第二十二話 猪突猛進の盾
“猪突猛進”――それは、守るべきもののために我が身を顧みず突き進む力。
少女はその字に応え、ただ前へ。
咆哮と血の中、郷の脅威に獣が目覚める。
月明かりに照らされる影の中心、チヨは立っていた。
左腕に浮かび上がる“猪突猛進”の字。
立ちはだかった異形の躯は既に地に伏している。
血に濡れた盾を手に、肩で息をつきながら、それでも目は鋭く先を見据えていた。
群れから離れ、先行して郷に入り込んだ個体。動きは素早かったが、チヨの一撃には耐えられなかった。
「……ったく、思ってたより時間食ったな。ソカたちの後、追わなきゃなんないのにさ」
盾を背に担ぎ、乱れた前髪を指でかき上げる。
踵を返し、湯殿へ繋がる道へ足を向けた――そのときだった。
ざっざっと砂を蹴る、不規則な足音。
右から、左から、前方から。小型の異形たちが土を蹴って一斉に現れる。
「……今度は小っこいのがいっぱいいらっしゃった」
チヨは身構える。だが――奇妙だった。
異形たちはチヨに襲いかかるどころか、その脇をすり抜け、まるで何かから逃げるように一心不乱に走っていく。
どこか怯えたような、その動きに、チヨは眉をひそめた。
「何……追われてんのか、あんたら?」
その疑問が口から漏れた瞬間――
風が吹いた。
地の奥から、咆哮が響いた。
木々が揺れ、空気が震える。
チヨの視線の先、月光を裂いて姿を現したのは、一頭の凶獣だった。
四足で立つそれは、まるで岩のように大きく、その目には確かな知性が宿っていた。
人の背丈をゆうに越える巨躯。
渦巻く風を纏い、爪先には土埃が踊っている。
「……そりゃ逃げたくもなるか。こりゃ、ちょっと洒落になんないね」
目が合った。
お互いがお互いを“敵”と認識した瞬間――戦いは始まった。
凶獣が咆哮とともに駆け出す。
大地が揺れる。
その爪が振るわれる寸前、チヨは咄嗟に盾を構えた。
盾の表面に加工された金属音が鈍く響く。
だが、そこからさらにもう一段階――
突風のような圧が盾越しに衝撃を伝え、チヨの足元が滑った。
思わず数歩後ずさり、地に片手を着く。
「ちぃっ、二段構えとはやるじゃないか」
チヨは、そのまま腰を深く落とした姿勢で盾を構える。
踏み込む脚が見る間に膨らみ、力を込める。
溜めた力を爆発させるように地を蹴った――速度と体重の乗った突進。
「――【猛進・突】!」
チヨが技の名を叫ぶと、身体に纏う圧が変化し、速度も増した。
一点集中型の力強い一撃。
狙いは凶獣の胴。重い一撃で怯ませる――はずだった。
だが、チヨの突撃が届く前に凶獣の周囲に、突如、風が巻き起こった。
激しい旋風がチヨの盾を押し戻し、突進の軌道が弾かれた。
「……そんなの、あり!?」
チヨの体勢が崩れた刹那、凶獣が咆哮を上げる。
風が砕けた。
視界が白く閃き、耳をつんざく。
咄嗟に盾を掲げるも、風に混じった刃がチヨの脇腹を裂いた。
「がっ……!」
血が滲み、肺の奥まで焼けつくような痛みが走る。
一瞬、呼吸が止まり、意識が跳ねた。
それでも、踏みとどまった。
歯を食いしばり、再び盾を構え直す。
「まだまだ……終わんないよ」
言い終わると同時、チヨは盾二つに割った。
瞬時に分離・再結合できるその盾は、彼女の猛進に合わせて形を変える。
彼女はそれぞれの手に半円の盾を装備し、再び地を蹴った。
「――【猛進・牙】!」
半円の盾を牙に見立てた鋭く裂けるような突き。
力に物を言わせた、下から突き上げる一閃。
だが――
凶獣はその巨躯にもよらず、風に乗るようにふわりと跳び退いた。
まるで風そのもののように、力を受け流す。
チヨの眉が険しくなる。
汗が額を伝う。
呼吸が速まり、鼓動が荒れた。
ふっと一息吐き切ると、もう一踏ん張りとばかりに、凶獣へ襲いかかった。
「【猛進・乱】!」
半円の盾を縦横に振り回す。振り回す度に加速し、打撃も重くなった。
少しずつ――だが確実に、凶獣の躯へ傷を負わせていく。
チヨの猛追が途切れる瞬間、間合いを詰めてくる。
飛び掛かってきたその一瞬、チヨは盾を円形に戻すと両手で構えた。
だが――遅い。
凶獣の動きが、急に鋭さを増した。
――間に合わない! こいつ、“流動の力”だ……!
その理解が脳裏に浮かんだときには、もう遅かった。
爪が右腕を裂き、肉を抉った。
チヨの腕から、赤が噴き出す。
「っぐ……あぁ……!」
地に膝をつく。息が詰まる。視界がぐらつく。
だが――その目は、死んでいなかった。
「……強いな、お前――」
肩で息をしながら、ゆっくりと立ち上がる。
――だからこそ……ここで止めなきゃな。
郷の危機を憂い、チヨが全ての力を出し切ると覚悟を決めた瞬間、左腕に刻まれた字が、輝き始めた。
言葉はいらない。
ただ、本能だけが、血の中で吠えていた。
「まさか、こんなに早く使うことになるとはね……」
そう呟いた後、チヨの身体中の血が力強く脈動し、全身の筋肉を何倍にも膨れ上げた。
「――【猛進・狂】!」
風が止む。一瞬、世界の音が引いた。
それは、本来、使ってはならない最後の牙だった。
そして次の瞬間、
野獣のような咆哮とともに、チヨの身体が爆ぜるように駆けた。
瞳に光はなく、ただ獣の本能が宿っている。
踏み込み。跳躍。撥ねるような回転突き。
半円の盾を使った一撃は、凶獣の風を引き裂き、空気を揺らした。
痛みはもうなかった。思考もなかった。
ただ――獣として、生きるか死ぬか、それだけ。
理性は遠く、ただ心臓の鼓動だけが、戦いの鼓を打っていた――
次回予告
第二十三話 「抗拒不承の碑」
地下に隠された秘密は郷を“守る力”だった――
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平修




