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第2章

 マールの一角にある病院。その廊下を走るノエとサフィナ。彼らが病室にその名前を見つけると、二人同時にその部屋に飛び込んだ。


「クロエさん! 大丈夫ですか!」


 二人が病室に入ると、その声に驚くクロエの姿があった。


「おや? サフィナちゃんにノエさん?」


 目を丸くしたクロエがベッドで上半身を起こした。その顔には殴られた痕があり、痛々しく包帯が巻かれていた。


「どうしてここに?」


「すいません。お店に行ったら強盗に襲われて怪我をしたって聞いて……大丈夫ですか?」


 サフィナが心配そうな顔をする。そんな彼女にクロエは元気に笑って見せた。


「大丈夫。殴られはしたけど、大したことはないですよ。サフィナちゃんの顔を見たから、治りも早くなりますよ」


 その笑顔を見て、サフィナもほっと安心したようだ。


「クロエさん、強盗に襲われたって、一体何があったんですか?」


 ノエがそう問いかけると、クロエが痛そうな顔になりながら話し始めた。


「今朝のことなんですが、自分が起きて食事の準備をしていたら、店の方から物音がしたんです。気になって様子を見に行ったら、何人かの男たちが店の商品を荒らしていたんですよ」


 ノエの店は奥の方が居住区になっていて、そこで生活をしているという。朝起きた時には、強盗たちはすでに店に侵入していたらしい。


「それで追い払おうと怒鳴りこむと、奴らと殴り合いの喧嘩になりましてね。その騒ぎを聞きつけた近所の人たちが助けに来たところで、相手も逃げていったんですよ」


 あとは警察がやってきたり病院に送られたりだの、今までで一番慌ただしかったとクロエは回想した。一歩間違えれば命の危険もあったかもしれない事態だ。こうして笑っていられることに感謝するべきかもしれない。


「それより、今日はお店に行ったっていうけど、何かありましたか?」


 クロエがそう問いかけると、サフィナが思い出したようにハナウ童話集を取り出した。


「すいません。実はこの本のことでお話がありまして……」


 それからノエたちは、ハナウ童話集に挟まれていた手紙について説明した。話を聞いていたクロエだが、彼は申し訳なさそうな顔をした。


「そうでしたか……買い取りする時は注意してますが、どうしても見落とすことがありますので。申し訳ありません」


「いえ、そんなことはありません。ただ、それよりもこの手紙のことが気になるんです」


 サフィナは本に挟まっていた手紙を手に取り、クロエに語り掛けた。


「私はこの手紙を元の持ち主に返したいと思ってます。クロエさん、この本の持ち主のこと、教えてくれませんか?」


 この手紙を持ち主に返してあげたい。ただそれだけの想いで彼女は動いていた。


 そんな彼女の想いを察したクロエだが、彼は首を横に振った。


「なるほど……しかしすいませんが、、自分も持ち主が誰かはわからないんです」


 彼の答えにノエもサフィナも驚きを隠せなかった。持ち主がわからないとはどういうことなのか。


「待ってください。持ち主がわからないんですか?」


「ええ。その本を持ってきた人が言ってたんですが、さる裕福な富豪からいくつか古書を買い取ったから、うちで買い取ってほしいと言ってたんです。自分が聞いているのはそれだけで、持ち主については何も聞いていないんですよ」


 当たり前のことだが、古書を売りに来た人間が必ずしも、元々の持ち主とは限らない。書籍商のように本を売り買いする人間もいるので、元々誰が持っていたものかわからないことも多かった。


「そうですか……」


「すいません。力になれなくて」


 しゅんとするサフィナに謝るクロエ。そんな二人の横で、ノエは一人沈黙していた。彼は何かを考え込むようにして、じっと黙り込んでいた。


 少しの間そうしていたかと思うと、彼はクロエに向き直った。


「すいません、クロエさん。その本を売りに来た人はよく来てくれる人ですか?」


「え? いえ、その人はうちの店ははじめてでしたよ。少し小柄な黒髪の男性でした。この街に来たのもはじめてみたいで、自分以外の古書店についても聞いてきましたよ」


「そうですか……その人から買い取った本は他にはどんな本がありますか?」


「そうですねえ。他には戯曲集と詩集を買い取りましたよ。他にもいろんな本を持っていたけど、どれも綺麗な装飾がされていました」


 クロエの話を聞いてノエが再び考え込む。今の話に何か意味があるのか、サフィナは怪訝そうな顔をしていた。


「わかりました。クロエさん、元の持ち主のことはその人に聞いてみることにします。その人がどこにいるかわかりますか?」


「いえ、初めて見る人でしたから、どこに住んでるかまでは……」


「わかりました。でしたらその人がどこの古書店に行かれたかわかりますか? そこで聞いてみようと思います」


 ノエがそう言うと、クロエは相手に紹介した古書店のことを教えてくれた。


「東地区に住んでいるオイフェという人を紹介しました。古書店ではないですが、貴重な本を集めてる人ですよ。たぶんそこにも行ってると思うので、聞いてみるといいですよ」


「ありがとうございます。クロエさんも今は怪我を治してくださいね。サフィナさん、行きましょう」


「あ、はい。クロエさん、ありがとうございました」


 立ち去ろうとするノエを慌てて追いかけるサフィナ。ノエは足早に病院から出ようとしていた。




「ノエさん、待ってください」


 歩き続けるノエを追い続けるサフィナ。するとノエは病院から外に出たところでサフィナに振り向いた。


「ノエさん、どうしたんですか? 何か急いでいるようですけど」


「サフィナさん。落ち着いて聞いてください」


 サフィナを見つめるノエの顔は、どこか鋭い表情をしていた。一瞬驚くサフィナに、ノエはさらに言葉を続けた。


「サフィナさんが買ったその本やクロエさんが買った本。それらは盗品だと思われます」


 ノエが何を言ったのか、サフィナは一瞬理解できなかった。サフィナは少しだけ間を置いてから、ノエに質問を返した。


「どういうことですか?」


「さっきクロエさんと話したことで気になることがあったんです。まず相手はいろんな本を持っていたと。その本の内容を聞くと、ジャンルもバラバラで統一性がありませんでした。たぶん相手は本が読めない人間か、本の価値がわからないんだと思います」


「えっと、待ってください。それなら何でその人はこのハナウ童話集とかを盗んだんですか? 本の価値がわからないと盗みようがないのでは?」


「クロエさんが言ってましたよね? その男が持ってきた本は、どれも綺麗な装飾がされていたと。たぶん相手は本の内容ではなく、その装飾を見て価値が高いと思うものを盗んだのだと思います。それに、本のサイズもそんなに大きくなさそうでした。きっと持ち運びしやすいものを選んで盗んだのではないでしょうか」


 本が読めない者が本の良し悪しを判断するには、その見た目で判断するしかない。それならば、美しい刺繡や装飾がされているものを優先的に盗んだのだろう。そういう本を選んだ結果、ジャンルがバラバラになってしまったわけだ。


「それにクロエさんは、相手がはじめて来た客だと言ってました。盗んだ本を売った後、足が付かないようにはじめて来た店で売ることにしてるんだと思います」


 ノエは自分の推理を訥々と語り続ける。信じられない様子でサフィナは聞いていたが、ノエも全く的外れなことを言っているつもりはない。


 ノエが生活苦で古書店に本を売りに行った時、店主から盗品を売りに来る人間のことを聞かされたことがあった。


 文字が読めない泥棒がよくやるのは、見た目の派手さで選ぶことだと。はじめて来る客にはそういう奴もいるから注意しているということも教えてくれた。


 ただそれ以上に、ノエには懸念していることがあった。


「サフィナさん。僕が心配しているのはその本が盗品であることだけではないんです。今朝クロエさんを襲った強盗とその本が、何か関係しているかもしれない。もしそうだとするなら、クロエさんが紹介した人も強盗に襲われる可能性があります」


 サフィナの顔が青くなる。強盗たちの目的が黒髪の男が売った本だったとすれば、その男が向かったオイフェのところにも、強盗が襲いに来るかもしれない。


「確証はありません。あくまで自分の推測だし、ただの思い過ごしかもしれません。だけど、これをただの偶然というには、タイミングが良すぎる気がするんです」


 ただの思い過ごしならそれでいい。自分の勘違いならそれでいい。だけど、その思い過ごしを見て見ぬふりをしてしまえば、取り返しのつかないことになる。彼の直感がそう告げていた。


