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七國繚乱ー森羅万象の記憶ー  作者: 平 修
序章 邂逅奇縁
3/5

第三話 電光石火の男

 あかつき帝国の中枢機関、帝政律府ていせいりっぷ

 直属の対“あざな”専門部隊、護法局ごほうきょく

 その一員にして、最速の名を持つ者がいた――

 

 

 シンとソカが転がり込んだ先は廃寺の厨房。

 

 開け放たれた戸口を前に、シンはすぐに身構えた。

 

 入り口に立つ“電光石火”と名乗る、あざな持ちだと思われる男。

 長い外套の裾をなびかせながら、無言で間合いを詰めてきている。


 気付けば、気配が目前に迫っていた。


 シンの反応がわずかに遅れる。


 白くきらめく長い刃が疾風のように振るわれる。

 刀身は脈動するように赤と青の淡い光を放っていた。

 

 シンが小太刀――“幽纏ゆうてん”を横に構え、かろうじて受け止める。

 刹那、痺れる感覚が腕を走った。


『……っ!』

 

 ――字の力だろうか。


 痺れは致命的ではなかったが、腕の感覚が鈍る。


『ヨダカ、彼女を!』

 痛みをこらえながら、シンは心の中で叫んだ。


『裏手から先に砦へ!』

 矢継ぎ早に少女へ告げた。


 ソカは少しためらいながらも、状況を理解し、すぐに木箱を抱えて走った。 

 奥の庫裏くりを出ると、黒い影――ヨダカが一鳴きしてソカを導く。

 

 シンはその背を確認すると、幽纏を握り直し、再び構えた。


 ――この男は今、こちらだけを見ている。


 再び“電光石火”の刃が煌く。

 シンは身を翻して避ける。だが速い。

 振り下ろされた長刀は、空気を裂き、返す刀ですぐに二撃目が追ってくる。

 

 幽纏がわずかに“電光石火”の衣を掠めたが、すでにその姿は別の位置にあった。


 再び閃く刃――速さの差は、歴然だった。

 

 咄嗟に身を傾けるも、脇腹をかすめた刃が少年の衣を裂き、熱い血が滲む。


 鋭い痛みの後に、またも微弱な電流。

 傷口に流れ込んだそれは、皮膚が焼けるように痛んだ。


 ――このままじゃ……。


 “電光石火”は冷たい目で見下ろしていた。

 何も言わない。ただ淡々と、迅速に相手を制圧する。それが彼の流儀だった。


 次の瞬間、また姿が消えた。


 シンは腰を落とし、周囲の空間と風の流れに意識を集中させる。

 薄闇の中、かすかな衣擦れの音。

 瞬間、幽纏を逆手に構え、左へ跳ぶ――


 長刀が地を裂いた。

 寸前までいた場所に雷光のような一閃。


 一撃で決めに来ている。

 

 殺す気はなく、捕縛が目的だろう。

 だが、この速さでは、守りきることすら困難。


 建物の内部――それだけが、唯一の救いだった。

 長身の男にとって、この狭さは刃を振るう妨げとなる。


 事実、さきほどの一撃は柱を避けるために角度が甘くなっていた。


 ――柱の位置を計算すれば、動きに制限が生まれるか……。


 シンはすぐに思考を切り替える。

 

 逃げるための一手、それを探る。

 

 幽纏を構えたまま、柱の影に滑り込む。


 “電光石火”が歩みを進める。

 狭い室内に合わせ、長刀を鞘へ戻し、脇差へ――それでも圧は変わらない。

  

 柱に映る影を目印に、シンは紙一重の間合いで躱し続ける。


 シンの足元へ、木屑と塵が降る。

 度重なる攻防の末、柱に亀裂が走った。


 ――今だ!

