弐 生い立ち
新型コロナウイルスの襲来は、世界中の人々の暮らしに大きな影響を及ぼしました。世界中の人々の当たり前の日常を無慈悲に剥ぎ取ったのです。
かくいう僕も、コロナのせいで、それまでの安寧な毎日を傷口に張ったバンドエイドをいっきに引っぺがすかのように剥ぎ取られました。二十五年間続けた引きこもり生活に終止符を打ち、会社勤めすることを余儀なくされちゃったのです。
僕の名前は、穴田晴夫。思春期の頃に、クラスメイトの女子から「ねえ、ちょっと、あなた」と呼び捨てにされると、ちょっぴり気恥ずかしくなる苗字です。
生まれてから大学を卒業するまで、ずっと親の言いなりでした。親の顔色を伺い生活をすることに疑問を感じたことはありません。むしろ親の敷いたレールから外れないよう自ら望んで車輪をはめ込みました。自分という人間には、そのような生き方が性に合っているのだと、子供ながら悟っていたのです。
小中高大学と、定期的にいじめに遭いました。原因は僕の嘘。僕は地元でも有名な嘘つきでした。運動音痴。容姿不細工。陰気な性格。かろうじて勉強は出来るが飛び抜けて優秀なわけではない。そのくせプライドだけは人一倍。嘘をつき自分を大きく見せることで承認欲求を満たしていたのです。嘘をつくからいじめられる。いじめられても誰も助けてくれない。孤独に苛まれまた嘘をつく。多感な学生時代を、ただもう虚構の中で自分を大きく見せるという歪んだ行為に費やしました。
日本はバブル景気の真っただ中。大人たちは毎日呆けたようにドンチャン騒ぎをしていました。もうすぐだ。もうすぐ僕もあの大人たちの仲間入り。名門高校を卒業し、一流大学を合格し、間もなく卒業。あとは一流企業に就職するばかり。以降はレールに乗っかって、定年退職まで穏やかに生活をする。老後は悠々自適な年金暮らし。やって来い来い社会人生活。浮かれ、はしゃいで、楽しもう。
ところが、です。僕が就職活動を始めた矢先に、あのバブル景気が目の前でパチンと音をたて、はじけて、消えてしまった。僕たちの世代は、未曾有の就職難に襲われました。ちなみに後の世で、僕たちの世代が「就職氷河期世代」とか「失われた世代」などと呼ばれるようになることは、この時はまだ知る由もありません。
内定は取り消され、それに代わる就職先も見つからず、募集が残っているのは、掃いて捨てるような三流の中小企業ばかり。笑うしかない。僕は何もかもが馬鹿々々しくなり、一切の就職活動をやめました。時代を恨んだ。社会を恨んだ。そしてそのやり場のない怒りの矛先が、自分の両親に向けられるまでに多くの時間を要しませんでした。それからは時々大暴れをして父や母を殴るようになりました。以降、僕は一度も社会に出て働くことなく、実家で引きこもり生活を続けることになります。
薄らぼんやりと生命の維持だけをしている間に時は過ぎ、気が付くと四十も半ばを過ぎていました。僕たち「失われた世代」の「失われたもの」とは、いったい何だったのでしょう。時代のせい、社会のせい、親のせい。「失われた」という被害者意識むき出しの言葉に、僕の人生の全てが凝縮されているようで、我ながら胸糞が悪くなります。本当は時代や社会や親に失われたものなど何もないのです。ただ、自ら多くの大切なことを失ったような気はしています。この喪失感を人のせいにするのは何か違うなと、最近やっと思えるようになりました。