漢字検定2級を取るのに60時間かかるらしいが俺は1000時間以上かけたぞ
まず書き取りばかりしていた、今振り返ると超絶な馬鹿、どうしようもない底辺思考全開のヤツ。
手に馴染むまで書いた、無駄に書いていた、馬鹿だから費用対効果とか、その手法の戦果判定みたいなのを全然してない。
純粋に知能が低い、むしろ漢字を書く事が快感で、その程度の事に快感を覚えること自体が劣等の証明に他ならないのだがね。
まあ学校では常に一人なので、瞑想のように一心不乱にソレだけをする、そうしないと辛くなるから。
今なら部首とか?その辺を使って、もっと効率的に漢字を覚えると思う。
人という字は支えあってできている、みたいな意味付けで。
例えば、←この例えばも、意味付けのような1192作ろう鎌倉幕府的に覚えるなら、人が列する、これで例を覚えようとするだろう。
しかし、当時は書いて覚えていた、シンプルに純粋な単純記憶で漢字というモノを覚えようとしていたのだ。
ぶっちゃけ、とんでもない無駄な行為だ、知能が低いと膨大な時間をドブに捨てる羽目になる、これは典型例としか果たして言いようがない。
で今は馬鹿じゃないので、馬鹿の思考回路は実体験として把握できるくらいの優越性はもらいたいね。
バカは無駄な事をして快感をえる、俺から見れば下らないモンだ、なんの意味も価値もない、そう漢字の書き取りを延々と繰り返すように。
生産性の低い、費用対効果の低い、戦果判定で落第点をもらうような愚策を連発するような感じの人生だろうが。
俺は自分の経験から言いたいのだが、もう親という制度はやめた方が良いと思うのだ。
まず俺だが、もちろん典型的な親ガチャ外れ組だ。
親は19くらいでデキ婚して俺を産んで、まあ悪くない環境だった記憶がある。
しかし、如何せん馬鹿な親に生まれると初手の知能指数がマイナス30くらいからスタートーしていると思う。
親が馬鹿だから、馬鹿な言葉、馬鹿な思考回路、行動原理・振る舞いなどなど、受け継ぐのは道理だろう?
なぜなら母親がガンになったのだが、初手で余命を素で聞くくらいのド天然、つまり馬鹿だった。
まあそんな話はどうでもいいな、閑話休題だ。
たとえば俺が知能障害、発達障害レベルの人間だったのに、賢くなった経緯でも話そうか。
まず児童保育所みたいな所に小学生の頃はいたのだが、そこでドラ〇もんに出会った。
これはタイムマシンとか、そういう発想を得られたり、活字に触れたり、漫画を読む習慣を得たり、悪くない経験だろう。
もちろんバカのようにアウトドアに身体を動かしたり、下らない人間、俺の周りにいる奴なんだから、
全員が馬鹿だし劣等なのは当然だから、深く関わらなくて済んでラッキーだったろう、とはいかない。
それなりに下らない人間と関わった、しかし何か満たされないモノを感じていた。
俺が思い描くのは、ドラ〇もんの劇場版の世界のようなハートフルなモノだから、ソレ以下の世界に魅力を感じるハズもなかったとか、あったのかもしれない。
とりあえず大抵の凡夫のように、ここら辺で致命的に他人と交わり、その後の人生を無駄に浪費するような感じになってなくて良かったのだろうが。
次に高校だが、陸上を始めた、しかも長距離だ。
結論から言って、大して役には立たんだろう、肉体的に強くなったが、所詮はそれだけだ。
もちろん底辺校で不良が沢山いたのだが、そこで苛められないとか特典は気づかないうちに享受していたのかも、でも純粋に言って無駄だろう。
と言いたい所だが、度を越えたキ〇ガイ的な肉体的な強さがなければ、間違いなく死んでいたのも事実だ。
知的障碍者が常人レベルになるのは、多分そんなに甘い世界じゃないだろう。
陸上を始めて長距離走を初めて、無駄に体力が付くのは当然で、それで何をするか?
