異形の証
目が覚める、腕を伸ばす。既視感に襲われ、周囲を見回す。
白く色付けされた壁には、名のある絵描きが描いたであろう絵画が数枚。衣装棚は開け放たれており、床には衣類が散らばっている。倒れて、気絶して、この部屋に運び込まれたのだろう。
窓から差し込む光は、淡い橙色。少なくとも数時間は眠っていたらしい、体のあちこちから嫌な音が聞こえた。
「…どうやら、目が覚めたみたいだね、…気分はどうだい?」
「……アルセさん、?はい、大丈夫です。ご迷惑おかけして、…申し訳ありません」
突然、扉が開け放たれ、中に人が入ってくる。上擦った声とは裏腹に、歩みは遅い。よほど疲れているのだろう、そう考えると、罪悪感が胸に湧き上がってきた。
私が頭を下げると、彼はまるで天使のような優しげな笑みを浮かべた。
「いいや、何も気にすることはないよ、元はと言えば私があなたに魔法をかけたせいさ、」
「……いえ、…その、…魔法って、一体…なんなんですか?」
異形といい、魔法といい、今の私には、わからないことが多すぎた。
「…まさか、それも聞いてない?」
「…あまり、魔法の成り立ちも、異形の存在も…、」
貴方のことも、私は何も知らない、聞いていない。
ラバはここを異世界だと言った、私が知る世界とは違う法則が働く異世界なのに、どうして言葉が通じるのか、それもわからなかった。
「…ラバはいつも…ああ、彼に対する愚痴なんて、聞かせるものじゃないか…、わかった、私が今から授業をしようか」
そう言うと彼は、懐から一冊の本を取り出した。辞典のような分厚さに、金で装飾された表紙は、見るからに高価そうだと感じた。
タイトルは「世界の成り立ち」。
「…昔、世界にまだ神が存在していた頃。神はこの世界を形作り、万物を創り出していた。」
「しかしある時、神は自らの力を削ぎ、世界の至るところへ散りばめた。…それが、魔法の始まりとされている。神が自身の力を削いだ理由は、私たち人間に、より良い世界を作らせようとしたからだと考えられている。」
思わず、聞き入ってしまった。
神、私にとって、最も身近な存在である、彼の顔が浮かぶ。
「…魔法は、ラバさんの力の欠片、なんですね」
「あぁ…、ラバが神様だって聞いているんだ。けれどそれは、あまり外で話さないほうがいい。」
「…なぜ?」
「……この本では神様は人の為、そして世界の為に力を分け与えた、とされているけれど」
「それを、どう思う?」
どう、思う、そう問いかけられて言葉に詰まった。神が、ラバが本当に人の為に力を削いだのであれば、おかしな話だと思った。
そんな力を、どうして人に分け与えるのか、世界をよりよくすると言っても、それが人であった理由はなんなのか。
「……おかしな話、だと思います。」
「それは、どうして?」
「……神が、どうしてそこまでする必要があったのか、分からないんです。世界をより良くするために力を削ぐって……そんなこと、わざわざしなくてもできたのでは?」
彼は少し微笑んで、本を指先で軽くなぞった。爪に擦れて、金細工が剥がれていた。剥がれた塗装の下は銀色に輝いていた。
「いい着眼点だね。実際、神がどうして力を分けたのか、その理由については誰も知らない。ただ、人々はそれを“神の善意”だと信じた。けれど、」
言葉を切って、こちらを見る。
「――もし、神がそうせざるを得なかったのだとしたら?」
息が詰まる。
「……せざるを得なかった?」
「例えば、神が完全ではなかったから。あるいは、神の力が何かによって削がれたから。そして、その結果として魔法が生まれたのだとしたら……どう思う?」
まるで試すような問いかけだった。だが、私の中に浮かんだのは
「……それは……ラバさんが……?」
彼は神だった。だが、その神は、今では「不完全」なものになっている。もし、魔法が神の力の断片だとするなら
「ラバさんは……自分で力を削いだわけじゃない……?」
「……それは、私には分からない。ただ、私が知っているのは、神はかつて完全であり、今はそうではないということ。」
アルセはそう言って、静かに本を閉じた。神話の真実、文字に起こすとあまりに真実味に欠ける。けれど、こちらの方がまだ違和感がない。
「そして、神の断片を、その一端を授かったのは、極一部の…異形だけ、」
「異形、それって、」
「…そう、あなたや…あなたが見てきた人達……それに、」
衣服を引き裂くような音が聞こえる。まず視界に飛び込んできたのは、鮮やかな緑。薄い飛膜を纏った羽は、蝙蝠が持つ翼によく似ている。
「…私も、同じさ」
そろそろタイトル詐欺を疑われそうなので、次の話から冒険に出そうかなと思っています。
今回は説明パートに近く、主人公の異形らしさ、が全然出ませんでした。申し訳ありません。