ドレスの行方:猛者たる女官は可憐な乙女①
森と湖の国・グストーシュの国王が退位の意向を示して1ヶ月になる。
それに先立ち第一王子が廃嫡になり、第二王子が王太子に立てられた。これは玉座をめぐる肉親同士の争いではなく、むしろ非常に平和的に執り行われた事だという。
国民達もこの決定を歓迎した。ただ、解せない事が一つある。
「なんで王様、退位するんだ?
まだまだ若くていらっしゃるのに???」
王妃様を早くに亡くし、以来再婚もせず国を護り導いてきた国王はまだ40代。
つい先日、2人の王子がそろって婚約したばかり。当然孫もまだ生まれていない。
隠遁するには早すぎる。人々は首を傾げていぶかしがった。
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さて、国王の意図はともかく、若く優秀な王太子は国民から絶大な支持を集めていた。
その理由の一つとしてある女性の存在があげられる。
王太子の熱望で未来の王妃に内定した、見目麗しい男爵令嬢。
思慮深く聡明なこの淑女は「光の女神」と呼び称され、多くの国民から慕われていた。
「・・・女神?
夏の湖を素っ裸で泳ぎ回ってたお転婆娘が?♪」
「子供の頃の話でしょ?止めて、意地悪ね!」
エルクレイ男爵令嬢・ルミナは、隣で含み笑いする恋人の腕を軽くつねる。
幼なじみだったラチェット王子との結婚が決まったのは、ほんの数ヶ月前だった。
グストーシュの国は厳しい冬を迎えている。
暖炉の炎が暖かい。居心地の良い居間でいただくお茶は、心と体を温めた。
ラチェットは政務の合間を縫って、こうしてルミアに会いに来る。一緒にお茶の時間をすごすのは、お妃教育に励む彼女を気遣っての事だった。
「高位貴族にはまだ婚姻に反対する者が大勢いる。
父上や兄上、国民のほとんどは君の素晴らしさを認めてくれているというのに!」
眉を潜める恋人にルミアは小さく微笑んだ。
ソファに座る彼女の膝には、真っ白な子猫が丸くなっている。先日、地方都市の視察に出かけたラチェットが拾ってきたのだ。
「どうしても他猫(?)とは思えなかった」そうだが、一体どういう意味だろうか???
「本来私みたいな下位貴族の娘は王族と話も出来ないはずですものね。
ありがとう、ラチェット。でも私なら大丈夫よ。」
「しかし・・・。」
「心配しないで。お妃教育はちゃんと捗ってるから。
・・・それにね。」
ルミアは居間の隅に陽気な笑みを投げ掛ける。
「私には、彼女 がいてくれるわ♪」
壁際でひっそり佇む中年の侍女が、慎ましやかに一礼した。
「にゃぁ。」
ルミアの膝で、子猫が鳴いた。
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彼女の名は、メラニー・フェンディル。
背筋をシャンと真っ直ぐ伸ばし前を見据えるこの女官は、大魔女が送り込んだ「刺客」だった。
子猫がらみの騒動後、グストーシュ国に魔法支援を申し出た時、大魔女は大臣に命令した。
「城の女官の中から 猛者 を選んで放り込んどいて。
エゲツないほどの 強者 がいいわ!」
寡黙な大臣は忠実にその命令に従った。
多くの女官達の中から彼女が選ばれるまで、ほんの10秒も掛らなかった。
確かにフェンディル女史は 猛者 だった。
たった数ヶ月間でグストーシュ国王城の鼻持ちならない女官達を、全て 屈服 させるほど!!!
「エレクトラ嬢!
何ですかその歩き方は!?下品だ事、お改めなさい!
それに、ルミア様に一礼はどうしました!?未来の王妃の御前をまさか素通りするとでも!?
・・・わかればよろしい。以後、厳重に慎むように。
オヴェルダ嬢!
お茶を出す時は最後まで両手を添えて丁寧に!食器の音も立ててはなりません!
・・・音がしたから注意したのです!それに貴女、お茶を置く時『失礼いたします』と一言申し上げましたか?!
聞こえましたよ、貴女達!
男爵家の娘のくせに? 王子に取り入った醜女? なんて口の悪い事!
結構です!貴女方はルミア様に仕える資格がないようですね。早々に城から退出なさい!
・・・今更泣いて謝るくらいなら、陰口などお止めなさい!
しかと言い渡しましたよ、いいですね!?
・・・なんでございましょう、ルミア様?
お手柔らかに? まぁ、お優しい。
しかしながら私、大魔女様から『1mmたりとも容赦するな!』と厳命されておりますの。
さぁ、休憩はお終いでございます。お妃教育を再開しますよ!
晩餐までみっちりと外交接待と儀礼礼法について学んでいただきます。よろしいですね?!」
今日も、フェンディル女史の目が光る。
彼女は未来の王妃にまでも、1mmたりとも容赦無かった。
---凹---( ̄ロ ̄lll)---凹---
当然ながら、王城内でフェンディル女史の評判は良くなかった。
自分にも他人にも非常に厳しく、不正や非礼は許さない。相手の身分や立場に臆さず真正面から意思を述べ、それが至極的確な正論なだけに、反論の余地がまるでない。
いつしか彼女は心無い者達から「大魔女の国の鉄面婆」と呼ばれるようになっていた。
(結構ですわ。
私が恐れられれば、それだけルミア様に悪意が向かなくなるのだから。)
月が美しい静かな夜更け。
その日の仕事を終えたフェンディル女史は、城内にある自室へ向かって歩いていた。
(私のお妃教育の厳しさは城中に知れ渡っている。
それにお励みになるルミア様のお姿に感心する声が高まりつつあるわ。
これなら大丈夫。近い将来、皆がルミア様こそ王妃に相応しいと思うようになるでしょう。
・・・。あら???)