「オイフェさんのところに急ぎましょう。今ならまだ間に合うと思います」


 ノエの言葉に同意するサフィナ。彼らはすぐそばにいた馬車を捕まえて、オイフェがいる東地区へ急がせるのだった。




 二人が辿り着いた東地区は、古い時代がそのまま取り残されたような街だった。


 狭い路地に古い建物が所狭しと並ぶ街。どうやらここは住宅街のようで、まだ開発の手が及んでいない地区のようだ。


 歩く途中、洗濯をする婦人や道端でフットボールに興じる子供たちの姿があった。まだこの街にも、生活する人がいるようだった。


「この先にオイフェさんがいるようです」


 彼らが歩いて行くと、三階建てのアパルトマンに辿り着いた。そこがオイフェがいるアパルトマンだという。


 大きなアパルトマンが静かに佇んでいる。本当にここに人が住んでいるのか、頭に疑問符が浮かぶほど静かだった。


「行きましょう」


 サフィナが横で頷く。それを見てノエは目の前のドアを強く叩いた。


 しかし返事はなかった。物音もなく、人がいる気配も感じられない。


 嫌な予感がする。もしかしたらすでに、強盗がここに来たのではないか。


 そんなことを考えたノエは、さらに力を込めてドアを叩いた。


「すいません! 古書店のクロエさんから、こちらにオイフェさんがいると伺って来ました! 誰かいませんか!」


 ノエの叫び声が辺りに響く。まるで劇場の大ホールのように、その声がどこまでも反響していった。


 すると、さきほどまで物音すら感じさせなかったアパルトマンのドアが小さく動くと、その隙間から若い女性が顔を覗かせてきた。


「……私に何か用か?」


 オイフェという名の少女が、億劫そうな顔を向けながらノエたちを見ていた。




「どうぞ」


 オイフェに連れられて、ノエとサフィナは客間に連れてこられた。その客間の光景に彼らは唖然とした。


 客間には所々に本が積まれていた。足元にも本がいくつも置かれており、足の踏み場にも迷うほどだった。


「悪いね、散らかっていて。人を招き入れるのに慣れていないんだ」


 とても謝罪の気持ちが込められていると思えない言葉を呟きながら、オイフェは客間に置かれた椅子に腰かけた。ノエたちもその対面にある椅子に着席した。


「それで? クロエに言われてここに来たみたいだが、一体何の用だ? 言っておくけど、本を買い取ることはあっても、売るものないぞ」


 オイフェの顔に警戒感が浮かんでいる。どうやら彼女は、ノエたちが大事な本を買いに来たと思い込んでいるようだ。


「あ、いえ。違います。本の買い取りに来たんじゃありません。自分たちはオイフェさんが危ないと思ってここに来たんです」


 ノエが慌てて答えると、オイフェは理解できないとばかりに眉をひそめた。


「私が危ないって……どういうことだ?」


 ノエはここまでの経緯を説明した。ハナウ童話集に挟まれていた手紙のこと。クロエが強盗に襲われたこと。オイフェにも強盗が襲いに来るかもしれないこと。


 一部始終を聞かされたオイフェは小さく頷いた。


「なるほど、それでここに来たと。それで、クロエは大丈夫なのか?」


「はい。クロエさんに会ってきましたが、顔が腫れているくらいで大事には至っていないようです。あれなら数日で退院できると思いますよ」


「そうか、それならよかった」


 頭をかきながら息を吐くオイフェ。


「まだクロエから買い取りたい本が山ほどあるんだ。それを手に入れるまでは、クロエにくたばってもらうと困るんだ」


 その呟きを聞いて驚くノエたち。クロエよりもクロエが持っている本の心配をする彼女の姿に目を丸くしていた。


「クロエの奴。まだ店に出していない秘蔵の本を隠してるんだ。もしくたばりそうだったら、私に本を相続させるよう遺書を書かせてやるんだ」


 そんなことを本気で言葉にするオイフェ。その姿にノエは嫌悪するよりも呆気に取られていた。


 そんなノエの心情を察したのか、オイフェが話し続ける。


「ああ、悪いね。聞いてて気持ちのいい話じゃなかったよね。でも、私たちのような人間は大体こういうものなんだ。私たちは人の命より、貴重な書物の方が価値があると『勘違い』したまま生きてるんだ」


 蔵書狂。彼女のような人間をそう呼ぶのだと、ノエは聞いたことがあった。彼らは本を愛し、収集することに生きがいを見出している。


 その情熱は時に狂気に変わり、収集するためなら手段を問わないこともあるという。それこそ、人の命を代償にしてでも。


 オイフェはそうした自分の性質を『勘違い』と言葉にした。彼女も自分の中にある価値観がおかしいことを自覚したまま生きているのだ。


 そんな狂気を目の当たりしたノエは、気を取り直してオイフェに向き合った。


「あ、あの。それでオイフェさんには聞きたいことがあるんですが……」


「ああそうだったね。クロエが強盗に襲われて私も危ないって言ってたけど、私を守りに来たのか?」


「えっと、それもあるんですが、この本のことで聞きたいことがあるんです」


 ノエはハナウ童話集を見せながら説明を続けた。クロエを襲った強盗の目的がハナウ童話集らしいこと。クロエに童話集を売った男が、オイフェのところにも来た可能性があること。さらにその男が売った本は、盗品である可能性があることも伝えた。


「元々私たちは、ハナウ童話集の元の持ち主を探そうとしていました。そのためにその男のことを調べないといけないんです。それでオイフェさんのところにも来ていると思って、お話を聞きに来たんです」


「なるほどねえ……確かにその男ならここにも来たよ。クロエから紹介されたっていうから相手をしてやってね。貴重な本があるから買わないかって言われたんだけど、確かにいい品だったから一冊買い取ったよ。ほらこれ」


