第二話 父の覚悟と娘の呪い
父は城を焼き、娘を逃した――
その決断が正しかったかは、誰にもわからない。
ふたりの逃避行が、初めて“戦い”へと形を変えていきます。
想いに少し深く触れていくような回です。
城主の決断は、国を焼いた。
父としての決断は、娘を逃がした。
それが正しかったのか、今は誰にもわからない――
黒煙を背に、夜が明ける。
燃え落ちた城を見下ろす丘の上に、ひとりの男が佇んでいた。
暁帝国の“帝政律府”に所属する交渉官――ライゼ。
煤まみれの隊服に疲労を滲ませ、視線を落とす。
「……素直に明け渡せばよかったものを――」
だが、その言葉に責任逃れの色はなかった。
老いた城主の、静かで確かな覚悟を、彼は知っていたから。
――数日前、暁領内豊前城の一室。
揺れる灯火を背にし、老いた城主は座ったまま、やつれた声で言った。
「……娘は渡せぬ。いや……そも、わしにその資格など、初めからなかったのだろうな」
ライゼは困惑しながら問いかけた。
「城主殿、我らが欲するのは娘の命ではない。四面楚歌の真偽だ。これは帝の命であり、貴重な国益となるかもしれないのだ」
城主はかすかに目を伏せ、静かに続けた。
「……あの子は、生まれたときから“呪われた”娘だった。わしの子でなければ、もっと……まともな人生を送れた」
その目には、父としての悔恨が滲んでいた。
初めは、不思議だった。娘といると言い知れぬ不安感が襲ってきていたからだ。
それが、字の力によるものだと判明するのに、そう時間はかからなかった。
背中に顕現された“四面楚歌”の字。
字が顕現して以降、娘は人を寄せつけなくなった。その場にいるだけで周囲の心をざわつかせ、疎まれた。
城の皆が次第に彼女を恐れ、避けるようになった。
「誰にも必要とされず、誰にも心を許されず……わし自身すら、あの子を“遠ざける”ことでしか守れなかった」
「幽閉は……あれは、守りではなかった。逃げだった」
ライゼは言葉を失っていた。
帝の命に従う立場として、何と返せばよいかが分からなかった。
「暁は力に価値を見る。だが、その力の代償に娘の孤独を知ろうとはせぬだろう」
そして、老城主はこれまでの弱々しくやつれた声ではなく、ひとりの父親として、覚悟を込めた声で言った。
「――この城ごと滅ぶとも、あの子だけは逃がす」
交渉は、決裂した。
――そして今、灰となった城を前に、ライゼは小さく呟く。
「……愚かな男だったな」
男の目には、言葉とは裏腹な情が込められていた。
兵が駆け寄ってくる。
「報告!対象、西の森へ逃走中! 黒衣の者が同行」
「……協力者、か。四面楚歌の力に呑まれぬ者が身近にいたとはな」
脳裏に、帝の密命がよぎる。
――“森羅万象”への鍵かもしれぬ。共鳴を探れ。他の者には知らせるな。
空を見上げる。まだ淡く、夜の名残が空に残る。
「“護法局”へ通達。“電光石火”の出動を要請する。必ず、捕らえよ」
ライゼの声が、朝焼けに溶けていく。
物語の歯車が、ゆっくりと動き出していた――
時は戻り――夜の森。
ふたりの影が駆けていた。
先導するのは、一羽の黒鷹。
名は、ヨダカ。
“以心伝心”の少年と心を通わせた旅の同行者だった。
その後ろを走る少年、シン。
“以心伝心”の字をその身に宿し、その力で黒鷹の視界を重ね、夜の森でも難なく走ることができていた。
繋いだ手を離すまいと、必死に走る少女、ソカ。
“逃げるだけ”の自分と“役に立てる”少年。
字と向き合えない自分に、唇を噛む。
唐突に風が裂けた。
木々の間から現れたのは、暁帝国の兵小隊。
指には青く光る彩術具。
突風がふたりに襲いかかる。
「きゃっ……」
突然の風に足下を掬われそうになる。
よろめきかけた少女に兵たちの目が釘付けになった。
「……殺しても構わないんだったな」
「睨んでんじゃねえよ、小娘が」
それは字――“四面楚歌”の力。力の制御が不安定なソカの存在が、無意識に敵意を引き寄せていた。
