劣等剣士は入学する
入学試験が終わって約一ヵ月後。
『あのアトランティアに合格したじゃとっ!? あが、ごごごご』
あごが外れるほど喜んでくれた師匠を思い出しながら、俺は再び王立アトランティア魔術学園へとやってきていた。
試験のときには入らなかった洋館風の校舎に入る。校舎は五階建てであり、一年生の教室は校舎の二階だ。二年生、三年生と進級するたびに、教室も三階から四階へと場所が上がっていく。一階は主に先生たちが使う部屋が並んでいた。
階段を上って一年Aクラスの教室を見つけた。茶色い長机がずらりと並んでいるところは、冒険者ギルドの講義室を思わせる。席は特に指定されていないようなので真ん中一番前の席に座った。
「あっ、ハイドくん!」
「エルシーか、久しぶり」
窓際一番後ろの席から、エルシーが駆け寄ってきて隣に座る。
「あっ、い、いまさらですけど……隣よかったでしょうか」
「そんなに気を遣わなくてもいいぞ。俺も知り合いがいるほうが心強いし」
「あ、ありがとうございます……!」
エルシーが花のような笑顔を咲かせる、可愛い。
彼女にも剣術は魔術に劣らないと主張してもらえれば効果的に思うと同時に、入学試験のことを考えると、どうにもお願いする気持ちにはなれなかった。
「ねえちょっと」
背中からぽんぽんと肩を叩かれた。振り向いて思わず「げっ」とこぼしてしまう。
「げっ、ってなによ」と頬を膨らませているのは、見覚えのある金髪ツインテールの女子生徒、入学試験で模擬戦の相手だったクラウディアである。
「ハイドくんはわたしとお話ししていますので、金髪さんは帰ってください。しっしっ」
「金髪だけなら他にもいるでしょエルシー。私はクラウディア。邪魔しにきたわけじゃないんだから、私も会話に混ぜてくれたっていいじゃない」
平然とするクラウディアに、俺はやや腹立たしさを覚えた。
「あのな。言っとくけど、俺はお前が師匠を無能呼ばわりしたこと許してないからな」
「い、一ヵ月も前の話でしょ! 昔のことを掘り返すなんて根暗だと思わないの?」
「じゃあお前は自分の家族がバカにされても一ヵ月経てば許せるって言うのか」
「それは……」
「そうですよ。あと普通に邪魔なのでどこかここではない遠くへ行ってください」
煽るエルシーを一瞥したクラウディアは、しばしうつむいてから姿勢を正して。
「……ごめんなさい。あなたもあなたの師匠も決して無能なんかじゃなかった。あのときの言葉は取り下げるわ」
深々と頭を下げた。
教室がざわめく。あのクラウディアが頭を下げてるなんて……そんな内容が教室のあちこちから聞こえてくる。俺だって彼女がこんなふうに謝るとは思っていなかった。
口調も態度も本物だ。心からの謝罪なのは疑いようもない。
「顔をあげてくれ」
「許してくれるの……?」
「ああ。こういうとき、師匠なら絶対許すと思うしな」
「……ううん、やっぱりちょっと待って」
クラウディアはなにか考えるような素振りをみせ、それから口をひらいた。
「今日の放課後、時間は空いてるかしら」
「日課の特訓があるくらいで他にはなにもないけど、どうしたんだ?」
「無理にとは言わないけれど、できればあなたの師匠に直接お会いしてお詫びしたいの。無礼を働いたのだから、なにかお詫びの品も渡すべきだと思うし」
俺は思わず目を丸くした。
クラウディアは真剣そのものだ。彼女の気持ちを無下に扱うわけにはいかない。
「わかった。たぶんそこまでしなくていいって言うとは思うけど、俺から師匠に話してみる」
「っ! ありがとう……!」
「はははははははははハイドくんの家に行くんですかっ!?」
突然エルシーが立ち上がって甲高い声をあげ、俺とクラウディアは驚いて振り返る。
何事かと思っているうちに、エルシーは「んっんっ」と妙に艶っぽく喉を鳴らして、それからピンク色の薄い唇をひらき。
「アルディナクさんの白ひげっ!」
事実だが、なぜいま言ったのかわからない内容を口にした。
そういやエルシーは五年前、俺にお礼を言うために師匠の隠れ家を訪れてたんだっけ。
「あ、あー……ついハイドくんの師匠の悪口を言ってしまいました。これはわたしもアルディナクさんに謝罪しなくてはいけませんね。ちゃんと謝らせていただかなくては」
チラチラと視線を寄こしてくるエルシーに、俺は正論を述べた。
「別にエルシーは謝らなくていいだろ。いまのは悪口じゃないし」
「そ、そんなっ……! だ、だったら」
すぅーっとエルシーが息を吸い込む。
「アルディナクさんの六十五歳! 野菜好き! 右の股関節を痛めてる! 奥さんに一途! あとあと、ハイドくんを育ててくれてありがとうございますっ!」
ぜぇぜぇと肩で息をしながら、エルシーは目をぐるぐると回していた。
というかやけに詳しいな、もしや師匠のファンなのか? ぜひ朝まで語らいたい。
「ど、どうです!? さすがにこれはアルディナクさんに直接土下座しなくてはならないでしょう!」
「ただ事実を言ってただけだろ。むしろ最後のほうは褒めてお礼まで言ってるしな」