 オイフェはそう言うと、手元に置いてあった本を掲げて見せた。


『アイソープ寓話』。それは古代時代に作られた寓話をまとめたもので、子供の頃から読み聞かせられる物語だ。


 彼女が手に持つその本も、見事な装丁と綺麗な刺繍が施されていた。


「なかなか見事な逸品でね。肌触りもいいし保存状態も見事だ。いい買い物をしたと思うよ」


 満足そうに本を撫でるオイフェ。ノエはその本を睨むと、彼女に詰め寄った。


「すいません! その本をこちらに譲っていただけませんか! その本も盗品かも知れません! できればその本も持ち主のところへ返したいんです!」


 ハナウ童話集に挟まれていた手紙。そこには大事な想いの込められた言葉が記されていた。


 それと同じように、その本も大切なものなのかもしれない。


 ノエたちはその大切なものを、元の持ち主に返してあげたいと思った。


 そんなノエの言葉を受けたオイフェは、渋い顔を見せつけてきた。


「悪いけど、それはできない。これは売れない」


「どうしてですか? お金なら必ず準備します。よろしければここで仰っていただければ」


 さらに続けようとするノエだが、そんな彼をオイフェは手で制してきた。


「違う。そうじゃないんだ。お金がどうとかではないんだよ」


「えっと……それならどうして?」


「単純に私がまだ読んでないから。それと、私がこの本を気に入っているからだよ」


 それ以上の言葉はいらないとばかりに、オイフェは強い言葉で言い切った。


「まだ読んでもいないのに手放すなんて、絶対できないね。。それにこの刺繍や装丁も気に入っているんだ。これと同じ重さの黄金を積まれても渡すつもりはないよ」


 オイフェの意志は固かった。蔵書狂を自認する彼女は、本に対する想いは人一倍強かった。彼女が誰にも渡さないと決めたのなら、魂を削ってでも守り抜こうとするだろう。


「悪いけど諦めてくれ。私にこの本を売った男のところにでも行ってくれ」


 もうそれ以上語ることはないと言わんばかりに彼女は言い切った。


 もう交渉の余地はないのか。どうすればよいのかわからず、ノエは肩を落とした。


「……どうします? サフィナさん」


 ノエが横にいるサフィナに顔を向けた。きっと彼女も気落ちしているだろうと思っていた。


 彼がサフィナを見ると、彼女は目を輝かせながら部屋を見回していた。


「サフィナさん?」


 彼女のその様子を不思議に思いノエが声をかけるが、サフィナはその声にも反応しなかった。


 彼女の目が部屋のあちこちに向けられる。その目は爛々と光っていて、とても生き生きとしていた。


 その様子をオイフェも不思議そうに見ていた。


「サフィナさん、大丈夫ですか?」


「え! あ、はい! 何ですか!」


「いえ、様子がおかしかったので声をかけたんですけど、大丈夫ですか?」


「すいません。ここにある本がすごくて、つい見惚れてしまって。ほらそこ」


 サフィナそう言うと、部屋の隅にある本を指差した。


「あそこにある本は『聖セルバンテスの冒険』ですよね? それも出版当時の初版本。保存状態も見事ですね」


 そんなことを恍惚の表情で呟くサフィナ。彼女はここにある本を見て、その蔵書の素晴らしさに心奪われていたようだ。


 ここでも本に夢中になる彼女に、ノエも少し呆れていた。


「それにあっちにあるのは『ジョナサン旅行記』ですね。しかも第1篇から4篇まで全部揃ってます。初版が全部揃ってるのは初めて見ました」


 目を輝かせながら語るサフィナ。この埃まみれの部屋も、彼女の目には虹色に輝いて見えるのだろう。


「ほう。わかるのか?」


 その時、オイフェが身を乗り出して声をかけてきた。彼女の瞳はが興味深そうに目の前のサフィナに向けられた。


「はい! ここに置いてある本、全部素晴らしいですね。ここに来るまでに廊下に置いてあった本も、とても素晴らしかったです!」


「へえ。そんなところも見てくれていたのか。嬉しいねえ」


 サフィナの称賛にオイフェが嬉しそうな顔を見せた。


 ある意味オイフェの反応も当然だ。オイフェが集めたこれらの本は、言い換えれば自慢の宝物なのだ。


 それを褒め称えられることは、持ち主としては誇らしいことに違いない。


「私も本や物語を集めてるからよくわかります。貴重なだけでなく、読む価値のある本を集めているって。素晴らしいです」


「そう言ってもらえるとありがたいね。そうか、あんたもクロエの上客ってやつか。そういえば名前を聞いてなかったね。教えてもらっても?」


「サフィナ。サフィナ・ガルニールと言います。はじめまして」


 その名前にオイフェが目を丸くした。


「……悪い。私の聞き間違えじゃなかったら、それはこの国で最も有名な女優の名前のはずだけど?」


 その反応が面白いのか、サフィナはくすりと笑みを返した。それを肯定と受け取ったオイフェは天を仰いだ。


「まったく、クロエの奴。とんでもない上客を抱えていたんだな。小説よりも驚いたよ」


「これもまた、神が手掛けた脚本かも知れません」


 サフィナのその言葉に、二人同時に笑い出した。本を愛する者同士の笑い声が重なる。


 ひとしきり笑ったところで、サフィナが切り出してきた。


「オイフェさん。あなたが持っているアイソープ寓話集を手放したくない気持ちはわかります。でも、私たちはどうしてもそれを持ち主の元へ返したいと思います」


 オイフェの気持ちも固かったが、それはサフィナも同じだ。彼女も自分の想いを譲るつもりはなかった。


「オイフェさん。あなたがお金で応じられないというのであれば、私が持っている蔵書と交換ということではいけませんか?」


「蔵書と交換?」


「はい。僭越ながら、私もそれなりに本を集めています。その中の一つとその寓話集を交換ということではいけないでしょうか?」


 その言葉にオイフェがぴくりと反応した。


 サフィナの蔵書も確かに素晴らしいものだった。確かにそれはお金では生み出せない、魅力的な交換条件だと思えた。


「なるほどね……だけどこの本も素晴らしいものだ。簡単に交換できるものがあるとは思えないけど。あんたは交渉のテーブルにどんな本を置いてくれるんだ?」


 オイフェの意志を変えるのは容易くない。サフィナがどんな本を提示するのかノエが見つめていると、サフィナがにっこりと笑みを浮かべた。




「戯曲・『リュイ・ブラス』。その公演で用意された台本はいかがでしょう?」




 まるで歌を奏でるように、彼女はその名を口にした。


 その静けさとは裏腹に、ノエとオイフェは立ち上がり驚愕した。


 リュイ・ブラスは小説家のレオポール・グランの作品であり、サフィナがかつて所属していたコメディ・アンネリーズで演じたことのある戯曲だった。


 グランの代表作の一つであり、サフィナにとっても出世作とも言えるものだった。


 その公演で使われた台本。もはや価値の測れないその台本を、彼女は交渉のテーブルに叩きつけてきた。


「リュイ・ブラスの台本て……何だよそれ」


 オイフェが息も絶え絶えに呟く。そんなものを提示されるとは夢にも思ってもいなかっただろう。ノエもそんなものを差し出すなんて、予想していなかった。


「ええ、そうです。それも私とグランおじさんの思い出が刻まれた台本です」


「……思い出?」


 サフィナがさらに気になることを口にした。グランおじさんとは作者のレオポール・グランのことだろう。偉大な作家をおじさんと呼ぶのも気になったが、彼との思い出とはどういうことなのか。


 彼女はその答え合わせをしてくれた。


「台本にはグランおじさんがメモを書き込んでくれているんです。おじさんが作品にどんな想いを込めているのか。どんな風に考えて書いたのか。おじさんはその手で台本に書き込んでくれたんです」


 ノエは今度こそ魂が抜けたような気分だった。サフィナ・ガルニールが手にしていたリュイ・ブラスの台本。そこに書き込まれた偉大な作家のコメント。


 そんなの、人類の遺産と行っても差し支えない代物だ。


 これはもはや交渉と呼べるものではなくなっていた。そんなものをテーブルに置かれては、おつりがいくらあっても足りないだろう。


「もちろん、ここにはないので後払いということになりますが、いかがでしょうか?」


 しばしの沈黙が漂う。彼らはまるで反芻するように、この瞬間を漂っていた。


 オイフェが大きく息を吐いた。そして参ったとばかりに笑みを零した。


「……これが小説なら、私は何度もこの場面を見返してるだろうね」


 オイフェはそう言うと、その手に握られていた寓話集を差し出した。


「いいだろう。その条件で交換だ。後払いも了解した。あんたなら約束は守ってくれそうだからな」


「お褒め頂き、光栄です」


 微笑みを浮かべるサフィナ。その横でノエが差し出された寓話集を受け取った。


 目の前で起きた出来事に理解が追い付けず、ノエは夢心地のままその場に立ち尽くしていた。


「一つ聞きたい」


 その時、オイフェが問いかけてきた。


「あんたにとってその台本は、グランとの思い出が詰まったものだろう? それを差し出すほどにこの本を手に入れたいようだが、そこまでする理由は何だ?」


 純粋な疑問だった。オイフェにとって本はお金や権利によって立て替えられるものではない。ましてやサフィナが差し出す台本に代わるものなどがあるとは思えなかった。


 それはノエにとっても同じ疑問だった。サフィナの性格を思えば、そんな大事なものを差し出すなんて、いつもの彼女ならあり得ないことだった。


 そんな二人の疑問を察したのか、サフィナが静かに答えた。


「私が手にしたハナウ童話集には手紙が挟まれていました。そこには『我が娘に託す』と書かれていました。それはとても力強い文字で、大事な想いが込められているように感じました」


 童話集に挟まれていた手紙。その手紙を見たサフィナは、この本が相手にとって、とても大事なものなのだろうと感じていた。


 そしてそれは、ノエが手にしている寓話集もそうだ。


「もしこれらの本が盗品であったなら、私はそれを元の持ち主のところへ返してあげたいんです。もしかしたらその人は、本がなくなって悲しんでいるのかもしれない。だったら私は、どうしても相手に返してあげたいと思います」


