第二十六話 暴走の代償
あの瞳に映る私はもう敵意の対象。
少女は、それでも手を伸ばす。
快活な彼女ともう一度、笑うため。
黒い靄が、まるで夢の終わりを告げるように、ゆっくりと溶けていった。
その向こうに、崩れかけた地下施設の輪郭が浮かび上がる。
それでもなお、薄闇に包まれていることに変わりはない。
影から這い出たシンは呻くように息を吐きながら、ハナエから距離を取り、素早く呼吸を整えていた。
その時、ソカの敵意感知が発動する。
背に強い敵意の気配を感じ、咄嗟に身を翻した。
少女の肩先を、何かが掠める。
躱されたその影は手と足を使い、四足で着地をした。
こちらを強く睨みつける。その影、その姿には見覚えがあった――
「チヨ……!?」
驚いた声でソカが呼びかけるが反応はない。
少女は友との再会に安堵しかけた胸が、すぐさま凍りついた。
その姿は明らかに異常。髪は乱れ、全身には傷が走っている。
チヨの瞳は、血を灯したように赤く濁り、まるで理性の抜け落ちた獣そのものだった。
そして、突き刺さるように放たれる明らかな敵意。
痛いほどに感じる。
“四面楚歌”の字が、それをはっきりと告げていた。
「チヨ……なんで……?」
戸惑いと恐怖が入り混じるなか、ソカは震える声で問いかける。
だが、チヨから返る言葉はない。ただ、低く唸るような吐息と、睨み据える眼差しがあるだけだった。
それはもう、正気の視線ではなかった。
コハクが静かに口を開く。
「……彼女の字による暴走のようね。余程の強敵と出会ったのでしょう」
「字……!?チヨは字持ちだったの?」
ソカの言葉にコハクは小さく頷く。
「字持ちは追放が郷の掟。チヨさんは必死で隠してらしたから、知らないのも無理はありませんわ」
痛ましいチヨの姿に、ソカは唇を噛む。
どれだけ心と身体が限界に近づいていようと、命の限り戦い続ける――そんな異様さがあった。
「いま考えられる対処法は三つ」
「ひとつは、わたくしの“浄化の力”で鎮めること。けれど、どの程度まで効果があるかは分かりません」
コハクは手に持った杖を一振りしてみせた。
「ふたつ目は、ソカさんの使用していた“緘布”。それで字自体の力を封じる。左腕に“猪突猛進”の字が光っているでしょう。そこへ巻き付ける」
――この状態のチヨにそんなことが可能なのか。
ソカは、喉元まで出かかった弱音を噛み殺した。
「そして三つ目は――過負荷で自壊するまで待つこと。つまり、このまま防戦に徹する」
「でも、それって……!」
「手を誤ればこちらが、過剰な過負荷反応でチヨさんが……どちらかが死ぬ可能性も、なくはないわね」
はっきりとした声だった。
その言葉に、ソカの心がきしむ。
「そんなの、ダメ……!」
目の奥が熱くなる。敵意が突き刺さっても、あの目を見れば思い出す。チヨの真っ直ぐな性格。
――ただ、今はそれが、届かないだけ。
そのとき。
祠の方から動く音がした。
地下の奥――そこにいた“ハナエだったもの”が、ゆっくりと歩き出した。
手指に巻き付いた彩術具が様々な色味を放っている。
蒼白の肌。血を啜るような指先。
その姿は、もはや人ではなかった。
コハクがソカを背にして杖を構える。
「あちらも、動くつもりのようですわ。考えている時間もあまりないようね」
振り返らずに、コハクは言った。
ソカは、チヨが託してくれた“緘布”を手に取って見つめた。
チヨと過ごした、うれしかった記憶がよみがえる。
チヨを安全に止めるためには、これしかない。
ソカがそう覚悟をした時、少女の背をそっと押すように心に声が届いた。
『僕が止める。ソカは、合図をしたら、その布をチヨの左腕に巻いて。コハクへは“そいつの足止めをよろしく”って伝えて』
息を整え終えたシンが立ってこちらを見ていた。
腕に付けた淡く光る籠手に手を添えている。
その瞳は静かに、けれど確かな決意を宿していた。
ソカは、こくりと頷き、コハクに向かって叫ぶ。
「“足止めをよろしく”って――シンが!」
その言葉に、コハクがちらりと振り返り、小さく微笑んだ。
「承りましたわ。先程のお返しというわけですわね」
そして、風が動いた。
コハクは杖を掲げ、淡い光の膜を展開する。
ハナエの骸が、それに向かって歩き出す。血のように赤い気配が、影のごとく広がっていく。
一方、チヨは腰を落とし、持っていた盾を二つに割った。
その目は、はっきりとソカを捉えている。
ソカは目を逸らさなかった。
怯えながらも、右手に“緘布”を握りしめ、左足をわずかに引いて重心を整える。
――絶対に、止める。チヨを、死なせはしない。
シンは再び“幽纏”を構え直し、先程のコハクの言葉を思い返していた。
――名を刻むことは、世界にその在り方を示すこと。
それならば、新しい技を展開したことで気力が枯渇しそうな現状でも、普段の使用ができるかもしれない。
そう考え、技に名を与えた。
『【隠影】』
心で唱えた瞬間、身体に馴染んだ使用感から更に身体が軽くなった。
少年は薄闇を纏い、気配を消失させていく。
闇を切り裂く意志が、今、静かに動き出す。
戦いは、すでに始まっていた。
次回予告
第二十七話 「決着の地下」
仄暗い地下の底、静かに戦いは終わる――
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平修




