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七國繚乱ー森羅万象の記憶ー  作者: 平 修
序章 邂逅奇縁
1/9

第一話 四面楚歌の姫

敵意を集める呪いを背負った姫。

声なき少年だけが、その呪いを恐れなかった――

燃え落ちる城で交わる二つの異能が、七国の運命を動かし始める。

 火の海が、夜を喰らっていた。

 

 城が焼ける。燃え盛る楼閣が、闇に浮かび上がる。

 

 叫び声。怒号。木が裂け、兵が倒れる音。


 だが、その只中――逃げ惑う人々の波に逆らい、炎に向かって走る、ひとつの影があった。


 黒衣の少年。

 顔の半ばを布で覆い、腰に小刀。声を持たぬ者。


 名はシン。生まれながらに言葉を持たず、代わりにあざなを宿す。

 その力――“以心伝心”。

 

 心を読まれるように、心を伝えられるように、彼の存在は、言葉以上のものを語る。


  “あざな”――それは、言葉に刻まれた意味が形を成す異能。

 道理を断ち、摂理を歪め、心すら暴いた。


 七つの国が覇を競う、争乱の時代。

 字を宿す者たちは、いつも歴史の中心にいた。


 そして今なお、ある伝説が人と国を駆り立てる。

 すべての字を束ねるといわれる究極のあざな――“森羅万象”。

 それを手にした者は、世界のことわりをも覆すという。


 “森羅万象”を追う無声の少年と、敵意を背負いながらも生きる姫がいた。

 “以心伝心”の字を宿した声なき少年。

 “四面楚歌”の字に、孤独と憎しみを刻まれた少女。


 誰もまだ知らなかった。

 このふたりの出会いが、歴史に火をつける引き金となることを――


 

 今、彼が向かうのは地下。

 何かを隠すように造られた座敷牢。

 

 そこに囚われているのは、あの日の少女――


 “四面楚歌”の呪いに囚われた姫。

 

 ――同時刻、地下の座敷牢。

 

 十年もの間、静寂が彼女を閉じ込めていた。


 地下のさらに奥、城の心臓とも言える場所に、それはあった。

 小さな和室に木造の格子。煤けた畳と埃の匂い。季節ごとの花の香りが混じる。


 姫の名はソカ。

 字を宿した少女。呪われた存在。


 彼女の声は、人の心に敵意を芽吹かせる。

 笑えば憎まれ、泣けば疎まれ、ただ黙っていても誰かが牙をむく。


 ――だから幽閉された。


 初めは、悲しみ、そして怒り。

 けれど時は、心を削るように流れていき、やがて彼女は、ただ静かに生きることを覚えた。


 本を読んだ。擦り切れるほどに。

 文字が薄れても、内容は覚えていた。けれど、それでも読むことをやめなかった。


 毎朝、誰かが花を届けてくれた。

 季節の移ろいを告げる唯一の外の気配。


 でも――今日は来ない。


「……遅いわね」


 耳を澄ます。外が騒がしい。人の叫び、剣戟、爆ぜる音。

 何かが起きている。

 いや、“何か”どころではない。


 でも、私を心配する者など、いない。

 私が死んだところで、誰も困らないだろう。

 そういう字なのだ、“四面楚歌”というのは。


「もう……終わっても、いいかもね」


 静かに目を閉じた――

 

 あの、懐かしい鼓動を思い出す。

 

 名前を交わさなかった。けれど、確かに心が通じた。

 

 唯一、字に染まらなかったあの少年。


 ――もしも、もう一度だけ……。


「……会いたいな」


 ふ、と気配が揺れた。足音が近づく。


 入り口の錠前が音を立てて開いた――



 その瞬間、ソカの胸に広がったのは、淡い希望。


 あの日の少年が救い出しに来てくれる。

 そんな都合のいい期待。

 