 手紙を見つけた時、サフィナはそれを相手に返したいと言っていた。その言葉は強く、想いは固かった。


 それは今も変わらず、こうして彼女はその気持ちを言葉にして伝えてくれた。


「そのためなら、台本はあなたにお譲りします。オイフェさん」


 まっすぐにオイフェを見つめるサフィナ。優しい微笑みの中に、力強い瞳が光っていた。


 その瞳を見たオイフェは、楽しそうに笑い出してから言葉を返した。


「たぶん私は、一生この時間を忘れないだろうね」


 その言葉をどう受け取ったのか、サフィナは嬉しそうに笑って見せた。




「それじゃあ寓話集はお前たちに譲る。台本の方は都合がいい時に持ってきてくれ」


 オイフェから寓話集を受け取ると、ノエはもう一つ知りたいことについて問いかけた。


「ありがとうございます。それとオイフェさん。この本をあなたに売りに来た男について教えてくれませんか? おそらく他にも本を盗んでいると思うんです」


「ああ。それなら」


 オイフェが話そうとしたところで、、外からアコーディオンの演奏が聞こえてきた。その音に反応して、オイフェが窓から外を睨みつけた。


「オイフェさん。どうしました?」


「しっ」


 オイフェが二人を制した。彼女はそのまま外を睨んでいると、こちらに振り返って言い放った。


「悪い。ここを出ないといけないみたいだ。どうやらクロエを襲ったっていう強盗が、ここにやってきたようだ」


 オイフェの言葉にノエたちの顔が強張った。


「どうしてわかるんです?」


「話はあとで。何も言わずについてきてくれ」


 オイフェはそう言うと、本を持ってそのまま部屋を出た。それに続いてノエたちも彼女の後を追う。


 オイフェがやって来たのは台所だった。彼女がそこで膝をついたかと思うと、台所の床が開いて地下に続く階段が姿を現した。


「ここから外に抜け出せる。一緒に逃げるぞ」




 隠し扉から地下に向かうと、そこにはマールの地下世界が広がっていた。


 マールの地下は迷宮のように広い。元々採石場があったり、修道院の秘密の抜け道があったり、または古代の納骨堂など、様々な空間がそこにはあった。


 オイフェたちは今、その地下世界を歩いていた。オイフェのランプが道を照らし、彼女の後をノエたちが追いかけていた。


「すごいですね……地下があるってのは聞いてましたが、はじめて見ました」


 目の前に広がる暗い世界に、ノエが感嘆の声を上げる。冒険小説にも、地下世界を舞台にした作品はあるが、それが実際にあるかどうかはノエも半信半疑であった。


 それを自分の目で見ているということに、彼は小説の世界に迷い込んだ気がした。


 その時、暗闇の向こうから何かが聞こえてきた。


「これは……川の音?」


 水が流れる音が向こうから聞こえてくる。オイフェが音のする方に向かって歩くのを、ノエたちも追いかけ続ける。


 そうして歩いて行くと、三人は大きく開けた場所に出た。


「これは……下水道ですか?」


 それはマールの地下に張り巡らされた下水道だった。


 近代化によって整備されたマールでは、上下水道の整備も進んでいた。人々には生活に必要な水を供給し、同時に生活排水を放出する道を作り続けた。


 それが今、ノエたちが目にしている下水道だった。


 その時、鼻をつく異臭にサフィナが顔をしかめた。


「悪いね。ここは下水道だから、お世辞でもきれいとは言えない場所なんだ。少しの辛抱だからついてきてくれ」


 おそらく、口にするのも憚られるものが流されているのだろう。ノエも異臭を感じ、眉間にしわを寄せた。


 そのまま歩き続けるオイフェの背中にノエが問いかけた。


「オイフェさん。どうして強盗がやってきたのがわかったんですか?」


「ああ、あの時アコーディオンの音が聞こえただろう? あれはご近所様が私に教えてくれてるんだ。危険が迫ってるぞって」


 オイフェが冗談交じりに語る。あの時聞こえたアコーディオンの音は、オイフェに危険が迫っていることを伝える住民たちの合図だったようだ。


「アパルトマンに来るまでに住民たちが周りにいただろう? 彼らにはお金を払って、怪しい奴が来たら教えてもらうようにしているんだ。とてもいい人たちだよ」


 ここに来るまでに洗濯している婦人や子供たちがいたのを思い出す。あの時は気付かなかったが、オイフェに近づく人間を監視する役目を負っていたようだ。


「あれ? でも私たちは普通にアパルトマンに入れてもらえましたけど?」


「彼らは人間の良し悪しはわかる程度には人間を知っているよ。それにお前たちが本を握っていたから、私に用があるのはわかっていたからね」


 その言葉を聞いて、サフィナが本を握る手に力を込めた。住民たちもそれを見て安全だと判断したのだろう。


「あ、あの……それよりご自宅は大丈夫なんですか? 強盗の目的が本だとするなら、家を荒らされたら大変ではないですか? 貴重な本が……」


 サフィナが心配そうに呟く。彼女の言う通り、強盗の目的が寓話集にあるとするなら、奴らはオイフェの部屋を乱暴に探し回るだろう。


 貴重な本が傷付くのではとノエも心配したが、オイフェが悪戯好きな笑みを浮かべた。


「私は推理小説が好きでね。特に予想を裏切る痛快などんでん返しが大好物なのさ」


 そんな呟きを口走りながら、意地悪そうな笑い声を上げた。


「あそこにあるのは目くらまし。本当に大事なコレクションは安全な場所に保管してあるから大丈夫さ。強盗があそこを荒らしたところで、本当のお宝に辿り着くことはないよ。安心してくれ」


 今頃押し入って来た強盗たちは、血眼になって寓話集を探していることだろう。もうそこにはない事も知らずに。


 それが楽しくて仕方ないのか、オイフェは楽しそうに笑い続けていた。


 彼女のような人間が推理小説を書いたら、面白い作品ができるかもしれない。ノエはそんなことを考えていた。


「私に寓話集を売った男だがね。さっき話したご近所様に後を追わせてみたら、どうやら西地区の住宅街に暮らしているらしい。あまり治安のいいところではなく、外から移住してきた奴らが集まる場所らしい」