中庭に面した回廊の途中でふと立ち止まった。
生い茂る立木の合間にぼんやり光が見える。並の淑女なら恐怖を覚え悲鳴を上げる所だが、猛者たる彼女は怒りを覚えた。まだ若い侍女の誰かが、夜更けにこっそり「逢引き」しているランタンの明かりだと思ったのだ。
(こんな時間に不謹慎な!)
ドレスの裾を掴みあげ、夜の中庭に足を踏み入れる。怒鳴りつけてやるつもりだった。
しかし。
木立をかき分け光を目にしたフェンディル女史は、我を忘れて立ち尽くした!
(・・・なんて、美しい・・・!!!)
あまりの光景に息を飲む。
そこにあったのは、一着の ドレス 。
光り輝く美しいドレスが宙に浮かんでたゆたっていた。
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(も・・・持って帰ってしまった・・・。)
フェンディル女史は自室の真ん中で狼狽えた。
手にはあのドレスがある。
手触りが素晴らしい。おまけに芽吹いたばかりの新緑のようななんとも清々しい香りがする。
肩のあたりをそっと摘み、恐る恐る広げてみる。
慎ましく襟の詰まった、両袖がゆったりとしていて繊細なレースが美しいドレスだった。
胸下から緩やかに広がるスカート部分に施された金糸の刺繍がとても見事で、絶えずキラキラ輝いて見えて思わずうっとり吐息が漏れる。
フェンディル女史はドレスの美しさにすっかり魅入られ、時間を忘れて眺め続けた。
(持ち主を捜さなくては。
こんな素晴らしいドレスですもの。きっと探していらっしゃるわ。)
そう思いつつ、湧き上がる衝動に堪えられなかった。
フェンディル女史は女官の制服を脱ぎ、ドレスの袖に腕を通してしまった。
「・・・まぁ・・・!」
姿見鏡の前に立つなり、思わず感嘆の声が漏れる。
そこに映った自分の姿は、見違えるほど美しかった。
(そういえば私・・・。
今までドレスを着た事がなかったわ。
若い頃は貧しかったし、女官になってからは毎日とても忙しかったし。
一度でいいからこんなドレスを着てみたい。
それが私の夢だったわね・・・。)
若い頃に叶わなかった切ない夢と、それが叶った大きな喜び。
フェンディル女史は鏡の中の自分に見とれていた。
恍惚とした面持ちで、そっと髪に手を当てる。
ひっつめ髪をほどいて下ろすと、髪はきつく結い上げていた分、細かく波打ちサラサラ揺れた。
テーブルの上には花瓶に活けた花がある。その中から白い花を一輪抜いた。
可憐な花を髪に差すと、顔色がパッと明るくなった。
歳相応にくすんだ肌が少女の柔肌のように瑞々しく見え、心を大きく弾ませる。
すっかり気分が良くなった彼女は、またしても衝動に抗えなかった。
別人のように着飾ったまま、部屋から出てしまったのである。
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夜空には綺麗な月が掛っていた。
フェンディル女史は誰もいない王城の中庭に1人佇み、静けさに耳を傾けていた。
(・・・私は何をしているの?)
月を見上げて苦笑する。自分自身への問いかけが何だかとても虚しかった。
(きっと誰かに見てもらいたかったのね。
・・・バカな事を!)
ドレスは確かに美しいが、若い娘が着る仕様。自分のような四十路女が身につけるには無理がある。
急に恥ずかしくなってきた。フェンディル女史は狼狽えた。
(部屋に帰らなくては!
こんな年甲斐もなく浮れた姿、本当に人に見られでもしたら・・・!)
大慌てで踵を返し、自室へ向かって歩き出す。
しかしその時突然に、背後から声を掛けられた!?
「・・・君は一体、どこの令嬢だ?」
心臓が止まる思いを味わった。
恐る恐る振り向いてみると、そこには若い男女数名の集団。
彼らの中にはエレクトラ嬢とオヴェルダ嬢がいて、目を丸くしてこっちを見ている。
こんな夜更けに出歩くなんて、と思いはしたが、叱る余裕は全くない!
(・・・きゃああぁぁぁ!!!)
フェンディル女史はドレスの裾をたくし上げ、全速力で逃げだした!
「あっ!待って!」
「お嬢さん、お名前を!」
立ち止まるなどとてもできない。できっこない!
名乗るなんて、もっての外!日頃の慎みをかなぐり捨てて死に物狂いで激走した。
自室に飛び込み鍵をかけ、床の上にへたり込む。
(み、見られた!見られちゃったわーっっっ!!!)
何とか逃げきったフェンディル女史は、頭を抱えて蹲った。
---!!!--- (((( *ノノ) ---!!!---
羞恥に悶えるフェンディル女史は、一睡もできないまま朝を迎えた。
人前に出るのが怖かった。しかしいつも通り仕事についても、誰からも何もいわれなかった。
(・・・きっと私だと気付かなかったのね。
ドレスなんて着てたから・・・。)
密かに胸を撫で下ろす。
しかし、王城の一角で騒ぎが起こったのはその日の午後の事だった。