 ――静かに目を開くと、すぐに淡い希望は消え去った。


 灰色の装束に覆面。目元には冷たい光。

 もう一人、背後に控えるのは、背の高い男。

 どちらも同じあかつき帝国の徽章を付けている。


「確保。対象、四面楚歌を確認した」


 無感情な声が、部屋を切り裂く。


 心臓が、ひゅっと冷たくなった。

 ソカは、ただ黙って立ち上がる。怒りも、悲しみも、呆れもない。ただ、そこにあるのは虚無。


 ――やっぱり、そんなことあるはずないよね……。


 声に出さず、心の中で呟く。


 男たちは躊躇なく近づいてくる。

 縄を持ち、腕を掴もうと手を伸ばした。


 だが――


 部屋の空気が、変わった。


 ソカと目を合わせた者の心が、ざわめき始める。

 不穏。焦燥。疑念。怒気。


「……おい、油断するな。目を合わせるな」


「……ああ? 命令口調かよ、お前、何様――」


「貴様、俺に逆らうつもりか?」


 互いに睨み合い、わずかに肩がぶつかる。

 些細な苛立ちが、火種となる。

 ほんの一瞬前まで同胞だった者たちが、互いに牙をむく。


 それが、彼女が持つ力。


 “四面楚歌”。

 

 そのあざなを持つ彼女の存在は、敵意の種を撒く。


 言葉ひとつで、心が乱れる。

 笑みひとつで、刃が向けられる。


 この牢に十年、彼女が閉じ込められていた理由は、まさにそれだった。


「ちっ……っ、おい、止まれ。字が発動している!」


 後方の男が叫び、懐から何かを取り出す。

 字をもたない彼らの対抗手段。

 色と加工によって効果の変わる彩術具さいじゅつぐ


 それが、強く緑色に光ると同時に、部屋の空気が一転する。

 ずしりと重い圧が、ソカの四肢を縛った。


「――ッ!」


 体が重い。呼吸が浅くなる。

 これは、対象を“固定”する力。


「厄介な力だな。四面楚歌の名は伊達ではない」


「運べ。できるだけ早く、隊と合流する」


 ソカは歯を食いしばった。


 ここで連れていかれれば、私はきっと“道具”にされる。  力を試され、命を喰われ、ただの字として扱われる。


 なら、いっそ――


「殺して。ここで」


 声に出さず、唇だけが動いた。


 男たちは無言で顔を見合わせた。

 一人が短刀に手をかける。決断は早かった。


 いいよ、それで。

 それが私の呪いならば、それで終わっていい。


 ――その瞬間だった。


 風が吹いた。

 炎の匂い、灰の渦。燃え崩れた天井の隙間から、一条の影が舞い降りた。


 黒衣。布で口元を覆い、腰に小刀。

 沈黙を纏う少年。


 ソカの目が、揺れた。


「……!」


 あの瞳を覚えている……。そう、心が答える。


 彼だ。

 あのとき、唯一、私のあざなに染まらなかった人。


 男たちが振り向く前に、すでに一人が崩れ落ちていた。

 喉元に的確な一閃。刃音もなく、声もなく、影だけが過ぎる。

 遅れて血飛沫が上がる。


「ッ……敵襲!」


 叫びが響く前に、二人目の男が壁に叩きつけられた。

 少年の動きは、まるで疾風のようだった。


 ただ静かに、ただ確実に。


 敵が刀を抜く。その瞬間――


『逃げるよ』


 音ではなく、心が、伝わる。

 “以心伝心”――それが、少年のもつあざなの力。


 シンが男の手から強く緑色に光る装具を弾き飛ばした。

 瞬間――ソカが拘束されていた足で踏み込む。

 重圧が、霧のように散り、一歩ずつ前へ。


 彼女の心が、命じた。

 ――「まだ、生きたい」と。


 少年は少女の瞳を見て、ただ手を取った。


 まるで、争いなどなかったかのように軽やかに――


 ふたりは手を取り合い、地下の階段を駆け上がる。

 広間へ出た。

  

 足場は悪い。崩れた廊、燃え落ちた梁、焼け焦げた柱。煙が視界を奪い、熱が肺を刺す。


 あちこちに抗戦の残骸。折れた刀に、負傷兵。壁に飛び散った血飛沫が生々しかった。

 

 少年は迷わず進む。まるで事前に準備していたかのように抜け道を選び、少女を導いていく。


 ソカの手を握る少年の手のひらは、熱を帯びていた。だが、それ以上に感じるのは――“安心感”。

 心の奥、どこか遠くで、くすぶっていたものが、いまほどけていく。


「……ありがとう」

 小さく呟いた声に、彼は振り向かない。ただ、ほんのわずかに手の力が強くなった。

 