 前を歩くオイフェが唐突に話し出す。ノエたちが追っている男は、その街にいるらしい。


「そっちにも強盗がやって来てるかもしれない。気をつけろよ」


「……はい。わかりました」




 しばらく三人が歩き続けると、彼らは下水道から外に抜け出すことができた。


 彼らが川からよじ登ると、そこはいつもの街の喧騒が広がっていた。


「さて、私はしばらく身を隠すことにするよ。台本については落ち着いたら連絡してくれ。それじゃ、お気をつけて」


 オイフェがその場を立ち去ろうとする。すると、サフィナが慌てて彼女を呼び止めた。


「待ってください」


「ん? なんだい? まだ何か話したいことがあるのか?」


「いえ、身を隠したいのであれば、私の劇場に行きませんか?」


 サフィナの唐突な申し出に、オイフェもノエもキョトンとした。


「あんたの劇場に?」


「はい。私の劇場であればより安全だと思います。それに、そこで私の本が集められているので、そこで過ごしてください。自由に読んでくださって結構ですので」


 オイフェがぴくりと反応した。劇場にあるサフィナの大切な本の数々。それを自由にしていいという提案は、百年物のワインより魅力的なものだった。


「えっと……そりゃありがたいけど、いいのか?」


「はい。せっかくですから、ぜひ読んでください。それから、本のことでお話しできたら嬉しいです」


 まるで恋する乙女のようにサフィナの頬が赤く染まる。誰かと本のことで語り合う。それが大好きなサフィナ。


 本に情熱を燃やすオイフェのことだ。きっとサフィナとも熱く語り合えるかもしれない。サフィナもそう思ったから、そんな申し出をしたのだ。


 サフィナの言葉を受けて、オイフェがにやりと笑って手を差し出した。


「私、話し出すと長いよ? 大丈夫?」


 サフィナはその手を握り返してにっこりと笑い返した。


「大丈夫。可愛い女の子とのお話は、何時間でも楽しいものですから」


 可愛いと言われたことが面白かったのか、オイフェが今日一番の笑い声を上げるのだった。




 オイフェには馬車で劇場に行ってもらうことにした。彼女にはサフィナの覚書を渡しており、ルイズにも事情がわかるようにしたので、これで大丈夫のはずだ。


 その場に残ったノエたちは、一呼吸置いてから顔を合わせた。


「それじゃあ、例の男のところに行きますか」


「はい。急ぎましょう。確か名前はセドウさんでしたね」


 オイフェから教えてもらった相手の名前を口にして、お互いに頷くノエたち。


 彼らもそばにあった馬車に乗り込み、セドウがいる街まで急いでいった。




 近代化により大きく発展するマール。都市が巨大になると共に、都市は物も人も飲み込みながらさらに大きくなっていく。


 人が集まればそれだけ都市は複雑になっていく。人は仲間同士で集まるようになり、仲間同士で街を形作るようになる。


 そうして街は様々な人が集まり、一つの複雑な世界を生み出していく。


 ノエたちが来ているのは、マールに移住してきた人々が集まる街区だった。


 正直に言えば、あまり治安のいい場所とは言えなかった。ここには仕事にあぶれた人が集まり、貧民窟のごとき様相を見せていた。


 その雰囲気にサフィナがびくびくしながら、ノエの後ろについて歩いていた。


「大丈夫ですか? サフィナさん」


 ノエが声をかける。この街の空気がそうさせるのか、サフィナの顔が青く、血の気が失われていた。


「……大丈夫です。すいません、心配かけてしまって」


 顔を青くさせながら、サフィナは心配ないとばかりに顔を上げた。


「オイフェさんの話だと、セドウという人はこの先にいるそうです。急ぎましょう」


 あまりこの場に留まってはサフィナにも悪い。急いでセドウの元に行こうとノエは足を速めた。


 角を曲がればセドウの家があるらしい。ノエたちは僅かな望みを思いながら角を曲がろうとした。


 しかし、それは叶わなかった。セドウの家の前に警察官が立っていた。建物には警察と思われる男たちが出入りし、物々しい雰囲気に包まれていた。


 その周りでは野次馬が物珍しそうにその光景を見つめていた。


 嫌な予感がした。ノエは慌てて横にいた男に声をかける。


「すいません! あそこはセドウさんという人の家だと思うんですが、何かありましたか!」


「あんた、セドウの知り合いかい? お気の毒に。強盗が入ったみたいで、中で遺体になって見つかったらしいんだ。部屋は荒らされていて、銃で撃たれたらしいよ」


 当たってほしくない予想が的中し、ノエが天を仰ぐ。その横でサフィナが顔面蒼白になり、手で口元を押さえた。


「そうですか……犯人はわかったのでしょうか?」


「いや。セドウは足を悪くして一人で住んでいたらしいから、目撃者はいなかったようだよ。セドウもいろんなところで金の問題があったらしいから、どこかで恨みを買っていたかもしれない。あんたも金を貸していたのか? だったらもう返してもらう当てがなくなったね。残念だけど」


 相手の言葉にも反応できず、ノエはその場で立ち尽くしていた。




 事件が起きた場所から少し離れたところで、ノエとサフィナは隣並んで立っていた。二人は俯き、何を話すでもなくその場で佇んでいた。


「これから、どうしましょうか……?」


 ノエの言葉にサフィナの肩が揺れる。彼女は何も答えることなく、顔を俯かせたままだった。


 本を盗んだと思われていたセドウが殺された。唯一の手掛かりとも言えるセドウがいなくなったことで、本の持ち主を探すことは不可能になった。


 セドウが殺されたこと。手がかりを失ったこと。二つのことでショックを受けて、二人は途方に暮れた。


「サフィナさん。とりあえず劇場に戻りましょうか? オイフェさんにもう一度お話して、他に手掛かりがないか聞いてみましょう」


 正直期待できない提案だったが、ノエもそれくらいしか思い付くことがなかった。


「……そうですね」


 サフィナの力ない言葉が流れる。二人とも意気消沈したまま歩き出そうとした。


「おや? サフィナさんにノエさんじゃないですか?」


 その時、聞き覚えのある声が聞こえてきた。二人が顔を上げると、モリスが不思議そうに二人を見ていた。


「あれ? モリスさん?」


「お二人とも、どうしたんですか? こんなとこにいるなんて」


 モリスは以前、劇場で起きた騒動の時にノエたちを助けてくれた探偵だった。


 ここで会えると思っていなかったので、ノエたちも驚いてしまう。


「お久しぶりです、モリスさんは仕事ですか?」


「いえ。私はこちらに住んでいる知り合いに会いに来たんです。時々仕事でお世話になっているので、そのお礼も兼ねて」


 モリスも仕事柄、裏社会の人間と通じることもあり、彼らに仕事の協力をお願いすることもあるらしい。今日もそうした友人に会いに来ていたようだ。


「それよりお二人はどうしてここに? あまりお二人が遊びに来るようなところではありませんよ。さっきはそこで殺しがあったみたいですし。何かあったんですか?」


 モリスの心配そうな顔が向けられる。


 ノエは迷った。自分たちのことで誰かを巻き込むようなことは、あまりしたくなかった。


 しかし探偵をしているモリスならば、自分たちのこの状況を打開できるかもしれない。


 申し訳ないと思いながらも、彼はこれまでのことをモリスに話し始めた。


 ノエの話を最後まで聞いたモリスは、納得したように頷いて見せた。


「なるほど。そんなことが……その様子だと、セドウを殺した奴らの目的も、盗まれた本が目的で間違いなさそうですな」


「はい。ただセドウさんが殺されたことで手がかりもなくなりました。それでどうしようかと悩んでいたんです。モリスさんは何かご存じありませんか?」


 ノエたちがじっとモリスを見つめた。無理な話だと思いつつも、必死に助けを求めるような顔を向けた。


 そんな二人の顔を見て、モリスは少し考えてから顔を上げた。


「おそらくですが、セドウには仲間がいると思います」


 セドウの意外な一言に、ノエたちが驚きで顔を上げた。


「仲間、ですか?」


「ええ。話を聞いてますと、そのセドウはずっと家に引きこもっていたんですよね。それだと外に出て盗みを働いているとは考えにくいです。それに足も悪くしていたらしいですし、盗みを実行するのは無理だと思います。そう考えると実行犯が別にいて、セドウは盗品を売りさばく役割を請け負っていたんじゃないかと思います」


 モリスの解説に二人が驚く。自分たちから聞いた話だけでそこまで導き出したモリスに、二人は天啓を得たような感覚を覚えた。


 名探偵が一気に事件を解決する。そんな名場面を目の当たりにした気分だった。


「なるほど……それなら、その実行犯を探せば!」


「おそらく、何か知っていると思いますよ」


 モリスの笑顔に二人が喜びで顔を綻ばせる。微かに薄い光だが、今の二人には闇を振り払うほどに大きな光だった。


「よし! それじゃあその仲間を探してみます! 行きましょう、サフィナさん」


「ノエさん、待ってください」


 ノエが駆け出そうとしたところを、サフィナが即座に制した。彼女はモリスに向き直って彼に伝えた。


「モリスさん。どうかその実行犯を探すのに、私たちに協力してくれませんか?」


 サフィナがいきなりモリスに語り掛ける。その言葉にノエとモリスは困惑した。


 正直ノエも同じことを考えていた。モリスに協力してもらえれば、とても心強いことだ。


 だけどこれは自分たちの問題であり、それにモリスを巻き込むのはあまりに虫のいい話だ。


 それに何より、モリスに協力してもらうというのは、お願いではなく依頼になってしまう。簡単にお願いしていい相手ではないのだ。


 モリスも同じことを思っていただろう。彼はサフィナに伝えた。


「サフィナさん。私に協力をお願いするというのは、仕事を依頼するということになりますよ。わかりますか?」


「はい。ですので、これは正式なお仕事の依頼です」


 サフィナのその即答にノエたちも呆気に取られた。まさかそんな風にサフィナが答えるとは思ってなかったので、逆に二人が驚いていた。


「依頼料は払います。もしよければ、劇場にある宝石をお渡ししても構いません。それなりに価値があるようなので、それで大丈夫かと」


 淡々と語るその姿にノエが慌てて割って入った。


「サフィナさん。いいんですか? その宝石って、今までの公演で使った装飾品ですよね? 大事なものじゃないんですか?」


 サフィナが提案した宝石とは、舞台で身に着けていた衣装装飾のことで、名工が手がけた最高の作品だった。


 貴金属を使った装飾もそうだが、職人の技術が詰まった作品の価値は、簡単に手渡していいものではなかった。


 何より、サフィナは舞台で身に着けていた衣装や装飾を大事な宝物にしている。それを知っているノエは、それを渡していいのかと聞いていた。


 そんなノエの問いかけだったが、サフィナは何でもないことのように首を振った。


「いいんです。それでこの本を本当の持ち主に返すことができるのであれば」


 サフィナの決意に迷いはないようだった。その瞳を見ればノエにもわかった。


 サフィナの言葉を受け止めたモリスは、真っ直ぐにサフィナを見返した。


「……わかりました。そこまで仰るならこの依頼、お引き受けしましょう。お代については一旦置いておくことにします。私もお二人の事件、最後までお付き合いしますよ」


「……ありがとうございます」


 モリスの言葉がよほど響いたのか、サフィナが嬉しそうに笑みを返した。


「ありがとうございます。それで、これからどうします? どうやってセドウさんの仲間を探しましょうか?」


 セドウには知り合いがおらず、周りの住民とも交流がなかったという。この状況で調べる方法などあるのだろうか。


 すると、モリスは自信たっぷりに笑って見せた。


「まあ見ていてください。これでも探偵ですので」



 ノエたちを連れてモリスがやってきたのは、この街区にある酒場だった。まだこの時間は開いてないのか、店は静かだった。


 モリスが迷いなく店に入ると、奥から淡々とした声が聞こえてきた。


「いらっしゃい」


 店主と思しき男を見るなり、モリスは男の前に座って語り掛けた。


「ビールを一杯、こちらの二人にも」


「はい。ただいま」


 男は少しだけ背を向けて、それから三人分のビールをモリスたちの前に置いた。


 それを見たモリスがカウンターに代金を『大目に』置いた。


「そうそう。さっきセドウという男が殺されたとかで、大騒ぎになっていましたよ」


 モリスのその一言に店主がピクリと反応を示した。


「ほう。そうですか。世の中物騒ですね」


「ええ、本当に。そのセドウという男、何やら友人との間でお金のトラブルもあったみたいですよ。お金はたくさんあっても良いことはありません。すぐに手放して、お酒に変えた方がよっぽどいいですな」


