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七國繚乱ー森羅万象の記憶ー  作者: 平 修
序章 邂逅奇縁
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第四話 声なき言葉

 砦の最上階。

 崩れた床の隅に腰を下ろし、ソカは震える指で木箱を抱きしめた。


 吹き込む夜気が冷たい。西側の矢狭間やざまでは、シンが森を見張っている。


 月明かりの下、冷たい蝋封が鈍く光った。

 ――開けたら、もう戻れない。


 深く息を吸い、力を込める。

 ぱきり、と封が砕ける音が廃砦に響いた。


 墨のかすれない、あの威厳ある筆致――

 厳格だった父が、娘に宛てて綴った初めての本当の声。



ソカへ


おまえがこの手紙を読むとき、わたしはもうおまえの傍にいないかもしれない。

娘としてではなく、ひとりのあざなを持つ者として、おまえの運命が動き出すときに備えて、これを残す。


かつて、わたしは木霊ノこだまのさとという地を訪ねた。

あの国には、言葉にならぬものを言葉にし、未来の影を記す者たちが生きている。

彼らはわたしに、ひとつの予言を授けた――おまえが“四面楚歌”の字を持ち、世界を拒絶する存在になると。


その意味がわたしには分からなかった。

いや、分かりたくなかった。

おまえを幽閉したのは、世界から隠すことで、定めを遠ざけられると愚かにも信じたからだ。


赦されぬことをした。

だがそれでも、願う。

この予言を開き、どうか自分自身の目で真実を見てほしい。

その先に、もし未来があるなら、歩むのはおまえの意志であってほしい。


――父より

 

 読み進めるほど胸の奥で怨恨と悔恨が衝突し――整理しきれぬ愛憎が、涙となってこぼれた。

 

 父が頑なに口を閉ざしていた理由は、恐怖と祈りのい交ぜ。

 

 ソカは唇を噛み、声にならない独白を胸中で繰り返した。


 ――どうして今さら……優しい言葉なんて。

 

 でも、本当はずっと……この声が欲しかった――


 

 ……涙を拭うと、少女は手紙の下にあった薄い巻紙を広げた。

 

 墨痕は深々と紙を染め、読む者を選ぶように古語が並んでいる。


森羅万象 朧霞おぼろかすみ水面みなも

月夜に移ろい 揺蕩たゆた


声なき契り 路となり

影を渡りて 夢を継がん


汝、四面楚歌を宿す者よ

世界の拒絶者と相成るとも


されど 秘めし門はひらかれん

いかなる願いを 汝は託すや

 

 幽閉の間で繰り返し読んだお伽噺に出てくる伝説の“森羅万象”の字。

 それが、自分のもつ字“四面楚歌”と同じ行に並ぶ不気味さ。

 

 拒絶される運命を示しながら、門は開くと記す矛盾。

 

 恐れと微かな焦燥感が渦を巻き、ソカは頁から視線を外せなかった。

 

 父の罪、予言の真意、そして自身の力――全てを飲み込むには、心が幼すぎる。

 

 だが、もう逃げられないと悟っていた。

 

 ソカは両掌で書と手紙を包み込み、小さく息をつくとシンの背に声を掛けた。


「……読んでくれる?」


 少年は矢狭間から離れ、黙って受け取る。

 

 読み終えるまで、砦に再び沈黙が満ちた。


 やがて、視線を上げたシンが首を振り、木箱から地図を取り出した。


 広げた地図、ソカの父が記したであろう、もう一つの赤い丸で囲われた箇所を指差す。


『ここは随分と前に廃道となった陰隧道いんずいどう、木霊ノ郷へ続くと言われている』

 

『僕らは追われる身。正規の道は通れない』


 シンは意を決して伝える。

『危険かもしれないけど……ここを通って行こう』


 その言葉に、ソカは息を呑んだ。


『……答えは木霊ノ郷で待っている』

 シンは、最後にそう告げた。

 

 シンの心声は柔らかいが揺らぎがなかった。

 

 ソカは涙の痕を袖で拭い、ゆっくりとうなずく。


「……父の言葉から逃げたくない。私、行くわ」

 

 少女の決意は隙間から覗く夜空より澄んでいた。


 

 砦の最上階――崩れた壁の隙間から光が差しこみ、冷えた石床を蒼白く照らしている。

 

 木箱の底から、丁寧に折り畳まれた厚手の外套を取り出すと、シンはそっと広げた。

 冷たい石の上に敷いてから残りをソカの肩へ掛ける。 


『……君のお父上は、この夜の冷えも計算に入れていたんだろう』


 布地に残る微かな香に、ソカは目を伏せる。

 父の遠い思惑と、目の前の彼のやさしさ――二つの温もりが重なり、胸の奥でほどけていく。


「ありがとう……」


 そう言って身を横たえたソカは、瞳だけをそっと動かし、天井の欠片を見つめていた。

 まぶたを閉じても、炎と刃と疾走の残像がまぶしく脳裏を走り、鼓動は鎮まらない。


 矢狭間で夜気を読んでいたシンが振り返る。

 

