第十二話 森閑の境
神域――木霊ノ郷には、秘された結界があるという。
侵入者を拒むそれは、郷そのものに宿る拒絶の理。
無理に踏み込めば、森は牙を剥く――
霧を割って、影が跳ねた。
凶獣が、唸り声とともにチヨへと突っ込んでくる。
だが、チヨは軽く身をずらしただけで突進を躱し、霧の中で再び向き直った。
濁った目には、生気も知性もない。
その足元から、草木が黒く染まり、ボロボロと崩れていく。
「“腐敗”か……ちょっとだけ厄介だね」
手にしていた木の棒も、途中から溶けるように崩れ落ちた。
それでも、チヨは眉ひとつ動かさない。
凶獣が吠える。
瘴気混じりの吐息が波のように押し寄せ、空気がぬめるように濁った。
ソカが思わず一歩退く。
シンも、霧の中で身体がじわりと重くなるのを感じ、表情を曇らせた。
だが、チヨだけは真正面から咆哮を浴びても、平然と笑っていた。
「威勢はあるけど、あたしには効かないね」
背中から外した包みを地面に叩きつける。
重々しい音とともに、それは展開した。
現れたのは、身の丈ほどもある巨大な盾。
黒鉄のような色合いが、霧の中に鈍く浮かぶ。
「さーて、ちょっと身体、ほぐさせてもらうよ!」
チヨはその盾を片手で掲げ、突進してきた凶獣を真正面から受け止めた。
ぶつかった瞬間、風が巻き、霧が四散する。
チヨは微動だにしない。
「なに……あの動物……」
ソカがそっと呟いた。
『“凶獣”。彩核を取り込んで変質した生き物だよ。意図的か、偶然かはわからないけど』
「じゃあ……あれも彩核の力?」
『あの腐敗の瘴気。たぶん“朽葉核”だ』
その直後、チヨが盾を押し返した。
よろめいた凶獣の脚を、盾の縁で横なぎに払う。
チヨの動きに合わせて後ろ髪が揺れる。
体勢を崩した凶獣が再び跳びかかってきた、その瞬間――
チヨの鋭い踏み込みが、その喉元を撃ち抜いた。
盾の角が顎を砕く。
凶獣はひと声うなり、崩れるように霧へ沈んだ。
「強すぎ……」
圧倒されるソカとは対照的に、チヨは息一つ乱さず、盾を背に戻す。
額にわずかな汗。その顔には、涼しげな笑み。
「よし、じゃあ進もうか」
――霧が晴れ、朝の光が森に差し込み始める。
木々の間を抜けながら、チヨが口を開いた。
「さっきのが“凶獣”。人間じゃない、もっと古くて、得体の知れないやつさ」
「最近、彩核を取り込んで化けた異形が増えてる気がする。……正直、気味が悪い」
「木霊ノ郷にも、出るの?」
「いや。郷の中じゃ出ない。……というか、入れない」
チヨは進行方向を指さした。
「うちの郷には“結界”がある。外から許可なく入ろうとすると、森に拒まれる」
「昔、無理やり踏み込もうとした奴ら、みんな狂っちまったって話だよ」
ソカは思わず背筋をすくませた。
「でも……チヨは出入りできるんだよね?」
「いや、無理!郷を出入りするには、じじばばの許可がいる。めんどくさいんだよ、うちは……」
話をしている内に、いつしか霧が晴れ、前方に一本の巨大な樹が現れる。
「……おっきい」
あまりの大きさにソカが圧倒されていると、チヨが説明を始めた。
「あれが天籟樹。郷の中じゃ“御響様”って呼ばれてる。葉が鳴る音が、神さまの声なんだって」
「てんらいじゅ……」
ソカが耳を澄ますと、遠くから風に揺れる葉音が微かに聞こえた気がした。
「御響様の周りが内縁郷、その外が外縁郷」
「今いるのは……?」
「さらにその外。深森域。迷いの森なんて呼ばれてる場所さ」
「さ、そろそろ“堺”だよ」
しばらく歩き、森の地形にも慣れ始めた頃、チヨが立ち止まった。
「ここから先が、さっき話した“結界”だ。……なんか感じる?」
ソカが小さく頷く。
シンも、肌を刺すような感覚に目を細めた。
ヨダカも枝に止まったまま、羽ばたこうとしない。
「変な感じ……この結界、どういう仕組みなの?」
「詳しくは知らないけど、字を封じた石がどこかに祀られてるって話」
「字が……石に? 人以外にも宿るの?」
「噂さ。真相は誰も知らないけどね」
それ以上の詮索を遮るように、チヨは軽く肩をすくめた。
そして、慎重に結界に触れないよう外周を進んでいく。
やがて、朽ちかけた石段のような道が現れた。
「これが“裏道”。昔は物資運びに使われてたけど、今は知る人もいない。あたしら改革派がこっそり見つけたんだ」
チヨは胸を張った。
そして、ふと振り返る。
「そうだ、名前聞いてなかった!客として迎えるのに、それじゃ失礼だよね」
間髪入れずにソカが紹介を始める。
「私はソカ。彼はシン。喋れないの。そして、ヨダカ」
ソカの言葉に合わせ、ヨダカが羽ばたいてシンの肩に止まった。
「なるほど、頼もしそうな連れだね。よろしく、ヨダカ」
チヨは黒鷹へ笑いかけ、前を指さす。
「さあ、ここを抜けたら――木霊ノ郷だ。ついてきな!」
次回予告
第十三話 「湯けむりの問い」
傷を癒すため、ふたりは郷の霊湯へ。
身も心も湯にほどける中、少女に向けられたのは一つの問いだった――
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平修