エルシーは膝から崩れ落ちて教室の床に派手に転がった。
「ハイドくんを育ててくださったアルディナクさんの悪口を言うなんて、わたしにはできません……。品性も常識もない金パツンデレさんがうらやましいです」
「制服で床に転がってるあんたに品性がどうとか言われたくないわ。そもそも、私だって言いたくて言ったわけじゃ……あっ……ふーん、そういうこと」
クラウディアは一瞬だけ口の端をつり上げた。かと思えば、すぐに表情を暗くし、肩を落として「ねぇ……」となぜかいじらしく話しかけてくる。
「私は無知なあまりあなたの師匠を無能呼ばわりしてしまったわ。だから放課後、"あなたの家"に謝りに行く前に、"ふたりっきり"でアルディナクさんのことをもっとよく教えて欲しいの」
「くっ……この金髪虫が……!」
「あら、その言葉遣いがエルシーにとっての品性なのね。勉強になったわ」
「はぁ?」
「あん?」
エルシーとクラウディアのあいだに火花が見えた。ふたりとも顔は良いのに口が悪いなってヤバいヤバいエルシーの周りでマナが蠢いているんだが。
「くくっ、はははははははっ!」
エルシーに細心の注意を払っていると、不意に後ろの高い席から、なんとなく覚えのある高笑いが聞こえた。
「入学早々面白いモノを見せてもらったぜ。まさかあの雷姫と水の乙女が、そこにいる魔術も使えない無能男を取り合うなんて」
声の主は緑髪の男だった。この男、どこかで見たような……
「べ、別に取り合ってなんか!」
「ハイドくん、あの虫潰してもいいですか?」
「俺がそれで許可出すと思ってんの?」
「すみません。ではわたしの意志であの虫を潰しますね」
「悪かった。頼むから俺のために絶対やめてくれ」
新学期早々殺人事件なんて、剣術が魔術よりも云々どころではなくなる。
「オレの名はイーサン・オベロンだ。かの有名な魔術師一家、オベロン家の正式な跡取り息子といえば、これ以上の自己紹介はする必要ないだろう?」
「……イーサン!」
思い出した。
イーサンはウィルマクが養子として招いた男だ。同じクラスだったのか。
「……お前もしかして、あのときのハイドか?」
俺を思い出したイーサンが、取り巻きの男ふたりと共に下卑た笑いを浮かべる。
「魔術が使えないってオベロン家を追いだされたお前がここにいるなんて、いったいどれだけお金を払ったんだ? 教えてくれよ」
「そうだな。願書を出すときに受験料の百倍は払った」
「ハッ! こいつは傑作だ。ハイドのお師匠様は随分と気前がいいな」
「いや、師匠の申し出は丁重に断った。受験料は俺が稼いだお金で払ったよ」
「あ? ウソつけ。証拠でもあんのか」
俺は魔剣白金の柄に手を置いて、魔剣の効果を発動した。
宙空にできた亜空間からお金の入った麻袋を取りだし、イーサンに投げる。受け取ったイーサンは軽くよろめいた。
「うお、重っ!」
「イーサン様! これ本物ですよ! いくら入ってるんですかね!」
「というかさっきの亜空間はなんですか。コイツって魔術が使えないんじゃ」
「いまのは俺の魔術じゃない。俺の持ってる魔剣に仕込まれている魔術のひとつだ」
俺がそう言うと、イーサンは「けっ!」とこぼして麻袋を投げ返してきた。
「よかったな、出来損ないのお前にそんな貴重なマジックアイテムをくれる、最高に優しくて無能な師匠と巡り合えて」
くくっ、と笑いをこぼすイーサンを前に、俺はぶっ飛ばしたくなる気持ちをこらえる。
さっき自分がエルシーに注意したばかりだし、学校で暴力沙汰を起こして迷惑をかけるのは師匠だ。そんな弟子に成り下がるわけにはいかない。どうにも師匠のこととなると頭に血が上りがちだな俺は。
などと考えていると、エルシーとクラウディアが両脇から抱きついてきた。嬉しいけどもなんで? あっ、イーサンがすごい眉間にしわ寄せてる。ちょっと気持ちいいかも。
そんなイーサンに、クラウディアがさらに追い打ちをかけた。
「ちょっとあんた。私たちの会話を盗み聞きしてたくせにバカなんじゃないの!?」
「金髪に同意するのは癪ですが、わたしもそう思います。教室が壊れたらあなたの責任ですよ」
「おい待て、さすがに俺もそこまで短気じゃない」
クラウディアとエルシーから「ウソだー」みたいなジト目を向けられる。
ふたりにだけは言われたくないんだが。
バカと責任を問われたイーサンは「ぐぬぬ」と唸っていた。やっぱり昔とあんま変わってないな。
ガーっと教室の扉が開かれる。入ってきたのは白髪赤目に白衣を羽織ったマーリルさんだ。
「全員席につけ」
「ちっ、ハイド。あとで覚えとけよ」
俺お前になにも言ってなくね?って思ったけど、なんかツッコむのも面倒だったので放っておいた。
肩を怒らせるイーサンとそれをなだめる取り巻きの男ふたりが席へ戻っていく。
俺たちも元いた席に座ったところで、マーリルさんが口をひらいた。心なしか、俺を冷えた目で見るようにして。
「これから魔術の実技授業を始める。授業についてこられなかった者は──退学だ」