最初の話に戻る、漢字検定2級に1000時間である。
でも一見無駄に見えるような漢字の書き取り、作業だが、これが少しづつでも知的成長を促したような面は否定できない。
いくら非効率な方法でも、なにも身に付かない事はないだろう、当時の下らんレベルのゲームをしているよりかは、確実に身になった。
それから人並レベルに漢字が幾らでも苦も無く、気づいていないが、
当時の仙人のような修行によって、漢字をいくら見てもアレルギーが出ないようになったのかもしれない、
自覚がないのだが、膨大な書き取りによって、呼吸を吸うように読めるようになったのかもしれない。
英語を例に出すが、俺が英語アレルギーを克服できたのは、プログラミングによる、それまでは英語をやる位なら死を選ぶ心構えだった。
漢字だったり英語だったり、そういうのを好きになるのは難しいと思う、当時の馬鹿で知能の低かった俺なら、なおさらだ。
それを強引に突破したのが、漢字の書き取りなど1000時間の積み重ねだったのだろう、凄まじく非効率だが、当時の最適解を突き進んだ感はあるかもだ。
さてその後の結論から言うと、本を読むようになった、これが今を構成する要素としては強いだろう。
この知の段階に行けば、時間さえあれば幾らでも高みを目指せると思う。
人が神に至る為に必要なのは、適切な方法論と時間だ、問題はその時間が致命的に足りないだけだが。
ここまでは基礎だ、基本だ。
その後の知の発達には、個人差みたいなのが大きいと思う。
小説を書いて、さらに爆発的に伸ばせる奴もいるだろう、音楽だって絵描きだってなんだっていい。
それぞれの専門と呼ばれる領域に行けば、自然と知識体系を踏襲して、その分だけ知能の性能が上がっていくと思っている。
俺もそれだ、この場で説明するには難しすぎる、しかもニッチでマイナーで、全人類で俺しかやっていないような知の伸ばし方だ。
あえて強いて説明するなら、例えになるが、オリジナルの暗号の開発、それくらいにぶっ飛んでいるとだけ、言っておく。
しかし一般的なモンもあると思う。
決定的に俺を変えた、先進的と思える文化がある、簡単に言うと10年前から動画や配信を見ていた。
そして5年前にサ〇ゲームスという、ぶっちゃけコレ日本の特異点だろ?
って思える位に飛びぬけて、他を頭2つ3つ突き抜けたコンテンツに出会った、というか遅ればせながら見つけたw(笑)
そして直近だと、3年前からプログラミングをやって、ここ1年は英語に出会った、というか学び始めた。
しかしだ、なにもかも遅すぎる。
俺は生まれた瞬間から、強くてニューゲームのように、初めからこれらが知りたかったのだ。
もちろん、初めから最適解を知っていたら、絶対に出会えなかった出会いもある。
運命としか、前世からの宿業としか思えないような、そんな出会いもある。
幾ら輪廻転生を繰り返しても、必ず出会うだろうと確信するような、いや必ず意地でも絶対に出会って見せると確信するような。
まあ、俺の場合はヒトじゃなくて、俺にしか発現しなかったような、特別な技術なのだが。
それが俺を芯から真に、本当に苦しかった時に俺を救い、全てを与えてくれたようなモンだ、コレに出会たことは後悔しないと断言できる。
そんな誇りやプライドや自己証明、アイデンティティの根幹をなすモンもあるし、
他にも幾つか大切な小説物語とか、ある気もするが、コレに比べたら些事かな、どうだろうか???
とにかく俺はオレの馬鹿な知能のせいで、膨大な時間を無為にすごした。
人間は知能が高い方が良いのは絶対だ、馬鹿は自然淘汰されるべきだし、昔の俺を今の俺が見たら、コイツは純粋に死ぬべきだと思っている。
漢字の書き取りを愚直に、漢字を書くだけで心満たされ、幸せの空間にいれたような、何の意味も価値もない愚者は、死ぬべきだと、今だってそう思っている。
俺はオレのガキだった頃を否定する、あんな雑魚は一瞬で死ぬべきだと思っているから、ここまで来れた、上り詰めることができたと、そう感じる。
結論も何もないので問題だ。
そうだな、そう、これが人間の本性だ、自分より劣った存在を否定して、幾らでも高みを目指す、人間性の病理として、これは教訓にするべきだろう。終わり。