第3章
アレヴィ家があるのはマールから離れた郊外にある、ポアニーと呼ばれる街だった。
農業とブドウの栽培が盛んで、ここで生産されているワインもマールでは人気の商品となっている。
マールから鉄道で二時間、ノエたち三人はポアニー駅に降り立った。客車に揺らされながらの旅はさすがに疲れたのか、三人一様に伸びをして身体をほぐした。
「ちょっと疲れましたな。お二人とも、大丈夫ですか?」
「大丈夫です。ちょっとお尻が痛いですけど。サフィナさんは大丈夫ですか?」
ノエが振り向く。するとサフィナは声を上げることもなく、前を見つめていた。
「サフィナさん、どうしたんですか?」
再度声をかけるがやはり反応はない。怪訝に思ったノエは彼女の視線の先を追った。
そこに広がっていたのは、マールにはない中世の色濃い街の光景だった。
ポアニーは中世の頃に発展した街で、当時建てられた教会や城壁などが残されていた。
街の中に並ぶ家も当時のまま残されており、まるでこの街だけ中世に逆戻りしたような印象を受けた。
その不思議な光景を、サフィナは目を輝かせて見つめていた。おそらく彼女の目には、中世の騎士道物語が、目の前に広がっているように映っているのだろう。
ノエも目の前の光景に釘付けになった。まるで絵画の世界がそのまま飛び出してきたような光景に、ノエは言葉にできない感情が溢れていた。
二人は目の前の光景に圧倒され、そこに流れる時間を見つめていた。
「お二人とも、そろそろ行きましょう」
そんな二人を微笑ましく見つめながら、モリスが声をかけた。
「え、あ。そうですね」
「すいません、ボーっとしてました」
ノエたちが慌てて顔を上げた。声をかけなければいつまでもその光景を見つめていたかもしれない。モリスは静かに苦笑いを浮かべていた。
ノエたちはポアニーの中心部を歩いていた。さすがにマールほどのにぎやかさは無いが、それでも街行く人々は誰もが笑っており、穏やかで楽しそうな光景が広がっていた。
「そういえば、アレヴィ家の屋敷はどちらにあるんですか?」
「この街から少し離れたところにあると聞いているんですが……あ、ちょっと待ってください」
モリスがいきなり駆け出した。その先には警官と思しき男がいた。どうやら警官に聞き込みをするつもりのようだ。
警官と少し話した後に戻ってくると、モリスは渋い顔を見せた。
「警察に聞いてみました。この街を抜けて三十分ほど歩いた先にあるそうです。それとついでに、屋敷について話を聞いてみたんですが、屋敷に入るのは難しいかもしれません」
「どういうことです?」
サフィナが訊き返すと、モリスは警官と話したことを説明した。
「ルイズさんも言ってましたが、当主が亡くなって喪に服してから、ずっと外との交流を断っているようです。郵便配達人や行商人も門前払いされていると言ってました」
ルイズも同じことを言っていたが、警官が言うほどなのだ。よほど徹底しているのだろう。
ただノエには気になることがあった。
「モリスさん。喪に服している間にアレヴィ家の方と会った人はいるんでしょうか?」
その問いかけにモリスは首を横に振った。
「おそらくいないと思います。さっきの警官も、ご家族の方をしばらく見ていないと言ってましたよ。当主が亡くなったことが、よっぽど悲しいのかもしれませんね」
そんな風にモリスは冗談気味に答える。それが嫌な想像を誤魔化すためのものであることは、ノエにもわかっていた。
ギャングまで関わっているのだ。悲しみよりも恐ろしいことが起きているかもしれないのだ。
「ノエさん……」
その時、後ろからサフィナが声をかけてきた。ノエが振り向くと、彼女は怯えるように震えていた。
嫌な想像をして怖くなったのだろう。ノエは彼女の手を握り、想像を振り払うように声を上げた。
「大丈夫です。きっとご家族の方は無事ですよ」
特に根拠のない言葉だった。だがノエの言葉がどんな風に響いたのか、サフィナはホッとした様子で笑みを浮かべた。
「……はい。そうですね。私もそう思います」
「行きましょう。アレヴィ家の屋敷に」
街を抜けてそのまま歩き続けたノエたちは、アレヴィ家と思われる屋敷を見つけた。
中世の貴族の館。そんな表現がぴったり当てはまる立派な屋敷だった。近代的な建築様式と違い、堅牢な煉瓦造りといくつも並ぶ尖塔が印象的な建物だった。
「あれがアレヴィ家ですか」
「そのようですね。他にそれらしい建物もありませんしね」
