異形頭、疑念を抱く
「私も、同じさ、」
冷たく、吐き捨てるような言葉で、彼は言う。怒りで震える翼が、衣服を切り裂いていく。
「……この街では、異形は神の使徒と同義で、この力は神の祝福だとされている。けれど、なにも別に全ての人間が、そう思っているわけじゃない。」
彼は目を伏せ、そして震える拳を強く握った。爪が食い込み、血が床へと滴り落ちていく。
「…私が生まれ育った場所では、異形の者は神に逆らい、その力を奪った最も罪深き者とされていた」
そこで彼は一度言葉を切った。その表情は、苦痛に歪んでいた。
「…そして自分たち人間は、神の力を保管する役目を賜った、真の神の使徒である、と」
「そこでは、異形であること、…それそのものが、罪の証だったんだ。」
その言葉に、少しの沈黙が流れた。
その沈黙の中で、彼は深い息を吐き、幼い頃の自分の過ちを懺悔するように、語り始めた。
「…その場所で私は…アイツに、ラバに、出会った。」
「ラバは、私にたくさんのことを教えてくれた。…自分が神であることを、欠けた力を取り戻したいことを、その力の眠る場所を…」
「力の、眠る場所…?それは、何処にあるんですか?」
「………神の遺跡」
アルセの声が僅かに震えていた。
彼はまるで、何かに怯えるように、そこで言葉を止めた。
壁に立てかけられた振り子時計が、カチカチとまるで心音のように鳴り響いていた。長い長い沈黙の末、目線を上げた彼の瞳は美しい黄金色。
だが、その瞳の奥には、決して消えぬ傷が刻まれていた。
「……そう呼ばれている場所だ。神の力の残滓が眠る、禁忌の地。」
「ラバは、私にそこへ行って欲しいと願った。私が“異形”になったのは、その遺跡に足を踏み入れたからだ。」
「ラバは私を導くと言った。それは君のためであると。だが、それは嘘だ。アイツは"私がどうなるか"を知っていて、それでも私を遺跡へと送り込んだんだ。」
その言葉が、胸の奥で激しく響く。アルセは一瞬、目を伏せ、そして再び私の目をじっと見据えた。
「……私は、ラバに救われた。だから、彼へその恩を返したいと、思っていた。」
言葉がうまく出てこなかった。アルセの語るラバは、これまで私が知るラバとは違う。彼は優しく、親しげで、導いてくれる存在だった。けれど、もしこれが事実ならば、
「……本当に、ラバさんはアルセさんのことを利用したんですか?」
静かに問いかけると、アルセは少しだけ目を見開いた。しかし、すぐに眉を寄せ、深いため息をつく。
「……わからない。けれど、私は……」
彼の言葉が詰まる。その目には迷いがあった。
「……私は、ラバを信じたかったんだ。」
信じたかった、過去形。その響きが、胸の奥に引っかかる。
「ラバはおそらく、あなたにも同じことをするだろう。」
「……いや、あなたはおそらく私よりも、もっと深く、彼に関わっていく事になるはずだ。」
「……それは、どういう意味ですか?」
そう問いながらも、胸の奥がざわつくのを感じる。それは恐れか、好奇心か。彼の言葉を待つ間、私の頭は多くのことを考えていた。
救われた、アルセは間違いなくそう言った。それは私も同じ事、私も彼に、ラバに救われた。
彼は恩を着せるようなことは言わなかった、混乱する私を気遣うように優しくしてくれた。
…それも、彼の計画なら?
「私は遺跡で異形となった。けど、あなたは既に異形だ。なら、ラバの狙いはなんなのか、」
「……あなたは、ラバが求める"何か"を持っているんじゃないか?」
「私が……?」
ラバが求める「何か」それが何なのか、私は理解できなかった。ただ、心の中で何かが目覚め、ざわつき始めているのを感じる。
「あなたは、ラバが求める何かを持っている。」
アルセは繰り返すように言った。彼の瞳は真剣そのもので、私をじっと見つめていた。
「……そしてラバは、それを利用しようとしている。どうかそれを、忘れないで欲しい」
その真剣な眼差しからは、深い思いが感じられた。彼は確かに私のことを心配してくれている。けれど、その理由が単純に善意から来ているものなのか、それとも何か別の意図があるのか、私にはまだわからなかった。ラバのことを警戒しているのか、それとも、もっと深い意味があるのか。
「ありがとう、アルセさん。」
私は少しだけ力を込めて言った。彼の忠告は確かに重く、無視できるものではないと感じた。
アルセは軽く頷き、私の感謝の言葉に応えるように微かに表情を和らげた。だが、その目の奥には、まだ消えない不安と警戒が見え隠れしていた。
「これからどうするかはあなた次第だ。」
アルセの声は、決して押しつけがましくない、でも強い確信がこもっていた。
「だが、忘れてはいけないことがある。ラバは、あなたが自分自身をどれほど理解していないかを知っている。ラバはあなたを操り、あなたが気づかぬうちにその力を利用しようとしている。」
その言葉に、私は少し胸を締めつけられるような感覚を覚えた。ラバのことは、私にとっても謎だらけだった。アルセが言う通り、私はどれほど自分を理解しているのか、それはまるで未完成のパズルのようで、欠けたピースが多すぎる。
「でも、私はラバさんに救われた。少なくとも、彼がいなければ今の私はいない。」
私はそれだけははっきりと言えることだと感じていた。あの森で、ラバがいなければ、私は間違いなく死んでいた。彼が助けてくれた、そのおかげで私はここまで生きている。そして、その恩義は消えない。
例えそれが、仕組まれたものだとしても。
「そうだね。あなたが彼を信じているのは、あなたの心がそう感じているからだろう。」
アルセの声は優しくも、どこか遠くを見つめるような響きがあった。
「だけど、信じることと、盲目的に従うことは違う。」
その言葉が、私の心にずしりと重く響く。アルセの忠告が深い意味を持つことを、私は確かに感じていた。それでも、ラバを完全に疑うことはできなかった。彼が私を導く理由、その先にどんな結末が待っているのか、私はまだ知る由もなかった。
「わかりました。」
私は深く息を吸い込み、アルセを見つめた。
「気をつけます。」
アルセは私の言葉を聞くと、一瞬だけ表情を緩めた。だが、それもほんの僅かで、すぐにまた険しい顔つきに戻る。
「それでいい。」
短くそう言い、彼は視線を外した。
部屋の中には、振り子時計の音だけが響いていた。私は心の中で、自分の迷いを整理しようとした。
ラバが私を利用しようとしているかもしれない。彼は、私の持つ「何か」を求めている。それは、彼が力を取り戻す為に必要なものなのだろう。
なら、
「…私は、ラバさんと話してみます。」
「……それが、あなたの選択?」
私は小さく頷く。
ラバさんの言葉を聞かずに決めつけるのは違う気がした。私はまだ、何も知らない。そして、自分の意思で確かめることを選んだ。
アルセは小さくため息をついた。その目は、酷く優しげだった。
「……わかった。」
それ以上、彼は何も言わなかった。
私はそっと立ち上がり、部屋の扉へと向かう。
その背に、アルセの声が落ちるように届いた。
「気をつけて。」
書きたいことは書いたんですが、後々矛盾が生じないか、今から心配です。
書いていて恩を感じすぎでは?と思ってしまいましたが、記憶もない状態で親切にされたら盲信するだろう、と自分を納得させています。