鍋の中の黒い太陽
薄暗く底冷えするような秋空。
ここしばらく続いた太陽の陽気を洗い流すように今は、しとしとと雨が降っている。
店のカウンターから外を眺めつつ、物憂げな視線を流れる車に投げかけながら……俺は、ここ数日の陰鬱な気持ちについて考え事をしていた。
馴染みの集団から諍いが原因で抜け出し、仕入れの品を注文するのも忘れ、そして今、しとしとと降っている雨に、お客も洗い流された。
今日はもう客は来ないかもしれないな……。
そんなふうに思いながら。
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俺は町中の小さな中華料理屋の店主
従業員もいない、席数だって10席あるかないかの小さな店
一国一城の主と言うにはあまりにも小さい城だが、俺はこの城を気に入っている。
大勢詰めかけるような人気店や人通りが多い都会の店などでは決して無いが、それでも馴染みの客が通ってくれるような、そんな普通のありふれた店だ。
そんな店だが、こういう雨の日にはお客はほとんど来なくなる。
電車も無ければバスも来ない、車で来るにはいいが、周りに目ぼしいものは何もない。
そういう意味では陸の孤島と言っても過言ではないが、そんなこの国ではありふれているそんな場所に俺はいるのだ。
コォウコォウと唸りを上げる換気扇と、柔らかく降る雨粒と、タイヤが巻き上げ引きずる水飛沫の軽い音だけが、この無人島の唯一の娯楽である。
しかし、そんな娯楽などすぐに飽きが来てしまうものである。
時計をみれば、もう14時を過ぎている。
一番の稼ぎどきを逃し、落胆するのもつかの間、次は腹の虫が蠢き出す。
そういえばまだ何も食っていなかったことを思い出した。
陰鬱な気持ちでも腹は減る。
そんな気分の時、俺はだいたい麻婆豆腐を食うことにしている。
普通、麻婆豆腐と聞いたなら、赤々とした唐辛子の滲み出た油ととろみの付いたスープに、白い美肌を晒し、よく味の滲みた豆腐を思い浮かべるだろう。
だが、それは四川麻婆豆腐のイメージが強いからだろう。
よく思い出してもらいたい。
日本の麻婆豆腐はもう少しくすんで黒っぽく見えるのではないだろうか。
本来四川の麻婆豆腐はスープがとても少ない、というのも麻婆豆腐とは煮物ではなく、鍋で焼く、いわゆる鍋焼き料理であるからだ。
故に油が表面に浮き出て、それが鮮やかな赤色をするのである。
そして、日本の麻婆が黒い理由、それは甜麺醤という甘味噌を使うからである。
もちろん甜麺醤を使わず、砂糖や他の調味料を使う店もあるのだが……。
中国の人からすると美味しいと感じる人と甘ったるいと感じる人もいるようだが、この黒い麻婆豆腐は日本人の口に合ったようで、今でも中華料理屋やレトルト食品であっても麻婆豆腐に甘みを足す店は存外に多い。
日本人はコクというのが好きだからだ。
コクというのは説明しだすと、少々長ったらしくなるのだが、要はタンパク質が熟成や発酵したり、糖と合わさりメイラード反応という褐色反応を起こすことにより、濃厚さや味の複雑化をいう、5つの味(甘、酸、苦、塩、旨み)に続く第6の味覚のことである。
中国から中国料理が伝わったとき、日本人の口に合うように調味、改良され、日本の食卓に並ぶようになった中華料理、麻婆豆腐もそのうちの一つである。
俺の店では、年配のお客にも食べられるよう甜麺醤を多めに入れた麻婆豆腐を作るが、今食べるのは俺一人、そんな時は唐辛子をしっかり効かせた麻婆豆腐を作る。
甜麺醤と醤油を含ませた肉味噌、鶏ガラスープに3種の醤を混ぜた特性豆板醤……
これらの3つのバランスが俺の麻婆豆腐の決め手だ。
もちろん豆腐の湯通しも忘れない。塩をひとつまみ入れるのを忘れずに……。
ジュウジュウと音をたてる中華鍋、フワリと香る醤、赤と黒のスープに浮かぶ豆腐が優雅に泳いでいる。
葱と山椒投入し混ぜ込んだ後、そこに水で溶いた片栗粉でとろみを付ける。
ゴウゴウと音を立て、コンロの火が強くなる。
ダマにならぬよう、豆腐を崩さぬよう、大胆かつ繊細にお玉で返し、鍋の中で炒りつけるように回し、麻婆豆腐を焼いていく。
こうして鍋の中に赤い油を纏って輝く黒い太陽が出来上がっていくのだ。
皿にご飯をよそい、麻婆豆腐をかける。
俗に言う麻婆丼というやつだ。
しかし、この丼というのは中国には無いそうだ。
0ということはないだろうが、中華丼や天津飯などと同じ日本でできた中華料理ということになる。
(ちなみに中国に、ドンブリが無いわけでもないが、片手サイズの小さいものが主流という)
湯気を上げる麻婆豆腐と白米を頬張る。
口内を火傷するほどの熱をはらんだスープが唐辛子の辛さを伴って喉を通り過ぎる。
白米と豆腐の甘さが一噛みごとに辛さを和らげる。
ハフハフと麻婆丼を平らげていく。
汗とともに辛味が嫌な気分を流していく。
悩みや鬱々とした気分が少し晴れたような気がした。
冷たいお茶を飲んでフゥと一息つく。
麻婆豆腐は約100年ほど前、清王朝時代末期に誕生したという歴史がある。
元々は羊肉と豆腐で作られていたそうだ。
それが今日の麻婆豆腐となって各地で広まり、現代でも食べられている。
最初にこの麻婆豆腐を作った人は何を思って、誰のために作ったのだろう。
食とは歴史である。
人の営みが作り出し、偶然をもはらんで発展し、そしてまた、人伝で更に広がり、各地に根付いていく。
麻婆丼で些か機嫌を直した腹の虫を宥めながらそんなことを夢想する。
辣油にも似た夕日の光が建物のを赤く染め上げていく。
いつの間にか雨雲も通り過ぎ、辺りは夜の帳を降ろす前触れの様相を呈してきた。
明日はいいことがあるといいな、などと柄にもないことをつい思うのであった。
2作目を投稿してみました。
まだまだ手探りで自分の書きたいものを思いつくまま書き殴ってるような状態です
他の方々はどんな感じで書いてるのだろう……
自分も頑張って続けていけたらいいなぁ