屋敷はちょっとした森の中にあった。歴代の当主たちの趣味なのか、屋敷の周りに整備された庭園が広がっていた。
ノエたちは少し離れたところから屋敷を見ていた。近くにある岩陰に身を隠しながら屋敷を見ると、大きな正門に男が二人立っているのが見えた。
「あそこにいるのは、屋敷の門番でしょうか」
「ふむ……探りを入れてみたいですが、どうしましょうか……」
モリスが思案するように唸る。すると彼は胸元からを便箋を一枚取り出した。
「すいませんノエさん。これに名前を書いてくれませんか?」
「え? いいですけど……」
ノエは戸惑いつつも、モリスの言う通りに便箋に名前を書いて手渡した。それを受け取ったモリスはニヤリと笑うと、それを持って岩陰から飛び出して行った。
「モ、モリスさん?」
ノエが呼び止めようとするが声は届かず、モリスは屋敷に向かって歩いて行った。
「何をするつもりなんでしょう?」
「さあ……」
不安そうな声を上げながら、ノエたちは今も歩き続けるモリスを見守っていた。
モリスはそのまま屋敷の門まで行くと、門番の二人に呼び止められた。モリスが話し始めると、彼らは動揺した様子を見せた。
それから少し話し込んだ後、モリスは踵を返して来た道をまた戻ってくるのだった。
門番たちの姿が見えなくなったところで、モリスは身を潜めながらノエたちのところに戻ってきた。
「お待たせしました」
「モリスさん、一体何をしていたんですか? 何か話し込んでいたみたいですが」
そんなノエの問いかけに、モリスはまたニヤリと笑った。
「あそこにいる二人。門番ではないですよ。レオナさんを襲ったのと同じギャングに違いありません」
「え?」
モリスの答えにノエたちは思わず声を上げてしまう。
「えっと……どういうことです?」
「あの二人に話しかけてみたんですが、どう見ても貴族に仕えるような振る舞いではありませんでした。綺麗に着飾って誤魔化していますが、滲み出る匂いまでは誤魔化せていなかったです。振る舞いや雰囲気がギャングの奴らと同じですよ」
モリスも探偵として、ギャングが関わる事件にも関わったことがあるのだろう。そのモリスが言うのだから確かなのだろう。
ただその言葉を聞いて、ノエは事態の深刻さを理解し始めていた。
屋敷の前にギャングが立っている。そんな屋敷にいるアレヴィ家の人々に身に危険が迫っている。そう思うのが自然であった。
「モリスさん。アレヴィ家の人たちは無事なんでしょうか?」
「どのような状態にあるのかわかりませんが、話を聞く限り大丈夫だと思いますよ」
「そういえば、あの人たちと何をお話されていたんですか?」
サフィナがそんな疑問を口にした。ノエも気になっていたので、視線でモリスに問いかけてみた。
「ああ。さっき屋敷に近づくとあの二人に止められましてね。何の用かと言われたんで、これを見せたんです」
モリスの手には、ノエから借りた便箋が握られていた。
「自分はプルスト家の使いの者で、アレヴィ家の当主にこの手紙を渡すよう言われたと伝えたんです。プルスト家の名前に二人とも動揺してましたよ。それから先代のアレヴィ家の当主が亡くなって家族の者は喪に服しているので、今は会えないと言われました」
ノエの実家のプルスト家はアンネルでも有数の資本家で、政財界でもそれなりに力を持つ存在だ。そんなプルスト家からの手紙を持ってきたと言われれば、驚きもするだろう。
「何に使うのかと思ったら、そんなことに使ってたんですか……」
「素敵な名前だと思ってくれたんじゃないでしょうかね」
呆れるノエに悪びれもせずモリスは笑みを返した。
「男たちは旦那様に渡すから手紙を寄越すよう言ってきたんですけど、直接家族に渡すよう言われていると伝えて断ってきました。あと屋敷の様子を見て見たんですが、カーテンを閉め切って中が全く見えません。まるで中から助けを呼ぶことができないようにしているみたいでした」
「……それって、アレヴィ家の人は屋敷に監禁されているということでしょうか」
そう考えると門番と思われた二人は、外界との連絡が取れないようするための見張りなのだろう。
「本当に、家族の方は大丈夫でしょうか?」
「確証はありませんが、少なくとも命の危険はないと思います。監禁しているということは、生きてもらわないと困る事情があると思いますから」
あまり安心できる話ではないが、それでも最悪の事態は免れているようだ。そのことにサフィナが胸を撫で下ろしていた。