「まったくです」


 モリスと店主が回す会話を、ノエは不思議そうに見つめている。まるで探偵小説が目の前で演じられているような、不思議な感覚。


 モリスがビールを口に運びながら、次の言葉を告げる。


「店主は何か、面白い話はありませんか?」


「さて、面白い話かわかりませんが、最近足を悪くした男が、女と口論する姿を何人か見たそうです。男女の仲は宝石のように輝いて見えますが、簡単にひび割れるところまで宝石と同じみたいです。どうやらその女、二つ離れた街区に住んでいるようです。おそらく今もそこに住んでいるかと」


 店主がいう男は、間違いなくセドウのことのようだ。セドウはとある女性と口論になっており、何かのトラブルを起こしていたようだ。


 おそらくその女性が、セドウの仲間に違いなかった。モリスがそれを確信すると、さらにお代をカウンターに差し出した。


「ありがとうございます。面白いお話でした」


「なんの、こちらもありがとうございました。それと、最近物騒な話を聞いたので気を付けてください」


 モリスが立ち上がろうとしたところを店主が声をかける。モリスが怪訝な顔をすると、店主はにやりと笑みを見せた。


「最近どこからやってきたのか、ここら一帯をギャングたちが嗅ぎ回っているようです。かなり危ない連中のようで、殺しも辞さないのだとか。お気をつけてください」


 その言葉はノエたちに向けられた警告だった。その女を探すなら気をつけろと。


 ノエたちは店主に礼を伝えると、急いでその場を後にした。




「急ぎましょう。 さっきの話の通りなら、ギャングたちはその女を探しているはずです。手遅れになる前に見つけないと」


「あ、はい。そうですね」


 モリスの緊張感のある声とは裏腹に、ノエは鈍い反応を見せた。その様子を怪訝に思い、モリスがノエに振り向いた。


「どうしました、ノエさん? 何か気になることでも?」


「あ、いえ、すいません。さっきの店長さんとモリスさんの話が不思議だったもので……聞き込みって、いつもあんな感じなんですか?」


 酒場でモリスと店主がやっていた会話が、ノエには不思議な光景に映っていた。事件についての聞き込みなのに、あんな世間話をするような感覚で行われたことに、ノエは不思議に思っていた。


 そんなノエの心情を察したのか、モリスが楽しそうに笑った。


「こういうのは普段からの付き合いと信頼と、少しのユーモアが大事なんですよ。堅苦しいばかりだと、相手も話づらいですからね。ノエさんは女性を口説いたことはありませんか?」


「え? えっと、そういう経験はありませんが……」


「それと同じです。お堅い話よりも、少しバカな話をするくらいが、女性を口説きやすい。覚えておいて損はないですよ」


 そんなことを語るモリス。その話を横で聞いていたサフィナは面白いのか、楽しそうに聞いていた。


「そうですね。いつか小説を書く時の参考にさせていただきます」


「それはいい。その時は私をモデルにしたヒーローを書いてみてください。きっと人気が出ると思いますから」


 そんな話をしながら、三人は例の女のところへ急ぐのだった。




「もうすぐです」


 ノエたちは話に聞いた女の住んでいるところまでやってきた。周りには人はおらず、ここも移住者が集まる街区のようだった。


「この近くのようなんですが……」


 モリスが指差しながら声を上げる。街は静かで、誰もいないようにさえ思えた。


 その時、向こうから大きな音と、女性の悲鳴が聞こえてきた。


「ノエさん!」


 サフィナが声を上げる。しかしそれに反応する暇も見せず、ノエとモリスは悲鳴のする方へ駆け出して行った。


 走っていく二人の前に、女性が一人こちらに走ってくるのが見えた。その彼女の後ろからは、三人の男たちが追いかけてきていた。


「助けて!」


 女性がノエたちを見つけると、助けを求めて駆け寄ってきた。そんな彼女を守るように迎えるモリスとノエ。そんな彼らを男たちが取り囲んだ。


 辺りに殺気が充満する。息苦しさの中、女性の吐息だけが聞こえてきた。


「助けて……殺される……」


 恐怖に汚染された彼女の声がノエたちに掛けられる。その声に反応して、男の一人がモリスに向かって言い放つ。


「痛い目を見たくないなら、その女をこっちに寄越せ」


 女性の肩がびくりとはねる。モリスは彼女を庇いながら言葉を返した。


「何があったか知らないが、女性を襲うのは感心しないな。できればこのまま立ち去ってもらえるかな」


 モリスの言葉に男たちは何も答えない。彼らは懐からナイフを取り出してこちらに向けて構えた。


「キザな男は長生きしないぞ」


「ご心配なく。美人の占い師から、長生きできるって言われてるのでね」


 お互いに差し向けられる軽口の応酬。しかし彼らの間にあるのはそんな穏やかなものではない。一瞬でも油断すれば、そのまま殺し合いが始まりそうな緊張感が漂っていた。


 お互いの視線が交差する。ノエも女性を守ろうと前に一歩出る。


 正直に言えば、膝が震えていた。だがノエの中にある義憤心が、彼を前に歩ませた。


 しばしの睨み合いの後、男たちが一斉に襲い掛かろうとした。


 その時、男たちの目の前に植木鉢が落ちてきた。大きな破壊音を弾けさせながら、鉢が勢いよく砕け散った。


「うわあ!」


 目の前で割れる鉢に驚き、男たちの動きが止まる。その様子を見ていたノエも何が起きているのかわからず、ただ呆気に取られていた。


 ノエが頭上を見上げると、建物の中から住民が物を投げ落としてくるのが見えた。彼らは男たち目掛けて物を投げて、ノエたちを助けようとしているようだ。


 その時、向こうから街の住民と思われる人々が、男たち目掛けて襲い掛かってきた。


「な、何をする!」


「それはこっちのセリフだ! モリスの旦那に何をしてやがる!」


「よそ者が私たちの街で勝手なことするんじゃないよ!」


 目の前で起きる乱闘。モリスも彼らを助けるべく、闘いに加わる。


 顔を殴られ、その場に倒れ伏す男たち。もう彼らは抵抗する気力を失い、その場で倒れこんでいた。


 目の前で起きている騒動に、ノエは呆然としていた。何が起きているのかわからず、途方に暮れていた。


「ノエさん! モリスさん! 大丈夫ですか!」


 その時、サフィナの声が聞こえてきた。


「今警察の方を呼んできました! すぐに来てくれると思います!」


 その時、モリスが空に向かって手を振った。何をしているのかノエは気になったが、それよりも横にいる女性のことを思い出し、彼女に声をかけた。


「大丈夫ですか? 怪我は?」


「あ……ありがとう。助けてくれて」


 まだ声は震えていたが、危機を脱したことに安堵している様子だった。


 黒髪が特徴的な女性だった。少し日焼けした顔と鋭い瞳が印象的だった。


 そんな彼女にサフィナが近寄る。不思議な雰囲気のサフィナの様子に女性が戸惑いの表情を見せる。


 その時、サフィナが童話集を取り出した。


「これはあなたがセドウさんに渡した本ですね」


 女性の驚愕した瞳が、童話集とサフィナに釘付けになる。どうしてそれがここにある? そんな疑問が顔に張り付いていた。


「どうして……それを」


「教えてください。これをどこから盗んできたのか」


 サフィナのその一言に、女性はへたりと座り込んでしまった。




 女性は名前をレオナと名乗った。彼女を囲むようにノエ、サフィナ、モリスが立っていた。彼らを襲った男たちはすでに警官たちに取り押さえられ、連行されているところだった。