口々に吐き捨てるような罵声が飛ぶ。
悪意は、刃より鋭く、確かに彼女の胸を刺してきた。
その瞬間、逃げたいという衝動と、ここにいることへの後悔がこみ上げる。
――まただ。
また、私がいるだけで人が怒り、拒絶する。
一度は、自らの力を“生きる力”と肯定した。
しかし、十年呪い続けた思考は決意を揺らす。
少女が葛藤する中、敵兵の怒りに任せて振り上げた手が、風の刃となって襲いかかる。
シンが繋いだ手を引き寄せ、ソカの前に立ち塞がるように庇った。
袖が切られ、腕から血が滴る。
その光景が、ソカの胸に大きく刺さった。
――私のせいで“誰か”が傷つく。
――こんな時に、私には何もできない……また、足手まといになるだけ。
……いや。
ふと、彼女の中で何かが反転した。
――違う。
“何もできない”のではない。“何かをする”ことから、逃げていただけだ。
周囲の怒りを集めるこの力を、私はずっと呪ってきた。
でも、それを……利用してやればいい。
「……私が、囮になる」
喉が震えていた。けれど、目だけは、まっすぐだった。
「その間に――」
言葉の途中、シンが一瞬だけソカを見て、静かにうなずいた。
少年は彼女の覚悟を尊重した。
『一秒だけ……頼む』
そう言葉にし、彼は腰の裏から黒塗りの小刀を抜いた。“幽纏”――夜に紛れる彩術具。
「――こっちを見なさい!」
字の力と、ソカの張り上げた声が重なり、一瞬、全ての視線が少女へと集まった。
その間に、漆黒の刃が空気に溶け、シンの気配が闇に消える。
次の瞬間――
「なっ……!」
風を操る兵の背後に、突如として影が現れ、一閃。
呻き声とともに男が倒れた。
シンは再び姿をくらまし、森影を滑るように駆ける。
ソカは木立の中に立ち尽くしていた。
敵意を向けられるのが、怖くなかったわけじゃない。
それでも、“敵意を引き寄せる”という自分の力が、今だけは意味を持つと信じたかった。
兵たちは意識をソカに向けながら、手にした彩術具に力を込めようとする。
だが、心が乱れ、風の流れも乱れる。視線が定まらず、注意が逸れる。
闇雲に飛ばした風の刃が一直線にソカを狙って飛ぶ。
そのとき、黒影が割って入った。
「きゃっ!」
鋭い羽音と共に滑空してきたヨダカに驚き、身を翻すと、その脇を風の刃が通り過ぎていった。
「あ、ありがとう……」
ヨダカは再び、空へ舞い上がる。
「何だ今の……鳥か……?」
「よそ見するな!くるぞ!」
その隙を縫うように、木陰から見えぬ刃が閃く。
ひとり、またひとりと沈む兵。
「右だ!右手から――え、どこに消えた?」
「……視線、逸らすなッ!」
叫びも届かない。
気づけば、隊の輪が崩れていた。
この少年と一緒なら、私は……この“呪い”に意味を持たせられるかもしれない。
風の流れが止まった。
最後の兵が崩れ落ち、森に静寂が戻る。
ソカとシンは無言のまま目を合わせた。
言葉がなくても、互いの胸に伝わるものがあった。
“以心伝心”と“四面楚歌”。
ふたつの力が共鳴し、戦場を支配していた。
初めて自分で選んだ戦いの余韻。ソカは膝をつき、肩で息をした。
「……はぁ、終わったのね……?」
シンが小さくうなずく。
ヨダカが羽ばたき、少年の肩に降りてきた。
『ありがとう、おかげで助かったよ』
彼の心がそっと少女へ触れてきた。
――本当は怖かった。すぐにでも逃げ出したかった。
でも今は……、“誰か”の役に立てたことがうれしくて、彼の温かな言葉が、何よりも心地よかった――
――弾む息を整え、夜風が肌寒くなってきた頃。
少年が、手を差し伸べてきた。
『夜が明ける前に着きたい。行こう』
少女は迷いなく、その手をつかみ、ふたりはまた夜の森を駆け出していった。
――川辺で喉を潤す小休止中。
少年は先ほどの兵が持っていた指輪型の彩術具をしげしげと眺めていた。
「それ、持ってきたの?」
ソカが尋ねると、シンは小さくうなずいた。