そんなサフィナを横に、ノエが屋敷を睨みながら呟いた。
「それなら早く助けないと。このままだと何が起きるか……」
彼の中の義憤心が熱を帯びているようだ。彼の危うさを知っているモリスは宥めるように声をかけた。
「まあまあ。お気持ちはわかりますが、我々だけではどうしようもできません。慎重にいかないと」
その言葉にノエも一旦落ち着きを取り戻す。モリスは少し考えてから腰を上げた。
「……とりあえず、一回街に戻って考えましょう」
ノエたちはアレヴィ家の屋敷から離れ、ポアニーの街に戻っていた。今は街外れにある閑静な住宅地を歩いていた。
「さて、どうしましょうか」
モリスがそんな風に呟く。状況は決して良くはない。
アレヴィ家の屋敷を囲むように居並ぶギャングたち。おそらくアレヴィ家の人々を監禁しているであろう屋敷の状況。
喪に服している期間がそのまま監禁されている期間だとするなら、あまり時間はない。早く彼らを助けないといけない。
「モリスさん。警察に行ってみましょう。ギャングが占拠しているのなら、警察に対処してもらわないと」
ノエが至極当然のことを言葉にしたが、モリスは首を横に振った。
「その通りではありますが、それは難しいでしょう」
「どうして?」
「警察に動いてもらうための証拠がこちらにはありません。あいつらがギャングだとしても、それを証明することもできないし、彼らが悪事を働いているという証拠はこちらにはありません。今我々が警察に話に行っても、言いがかりだと反論されるでしょう」
モリスの言う通り、屋敷で何かが起きているとしても、それを証明するものはない。証拠もないのに警察に動いてもらうことはできないのだ。
「ですが、モリスさん。早くしないとアレヴィ家のみなさんが危ないです。何とか助けてあげないと……」
サフィナが心配そうに眉をひそめる。嫌な想像をしているのか、泣きそうな顔をしていた。
ノエも同じような気持ちになった。あの屋敷に監禁されていると思うと、身も心も参っているはずだ。早く助けてあげたい。焦りにも似た気持ちが胸に込み上げていた。
二人の気持ちを察して、モリスが少し考え込む。それから顔を上げて二人に提案した。
「たぶんですが、アレヴィ家に出入りしていた人が他にもいるはずです。まずはその人に話を聞きに行きましょう」
その提案にノエたちも頷いた。
街の人に話を聞いて、ノエたちはアレヴィ家をよく訪ねていたという人物のところにやって来た。
その人はアレヴィ家に牛乳配達に通っていたという男性で、先代の当主が亡くなる直前まで牛乳を運んでいたという。
「ああ、確かに先代様が亡くなるまでは俺が牛乳を配達していたよ。先代様がうちの牛乳を気に入ってくれて懇意にしてもらっていてね」
牛舎の方から牛たちの鳴き声が聞こえてきた。力が有り余っているのか、空気が震えるのを感じた。
「失礼。亡くなるまでということは、それから屋敷には行っていないということでしょうか? 何があったか教えてくれませんか?」
「それがよ。先代様が亡くなった後も行かせてもらったんだが、喪に服するからしばらく誰も入ることはできないって言われて、門前払い食らわされたんだよ。俺もせっかくの上客だったから、いつまで続くんだと聞いてみたが、それはわからないって言われるだけで相手にもされなかったよ」
男は肩を落として首を横に振った。話を聞く限り、本当に外との接触を断ち切っているようだった。
その時、ノエが男に問いかけた。
「すいません。その時あなたを相手した人はアレヴィ家の人でしたか?」
これまでノエたちが聞いた話では、喪に服している間にアレヴィ家の人に会った人はいなかった。であれば、男性を相手した人物は家族の者ではないのか。
その問いに対して、男は首を傾げていた。
「そういえば、あの時俺と話した奴らは普段見かけない顔だったな。確か先代様の息子があそこにいたはずだが、先代様が亡くなってからは会っていないな。あ、でも」
その時、男が何かを思い出したかのように顔を上げた。
「あの時、俺の前にいた男の一人が、先代様の親族だとか言っていたな。今は代わりに自分が取り仕切っているとか。だいぶ居丈高な奴で、いけ好かない顔だったな」
その時の相手の顔を思い出したのか、表情に苦味が浮かび上がっていた。
「ありがとうございます。それで、あなたの他にも屋敷を訪れていた人はいませんでしょうか? できれば教えてほしいのですが」
