第二十三話 抗拒不承の碑
闇の底、郷の秘部に足を踏み入れる。
歩みを進めるたび、染みこむ黒に、心が削られていく。
――その場所に、“抗拒不承”の真実はあった。
黒い靄は、相変わらずどこからともなく噴き出し、這うようにして肌へまとわりついた。
異質な気配が漂う中、結界守の若衆三人が先頭を切って進む。
シンは、足音さえ吸い込まれるような静寂の中、その後を一歩ずつ、慎重に追いながら地下へ降りていく。
その背に、ソカとコハクが続いた。
「鬱陶しいな……この靄……」
苛立ちまじりに吐き捨てたのは、若衆の一人。
口元は覆っていても、濃密な気配は容赦なく心身に染み込んでくる。
苛立ちの原因は、靄だけではない。
ソカは緘布を巻き直す暇もなく、内心で歯噛みしていた。
まだ敵意の制御がままならず、三人の若衆はその影響を受けている。
目に見えぬ圧が、心をざわつかせていた。
「この靄……“黒核”ね。たぶん、彩術具の封印の効果」
後方を歩くコハクが、柔らかな声で呟く。
誰も返事はしなかったが、“黒核”の語に、彩核の知識がある者は静かに反応した。
封印――それは、“黒核”の主たる力のひとつだ。
コハクは言葉の続きを待たず、ふと笑う。
それはどこか意地悪で、それでいて上品な笑みだった。
「木霊ノ郷がこんなに厳重に隠すもの……何があるのかしらね?」
けれど、ソカもシンも、若衆たちも沈黙したままだった。
「ふふっ……」
ひとり、納得するように微笑んだ。
空気を変えるように、若衆の一人がぽつりと呟いた。
「……それにしても暗いな。先が見えない」
その言葉に、ソカははっと顔を上げ、若衆の腕に嵌められた籠手を指差した。
「それ、彩術具? 前にシンがやってたみたいに、光を灯すの……できる?」
若衆は不機嫌そうに顔をしかめた。
「使ったことねぇよ。ってか、そんな万能なもんじゃ――」
「じゃあ、貸してくれる?」
ソカの問いに、若衆は互いの顔を見合わせ、ひそひそと相談を始める。
そして、戸惑いながらも、渋々と籠手を外した。
何かあった時、使える者が持っていたほうがいい――三人はそう判断した。
籠手を受け取ろうとしたソカは、ふと手を止める。
そして、シンの方を向いて言った。
「シン。お願い」
無言で頷き、籠手を受け取るシン。
彼はゆっくりと手の中の彩術具を見つめた。
これまでは、ただ“使えた”だけ。
けれど、先生の言葉が脳裏をよぎる。
――紋や印を理解しなければ、正しく力は引き出せない。
刻まれた紋を凝視する。だが、意味は分からない。
だから、いつも通り――意識を込める。
次の瞬間、淡い緑色の光が籠手からこぼれ出す。
“固定”の力を宿した“常磐核”。
その光が、闇を押し返すように通路を照らした。
「ねぇシン、そういえば、“幽纏”は光らないの?」
ソカが、素朴な疑問を口にする。
シンは少し考えたあと、短く答えた。
『……黒核だからね。光っても、見えないのかも』
「なるほど……」
ソカの声と足音だけが、靄をかき分けるように響いていく。
進むごとに、黒の密度は濃くなり、気圧のような感覚に呼吸さえ苦しくなる。
そして――通路の終点が、ぼんやりと浮かび上がった。
そこにあったのは、地下には不釣り合いなほど荘厳で、小さな祠。
祠の中、台座の上に、ひとつの石碑が鎮座している。
その表面には、“抗拒不承”の字が、はっきりと刻まれていた。
「これが……結界の正体ってわけね」
コハクは、誰に向けるでもなく呟いた。
祠を見つけた瞬間、若衆の一人が駆け寄り、石碑の状態を確認する。
「……ここ! ひびが入ってる……!」
振り返り、仲間に報告しようとした――その刹那。
何かがぶつかる、鈍く重い音。
そして、姿が消えた。
「……え?」
「おい……どこ行った……?」
混乱する残された若衆たちは声をあげるが、返事はない。
「退きなさい!」
コハクが叫ぶ。だが、その声が届く前に――
再び、鈍く重い音。
若衆の身体が、闇に沈んだ。
見えない“何か”が、そこにいる――
三人は直感し、即座に構える。
だが、“それ”は闇の靄と一体化し、若衆の最後の一人の命も容易く奪っていった。
ソカは、視えないならばと“四面楚歌”の異能――敵意視を発動する。
けれど、何も視えなかった。
「……敵意が、視えない……!」
叫ぶようにして、ソカが言う。
何度目を凝らしても、あの日に視えた赤い意志は現れない。
敵の姿が見えず、一方的に蹂躙されている状況。
シンは目配せで、ソカに伝えた。
『一旦、退こう!』
「でも……でも、これが結界の元なら、この石が壊れたら、もっとたくさん入ってくるってことでしょ? それは――ダメだよ」
震えながら、ソカは前を向いて言い切った。
ソカの意思に、シンは黙って頷いた。
その目に、迷いはなかった。
祠の前――視えぬ“何か”が待つ中、ふたりは構えを取る。
郷を守りたい。チヨにそう頼まれたから。
その素直な思いを受けたソカのため。
もう、少年には逃げる理由はなかった。
次回予告
第二十四話 「名を刻む影」
その技の在るべき姿へ世界に名を刻んだ――
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平修