『何かの役に立つかもしれないしね。それに……幸い、浅葱核には適性がある』
「せんそうかく……?適性……?」
ソカの疑問に少年が簡単に答える。
『浅葱核は彩核の種類のひとつで、“流動”の力が秘められている。それぞれに適性があって、誰でも使えるわけじゃないんだ』
「そうなんだ……私にも使えるかしら」
そう言って手を伸ばし、触れた瞬間――
「っ……!」
触れた指先が弾かれたように痛んだ。
ソカは指先を見つめる。
「痛っ……私、拒まれた……?」
『適性がないのかもしれないね。それか、偽造か――』
シンは言い淀んだ。
それ以上は語らず、彩術具を腰袋に納める。
『話はまたにしよう。夜明けが近い……』
ふたりは降ろした腰を上げ、再び走り出す。
それからしばらく進み、夜闇に薄明かりが差し始めた頃、森の開けた場所に辿り着いた。
そこにあったのは、苔と風に浸食された小さな廃寺。
長らく人の手が入っていないのは明らかだった。
柱は割れ、瓦は落ち、佇む姿は、今にも崩れそうなほど儚い。
だが、それは逆に、追手を欺くには都合がよかった。
シンは迷いなく、軋む戸を押し開け、中へと足を踏み入れる。
埃と湿気の臭いが混じり合い、鼻をかすめた。
寺の奥。崩れかけた石像をどかすと、その下の空洞から木箱が現れた。
『君のお父上から頼まれていたんだ』
シンはそう言葉にし、小さな木箱をそっと少女へと手渡した。
ソカはそれをおずおずと受け取り、蓋を開ける。
そこには厚手の外套と防水布に包まれた一通の手紙、巻物、小ぶりな地図、乾燥食料などが収められていた。
「……父が、これを?」
少女の声はかすれていた。
思いがけず目にした“父からの手紙”。それは、幽閉の命を下した張本人でもあった。
手が、震える。けれど、開くことができない。
その重責から逃れるように、ソカはふと、箱の中の地図に目をとめた。
「……あの、これ」
迷うように、だが確かに――ソカはその地図を少年へ差し出した。
まるで、“真実”から目を背けるように。
受け取ったシンは、地図を広げる。
赤で囲われた山間の地点と森の外れに目を留めた。
ソカの父が遺した印。まるで導くように。
『……ここだ。“双樹砦”。人がいない、見張りの名残がある……逃げ込むには最適だ』
その指先が地図をなぞり、現在地との距離を測る。
あの砦なら、もし追手が来たとしても、こちらが先に気づける。守りにも、休息にも、ちょうどいい。
ソカはその言葉に、少しだけ安堵したようにうなずいた。
そして――もう一度、視線を木箱の中の手紙に戻す。
「……読まなきゃ、だよね」
絞り出すように、呟いた。
それは、自分の過去と向き合う“最初の一歩”だった。
そして、手紙に手をかけた、そのとき――
ピリ……と、空気が軋む。
シンの全神経が跳ねた。目がわずかに見開かれる。
『……来た!』
刹那、廃寺の外を何かが走り抜けた。
目に映るよりも早く、風が通った。
境内に落雷のような衝撃が走り、石畳が粉砕される。
『下がれ!』
シンがソカを抱き寄せ、転がるように寺の更に奥へ。
一瞬の間、寺の入り口に、長い外套をはためかせた男が静かに立っていた。
長身痩躯に冷たい目が印象的な男。
「帝政律府、護法局。“電光石火”」
その一言が空気を一変させた。
「四面楚歌ならびに、その協力者――捕縛対象を確認した」
その瞳が光を帯び、腰の長刀に手をかけた瞬間、刃に電撃が帯びた――
次回予告
第三話 「電光石火の男」
出会ったのは、帝政律府最速の捕縛者。
少年はひとり対峙し、少女を逃がす。
それぞれの背に、決意と危機が迫っていた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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物語の余韻が、ひとひらの彩りとなりますように――
平修




