるなら、それはまた別の話だが」

「なんか、社会に出るのが嫌になる話だね」


 伊吹はしょんぼりとした。


「おっと、今のは、就職氷河期を経験した、しがない幽霊の与太話だと思って忘れてくれたまえ」

「えっと、ヨタバナシってなんだろ?」

「あぁ、それもまとめて忘れてくれ」


 私がそう言うと、伊吹は深いため息をついた。

 私は少しだけ補足することにした。


「世の中には、数多くの職業があるだろ?」

「そうだね」


 彼は気のない返事をした。


「何をしていても、どこにいたとしても、皆、自分は『普通』だと思っているはずだ。もちろん、無職の人だって、子供だって、そう思っている。君だって自分が基準だろ?」

「それはそうだけど、なんだか、話しが広がってきて分からないよ」

「まぁ、いい大人が何か言っているなと思って聞いてくれ。私は人それぞれの『普通』に良し悪しは無いと思っている。しかし、自分の『普通』を他人に押し付けた瞬間、それはもう普通ではない。悪意となり、相手を傷つける刃になる」

「ぼくは、押し付けてなんかないけど……」


 伊吹はそうやって、語尾を濁した。


「本当かな? 例えば、テレビによく出てくる家族は、父母と二人の男女の子供という構成が多いと思わないか?」

「言われてみれば、そうだね」


 私はその返答に、大きく頷いた。


「こうした家族像を見続けていると、それが、いわゆる『普通の家族』だと刷り込まれる」


 彼は黙っていた。


「さっき、君が言っていたドラマの会社員も同じことだ。そして、『みんな』がそうなんだと思い込んでしまう。さらに、自分がその『みんな』から外れることを、必要以上に恐れるんだ」

「うーん。なんだか難しい話だね」


 伊吹はそう言うと、腕組みをした。


「そう考えると、『普通』って何だろうね」

「吾輩の辞書に『普通』の文字は無い。……なんてな。ハッハッハッ」


 伊吹は、私の洒落たジョークを完全に無視した。

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