「それならテリム坊やのところに行くといい。家で育てた野菜をよく売りにやって来てたよ。いい野菜を作ってたから屋敷の人たちにも気に入ってたらしい。地図を渡すからそこに行くといいよ」
「わかりました。ありがとうございます」
それから三人は、男から手渡された地図を片手に、テリム少年の家に向かっていた。
「そういえば、屋敷には使用人はいなかったんでしょうか? あれだけ大きい屋敷なら、使用人を雇っていると思いますが」
「そうですね。おそらく使用人のみなさんも、屋敷に閉じ込められていると思います。数人程度なら問題ないでしょうからね」
モリスの答えにノエたちが暗い顔になる。予想はしていたが、言葉にしてしまうと余計に気が重くなった。
「あそこがテリムくんの家ですね」
その時、モリスが指差す方向に小さな家が見えた。周りには畑があり、そこで野菜を耕していることがわかる。
その時、サフィナがその家に向かって走り出そうとした。
「サフィナさん?」
「ノエさん! モリスさん!」
ノエが呼び止めようとすると、彼女の鋭い声が返ってきた。驚くノエたちに彼女はさらに言葉を重ねる。
「早く行きましょう!」
二人を急かすサフィナ。早く行きたいとその場でステップしていた。
彼女もこの状況に焦っているのだろう。早くアレヴィ家の人々を助けたい。その想いが彼女を急がせている。
サフィナも同じ気持ちだ。ならばその想いに応えないといけない。ノエはそう考え、彼女の顔を見た。
「わかりました。早くみんなを助けに行きましょう」
そんな二人の様子をモリスは楽しげに見つめていた。その時だった。
道の向こうで何かがひっくり返ったような、大きな音が聞こえてきた。それに混ざるように怒号のような声もかすかに聞こえてくる。
「なんだ?」
「何かあったのでしょうか?」
ノエの問いかけに答える者はいない。だけど、向こうから流れてくる空気から恐ろしいものを感じた。
殺意にも似たその空気に、ノエの背筋が震える。
もうそれ以上考える余裕はなかった。ノエとモリスは同時に走り出し、目の前にある角を曲がった。
角を曲がってみると、そこには二人の男が子供に襲い掛かっている光景があった。少年は殴られているのか、頬を押さえて地面に蹲っていた。
男は何かを探すように子供の身体を漁っていた。ポケットや衣服の中にも手を突っ込んだ。
もう一人は少年が持っていたのだろう鞄などをひっくり返し、中身を物色していた。
「何かあったか?」
「いや、何もない。本当に何もなかったみたいだ」
男二人からそんな声が聞こえてきた。ノエたちの存在に気付いていないのか、なおその場に散らばった荷物を物色した。
「何をしているんですか!」
その時、ノエの背後からそんな声が聞こえた。彼が振り返ると、サフィナが男たちを睨みつけていた。
目を疑うという感覚を、ノエは初めて体感した。彼がその時見たサフィナの顔は、世界で最も怒りに満ちた顔だと思った。
サフィナも舞台の上で、怒りの演技をすることがあるし、その迫力はすさまじいものだった。
だけど、今のサフィナの怒りは演技ではなく、彼女の本当の感情なのだ。
彼女のそんな顔を見て、それが本当にサフィナなのかと、ノエは驚きで動きを止めてしまった。
それは睨まれた男たちも同じようで、サフィナの怒りの表情に彼らは明らかに狼狽えていた。
獅子に吠えられた兎。その慣用句の通りに彼らはその場に縛り付けられてしまった。
その時、遠くから悲鳴が聞こえてきた。近くの住人なのか、女性がその光景を見て悲鳴を上げていた。
その悲鳴が合図になったのか、さらに人が集まり始めていた。
「もういい。ガキは何も持っていなかったみたいだし、逃げるぞ」
男たちはそう言って、子供を放ってその場から逃げ出した。
「待て!」
「やめましょうノエさん。それより子供の方が心配です」
追いかけようとするノエをモリスが制止する。彼の言う通り、子供は今も苦しそうに道に蹲っていた。
すると、サフィナが子供に駆け寄り、優しく抱き上げた。
「大丈夫ですか?」
ノエたちも近寄ると、子供の右の頬が赤く腫れあがっていた。
「テリム!」
その時、悲鳴を上げていた女性が駆け寄って、子供に呼びかけていた。
「テリム……? すいません! この子がテリムくんですか!」
ノエが女性に問いかける。その声に反応したのか、サフィナに抱き起されているテリムが、うっすらと目を開けた。
「……お姉さんたち、誰?」