 それだけで、十分だった。


 開けた通路、出口に差し掛かる頃。進路を阻むように敵兵が数人。

 

「発見……!至急応援を」

 叫ぶと同時、どこからともなく声が聴こえた。

 

『――後ろに伏兵!気をつけろ』

 慌てて後ろを振り返ると、首元に強い衝撃。

 

『――左へ行ったぞ!避けろ』

 左に注意を払うと右から斬りつけられた。


『――今度は下。――速い、後ろに回った。――正面』

 次々と聞こえる声に翻弄され、敵は気付けばただ一人になっていた。

 

 少年は悠々と最後の敵を斬り伏せた。  


「……何を、したの?」 

 瞬く間に制圧したシンの動きに驚き、訊ねた。


 集団戦闘において、心の声で戦況を撹乱させる。

 “以心伝心”の戦い方のひとつだった。


 シンは答えず、再び少女の手を取ると駆け出した。 

 

 外に出る。闇と風。

 崖を滑り降り、竹林の影に身を潜める。


 そのとき――


 後方、赤黒い装束の兵たちが騎馬で迫る。燃え立つ城を背景に、黒影が連なる。


あざな持ちを逃がすな!姫を確保せよ!かくなる上には、殺しても構わん!」


 ソカの心が、ざわりと波打つ。

 背後から迫る“殺意”。逃げ場のない恐怖。


 ――やっぱり、私のせいだ。

 私が字を持つから。私が“ここ”にいるから。


 ぐらりと足が止まりそうになる。その時――

 少年の手が、ふいにソカの背を押した気がした。


 視線が合う。

 その瞳が、何かを“伝えて”きた。


『大丈夫だよ。僕が守る……!』

 音はない。でも、それは確かに、ソカの心に届いた。

 

「……うん」

 力なく呟き、彼女は走る。もう一度、彼を信じて。

 涙が頬を伝った。けれどそれは、絶望のしずくではなかった。


 ふたりは森へと滑り込む。だが、騎馬の音はすぐそこまで迫っていた。

 このままでは追いつかれる――


 焦燥感がソカの心を縛りつける。


 このまま、また囚われるのか。

 また、誰かを傷つけるのか。

 だったらいっそ、私が――


 その思考の渦が、無意識に字を発動させる。


 次の瞬間、背後から響く、怒声。


「おい貴様!なぜ奴らを逃がす!?」


「貴様こそ、誰に口を利いている!?その態度……謀反か!?」


「なにを――やめろ、剣を抜くなッ!」


 夜の森に、不穏な気配が爆ぜた。

 馬がいななき、兵が言い争い、やがて刃が交差する音。


 敵意が、敵意を呼ぶ。

 炎に炙られた獣たちが、いがみ合うように。


 ソカは、思わず振り返る。

 見えたのは、同士討ちを始める追手たち――


 これが、私の字の力……?


 心を読んだわけではない。ただ、感じたのだ。

 この身から発せられる、どうしようもない“拒絶”。

 そしてそれに、他者が無意識に反応してしまう。


 これが、私の“呪い”。


 いや――違う。

 今は……これは、“生きるための力”だ。


 意識の奥底で、何かが反転する。

 少しだけ、ほんの少しだけ、自分の字を肯定した気がした。


 ソカは振り返らず、少年の手を強く握る。


 彼がちらりと横目で見る。

 その目に、驚きと――誇りが宿っていた。


『よくやった……後は、任せて』


 声なき心が、ふたりを繋ぐ。

 ――それが、ふたりの戦い方。


 炎の夜、逃げ延びたふたり。


 だが、その道の先には、彼らを待ち受ける影があった。

 月明かりに浮かぶ二つの徽章――


 暁帝国の追手が、森の陰で息を潜めていた。

次回予告

第ニ話 「父の覚悟と娘の呪い」

炎の中に残されたのは、父の静かな覚悟。

そして少女は、呪いと向き合い、力の在り方を知る。

いま“四面楚歌”は戦う力へとなっていく。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


もし楽しんでいただけましたら、ページ下の「評価(☆)」や「ブックマーク」で応援いただけると、何よりの励みになります。


ご感想やリアクションも大歓迎です。

あなたの声で物語に色を付けてください。


物語の余韻が、ひとひらの彩りとなりますように――


たいらおさむ

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