 

 天井が軋み、建物が片側から崩れかける。

 

 その瞬間を逃さず、シンは腰袋から彩術具さいじゅつぐ――“流動”の指輪を取り出し、力を込めた。


 声なき祈りと強い光と共に、突風が二人の間に巻き起こる。

 

 刹那、シンは地を蹴り、風に乗るように宙へ身を投じる。


 風がお互いをそれぞれ別の方向へ後押しし、少年を裏口から外へ送り出した。


 直後、崩れる天井。粉塵が舞い、影が揺れていた。

 

 わずかな瞬間、男の目が細められた――

 


 ――その頃、寺の裏山を抜ける細道を、ソカは必死に駆けていた。

 

 履き物が外れかけ、足元は泥にまみれ、呼吸は荒く喉が焼けるように熱い。

 

 それでも振り返ることはなかった。背後から感じる戦いの音、爆ぜるような気配。

 

 それらがシンと“電光石火”との一騎打ちを物語っていた。


 草葉が擦れ合い、進むべき道をそっと指した。

 

 空を滑る黒い影――ヨダカが、何度もこちらを振り返ってくれる。

 

 その瞳に、どこかあの少年の面影を見た気がした。

 

 ――不思議と優しい眼差し。


「……ヨダカ……」 

 

 ……その姿がそばにあるだけで、少しだけ心が落ち着く気がした。

  

 苔むした地を蹴る足がもつれそうになる。

 

 けれど、止まるわけにはいかない。

 

 いま、私は“守られている”。


 その温かさは、あの黒い影から静かに滲み出し、胸の奥が少しだけ、軽くなった。


 だがその一方で、別の感情が湧き上がる。

 

 安心の裏から這い出す、黒く濁ったもの――

 

 恐怖、不安、後悔……そして、自分への怒り。


 ――私ばっかり、守られて……。


 逃げる自分が、彼を置いてきた自分が、許せない。


 胸の内に渦巻く恐怖と不安は、次第に別の“何か”を生み出していた。


 ――敵意。


 “四面楚歌”のあざなが、制御できぬままにその力を漏らし始めていた。


 その証拠に、森の奥から複数の影が音もなく現れる。

 

 四つ足の獣たち。痩せ細り、毛並みの荒れた野犬の群れ。


 飢えに目を血走らせ、ソカの放つ敵意に引き寄せられた。


「っ……来ないで……!」


 息を呑んで後退るソカの前に、一匹の獣が跳ねる。

 

 ヨダカが滑空し、鋭いくちばしで傷を与えるが、わずかにその進路を逸らしただけだった。

 

 獣たちは怯むどころか、むしろ敵意に呼応して突進してくる。


 ――私が……呼んじゃった……?


 そう気づいた瞬間、ソカの中に、湧き上がる恐怖とは別の感情――“覚悟”が芽生えた。


 今も彼が戦っている――私が逃げなきゃ、裏切ることになる。


 ソカは、震える息を必死に整えた。


 「……っ、怖くない……怖くない……私、大丈夫……」


 恐怖を押し込み、鼓動を静めた。


 目の前の獣たちが、一瞬だけ足を止める。

 

 見えない煙のように漂っていた敵意が、ほんの少しだけ収まり、獣たちは迷うような挙動を見せる。


 ヨダカはその隙を逃さず、地に降り立ち、自らを囮にした。

 

 新たな獲物を前に獣たちの目の色が変わる。

 

 襲いかかる獣を器用に躱しながら、獣たちを森の奥に引き連れ――やがて見えなくなった。


 そよ風が草木を揺らし、静寂を連れて来る。

 

 しばらくすると、翼をはためかせたヨダカが戻ってきて、誘導を再開した。

 

 少女はこの頼もしい護衛に心の中で感謝を告げ、再び駆け出した。

 

 ソカは走る。転びそうになりながらも。

 

 ヨダカの導きに置いていかれぬよう、足を動かす。


「もう、すこし……!」


 やがて、森を抜け、見晴らしの良い岩場へと辿り着く。


 そこには、廃墟と化した砦があった。

 双樹砦そうじゅとりで――かつての監視所。


 風雨に晒された石壁は苔に覆われ、崩れた櫓の梁が斜めに突き出している。


 足元には錆びた矢尻と朽ちた帳簿。

 かつての守人の気配はもう微塵も残っていなかった。

 

 後ろを振り返る。追手の気配は今のところない。

 真上に昇った日の光が、木々を波のように揺らしていた。


 ソカはその場に崩れ落ちると、胸に抱いた木箱を抱きしめた。


 風がそっと吹き抜ける。

 その流れにヨダカの気配を感じながら、ソカは震える指先を握りしめた。


 先ほどよりも、少しだけ強く、確かな意思を込めて――

 

 

 ――建物が崩落する瞬間。

 