ノエたちは今、テリムの家にいた。悲鳴を上げていた女性はテリムの母親で、彼女に家へ招かれていた。
テリムは顔を殴られたことを除けば外傷はなく、倒れた時にできたであろう擦り傷くらいしかなかった。
晴れ上がった頬は痛々しかったが、塗り薬と包帯を巻いたことで痛みも和らいだようだった。
母親はテリムを助けてくれたことに何度もお礼を言ってくれた。それからノエたちは、テリムと話をさせてほしいといって、彼と話をすることになった。
「君がテリムくんだね? よくアレヴィ家に行っていると聞いているが、間違いないかな?」
「う、うん。アレヴィさんのところにはよく野菜を売りに行ってるよ」
いきなり大人たちに囲まれるという状況に戸惑っているようで、おどおどとした様子のテリム。そんな彼にモリスは慎重に質問を投げかけていった。
「実は君にアレヴィさんのことを聞きたいんだけど、今日もアレヴィさんのお屋敷に行ってたのかな?」
「うん、そうだよ。前はよく行ってたんだけど、あそこの前の当主様が亡くなってからは中に入れてもらえなかったんだ。喪に服す? とか言ってた」
「そうか。でも今日は屋敷に行ったみたいだけど、それはどうして?」
「あの時からだいぶ経つし、そろそろ野菜を買ってもらえないかなって思って試しに行ってみたんだ。だけど……」
そこで言葉を詰まらせるテリム。何かを怖がっている様子に何かを察したモリスは、彼の代わりに言葉を繋げた。
「屋敷でさっきの男たちに会って、それから追いかけられた。そうだね」
モリスの言葉にびくりと身体を震わせるテリム。どうやらモリスの言葉の通りで、屋敷であの男たちに襲われ、ここまで追いかけられたということだった。
ここでノエの中に疑問が湧く。どうして屋敷を訪れただけのテリムを男たちは襲ったのか。
同じ疑問を抱いていたのだろう。モリスがその疑問を投げかけた。
「テリムくん。あの男たちはどうして君を襲ったか、わかるかい? もしわかるなら、屋敷で何があったのか教えてくれるかい?」
傷付き、怯えるテリムに優しく宥めるような口調で語り掛けるモリス。その言葉に安心したのか、テリムがゆっくりと口を開いた。
「今日も屋敷に行ったけど、やっぱり今日も相手はできないって追い払われたんだ。だけど話だけでもできないかなって思って、裏口とか屋敷の周りを歩いてみたんだ。そしたら屋敷の窓が少しだけ開いてるのが見えたんだ。僕がそれに気付いて見ていると、その窓から何かをこっちに投げてきたんだ。カーテンで姿見えなかったけど、たぶんあそこはお姉さんの部屋だったと思う」
「お姉さん? それは誰のことだ?」
「あの屋敷に住んでる人。あそこは前の当主様と、その息子のナスルさんと娘のセレンお姉さんの三人が暮らしていたんだ」
新たな情報にノエたちは顔を見合わせる。これで屋敷にいるのはナスルとセレンと、他に親戚と思われる男ということになる。
モリスはさらに問いかけてみた。
「テリムくん。その窓から投げられたものは何だったんだい?」
「手紙だった。簡単な一枚の手紙で、石に巻き付けられて僕のところに飛んできたんだ」
石に巻き付けたのは単純に飛距離を伸ばすためだったのだろう。そうして投げられた手紙はテリム少年に向かって飛んでいったのだ。
「君はそれを拾って中を読んだのかい?」
「うん。あまり字は読めないしちゃんと全部は読めなかったけど、何だか怖いことが書いてあるのはわかった。それに手紙には『助けて』って書いてあるのもわかったよ」
その言葉にノエも思わずその場に立ち上がってしまった。それは間違いなく、セレンからの助けを求める声だ。
「だけどそうしていると、さっきの男たちが僕を見つけて怒鳴って来たんだ。何をしているんだって。慌てて何もしていないって答えたけど、怪しいとかいろいろ言って、荷物を見せろって言ってきたんだ。さっきの手紙を見せるのは危ないって思って、そのまま逃げだしたんだ」
「なるほど……そうしてここで男たちに捕まったところを私たちに助けられたということか」
たまたまあそこにいたことでテリムを助けることができたのだ。幸運としか言えなかった。
「それでテリムくん。そのセレンさんから受け取ったという手紙は今持っているかい?」
モリスが問いかける。さきほど男たちはテリムの荷物を物色していたが、何もないと言っていた。
もしテリムが持っていたなら見つかってもおかしくないのだが、どこかで落としたのだろうか?