 脱力し、その場に座り込んでいた彼女は、童話集について話し始めた。


「その本は私が働いていた貴族様の屋敷から盗んできたものなんだ。名前はアレヴィ家と言っていたよ」


「アレヴィ家って、あの?」


 その名前にモリスが反応した。


「モリスさん。何かご存知なんですか?」


「アレヴィ家は資産家で有名な貴族ですよ。他にも一族の中には企業を経営している人間もいて、政財界でも影響力を持つ家系です。最近当主の健康状態がよくないとかで話題になっていましたよ」


 モリスの話を聞いていたノエも、記憶の断片を掘り起こす。父親が経営している会社の取引先にも、アレヴィ家の名前があった気がする。。もしかしたら、プルスト家とも交流があったのかもしれない。


「私が働いていたのはだいぶ前で、屋敷で小間使いで雇われていたんだ。そこで屋敷にある書斎の掃除を任されていたんだけど、豪華な装飾をしていて高そうだったから、それを盗んで売りさばくことにしたんだ。あまり使われていないみたいで本の数も多かったから、バレないって思ったんだ」


 そうして彼女は本を品定めし、高価そうな見た目の本を盗んだわけだ。


「こっちでセドウに渡したのは、足が付かないようにするためですね?」


「そうだよ。セドウは古書を売り払う伝手があったから、あいつに任せた方がいいって考えて話を持ち掛けたんだ。セドウには盗んだ本だとは言ってないけど、たぶんそこは察していたと思うよ」


 持ちつ持たれつという奴だろう。口には出さない方がお互いのためだし、それにセドウは盗まれた本だと知らなかったという建前ができる。二人の間にできた暗黙の了解だ。


「セドウとは言い争いをしたと聞いているが、分け前でもめたのか?」


「そうだよ。どう考えてももっと多くもらえてもいいはずなのに、あいつは自分の取り分を多めに持っていってたんだ。それで私にも多く渡せって言い寄ったんだけど、あいつは拒絶してきやがった。挙句に私が窃盗したことを密告するって暗に脅してきたんだ。だからそれ以上奴を相手に商売することはやめたんだ」


 セドウは金のトラブルが多かったという。レオナもその内の一つに過ぎなかったということだろう。


「それで、君はセドウが殺されたことは知っているのか?」


「ああ。あいつが遺体で見つかったって聞いて青ざめたよ。絶対私の盗んだ本が原因だって。それですぐにここから逃げ出そうとしたら、さっきの男たちに襲われたんだ」


 そうして、偶然現れたノエたちに助けてもらったというわけだ。あと少し到着が遅れていたら、結末は悲惨なものになっていただろう。


「レオナさん。お聞きしたいことがあるのですが……」


 その時、大人しく聞いていたサフィナが声を上げた。


「何だい?」


「あなたがアレヴィ家の屋敷から盗んだ本は他にはありませんか? それを渡してほしいのですが」


 サフィナの瞳が真っ直ぐにレオナに向けられる。その視線をどう受け取ったのか、レオナは少し考えこんだ後、懐から一冊の本を差し出した。


「これだよ。私は字が読めないから、見た目が豪華ってだけで持ち出したんだ。こっちはセドウに渡さずに自分で売り払おうとしてたんだけど、結局意味なかったね」


 サフィナが本を受け取る。ノエもその本を見ると、そこにタイトルが見えた。


『ペイロー説話集』と書かれたタイトルが、綺麗な刺繍と共に輝いているのが見えた。


 ペイロー説話集は、北方世界に読み継がれてきた説話や神話をまとめたものだった。アンネルなどの国とは違った文化圏にあり、そこで受け継がれてきた説話を収集、編纂した本だった。


 それを手渡しながらレオナが問いかけた。


「それをどうするんだい? アレヴィ家に返して褒美をもらうのかい?」


「いえ。ただ返すだけです。何もいりません」


 その言葉にレオナはキョトンとした。てっきり見返りを求めると思っていたのだろう。彼女は意外そうな顔をした。


「ただ返すのかい? 褒美だってもらえそうなのに」


「これを持つべき人のところに返したい。ただそれだけです」


 その言葉をどう受け取ったのか、レオナは呆れて笑い声を上げるのだった。


「あんたみたいな人、初めて見たよ」


 おかしそうに笑う彼女にモリスが近寄った。


「それより、君を襲った男たちは何者なんだ? どこかのギャングのようだが」


「それは私も知らない。ただ、一つ心当たりがある。まだ私がアレヴィ家で働いていた時だよ」


 レオナが本を盗んだというアレヴィ家。すでに彼女は辞めているが、そこで働いていた時のことを話した。


「さっきも話してたけど、そこの当主が亡くなりそうって時に屋敷には色んな人が出入りしてたんだけど、そのうちの何人かは普通の人と違う雰囲気があった。少なくとも貴族様のようには思えなかった。もしかしたらさっきの奴らの仲間かも知れない」


 ノエが首を傾げる。アレヴィ家がどのような家かは知らないが、貴族の屋敷にギャングがやって来るというのは想像しにくかった。


 何か不穏なものを感じ取った。本を探して歩いていたら、いつの間にか大きな事件に巻き込まれているようだとノエは気付き始めていた。


「よくわかった。それでお嬢さん。申し訳ないが本を盗んだのは事実だ。話してもらっておいてなんだが、君には罪を償ってもらうよ」


 レオナもすでに受け入れていたのか、モリスの言葉に動揺は見せなかった。


「もちろんだよ。むしろ助けてもらって感謝してるくらいだしね」


 レオナはそう言って立ち上がり、一息吐いた。


 その時、サフィナが彼女に声をかけた。


「あ、あの。本を渡してくれて、ありがとうございます」


 慌てて感謝を伝えるサフィナに目を丸くするレオナ。まさか盗みを働いた自分に感謝を言ってくるとは思っていなかったのだろう。彼女はまたおかしそうに笑った。


「盗人に感謝するなんて、あんた面白いね。縁があったら、また話でもしてみたいね」


「はい。その時はぜひ」


 そんな彼女たちの様子を見つめて、ノエもモリスも呆れつつ、笑みを浮かべるのだった。



 本を持って劇場への帰路に着くノエたち。慌ただしい一日だったが、目的を達せられたことに胸を撫で下ろしていた。


「そういえばモリスさん。気になることがあるんですが」


「はい? なんでしょう?」


「さっき男たちに襲われた時、助けてくれた人たちがいましたよね? 知り合いですか?」


 男たちに襲われた時、男たちを襲ってノエたちを助けてくれた人たち。騒動の後、モリスは彼らに手を振っていたのをノエは覚えていた。


「ええ。あの人たちは私の仕事を手伝ってくれる、大事なご友人です。よくお話するんですよ」


 モリスが街の光景を眺めながら、ゆっくり話し始めた。


「ここの住人は外からの移住者ばかりで、この街では新参者です。それなのに仕事を求めてやって来たのに、生活するのも苦労しているんです。仕事柄、私もそんな人たちから相談を受けることも多くて、そのうち仲良くなったんですよ」


 外からやって来る移住者は、必ずしも新しい土地に馴染めるものではない。新しい街での伝手もなければ、仕事を手にすることも難しい。そうやって苦しむ者たちが集まり、さきほどのような街が生まれてしまうのだ。


 きっとこれまでに、モリスは多くの人を手助けしてきたのだろう。それはあの時、自分たちを助けてくれた人々の顔を見ればわかる。


「それも仕事でやってるんですか?」


 ノエがそう質問すると、モリスは笑いながら答えた。


「たまたまですよ」


 その答えにノエもサフィナも笑うのだった。




 その夜、ノエたちは劇場に帰って、その日起きたことを話し合った。横には留守番していたルイズも加わり、ノエたちの話に聞き入っていた。


「そんなことが……オイフェさんがやって来た時は何事かと驚いたけど、本当に推理小説みたいなことになってたんですね」


「そういえばルイズ。オイフェさんはどこにいるのかしら?」


 サフィナがそう問いかけると、ルイズは天井に向けて指差した。その方角は、サフィナの書斎のある方向だった。


「書斎に入り浸って本を読み漁ってるわ。天国に来た人間って、あんな顔をするのかしらね」


 その時のオイフェの顔を思い出しているのか、ルイズがおかしそうに笑った。


 ルイズは少し黙り込んだ後、話に出てきたアレヴィ家について話した。


「アレヴィ家は私も耳にすることがありますよ。資本家でマールでも名前が通る家だから、商談とかでも話題に上がることがあります。確かに最近は当主様の容体が芳しくなく、その後お亡くなりになったと聞いてます」


