第九話 霧に沈む刃
字を操る者は、その力に見合う代償を負う。
負荷が積もれば、やがて心身は限界を迎える。
――それを、人は過負荷反応と呼んだ。
霧が揺れていた。
灰白の濁流が隧道の奥で揺蕩い、足元に転がる数個の彩術具が、赤く淡く、心臓のように脈打っている。
急熱の彩術具。そのすべてに、発動の引き金を握る者――シンの気配が染みついている。
故に、敵は機を伺っていた。
沈黙の中、ソカだけがその眼に映る“敵意の線”を追っている。
目の前で倒れているのは、冷気の女。
息はある。だが熱波を浴び、身動き一つできぬ様子。
そして目と鼻の先に“電光石火”。
ソカへ向けられた微かに残る赤い線が、一閃のようにシンへと伸びる――
先に動いたのは、やはり彼だった。
「【雷閂】」
疾風のような電撃が霧を切り裂き、シンの背を襲う。
「シン、避けて!」
声と同時に、シンの体が反射的に飛び退く。
飛び退いた直後、霧の中から姿を現す影。
霧の中でシンとコウのふたりが睨み合った。
コウの目が、ソカを一瞥する。
その視線に、確かな興味が宿っていた。
「なるほどな……さっきのは、たまたまじゃないってことか」
彼は納得しながら、今度はソカへと距離を詰めていく。
「じゃあ、先に片付けるべきは……そっちか」
ソカは一歩、後ろへ引く。
赤い線が濃く太く、彼女へと伸びてくる。
瞬く間の斬撃。敵意の可視化による事前の予知がなければ、躱すのは至難の業だ。
「んんっ……」
寸前で身を捩るようにして躱す。
だがコウは止まらない。
「これなら、どうだ」
刀を地に突き立て、放つ――
「【雷禊】」
雷の奔流が地を走る。
霧が灼け、湿気が弾け、喰らえば視界が一瞬で真白に変わる。
だが、ソカの眼は、その奔流すら捉えている。
「シン、跳んでっ!」
雷撃が迸る前にふたりして跳び上がり躱す。
ソカの声に、シンが反応した咄嗟の動作。
爆ぜた電撃が霧の海を薙ぎ払い、その勢いを止めた後、ふたりは着地する。
その間、ソカは息を乱すも、視線をコウから外さない。
「視えているのか。ならば……」
コウの口元が歪む。敵意を四方に散らし始めた。
ソカの眼に映る赤い線が、一気に増える。
――なに……こんなに……。
敵意の線が枝分かれするように増え、視界を埋め尽くしていく。
どれが本物か判断しきれない。
だが次の瞬間――
そのすべてが一点に向かって収束していく。
敵意が凝縮されるのを、ソカの眼ははっきりと捉えていた。
彼女はぎりぎりで身体を引き、攻撃を回避する。
しかし――
服の袖が裂け、肩に熱が走る。
「いっ……!」
先程よりも反応が遅れていることをソカは自覚する。
その様子を見ていたシンの目が細くなる。
――恐らく、あの電撃の技は連続使用できない……今のうちに。
幽纏を展開し、気配を消す。
そしてそのまま霧の中を渡り、ソカのもとへ。
次の瞬間、振り下ろされたコウの一撃を、シンが受け止めた。
刃がぶつかり、火花が散る。
速くて、重い……。
疾風のような斬撃が連続で襲い掛かる。
幽纏で視認性を下げているにもかかわらず、コウの刃は正確だった。
シンの集中が削られ、速度が維持できず、幽纏が揺らぐ。
立て続けの攻防の横で、ついにソカが膝をついた。
『ソカっ――』
「は……ぁ……っ」
慣れない力の連続使用、そして精神の過負荷。
ソカの呼吸は浅く、手は震えていた。
「無茶させすぎたな。完全に過負荷反応だ、もう、しばらく字は使えん」
シンとコウの攻防が続く。
攻め手に欠けるシンが段々と押されていく。
脈動していたコウの刀身が、じわじわと光を帯び始める。
――帯電が完了する……来る!
「【雷閂】!」
雷撃が疾走する。
見てからでは遅い。シンは感覚に身を委ねて捻った。
左半身をかすめる。血が滲み、腕に痺れが走る。
そして、幽纏が完全に解けた。
――ソカも心配だ……早めに決めなくては。
シンは奥歯を噛み締める。動きながら頭を巡らせる。
――“幽纏”は正面から使っても通じなかった。
だが……霧と闇がまだ残っている。
視界が濁っている今なら……あれが使えるかも。
連続発動は負荷が大きい。
身体が悲鳴を上げている。“幽纏”との親和も薄れてきた。
だが――やるしかない。
シンは再び幽纏の力を展開した。
あえて、霧に紛れるように断続的に明滅させる。
わずかな光と影のズレが、視線の焦点を狂わせる――その一瞬が、勝機。
発動と解除を繰り返し、明滅するたびに姿が揺らぎ、複数の残像が生まれるような錯覚を作る。
「……っ?」
コウの目が、わずかに惑う。
その瞬間――冷気の女が、上半身だけを起こして、扇を振る。
最後の力で援護をしようと。
霧の奥、シンの背後から、冷気の塊が襲う。
その一連の動きを、ヨダカの目が捉えていた。
シンは女の動きを見ている。
冷気を躱しながら一気に駆けた。
明滅する残像のなか、コウの正面へ立つ。
「くっ……!」
焦って闇雲に振った斬撃は、虚空を裂き、そこには、もう誰もいない。
コウが気づいたときには、もう遅かった。
シンの刃が、首筋を掠め――深く斬り裂いた。
コウの首から血飛沫が上がる。
前のめりにコウが膝をつく。片手で傷口を押さえ、肩で荒く息をする。
勢いよく噴き出す血に、やがて意識が遠のき、その場に倒れ込んだ。
シンは、すぐさま少女の元へと駆け寄る。
過負荷反応による、疲労と発熱で足がふらつくソカを担ぎ、駆け出した。
水音を隧道内に響かせながら足音が遠ざかっていく――
――やがて、足音も消えた頃。
かろうじて意識を取り戻したコウは片膝をつき、床に転がる熱の残った彩術具へと手を伸ばす。
それを見ていた女が、呻き声を上げる。
「な、なにを……?」
返事はない。
コウは迷いなく、それを血の噴き出す首元へ押し当てた。
ジュウッ……。
焼け焦げる肉の臭いが立ちのぼり、首から顎にかけて、見る間に赤黒く爛れていく。
女の目が、痛みと驚愕に見開かれる。
「……ぐぅぅッ……はぁッ、はぁ……」
耐え難い痛みに声を押し殺しながら、血が止まった。
コウは、苦痛の中で低く呟く。
「見つけたぞ……“以心伝心”だ……」
――急熱の彩術具を使った攻撃、声を交わさず意思疎通が図れていた。もう、間違いない……。
ふらりと立ち上がり、喘ぐ女の傍へ近づき、手を伸ばした。
「立てるか……」
女がかすかにうなずき、手を伸ばしかけた――その瞬間。
一閃。
女の喉元に走る閃き。
女の見開かれた目と口が、予期せぬ裏切りを物語っていた。
一言も発せず、その場に崩れ落ちる。
血飛沫が霧を濡らす中、ただ一言つぶやいた。
「“以心伝心”と“四面楚歌”……共鳴が始まる」
“電光石火”の男――コウは、不穏な言葉と音だけを残して、霧の向こうへと消えていった……。
次回予告
第十話 「出会いは風の中」
傷だらけのふたりに差し伸べられた声。
それは、風が運んだ“出会い”だった。
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平修