 あざなの力を発動して脱出した“電光石火”。

 崩落の裏口に少年の姿は既になかった。


「……逃がしたか」


 声に悔しさはない。冷たい瞳が、辺りを静かになぞる。

 男は、その場から一歩も動かなかった。


「今、追えば追いつける。だが……」


 心に差すわずかな疑念。

 

 ――“以心伝心”の字持ちかもしれない。

   

 崩落の前――少女が無言で駆け、少年が同時に動いた。 

 合図は皆無だった。


 帝政律府においても、“以心伝心”は幻とされてきた。

 

 帝国にある古文書に残るのは、「心、交わりて言葉を要せず」の一節のみ。

 

 確認例は百年の間に三件。いずれも兆候止まりだった。


 だが、それゆえに――兆候を見れば、即座に報告が義務づけられている。


 ……あの瞬き、あの気配の交錯――偶然で片づけてよいものか?

  

「……まさか、本当に――」


 “電光石火”は立ち上がり、長い外套を払った。


「報告が先か……」


 腰元から細巻きの文と、小さな筆を取り出し、短く、簡潔な文を記した。


 “以心伝心”の兆あり――

 

 彼はそれを細縄で巻き、軽く鳥笛を唇に当てる。

 ひゅ、と風に溶けるような音が森を抜けた。


 ほどなくして、鋭く空を切る羽音が返る。

 現れたのは、彼が長年使う伝書を専門とする隼。


 無言のまま、その脚に文を結びつけ、“電光石火”は低く一言。


「頼んだぞ」


 隼が一声、鋭く啼き、風の中へ飛び立った。

 見えぬ速さで東の空へ消えていく。


 彼はわずかに唇を吊り上げた。


 羽音も消えた空を背に、“電光石火”は再び森へと姿を溶かしていった――

 


 ――その一方、森を駆けるシンは、自らの鼓動を感じていた。


 ヨダカとの共感覚は、既に切れている。

 

 見えない感覚の“糸”が遠くに消え、手応えが薄れていた。

 この感覚が、おおよその範囲だ。

 

 そこから逆算し、双樹砦までの方向を推測する。


 ――あの程度で倒せたとは思ってはいない。少し時間を稼いだ程度だ。

 

 シンは警戒し、緊張状態を保ちながら、木々の間を抜けて走った。


 ――

 しばらく走ると、何事もなく、森を抜けた。

 

 陽は傾きかけ、振り返った森は静寂と夕闇に呑まれているだけだった。


 ――追って来ないのか……?


 気配の感じぬ見えない敵に警戒しながらも、やっと辿り着いた目的地に、まずは安堵した。

  

 苔むした岩肌を踏みしめ、息を整えながら、砦を見上げる。


 双樹砦。双つの巨木に守られるように建つ、かつての見張り所。

 

 今は人の手を離れ、獣の気配も薄い。

 

 見晴らしのよさと周囲の岩場による天然の防壁。


 逃げ場のない彼らにはまさに“希望”だった。


 砦の入り口へ足を踏み入れた瞬間、懐かしい気配が風に混ざった。

 ヨダカの気配。そして……少女の声――


「……よかった!」


 駆け寄る少女の小さな体は所々が汚れており、決して楽な道のりではなかったことが伺えた。


 ソカがぽつりと呟く。


「ヨダカがね……ここまでずっと、守って、導いてくれたの。すごかった」


 シンは、ヨダカに視線を送る。

 黒い鳥は、ふたりの間で静かに首をすくめていた。


 シンの指がヨダカの頭を優しく撫でる。

 

 言葉はなくとも、シンの胸には確かに伝わっていた。

 

 ふたりが生き延びたという、事実と絆が。


「……ありがとう」


 そう言ってソカがそっと、木箱を抱きしめる。

 

 その重さの向こうに、待ち受けるのは“父の言葉”。


 それを読んだ時、何を思って、どう変わるのかはまだ知らない。

 

 それでも、今はただ、こうして無事に再開できた喜びに浸っていたかった。

 

 日は沈み、月明かりが砦を静かに照らす。

 

 その月明かりは少年の心に影を差すように。


 一抹の不安を残していた―― 

次回予告

第四話 「声なき言葉」

何も語らなかった父の手紙と、あの日、出会った少年の声なき言葉。

二つの想いが、静かに少女の心を揺らした。



最後まで読んでくださりありがとうございます。


物語の余韻がひとひらの彩りとなりますように。


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応援やご感想、心よりお待ちしております。


たいら おさむ

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