 暗い話題にノエたちも気落ちする。見知らぬ者でも、悲しい話はやはり暗くなるものだった。


「ルイズさん。そのアレヴィ家は今どうなっているんですか?」


「さあ……実はその後のことは誰も知らないんですよ。マールから少し離れた土地というのもあるんですけど、当主が亡くなってからはでしばらく喪に服すとかで、一切の交流をお断りしているって聞いています。だから誰もアレヴィ家とは関わっていないそうなんです」


 当主の訃報。アレヴィ家から持ち出された童話集。それを狙った強盗事件。ここまで来れば誰もが確信した。全ては一つの事件として繋がっていると。


「どうやら、当主の死がこの事件の発端になっているようですな。それがどうして童話集を狙った強盗になるのかわかりませんが、その童話集とその手紙には、何か重要な意味があるのでしょう」


 モリスの推理が提示される。手元にあるのはハナウ童話集・アイソープ寓話集・ペイロー説話集の三つ。


 これらは全てアレヴィ家から持ち出されたものだ。これらの本にどんな価値があるというのか。


「そういえばサフィナさん。アイソープ寓話集とペイロー説話集にも、何か手紙はありましたか?」


「まだ調べてません。開いてみましょう」


 そう言ってサフィナがアイソープ寓話集を手に取る。ページをパラパラと流してみるが、特に手紙らしきものが出てこなかった。


 何もない。ノエがそう言いかけた時、サフィナが本をつぶさに観察し始めた。


「サフィナさん、何を?」


 ノエが問いかけるが反応はなかった。彼女は本を角度を変えながら上から、横から、さらに下から覗き込むように見続けた。


 すると、彼女は何かに気付いたようにハッとした。


「ノエさん。ナイフを持ってませんか? できれば細いものが良いです」


「あ、えっと。これでいいですか?」


 ノエからナイフを手渡されると、彼女はそれを厚みのある裏表紙に突き刺した。驚くノエたちに構わず続けると、裏表紙から手紙が出てきた。


「ルイズ。ごめん、取ってくれる?」


「ちょっと待ってね」


 ナイフで取り出された手紙を掴み取るルイズ。それが机に置かれるのを見て、サフィナがホッとして本を横に置いた。


 目の前の出来事にノエとモリスが驚いていると、サフィナが微笑みながら説明した。


「本の裏表紙に切れ目があったのでもしかしたらと思ったら、やっぱりありました。たまたまできていた隙間に隠していたみたいです」


 そんなものを見つけるなんて、サフィナでないと見つけることはできなかったかもしれない。ノエは驚きつつも、机に置かれた手紙に目を向けた。


「今度も手紙みたいですね」


 ハナウ童話集にも隠されていた手紙と同じ用紙。そこには次の言葉が書かれていた。


『ロバ、イヌ、ネコ、ニワトリは街を襲ったならず者たちを追い払った。彼らは街の英雄として、いつまでも幸せに暮らしました』


 そのセリフを見たルイズが声を上げた。


「あ、『ハンベック軍楽隊』のセリフですね。このお話、私大好きなんですよ」


 ハンベック軍楽隊。ハンベックという街にロバ、イヌ、ネコ、ニワトリがいた。彼らはそれぞれ別々の土地からやってきたよそ者で、街でもできることがなく、街の人々から疎まれていた。


 そんなハンベックにならず者の集団が襲い掛かってきた。街は危機に陥ったが、4匹の動物たちが立ち上がる。彼らは夜になるとならず者たちを鳴き声で驚かし、彼らに襲い掛かった。それを見た街の人々も動物たちと共にならず者に立ち向かい、ついに彼らを追い払うことができた。


 街を救ってくれた動物たちに人々は感謝し、彼らをハンベック軍楽隊と呼んで、彼らを街の英雄として呼び称え、軍楽隊は街で幸せに暮らしました。


 今もハンベックを象徴する童話として、街の誇りとして語り継がれているという。


「懐かしいですね。よく読んでましたよ。」


 ルイズが懐かしさで目を細める。おそらく世界で最も有名な童話の一つだろう。


「これも童話のセリフですね。しかし手の込んだ隠し方をしていましたね」


 裏表紙に隠すというのも不思議な話だ。何故ここまでして隠したのか。


「姉さん。ペイロー説話集はどう?」


「あ、ちょっと待って」


 ルイズに促されてサフィナがペイロー説話集を手に取って調べてみた。


 いくらか時間をかけた後、小さく「あ」と声が上がった。


「ありました。ほら」


 サフィナが本から手紙を取り出した。今までと同じ大きさのもの。そこには次の言葉が書かれていた。



『こうして黒毛の馬は自分の姿に誇りを持ち、いつまでも草原を駆け巡りました』



「これは『黒い仔馬』のセリフですね」


 ノエがそう答えると、サフィナも肯定して頷いた。


 広い草原に美しい白馬の群れがいた。そこで生まれた仔馬たちも美しい白毛の馬だったが、ただ1頭だけ黒毛の姿をしていた。


 その真っ黒な姿に周りの馬たちは恐れ、醜いと罵る馬もいた。


 黒い仔馬は悲しむが、それでも罵りの言葉に負けることなく、草原を生き抜いた。


 月日が経つと、仔馬は立派に成長し、醜いと言われた黒毛は美しく輝き、その体躯はどの馬よりも立派になっていた。


 それまで彼を罵っていた他の馬も、立派になった黒毛馬を褒め称え、草原の王として敬うようになった。


 黒毛の馬は罵りに負けることなく、自分に誇りを持ち続け、堂々と草原を走り回ったという。



「これも本に書かれている作品ですね」


「全部童話ではありますが、どうして童話のセリフを書いているんでしょうか」


 どれも有名な童話に書かれているセリフだ。有名な童話なだけあって、その文章だけでもどの童話かわかるものだった。


 どうしてそれらのセリフを書いて本に隠したのか。何か理由があるのか。


 それぞれが答えの出ない問いかけを頭の中で繰り返した。そうして答えが出ないまま、ノエが口を開いた。


「理由はわかりませんが、ただ推測できることがいくつかあります。これらの手紙は、簡単に見つけられては困るものだということです」


 ノエはそう言うと、アイソープ寓話集を手に取った。


「寓話集には裏表紙に隠すように便箋がありました。この状況から、誰かに宛てたものではあるけど、その人以外に見つかるわけにはいかなかったのではないでしょうか」


 ノエの言う通り、本の中に隠してあったことを考えると、誰にでも見つかってしまうわけにはいかなったようだ。


「それにセリフだけでどの作品のものかわかるのも、これを読んだ相手が意図をわかるようにしているのだと思います。そう考えると、当人同士だけで通じる暗号のようなものかもしれません」


 暗号にもいくつか種類があり、その内の一つに送る側と受け取る側でだけ意図が通じる合言葉のような暗号もある。


 これらの手紙に書かれたセリフがそうだとするなら、無関係に思えるこれらのセリフは、相手にとって重要な意味があるはずだ。


 逆に言えば、ノエたちではこの手紙の真意は絶対にわからないということだ。


「なるほど……そうなりますと、やはりアレヴィ家に行くべきでしょうね」


 モリスが呟く。それは誰もが考えていたことだったようで、ノエたちも頷いていた。


 このままここで考えても、真実に辿り着くことはない。アレヴィ家に行って、真相を確かめなければならない。


 ただ、それには一つ懸念があった。ノエはサフィナに語り掛ける。


「サフィナさん。今回はギャングも絡んでいる可能性が高いです。アレヴィ家にもギャングらしい人が出入りしているみたいですし、こちらに残った方がいいと思います」


 レオナも言っていたが、アレヴィ家にはギャングらしい男たちが出入りしていたという。殺人までやってしまう者たちだ。そこにサフィナを連れて行くのは危険だと感じた。


 彼女を案じてのノエの言葉だったが、サフィナは首を横に振った。


「私も行きます。この本に関わった者として、最後まで見届けます」


 そう伝えるサフィナの顔に、躊躇という言葉はなかった。彼女は頑として、この事件の真相を見に行く決意だった。


 彼女の後ろでルイズが苦笑いを浮かべていた。こうなってはサフィナが引くことはないと、その顔が語っていた。


 それがわかっているノエは内心溜息を吐いたが、それでもサフィナのその想いを受け止めた。


「わかりました。ですが何があるかわかりません。危なくなったら絶対に逃げてください。それだけ約束してください」


 その一言にサフィナはコクンと頷いた。


 本当に約束を守ってくれるか不安だったが、ノエはそれ以上何も言わなかった。


 こうしてノエ、サフィナ、モリスはアレヴィ家に向かうことになった。


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