第二十五話 猛進の果て
護るため――
彼女は狂気に身を委ね、激動が目を覚ます。
夜闇に対峙するのは二匹の獣。
チヨは脈動する奔流に身を委ねると、意識は静かに高揚していった。
視界が赤く染まり、耳に入る全ての音が鋭敏に研ぎ澄まされる。
全神経が目の前の敵だけを見据え、筋力と感覚が常軌を逸して高まった。
チヨの背丈を優に超える大型の凶獣。
彼女の変貌に、何かを察したように毛を逆立て、重低音の唸り声で威嚇した。
先に動いたのは凶獣だった。
毛に覆われた太い腕を横一線に凪ぐ。
チヨは身を反らして躱すと、振り切る前の腕へ一撃を与えた。
不意の打撃に凶獣が低く呻いた。
チヨは間髪入れずに詰め寄り、もう一方の支えの腕を狙って打ち込んだ。」
凶獣は声を上げ、支えを失った躯は滑るように地に付した。
チヨの追撃は尚も続く。
無防備な顔面へ半円の盾を逆手に構えると、突き立てるように振り下ろした。
めり込む重い打撃に、悲痛な声を上げる。
凶獣は周囲に激しい風を纏わせ、引き離そうとするが、チヨの身体は微動だにしない。
強い風圧をものともせず、猛追を続ける。
上から、横から、執拗に打ち続ける乱打。
鈍い音が続き、やがて、肉が破れ血が溢れ出す。
凶獣は大きく吠え、周囲に纏わせていた風を刃へと変えた。
無数の風刃は、チヨの身体と同時に自身の躰をも引き裂いたが、彼女は猛追を止め、一歩退いた。
素早く体勢を立て直した凶獣は、チヨへ睨みを利かせ、唸り続ける。
今度はチヨが先に動いた。
地を蹴る音と共に、身体が一気に加速する。
凶獣が振るった風の刃を、盾で弾き飛ばしながら肉薄し、一撃、二撃、三撃――矢継ぎ早に振るわれる暴力的な連撃に、凶獣が再び圧され始める。
毛に覆われた大きな腕で流動の力を足元に叩きつけると、地面ごと跳ね上がるような振動を生んだ。
土煙が上がり、地面が揺れる。
大きな揺れに彼女が一瞬だけ体勢を崩すと、好機と見た獣が、大きく踏み込み、爪を振り下ろした。
不安定な体勢ながら、チヨは両手に持った半円の盾を交差させ、その間に迫った爪を――
挟み込んだ。
重い衝撃音。
チヨは崩れた体勢と勢いのままに、盾を捻り上げ、凶獣の爪をへし折る。
バキッと大きな音を立て、折れた巨大な爪が、くるくると宙を舞い、チヨは跳び上がった。
拳と盾で中空の爪を打ち出すと、破片が鋭く獣の胴を貫き、凶獣は咆哮し、後退った。
呻きの声が、風に消えていく。
凶獣は苦しそうな声を上げながら、今度は口を大きく開き、牙を剥き出しに襲いかかってくる。
チヨは、半円の盾を上下に構え、その口へ突っ込む。
凶獣が口を閉じようとする顎の力と拮抗し、チヨは口を開くように力を込め続けた。
やがて――
裂けるように、凶獣の顎が開いた。
骨が砕け、口端が裂け、情けない声が漏れる。
牙という武器を失った凶獣は、恐怖に駆られるように風を巻き上げ、逃走を図った。
チヨはその背を、黙って見ている。
必死に走る凶獣の姿が遠くに見えるようになった頃、彼女は脚へ力を込めた。
踏み込む脚、膨張する筋肉。
爆音とともに地が抉れ、チヨの身体が流星のごとく駆けていく。
地を蹴るごとに速度が増す。
凶獣の背に追いついたとき、彼女は半円の盾を下から突き上げるように構え――
柔らかな腹の下から、勢いよくかち上げた。
鈍い盾先が、下腹部へめり込む。
獣が吐血し、そのままの勢いで宙を舞った。
チヨはその姿を見上げながら、盾をひとつに戻す。
地に落ちた巨体が、大きな衝突音と土煙を巻き上げる。
チヨは虚ろな目で、その巨体を見下ろすと、最後の一撃を振り下ろした。
掠れた声を洩らした凶獣は、しばらく躯を震わせた後に、音もなく動かなくなった。
しばし亡骸を見下ろし、途端、何かを思い出したように、彼女の足が動いた。
「湯殿……」
チヨは無意識にふたりと約束した地の名を口にし、足が向かった。
まだ暴走により手放した理性が戻ったわけではない。
けれど、“約束”の残り火が、彼女の身体を駆り立てた。
地を蹴る音が、夜の郷に再び響く。
やがてたどり着いた湯殿の外には、姿形様々な異形が群がっていた。
チヨは、迷うことなくその群れに突っ込む。
異形の群れが、一斉に牙を剥いた。
四足の獣、ねじれた腕の影、鎌のような尾をもつもの――
どれも本能で彼女の脅威を嗅ぎ取り、襲いかかる。
チヨは盾を振りかざし、横なぎに薙ぎ払った。
重い打撃音とともに、細い躯が何体も吹き飛ぶ。
正面から飛びかかってきた異形の首を、踵で踏み抜いた。
なおも迫る数体を、盾の角で次々に打ち据える。
血飛沫と骨の音が交じる中、彼女の脚は止まらない。
盾を振るい、蹴り飛ばし、跳ね飛ばす。
血の霧を纏いながら、まっすぐ湯殿の中心へ向かった。
湯の底が、裂けている。
その中から強烈な気配を感じた。
何かがそこに潜んでいると。
チヨは、その気配に強く惹かれる。
本能が強く警鐘を鳴らす敵意の匂い。
その敵意へ誘われるように、地下の階へ歩を進めた――
次回予告
第二十六話 「暴走の代償」
強すぎる力はその思考すら奪った――
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平修