ノエがそんな風に考えていると、テリムはゆっくりと立ち上がって脇に置いてある靴を手に取ると、靴の中から一枚の紙きれを取り出した。
「これがその手紙。あの人たちに取られないようにって考えたら、自然とここに隠したんだ。おかげであの人たちには見つからなかったけど」
ノエたちは呆気に取られた。とても怖かったはずなのに、まさかそんなところに隠していたなんて。子供ながらその行動に舌を巻いた。
「すまない。それをこちらに渡してくれないか。詳しくは言えないが、セレンお姉さんたちが大変な目に遭っているんだ。みんなを助けるためには、その手紙がどうしても必要なんだ。お願いできるかい?」
モリスが頭を下げる。大人が自分に頭を下げるという状況に戸惑いつつ、テリムはその手紙を差し出した。
「ありがとう」
手紙を受け取って中に何が書かれているのか、ノエとサフィナも身を乗り出してきた。
その内容に三人は顔を強張らせた。そこには助けてほしいという、セレンの叫びが書き殴られていた。
そこには自分と兄のナスルが監禁されていること。他にも使用人が監禁されていることなどが書かれていた。
さらに読み進めると、そこには知らない名前が書かれていた。
「犯人は叔父のブルノスで、彼が屋敷にギャングを呼び寄せたとありますね」
叔父ということは親族なのだろうが、何故彼がそのような暴挙に出たのか。ノエは不思議に思った。
「ブルノス……もしかして、ブルノス・ヴェーヌのことでしょうか?」
その時、モリスが何かを思い出したように声を上げた。
「モリスさん。何かご存じなのですか?」
「ブルノス・ヴェーヌ。最近業績を上げている実業家でして、工場をいくつも経営している人なんですよ。確かにアレヴィ家と関係があると伺ったことがあります」
そう語るモリスの顔だったが、ブルノスという名前に何故か嫌悪感を示していた。
「その……ブルノスという人は、こんなことをするような人なんですか?」
「少なくとも、噂を聞く限りでは十分あり得ます。業績を上げていると言っても、そのやり口はあまり誉められたものではなく、ほとんど犯罪だと言われています。工場の従業員もひどい環境で働かせているそうです。聞いていて気分のいい話ではありませんでした」
話を聞いていたノエたちも、胸が痛くなるのを感じた。
産業革命と近代化による発展は、豊かになる機会を人々にもたらした。しかしその反面、豊かになることへの欲望に取りつかれ、人の心を失うこともあった。
「それにブルノスという男、ギャングとも繋がりがあると言われています。屋敷に呼び寄せたというギャングも元々仲間だったのでしょう」
ギャングと繋がりを持つブルノス。おそらくクロエやオイフェを襲った男たちも、ブルノスに命令されて動いたのだろう。
あまりに血生臭い話に、ノエは怒りを超えて寒気を覚えるほどだった。
「モリスさん。それでしたら、早くセレンさんたちを助けないと。どうにかなりませんか?」
そこまで話したところでサフィナが声を上げる。今もギャングに監禁されている状況は、心身共に疲弊しているはずだ。限界を迎えているだろう。
サフィナの言葉を受けて、モリスがニヤリと笑った。
「大丈夫。この手紙を警察に見せれば動いてくれるでしょう」
そう言ってモリスは、セレンが書いた手紙を掲げて見せた。
「この手紙が確かな証拠になります。セレンさんの名前も書いてあるので、これを見せて警察に協力を願いましょう。それと、テリムくん」
モリスがテリムの方を見た。
「君はこの事件の有力な証人だ。屋敷にいた男たちに襲われたこと。この手紙を屋敷の人から受け取ったことを警察に証言してくれ。そうすれば警察もセレンさんたちを助けてくれるはずだ。いいかい?」
「は、はい!」
テリムの返事に満足そうに頷くモリス。
「さあ、あとは警察にお任せしましょう。明日には全てが片付きますよ」
それからの動きは目まぐるしかった。ノエたちは街の警察署に向かい、セレンから受け取った手紙を見せた。テリムにも証言してもらったことで、警察はすぐに被害者の救出に動いてくれた。
その日の夜、警察が救出部隊を結成してアレヴィ家の屋敷に向かった。大人数の警察たちが押し寄せてくる光景に、屋敷にいたギャングたちは狼狽。屋敷に押し入ろうとする警察に抵抗する素振りを見せるが、警察の大部隊相手に太刀打ちできるはずもなく、瞬く間に制圧された。
屋敷に突入した警察は屋敷内を捜索。部屋に監禁されていたナスルとセレン、それに使用人たちも救出。そして事件の首謀者であるブルノスをその場で逮捕した。
救い出したナスルとセレンは衰弱していたが、命に別状は無かった。
呆気ないほど事件が解決され、ノエたちは胸を撫で下ろすのだった。
翌日、ノエたち三人は屋敷を訪れていた。昨日の騒動の跡が生々しく残る屋敷を歩くと、何人かの使用人がノエたちを迎えた。