 風にそよぐ外套の影が月を横切った。

 

『眠れない……?』

 音のない声が胸の内に柔らかく触れる。


 ソカは小さくうなずき、乾いた喉でつぶやいた。

「どうして……私なんかを助けてくれたの?」


 問いは砕けた瓦礫のようにかすれ、月明かりの隅で揺れた。

 シンはわずかに眉尻を下げ――照れたように微笑む。

『……恩返し』

 胸の奥へ素朴な響きが落ちてくる。


「恩返し?」

 ソカが身を起こすと、掛けていた外套がかさりと音を立てた。

 

『十年前、森で倒れていた僕を助けてくれた少女――君を、忘れたことなんてない』


 灰のように色を失った幽閉の日々のただひとかけら、鮮やかな思い出。

 それが同じ色で彼の中にも在ると知った瞬間、胸が熱く膨らんだ。


 シンは歩み寄り、月明かりの真下で膝をつく。

 夜に溶けるような深い藍の瞳がまっすぐにソカを映し込む。

 

『あの日、“ありがとう”と言えなかった……。それが悔しくて……この力を磨いたんだ』


『助けてくれて、ありがとう』


『今日届けられて、本当に良かった』


 頭を垂れる少年の髪に月が銀をまぶす。

 

 ソカの目尻から一滴、透明な雫がこぼれ落ち、掌の上でまるく輝いた。

 

 堰を切った嗚咽が夜気を震わせる。

 十年分の孤独と安堵が綯い交ぜになり、声にならない声が肩を揺らす。


 シンは何も言わず、その傍らに腰を下ろした。

 

 細い肩が静まるまで、砦の闇を半分分け合う。

 

 涙が尽きるころ、ソカは伏せ目がちに息を吸い、囁くように問いを重ねた。


「……名前を、教えて」


 あの日は名を尋ねる術も伝える術もなかった――けれど今は、心で語り合える。

 

 シンは胸に手を当て、丁寧に告げる。

『僕は――シン』


 ソカは両手で涙をぬぐい、小さく笑った。

「シン……私はソカ……四面楚歌って呼ばれることが多いけど」


「でも、シンには、この名前で呼んでほしい」


 シンの唇がほころぶ。

 

『わかった、ソカ。これからは僕が君を守るよ』


 月が雲間に隠れ、砦の闇がいっそう深くなる。

 

 ソカは安堵の息を漏らし、外套に身を沈めた。

「……ありがとう、シン……おやすみ」


 穏やかな寝息が聞こえ始めると、シンはそっと立ち上がる。

 矢狭間へ戻り、夜の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。


 ……十年。その年月を越えて、守るべき名を得た。

 

 その重さと温かさを掌に残したまま、彼は再び闇を見張った。

 


 ――その頃、砦から二里東。

 黒松の谷に赤外套の影が集まり、闇に灯した松明だけが地図を照らしていた。


 “電光石火”の字を冠する男――コウ。

 その周囲に、六名の護法局小隊。


 羊皮紙の地図には真新しい墨で三つの円が描き込まれている。

 双樹砦、廃坑、廃村三枝さえぐさ――いずれも山道を塞ぐ要衝だった。


「奴らは関所を越えられん。ならば潜れる穴は限られる」


 コウの指が円を結ぶと、三本の線がまるで檻のように浮かび上がる。


「夜明け前に砦を制し、北の廃坑で川筋を封じる」

「南の三枝村には伏兵を置き、隧道と吊り橋を潰せ――これで奴らの進路は途絶える」


 断定ではなく、獣の嗅覚じみた推測。

 

 しかし、それはこれまでの経験に裏打ちされた確かなものだった。


 その証拠に隊士たちから異論の声は上がらない。



「村、吊り橋、廃坑、隧道……この四つを押さえろ。双樹砦へは俺ともう一人。四面楚歌が暴走すれば――致命でも構わん」

「それと――隧道は本命だ。入り口に罠を仕掛けておけ」


 松明が消え、赤外套の影はそれぞれ夜に溶けていった。

 

 森を覆う雲が月を呑み込み、闇がひときわ濃く沈んだ。


 逃げ場などどこにもない。

 

 夜明けより速く、包囲の輪が完全に閉じようとしていた――

次回予告

第五話 「敵意の気配」

それは、言葉ではなく感覚。

新たな“敵意”に触れたとき、少女の中で眠っていた力が目覚めていく。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


もし楽しんでいただけましたら、ページ下の「評価(☆)」や「ブックマーク」で応援いただけると、何よりの励みになります。


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あなたの声で物語に色を付けてください。


物語の余韻が、ひとひらの彩りとなりますように――


たいらおさむ

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