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第二十四話 名を刻む影

 名とは、世界に在ることをうべなう行為。

 名が世界へと刻まれたその瞬間――

 その力は、闇に潜んでいた影の姿を、静かに暴いた。



 祠の前、黒い靄は濃密に渦を巻き、なおも勢いを増していた。

 敵の姿は見えない。息遣いも、気配も、ただの音すら、どこにもない。

 

 だが、ほんのわずかでも動けば――その“何か”は即座に襲いかかる。

 さきほど、結界守の若衆三人が一瞬で葬られた。それを見た三人は、その事実を重く受け止めていた。 


 生と死が隣り合うこの世界で、死に慣れることなどない。叫ぶことも、涙を流すこともなかった。

 けれど、その静けさこそが、ソカの胸の奥に沈む痛みを物語っていた。 


「……どうやら、あの石碑へと近づいた者を、無差別に排除しているようですね」

 

 霧の奥をじっと見つめながら、コハクが静かに告げた。


「ここまで距離をとっていれば襲ってはこないようですが……このままでは、手の出しようがありませんわ」


 その言葉に、ソカは唇をかみながら俯いた。

 やっと手にした力が、ここでは届かない――

 

 芽生え始めた自信はかすかに揺らぎ、胸に広がるのは、また何もできないという歯痒さ。

 

 それでも、彼女の中に確かに在るものがあった。

 ――守りたいという意志。それが、かすかな不甲斐なさを押し返していた。

 


「これって……“幽纏”と同じなのかな……」

 ソカが呟くと、ふたりの視線が彼女に集まる。 


「まあ……なるほど。ソカさん、それは良い着眼点ですわ」

 コハクは、品のある微笑みとともに大きく頷き、そっと視線をシンへ移した。


「シンさん――その彩術具、“幽纏”はまだお使いになれますか?」


 シンは静かに柄を握りしめ、力強く頷いた。 


「でしたら、あなたも同じ“影”に入ってください」 

 まるで呼吸を促すように、コハクは優しく言った。

 

 その提案に、シンは目を丸くする。

 ――影に、入る?


 これまで、感覚のままに使っていた。“幽纏”にそんな力があるとは知らない。


『そんなこと――』

 そんなことできない。そう伝えようとした矢先に、コハクはふわりと柔らかく笑い、上品な声音で、まるで子に読み聞かせるように言葉を紡いだ。 


「できますわ。あなたは、その“幽纏”の力をまだ引き出せていませんもの」

 ――黒核こくかくの彩術具は“影”を使役する。

  

 シンは、コハクの静かな迫力に気圧され、黙って聞いていた。

 

「敵の位置さえ定まれば、わたくしの杖で“きよめ”てさしあげますわ」


 変わらず戸惑うシンに、コハクは続ける。

「普段はどのように、お使いになっていらっしゃるのかしら?」


 シンは、戸惑いながらも、手振りを交えてその感覚を示した。

『闇を纏って……影に紛れるように……』 


 ソカがその言葉を代弁すると、コハクは少し考え込んでから言った。


「そうですね……あなたの感覚に寄せるのなら、“入る”より“潜る”という言葉の方が分かり易いかしら」

  

 シンはコハクの言葉を心で反芻しながら、“幽纏”を展開する。

 空気が揺らぎ、彼の輪郭が淡く滲んでいく。


「……確かに姿や気配は薄れましたけれど、それではまだ、紛れているだけですわね」


 シンは再び、心を静めて集中した。

 昨夜、改革派の隠れ処で教えられた術具の印。流れる紋の流路。

 原理などまだ分からない。けれど、流れに沿うように、その先に宿る彩核へと届くように――

 意識を深く、深く沈めていく。

  


 静かに目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。

 気配が薄れ、輪郭が消えていく。

 影に、溶けていく。


 黒に染まった静かな世界。

 ふと、思案する。

 もし、自分がこの影の奥底まで沈みきってしまったら。

 味方さえも自分を忘れるほどの深淵に至ったとき、そこには何が在るのか――

 


 そして、数瞬後。気配が戻る。

 影から解き放たれたシンは、目を大きく見開き、深く速く呼吸を繰り返した。 


 ――掴んだ……が、持って数瞬。


 いつもの何倍以上もの負荷。 


「筋がよろしいのね。今の、なかなか見事でしたわ」

 その姿を見て、尚もコハクが品よく微笑む。


「もう、コツは掴めましたわね。あとは“刻名”に期待いたしましょう」 


「刻名……?」

 ソカの言葉と同時にシンも首を傾げた。

 


 コハクは、少し驚いたように眉を上げた。

 

「世界に名を刻む――それは、力をより強く、確かなものとして現実に作用させる行為」

 

「技に名を与えることで、その在り方が定まりますの。名とは、“世界に在る”という意志そのものですわ」


 ――“刻名”。そんな概念があること、今まで知らなかった。名を刻むことで何が変わるとも思えないが……。

 

 シンは、再び目を閉じた。

 影を纏うのではなく、自らが影に沈み、潜る。

 その意識とともに、ひとつの名を、心に刻んだ。

 


『【潜影せんえい】』

 


 その名を抱いた瞬間。

 先ほどは息が詰まりそうだった術が、穏やかに、自然に発動していることに驚いた。

 身体は柔らかな泡に包まれるようで、穏やかに気配すら掻き消えていく。

 


 そして、彼は見た。

 黒靄の向こう、“何か”の気配。

 その輪郭が、ぼんやりと揺らいで見えた。 


 静かに、黒靄の奥へと歩を進める。


『……いた。祠の右側』 


 ソカが即座に声に出して伝える。


「シンが、見つけたって」


「承知いたしました。――攻撃の瞬間に実体が現れるはず。足止めをお願いしますわ」

 


 その言葉が届いた直後、シンはゆっくりと近づき、祠のすぐそばまで達したとき―― 


 “何か”が、襲いかかってきた。

 黒い靄が波のように蠢き、鋭くシンの胸元へと迫る。


 金属のぶつかる音が地下に響く。

 二度、三度と攻撃を受け止めたシンの身体に、限界が近づいていた。


『まだか……もう、息が――』

 


「コハク!」

 ソカが、叫ぶ。



 その声に、コハクはふっと微笑むと、そっと囁いた。


「上出来ですわ」

 

「――白き衣を纏いし不浄なるもの。すべての穢れを浄めたまえ」

 まじないのような言葉を唱えながら、“何か”へ向かって白い杖を振り上げた。


  

「【白のはらえ】」

 


 杖が振るわれ、白き光が祠を包む。

 黒靄は音もなく霧散し、不規則に鳴いていた気配が、ふっと消えた。 


 そして現れたその姿を見て、ソカは息を呑んだ。

 

「……ハナエ、さん……?」 


 そこにいたのは、昨夜、確かに見た顔――

 けれど、その姿はあまりにも異様だった。 


 髪は枯草のように乾き、色を失っている。

 彼女の手指には赤黒く鈍く光る彩術具がいくつも絡みつき、生きることを縛っているようだった。

 

 その瞳は、まるで他人の夢の中に閉じ込められたかのように、焦点を結ばない。 


 白と黒の境目が曖昧な眼が、ゆっくりとこちらを向いたとき。 


 ソカの背に赤の気配が飛びついた。

次回予告

第二十五話 「猛進の果て」

抑えきれない力、猛進は止まらない――


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


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物語の余韻が、ひとひらの彩りとなりますように――


たいらおさむ

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