自分たち、それに何より主人を救ってくれたノエたちを彼らは丁重にもてなしてくれた。その顔には監禁の疲れを残していたが、ノエたちへの恩義を示そうと迎えてくれたのだ。
ノエたちは使用人たちに連れられて、屋敷の奥へ案内された。そこにある重厚な扉を開くと、そこにナスルとセレンがいた。
「おお……あなた方が」
「みなさん、どうぞこちらへ」
入室を促されたノエたちはそのまま進み、ナスルたちの前に並ぶ。後ろのドアが閉められて彼らだけとなると、ナスルが口を開いた。
「今回はあなたたちに助けられたと聞いています。何とお礼を言っていいか……」
ナスルはそう言って頭を下げた。中肉中背で少し背の高い紳士のナスルは、監禁されたこともあって少し痩せているように見えた。それでも疲れを見せることなく、ノエたちに語り掛けてくる。
その横でセレンが微笑みを向けてくれた。
「私からもお礼を。使用人の中には身体を弱くしている者もいたので、あと少し遅れていたらどうなっていたか。本当にありがとうございます」
「い、いえ。何事もなくてよかったです」
慌てて返事をするノエの様子に、セレンと横にいたサフィナも小さな含み笑いをした。
「ところでお名前を伺っていないのですが、教えていただいても?」
「はい。自分は探偵をしているモリス・フローベルと申します。以後、お見知りおきを」
「自分はノエ・プルストです」
「私はサフィナ。サフィナ・ガルニールです。はじめまして」
彼らの名を聞いた瞬間、ナスルもセレンも驚きの顔を見せた。それからナスルがもう一度ノエたちの顔を見た。
「はて、それはこの国で最も有名な女優の名前のはずですが、私の聞き間違いでしょうか?」
ナスルの言葉にサフィナは微笑みを返すだけ。それが何よりの答えだった。
「……まさか本当に?」
セレンは驚愕で口を手で押さえていた。まさかガルニールがここに来るなど、想像もしていなかっただろう。
「まさかこんな巡り会いがあるとは。世界は本当に不思議に満ちている。それにそちらのノエさんも、プルストの名には聞き覚えがあります。もしやお父上は……」
「はい。父は貿易会社・ブルストの取締役。自分はその息子です。もしかしたら、どこかでお会いしたのかもしれません」
「やはりそうでしたか……お父上とは何度か言葉を交わしたことがあります。お父上にもお礼を言わないといけませんな」
この不思議な巡り合わせに、ナスルはすっと目を閉じる。助かったことへの安堵か、彼は安心したように小さく笑みを零した。
「しかし、そんなあなた方がどうしてここに? そもそもどうやってこの事件のことを知ることができたのでしょうか?」
ナスルの疑問も当然のことだった。ここはマールから遠く離れた街。ノエたちとアレヴィ家の間には接点は全くなかった。それなのに彼らはここを訪れ、ナスルたちを助けることができた。
そんなの、どう考えてもあり得ないことだった。
「すいません、実はきっかけはこの本なんです」
サフィナはそう言うと、荷物からハナウ童話集を取り出して見せた。
「その本は……!」
サフィナの手に握られたハナウ童話集を、ナスルたちが驚きの表情で見た。それからサフィナは他の2冊も取り出すと、これまでの経緯をナスルたちに説明した。
「……確かにそれらの本はこの屋敷から盗まれたものです。まさかそれがサフィナさんの手に渡って、今回の事件に行き着いたと……?」
「本当にそんなことが……?」
一冊の童話から始まったサフィナの物語を、ナスルたちは信じられない面持ちで聞いていた。その気持ちはノエにもわかる。サフィナと共にここまで来たこと自体、彼には不思議な体験だったのだから。
「……しかし、そう考えると不思議なものですな。元々我が家から盗まれた本があなた方の手に渡った。もし盗まれなかったらあなたの手に渡ることはなく、この事件に事も知られることはなかったということになる。結果的にその泥棒が私たちを救ったことになるわけだ。これが天の定めた巡り合わせだとすれば、この脚本家はよほど意地が悪いと見えますな」
そんなナスルの呟きに皆が笑い声を上げた。
「ナスルさん。こちらからも聞きたいことがあるのですが……」
その時、モリスが一歩前に出た。
「今回の事件は何があったのですか? 何故ブルノスはあなたたちを監禁したのでしょうか?」
この事件にはまだ謎が残されていた。何故ブルノスはナスルたちを監禁したのか。何故ブルノスはギャングたちを使って、盗まれた童話集の行方を追っていたのか。この二つの事件はどんな糸で繋がっているのか。
ノエたちも知りたがっていた謎。その問いかけにナスルはゆっくりと口を開いた。
「始まりは我が父、セリス・アレヴィが亡くなったことです。父が先日亡くなったことはご存知ですか?」
ノエたちが無言で頷くと、ナスルは話を続けた。
「父が亡くなり、葬式を済ませた後、我々は遺産相続の話し合いを開きました。その場には叔父のブルノスもいました」
