異形の名前、そして力
神様…? まさか、目の前の青年が、そんな存在だなんて信じられない。だが、彼の優しげな微笑みとその態度は、何かただならぬものを感じさせる。こんな状況だからだろうか、なぜかその言葉を受け入れざるを得ないような気がした。
「…神様?」
私は恐る恐るその言葉を口にする。
ラバと名乗った青年は穏やかに微笑むと、優しく頷いた。
「そうだよ。君の名前は?教えてくれる?」
「名前?」
一瞬、言葉に詰まった。
私は言葉を探すように少し沈黙する。何度も頭の中で繰り返すが、名前が浮かんでこない。頭を抱えたくなるような焦りが込み上げてきた。
「わからない。」
私の言葉に神様は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに柔らかな微笑みを浮かべた。
「そうか、君は記憶を失っているんだね、それなら無理もない。でも、心配しなくていいよ。」
「僕が君に、名前をあげる。」
神様の言葉に、私は一瞬驚き、そして戸惑った。
「名前を…?」
小さく、呟いた。
神様は優しく微笑みながら、少しの間、私の顔を見つめていた。そして、まるで何かを決めたかのように、ゆっくりと口を開く。
「君には、特別な名前が必要だ。それは君の運命に関わる大切なものだから。」
彼の言葉には、どこか強い意志が感じられた。私はその言葉を受け入れるしかないような気がした。
「君の名前は、異形成子」
神様が言うと、私はその名前がどこかしっくりきたように感じた。まるで自分の一部のように、その響きが心に響く。
「異形成子…、」
私はその名前を繰り返してみた。どこか懐かしいような気もしたが、それが何を意味するのか、私には分からなかった。
「その名前は、君が歩むべき道を示すものだ。」
神様は続ける。双眸が、私を見つめていた。神秘的な輝きを放つその瞳に見つめられると、胸が弾んだ。
「君は、この世界で大きな役割を担う者として、目覚めたんだ。」
「…担う、役割?」
オウム返し、とはまさにこの事だろう。震える声で繰り返した言葉は、果たして神様にどう受け取られたのだろう。神様は、笑っていた。
「そうだよ。」
神様は静かに頷きながら言う。その声は穏やかで、まるで私を気遣っているように聞こえた。
「君には力があって、そして君が進む道には、さまざまな試練が待っている。けど、その力を持ってすれば、どんな困難も乗り越えられるだろう。」
その言葉は、私の心を軽くした。何もわからないままの自分が、少しでも意味を持つ存在であると感じられたからだ。
「君は、まだ何も知らないかもしれないけれど、少しずつ理解していけばいい。」
「君が進むべき道は、僕が教えてあげる。」
その言葉を聞いた私は、再び周囲の景色を見回した。深い森の中、何もかもが未知の世界だった。けれど、少なくとも今、私は、一歩を踏み出す勇気を少しだけ持てた気がする。
「…分かりました、神様。」
私が小さく答えると神様は微笑みながら、軽く頷いた。
「…まず、その、神様って呼び方はやめにしようか、」
神様の言葉に、私は少し驚いた。彼の微笑みは変わらず優しく、けれどその提案にはどこか親しみが込められているように感じた。
「え?でも、あなたは…」
「神様」じゃないか、そう言おうとした私を、神様はにこやかに笑いながら、優しく手で止めた。
「君が呼びたいように呼んでくれて構わないけど、僕は君にとってただの存在でしかないよ。だから、気楽に呼んでくれた方が、君も楽だろう?」
優しい笑み、柔らかな仕草、美しい顔、どれをとっても、まるで芸術品の様に輝いている。そんな彼を気安く呼んでいいのか、そんな気持ちに苛まれる。ふと、彼の顔を見ると、どこか影が見える。酷く、寂しげな、子供のような顔だと思った。
「それじゃあ、ラバさん?」
私は少し戸惑いながらも、その呼び方を試してみた。彼は笑顔で頷く。
「そう、それでいいよ」
彼は私の声を聞いて、満足そうに微笑んだ。その微笑みを見た瞬間、何か心の奥に温かいものが広がるのを感じた。彼の優しさが、言葉では表現できないほど深く心に響いた。
「ラバさん…」
私は改めて彼の名前を呼んでみた。今度は自然に、心からその名前を使いたくなるような気がした。彼はまた笑顔を浮かべ、優しく私を見つめた。
「どうしたんだい?」
「…いえ、何でもないんです。」
心の中で何か言いたかったことがあるような気がしたが、それが何かは分からない。ただ、彼の優しさに触れるたび、胸の奥が温かくなるような不思議な感覚があった。
「ただ…、ありがとうございます。私が不安に思っていたこと、少しでも楽になった気がします。」
彼は静かに頷きながら、私の言葉を受け入れてくれた。
「よかった。それじゃあ、行こうか。」
彼の手が、頭を通過する。文字通り。そしてどこから取り出したのか、赤色の紐が輪の中に通されていく。
あれよあれよと言う間に巻かれたそれは麻縄だろう、少し硬い。
私の困惑をよそに、彼は巻きつけた紐の先端を満足そうに持ち上げる。
「あの、ラバさん?」
「うん?どうしたんだい、」
彼が紐を引っ張ると、当然、私の頭も引っ張られる。先程までの甘やかな雰囲気は一体なんだったのか、それでも彼の声は優しかった。
「ラバさん、これって…どういうことですか?」
私は少し戸惑いながらも、彼の手から引かれて歩き始める。それはまるで散歩をする犬のようであったが、彼の表情や声は相変わらず優しく、どこか安心させてくれるものがあった。
彼は私の困惑を感じ取ったようで、少し申し訳なさそうに顔を伏せながら答えた。
「ごめんね、急にこんなことをして。でも、これは君のためなんだ。」
彼の説明が理解できないまま、また新たな疑問が湧き上がる。
彼は少し歩みを止め、私の顔をじっと見つめる。そんなに見つめられると穴が空きそうだ。
「君の力を引き出すためには、誰かの助けがないといけないんだ。」
「…そうだね、試して見せようか。」
彼はそう言うと、呪文のような言葉を口にし始めた。
「アクセル・ユー・ターン」
いや違う、これ英語だ。しかもUターンって言ってる。嘘でしょ、嘘だと言ってくれ。
懇願虚しく、彼の口から唱えられた言葉を耳にした途端、私の頭がギュルギュルと回り始めた。
そしてそのまま、凄まじい勢いで走り出した。危うく大木に衝突する、といった直前で、体がUターンをする。
嘘だろ。
「…想像以上の馬力だ。」
「ラバさん、これは、一体どういう。」
馬力、その言葉で全てを察してしまう。それでも、全てを認めたくなくて、彼に救いを求めようとする。
「…今のが君の力だよ。」
いや力というか、今のは完全に車だったような、そう口を開く前に、無慈悲な一言が発せられる。
「とりあえず今日は、森を抜けるまで走ってみようか。…アクセル」
その一言で私は、夜が明けるまで森の中を走り続けることになった。
人外が人外に使われる。いいですね。
この光景が見たくて車輪にしました。悔いはないです。
因みに紐はハンドル代わりと思ってください。