先代が亡くなり、引き継がれるはずのアレヴィ家の財産。その遺産は相当なものに違いなかった。
「本来は私と妹だけに関係するものですが、自分も関係していると叔父は強引に話し合いに参加しました。仕方なく彼を同席させ、我々は父が残した遺言状を開くことにしたのです。ただそこには、相続についての言葉はありませんでした」
ナスルの言葉にノエたちは怪訝な顔を見せる。相続について何も記されていない。そんなことがあるのだろうか。
「えっと……それではなんと書かれていたのですか?」
「そこにこう書かれていました。ハナウ童話集、アイソープ寓話集、ペイロー説話集。この三つを集めよ。そこに本当の遺言状を残している、と」
その話にノエたちは鳥肌が立った。サフィナが手にしている三つの本。それはまさに遺言に書かれていた三つの本に他ならなかった。
「それを見た私たちはさっそく本を探したのですが、どこにも見つかりませんでした。そこで盗まれたことに気付いたのです。私は途方にくれましたが、逆に叔父はこれをチャンスだと思ったみたいです」
「チャンスって……まさか」
ノエは何かを察したように声を詰まらせた。それを肯定するようにナスルはさらに話を続ける。
「叔父は自分が先に童話集を見つけることで本当の遺言状を見つけ出そうとしたのです。それを使って私に財産の譲渡を迫ろうとしたようです。それに遺言状が見つからなければ、彼にも相続の権利があると主張することもできるでしょう。そのため叔父はギャングたちを使って童話集を探し、見つかるまで私たちをここに監禁することにしたのです」
一冊の本から始まった事件が、一本の線で繋がった。薄靄の中を手探りで歩くような物語は、少しずつその霧を晴らし、今全ての暗闇を照らし出した。
サフィナが手にした一冊の本。そこに挟まれていた一枚の手紙。それを持ち主に返したいと願ったサフィナの想い。それがこの事件の解決に繋がったのだ。
ここまで共に歩いて来れたことを、ノエは誇らしく思った。
「それで、その三つの本には何があったのでしょうか? 何か手掛かりでもありましたか?」
「あ、はい。この三冊を調べると、中から手紙が入っていました」
サフィナは見つけ出した三枚の手紙をナスルの渡した。そこ書かれていた言葉をナスルたちが見ると、二人は同時に微笑んだ。
「兄さん、これって」
「ああ、間違いない。父さんらしいな」
二人が向かい合って笑う。その様子にノエたちは戸惑うしかなかった。
「あの、何かわかりましたか?」
「ええ。ここには本当の遺言状の在処が書かれていました。今からそこに行きましょう」
するとナスルとセレンが歩き出し、部屋から出て行こうとした。訳がわからないノエたちは、とりあえず二人の後を追った。
ナスルたちは屋敷の奥にある大きなドアの前に立った。ナスルがそのドアを開いて中に入り、続いてノエたちも中に入った。
「うわあ……」
その時、サフィナが感嘆の声を上げた。そこはこの屋敷の書庫で、部屋一杯の本棚とそこに収められた本が並べられていた。
「ここは父が自慢していた書庫です。ここに世界中の本を集め、読書に興じていました」
ノエはその光景に目を奪われていた。一目見ただけでそこにある本の価値が、黄金よりも貴重であることがわかる。
この光景をオイフェが見たら、狂喜していたことだろう。
そんな彼らをよそに、セレンが何かを探していた。彼女は一冊の本を取り出して、彼らの前に掲げて見せた。
「兄さん。あったわ」
セレンの手には一冊の本。それを受け取ったナスルがノエたちに説明を始めた。
「これは父が私と妹に読み聞かせてくれた童話集です。これには手紙に書かれていた『のろまな亀』『ハンベック軍楽隊』『黒い仔馬』が全部載っているんです。私たちはそれぞれのお話が好きでよく父に読んでもらいました。ただそれぞれ別の本に載っていて持ち運びに不便だったので、特別に注文して作らせたものなんです。三つのお話が載っているのはこの本だけ。それを知っているのは私たちだけなのです」
三つの本に残されたメモ。それが教えてくれたのは、父と子供たちの思い出の本。父はそこに想いを残したのだ。
ナスルが本を開くと、そこから一枚の便箋を取り出した。それこそ、彼らに託された父からの言葉だった。
「みなさんには感謝を。父が私たちに残してくれた言葉を、やっと見つけることができました。本当にありがとうございます」
ナスルは何度も頭を下げた。それは彼にとっては遺言状ではなく、父親が託してくれた想いを載せた手紙だ。
セレンもその様子に瞳を潤ませた。もしかしたら父親との思い出がよぎっていたのかもしれない。
ノエたちはその姿を見て、満足そうに笑った。
こうして事件は解決した。一冊の童話集から始まった事件は、不思議な道筋を辿って結末へと至った。
きっと誰かに話したとしても信じてはもらえないだろう。
そんな不思議な事件の結末を見届けて、ノエたちはその余韻を楽しむのだった。




